4章 the world

4-1 種

 幸せは何かはわからない。砂粒のようにとても小さな小さな思い出だけあれば充分な人もいれば、巨大な富と大勢の人々に囲まれて悠々と暮らす事という人もいる。それを不幸だという人もいれば、それが幸福だという人もいる。様々に、多種多様に枝分かれしている。

白い街は白くあればそれが幸せだ。幸せを求む人がいて、彼らが幸せであればこの街は維持できる。悲しみを削いで、或いは何かを失ってきた人を幸せにする事が街の願い。

――昔々、不幸な少女がいた。何をもって不幸とするか、両親がいて住む家があって食べるものも普通にあって、何もかもがそれなりに揃っているにも関わらず不幸と考えられたのは、少女の心の置き所がなかったところだろう。少女は誰にも理解されなかった。誰にも愛されなかった。誰にも認識してもらえなった。生まれた時は祝福を受け、育つ途中で両親の不仲により、捨て置かれるしかなかった。少女はそれを気にせず、家族というものに後ろ髪を引かれながら一人で進んだ。しかし、両親がそれを許さない。家族の輪から抜け出すことは不誠実だと罵倒されたのだ。ここにいれば幸福なのに、それを壊して不幸になる気かと、少女は異質なものと罵られた。無理やり家族の中に押し込まれて過ごすしかなかった。

この人たちがいなくなれば自由なのだろうか。家族の円環を破壊すれば不幸は幸福へと転じるのだろうか。

そんな夢想が少女を惑わす。

白い街が囁く――この街なら全てが幸福になるよ。ただし、何かを失うかもしれないけどね。

幸せになるためにと、白い街は一つの弾丸を手渡した。


「探偵さん。依頼だよ」

 どの家も同じレースのカーテンがはためいている。四角に切り取られた窓から覗く景色もあまり変わらない。白い空、白い壁、白い道。時々、風力タービンが風を送るが、ここ数日は止まっている。

 まるで変わらぬ景色の中で、一際輝く赤紫の目が二つ。細くたわみ、楽しそうに揺れている。人懐っこいのだがギラギラしたものを持つ男、アザレは窓からだらりと両手を伸ばし、ソファに横たわるクロを眺めた。

 クロは半分眠っていた頭を起こし、足元で眠っているシロを起こさないようにそっと起き上がると、ふらつきながらアザレに近づいた。

「アザレがここに来るなんて珍しいな」

「お前たちの家に来るのは随分と久しぶりのような気がするよ」

 くつくつと喉で笑いながら、アザレは手を引っ込め、頬杖をついた。その視線の先にはシロがいる。閉ざされている両の眼には七色に輝く宝石のような瞳が眠っている。アザレはそれを思い出し、想像の世界だけでうっとりと顔を緩めると、クロがその視線を遮った。アザレは肩をすくめ、しかし何も言わなかった。クロも何も言わない。

「それで、依頼は」

「俺についてきてくれ」

 アザレは親指を外に向けると、踵を返した。クロもため息混じりに外に出る。自ら出る事も少ないが、こうして誘われて外に出る機会も中々ないクロであった。

 アザレはベージュのトレンチコートをはためかせ、クロは真っ黒なシャツで隣に並ぶ。強いコントラストは、しかし白い街にいると何もかも白く漂白されるようで、二人の姿は自然と空気に馴染んでいた。

「最近、エイプリルを見ないな」

「時々体調を崩すってシロから聞かないか? 調整するんだとさ」

「シロは何も言わない」

「エイプリルは元気になってきたよ。俺はどっちかっていうと、病気になりかけのあいつの目が好きなんだけどなぁ。案外と丈夫で、すぐにいつもの色になる。もったいない。いたぶると良い色になるけど、続けると濁ってくるんだよ。加減が難しい。マザーに身体は壊すなって言われてるんだけどね」

 アザレは意地悪く笑い、白い歯をちらりと見せた。食いつかれるエイプリルを哀れに感じながら、クロはこっそりとため息をついた。

 いつもならふおん、ふおんと風力タービンの音がするが、街に音はない。会話が途切れると、無風空間は全て凍りつき、時間までもが真っ白になっていくようだ。

 何も生み出さない白い海を隣に、壁の影をたどりながら行くと、痩身の影が色濃く伸びた。アザレがそれに片手を挙げると、向こうもまた手を上げた。クロが目を細めると、それこそクロが久しく会っていない街の住人、グロゼーユだとわかった。クロがやや驚いたのと同じく、グロゼーユも少し眉を寄せて反応を返した。

「クロ。久しいな」

「お前は研究所から出てこないから」

「そっちも家から出ないじゃないか」

 うん、と二人は唸るように頷くと、アザレはからからと楽しそうに笑い声を上げた。

「ようやく揃ったな。じゃあ、始めるか」

「ちょっと待て。依頼ってなんだ」

「アザレ。そうやってクロをおびき寄せたのか……」

「グロゼーユ。どういう事だ?」

「これ」

 グロゼーユの細く伸びる指先が示すのは真っ白な羽を空に広げる、風力タービン。その意味を、クロは徐々に理解し、三人は軽く息をついた。

「直せって? 俺の職業は探偵なんだけどな」

「いいじゃないか、暇な探偵さん。ちっとは働けって。じゃないと、マザーに殺される」

 アザレは明るく笑ったが、その通りなのでクロとグロゼーユは笑わなかった。

「それで、どこをどう直せって?」

「さぁねぇ。俺は聞いてないけど、グロゼーユは?」

「俺だって中身はよく知らん。開けて見ないとさっぱりわからない。ただ、マザーが言うに、扉の向こうに動力パネルがあるから、そこで途切れた部分を直せと。それだけだ」

「素晴らしい説明だ」

 三人は顔を歪めながら風力タービンの側に立つ。こうして見上げると、そんなに大きくない。ふおん、ふおんと規則正しく流れる風は街のどこにいても聞こえて、風はいつでも感じることができる。揺れる影は白い街を唯一動かす色だった。

「俺さ」

 と、口を開いたのは誰であったか。その後続いた言葉も誰が言ったものかわからず、三人は風力タービンの中へと入っていった。

「この風力タービンが全てを幸せにしている、永遠の風じゃないかって思ってた」


 白い日差しに照らされ、薄い瞼がゆっくり開く。シロは何度かまたたき、顔をこすって舐めて毛づくろいをした。固まった両手足を伸ばし、床に転がり、大きなあくびを一つする。たまった涙を指で拭うと、ようやく体が目覚める。

 見れば、クロがいない。いつものように本を眺めている彼の姿はない。匂いがしないため、随分前から出かけているのだろう。とても珍しいことだが、シロは追いかけようと思わなかった。猫は気まぐれ。今日はご主人様のことよりも自分の遊びのほうが大切。とはいえ、まだ何をするか決まっていない。

 ボール遊びをしようか。おやつを食べようか。ソファの上でジャンプしようか。外に出ようか。

 ふおん、ふおんと風が揺れる音がした。それは気のせいで、タービンはまだ直っていない。シロは永遠に周り続ける羽が好きだ。それはまるで幸せに似ていて、暖かな風を送ってくれる。

 風が幸せをかき混ぜ続けている。止まってしまわないように。真実が露呈しないよつに。体の中で駆ける血潮のように、ゆるり、ゆるりと。

 シロは立ち上がると窓から外をじっと見つめた。瞳が七色に瞬いた。

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