💘31 たとえ望まぬ方向に舵を切ったとしても


『ラファエル……ッ!!』



 リュカの上ずった声が聞こえてきた。


 あたしの部屋に閉じ込められていたまばゆい光がドアを開けた瞬間に一気に放出され、あたしが思わず目をつぶったときのことだ。





 リュカが叫んだのは、誰かの名前……?




 部屋の中が眩しすぎてまともに中を覗けない。

 けれども、先に中に入ったリュカのことも心配で、ゆっくりとわずかに瞼を開けた。



 睫毛の隙間から見えたのは、真っ白な光に包まれているリュカだった。





「リュカ……?」


 深い湖の瞳からとめどなく涙を流し、歓喜に満ちた表情で光に包まれている。

 彼の姿はこの世から切り離されたような神々しさで、あたしが近づくことは許されない気がした。




 なおも目をすがめていると、リュカを包む白い光が人の形のような輪郭を持っていることに気づいた。


「誰かいるの……?」


 あたしの問いに、涙を流し続けるリュカが顔を上げる。


『ああ……。ラファエルが……僕のラファエルが……来てくれたのです』




 ラファエル?

 “僕の” ラファエル……?




 戸惑い立ちつくしたままのあたしに向かって、人の形をした白い光から厳かな声が聞こえてくる。




『藤ヶ谷ちえり。

 堕天使リュカの導きによりて幸福を得んとする者。

 その成り立ちをしての罪を贖わせしむる者。

 我が名はラファエル。天の使いにしてまた天の使いを導く者なり』




「え? ちょ……、何言ってんのかわかんない……」


 まともに見つめられずに右手をかざしながら声の主を見極めようとしていると、人の形をした光がもぞもぞと胸元から何かを取り出し、あたしに差し出した。


『そうであった。私の後光は人間の目には強すぎるのだな。

 これを使いなさい。さすれば私の姿を見ることができるであろう』


 渡されたのは……サングラス?

 しかも、「いいともー!」とか言っちゃいそうな、タモさん風の。


 乙女がするには少々恥ずかしいけれど、光の正体見たさに騙されたつもりで装着する。


「え……っ」




 サングラス越しに目に飛び込んできたのは──




 リュカを腕の中に囲い、慈愛に満ちた表情であたしを眼差す、あまりにも美しい天使だった。




 純白の燕尾服の背中から広がる翼の白さ、眩い光を放つ白銀の長髪は悉くリュカとは正反対で、けれども陶器のように白く滑らかな肌とか冬の空のように青く澄み渡る瞳とか、そのすべてがリュカ同様に神でなければ作り出せないと思わせるほどの完璧さだ。

 その性別を超越した美しさは、リュカに勝るとも劣らない。


『私はリュカの元上司として、彼の贖罪に我らが主の想定しない干渉が入りつつある事実を伝えに来たのだ』


 リュカがラファエルと呼んだ天使はあたしにそう伝えると、宝物のように胸に抱え込んでいたリュカをそっと離す。




 見つめ合うふたりの眼差し。

 それは長い長い年月、互いを慈しみ、信頼し、愛していたもの同士が交わす、言葉以上に確かな絆を示すものだった。




『リュカ。我が愛しき者よ。

 君に捧げたい言葉は泉の湧くがごとく溢れてくるのだが、天上界の定めにのっとり、本日は警告だけを与えよう。

 地底界より同行している君の友は、悪魔サタンより与えられし権限を越えた悪質な行いをしている。

 彼の行為はいずれ彼の主により罰せられるだろうが、このままでは君の贖罪について管轄外である地底界の干渉が入ってしまう危険が高い』




 さっきのリュカとガブリエルのやり取りがフラッシュバックして、あたしは思わず口をはさんだ。


「ちょっと待って……。

 それって、ガブリエルがリュカの邪魔をしているってこと?」


 三百何十年間、地底界で謹慎生活を送るリュカの目付役として彼と共に過ごしてきたガブリエル。

 互いに友人と呼び合っていたはずなのに、彼がリュカを裏切っているということ──?




『有り体に言えばそういうことになる。

 彼は地底界の主、悪魔サタンに仕える者であるため、我々が直接手を下すことはできない。

 ただ、私が監視している限り、ちえりの身に災いを起こし、リュカの贖罪を失敗させようと画策していることは確かである』


 そこまで言うと、ラファエルは目の前に跪き彼を見つめるリュカに改めて向き直った。


『リュカ。君もそのことには気づいて彼の動向を探ろうとしているようだが、彼は地底の使い魔。君の預かり知らないところで動いているのだ。

 彼がちえりの友人と何度も接触を重ねていることはわかっている。近いうちに、その友人がちえりに対して何らかの妨害をはたらいてくることだろう。

 君はガブリエルがこれ以上の干渉をしないよう事前に策を講じ、友人に罪を負わせぬように配慮した方がいい』


『わかりました。……やはり、彼はあれこれと画策していたのですね』


 曖昧だったガブリエルへの不信感にはっきりとした色をつけられ、リュカの瞳が悲しみに揺れた。


「あの、ガブリエルが接触しているあたしの友人て誰なんですか……?」


 拳を握りしめて立つあたしに、ラファエルの厳かで澄みきった瞳が向けられる。


『その名を告げることは今回の警告では許されていない。

 私がリュカの贖罪にこれ以上干渉するのは、彼が天上界へ戻る妨げとなる可能性がある。私はそれを望まない』


 そこまで言うと、彼はあたしに向けた眼差しをほんの少し和らげた。


『ちえり。そなたが彼の贖罪をなすための対象に選ばれたのは、単に生誕の時間による理由だけではないはずだ。

 そこに主の思し召しがあるのならば、天使長である私に出来ることはそれをさとるまでそなたとリュカを見守ることである。

 ……たとえそれが、私の望まぬ方向に舵を切ったとしても』


 次いで彼はリュカの手を取り彼に微笑む。


『リュカ。私はいつでも君を見守っている。

 そしてずっと願っている。

 一日も早く贖罪を終え、天上界へ戻ることを。

 そして、私の──……』


 それ以上は言葉を慎まなければならなかったのか、のどを詰まらせた彼は再びリュカをその胸の中に抱き寄せる。


『ああ、ラファエル!

 ありがとうございます……!!

 僕は……』


 再び涙を流したリュカを、一層強い光が包んだ。


 かと思うと──


 あたしが装着したタモさんサングラスを残したまま、ラファエルはその美しい姿を消してしまった。

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