第12話 アニーの家、母、そして兄

 山を越えればサルムーンの町。早朝の山道を急ぐ二人は、幸い野生の獣や山賊に襲われることも無く、昼前には町外れに到着した。

 静かな、何の変哲もない町の筈が、竜が出た事を聞きつけて来たのだろう、辺りには剣を手にした男達がうろうろしている。


「こんなところに竜がいるわけ無いのにね」


 事情を知っているアニーの醒めた声。アズウェルは何か思うところがあるのだろう、表情が重い。アニーはその顔を見て呟いた。

「この人達、竜が人間と話せるって知ったらどうするんだろうな?」

「竜が人と話せようが、そんな事は関係無いな。こいつ等の頭の中には竜を倒して名を上げる事しか無いから」

 アニーの呟きにアズウェルは面白くなさそうに答えた。そして、吐き捨てる様に言った。

「そもそも同族で殺し合いするのが人間って生き物なんだぜ」


 町に入り、少し歩くとアニーは一軒の小さな家の前で立ち止まった。

「ここが私の家。お母さん、びっくりするかな?」

 笑いながら言うアニー。「ただいま」と言いながらドアを開けると母親が出て来た。


「おかえりアニー。無事だったんだね、良かった……」

 娘が無事に帰ってきた事を喜ぶ母親がアズウェルの顔を見て言葉を失った。まあ、年頃の娘が男を連れて帰ってきたのだから無理も無いのだが、彼女の驚き方は少し意味が違う様だ。


「アニー……その人は……?」


「ああ、この人? 狩人のアズウェルさん。竜の逆鱗をくれた人で、お兄ちゃんの病気について分かる事があるかもって」


 アニーの説明に少し冷静さを取り戻した母親はアズウェルに深々と頭を下げると、彼を家の中に招き入れた。アズウェルは荷物を置くとすぐに病状を見たいと言い出し、三人はマイクの部屋へ場所を移した。


「その人は?」

 見知らぬ男の登場に戸惑うマイクだったが、アニーの説明を受けて微笑むとアズウェルに頭を下げ、病状を説明した。彼の病状はこんな具合だった。


① 発熱、かなり高熱になることも

② 背中の灼け付く様な痛み

③ 喉の痛み

④ 胸を締め付けられる様な痛み


これらが不規則に襲ってくるというもの。それを聞いたアズウェルはマイクの目を観察し、背中に手を当てて考え込んだ。そしてアニーの母親に目を向けた。アニーは母親によく似ている。するとアニーの母はアズウェルと目を合わせた。気まずそうに目線を逸らすアズウェル。


「アズウェルさんとおっしゃいましたね、息子はそんなに良くないのですか?」


 アズウェルが目線を逸らしたのを気に病んだアニーの母。アズウェルは大きく首を振ってそれを否定した。

「いえ、これは恐らく病気では無いかと」


『病気では無い』 高い熱を出したり痛みを訴える息子が病気では無いとするといったい? 何か呪いをかけられたとでもいうのだろうか? 唖然とするアニー達にアズウェルは言い難そうに尋ねた。


「立ち入った事を聞いて申し訳ないのですが……ご主人、お二人の父親についてのお話を聞かせていただいてもよろしいですか?」


 父親と兄の病気にどんな関係が? アニーは不思議に思うと共に、今まで話してもらえなかった父についての話が母の口から語られるのでは? という思いが頭を過った。


「これも何かの巡り合わせかも知れないわね……」


 アニーの母はポツリポツリと話し始めた。父とは湖、アニーとアズウェルが出会った湖で出会った事。アニーが生まれてすぐ、旅に出たまま帰らないという事。そして何よりもアニーを驚かせたのが、アズウェルは若い頃の父とそっくりだと言う事、そして父の名もアズウェルだという事だった。


「だからね、初めてアズウェルさんを紹介された時はびっくりしたわ。正直あの人が帰ってきたのかとも思ったわ。でも、あれから十年以上経つんだから、あの人がこんなに若いわけ無いからね」


 寂しそうに言う母。父について初めて聞いたアニーは少し複雑だった。アニーが生まれてすぐという事は、もう十数年前である。そんな長い期間旅から戻らないとなると、考えられる理由は二つ。何か大変な事に巻き込まれたか、捨てられてしまったかだ。

 捨てられたとは考えたくないが、何か大変な事に巻き込まれ、十年以上も戻って来ないとなるとおそらく父は……だが、母の顔を見るとそんな事は言えない。


「へ~、アズウェルってお父さんの若い頃にそっくりなんだ」


 無難な言葉しか出て来ない。アズウェルは辛そうな顔で母に頭を下げた。

「そうだったんですか。辛い話をさせてしまって申し訳ありませんでした」

「そんな事より、マイクはどうしたら……?」

 詫びの言葉などよりも息子の心配をする母親。アズウェルは言い難そうな顔で口を開いた。

「アニー、少し席を外してくれないか」

 アニーには聞かせられない様な話なのか? 彼女は何か言いたげな顔をしながらも、おとなしく部屋を出た。


 アニーは聞き耳を立てる事もせず、自分の部屋で話が終わるのを待っていた。しばらくすると話が終わったらしく、母親が彼女の部屋に入って来た。

「お兄ちゃん、どうなの?」

 母親の顔を見るなりアニーの口から出た言葉。母親は優しい目で笑い、答えた。

「大丈夫よ。アズウェルさんの知り合いの所へ行けばなんとかなりそうだから」

 アズウェルの知り合いと聞いて、アニーの頭には竜のアレックスが思い浮かんだ。竜の持つ人智を超えた力で兄を助けてくれるのでは? そう思ったのだった。


「それで、いつ行くの?」

 アニーはアズウェルに尋ねた。もちろん彼女も一緒に行くつもりなのだ。するとアズウェルは少し考えてから答えた。

「すぐにでも……と言いたいところだが、山の中で夜になっちまうのも困るからな。明日の朝一番だ。マイクには辛いかもしれんがな」

「お兄ちゃんを歩かせるつもりなの?」

 アズウェルはどこかまでマイクを歩かそうとしている。それに異を唱えるアニーだが、アズウェルはそれを一言の下に否定した。

「仕方がないだろう。マイクをこのままにしておくわけにはいかないんだから」

 確かに仕方が無いと言えば仕方が無いのだが、マイクにとっては酷な話である。それに母が反対しないのは何故だろう? アニーの居ない間にどんな話がされたのだろうか?

 更にアズウェルはアニーに言った。

「明日は俺とマイクの二人で行く。お前は付いて来るな」


 アニーは耳を疑った。アズウェルが自分を置いて行くと言い出すなど思ってもいなかったから。旅路で苦しむ兄の姿を見せない様にしようというアズウェルの配慮なのだろうか? だが、アニーには納得がいかなかった。

「何故? どうして私が一緒に行っちゃいけないの?」

 食い下がるアニーだったが、アズウェルは頑として聞き入れない。また、その理由も説明しようとしない。

「アニー、すまんが理由は今は言えない。だが、決して悪い様にはしない。俺を信じろ」


 はっきりと言い切ったアズウェルの目に嘘は無い様に思えず、最終的にアニーは頷くしか無かった。

「わかってくれたか。大丈夫、元気になったマイクと帰ってくるからな」

 アニーの頭を撫でながら言うアズウェル。しかし何故彼はこうもアニーに親身になってくれるのだろう。やはりロリコンなのだろうか……?


 出発は翌朝早くという事で、早目に床に就いたアニー達。しかしアニーは目が冴えてなかなか眠れない。頷いたとは言え、やはり兄の事が心配だ。「こっそり付いていっちゃおうかな?」などとついつい考えたりしてしまう。しかし、初対面で竜の逆鱗をくれたり、わざわざ家まで来てマイクの様子を見てくれたり、道中の宿代まで出してくれたりとアズウェルにとって何のメリットも無い様な事をしてくれる彼を裏切るわけにはいかない。アニーは大きく首を振ると、頭から布団を被って丸まった。そして、いつしか彼女がうつうつとし出した頃、大きな、物が壊れる音が響いた。

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