第二章 過保護な堕天使と立ち上がるあたし

💘14 宣戦布告は真紅の舞とともに

「ええっ!?

 ちえりが空手部のマネージャーに!?」


 学食でのランチタイム。

 先日空手部に入部したことを伝えると、真衣と渚はそろって素っ頓狂な声を上げた。


「ズボラでめんどくさがりのあんたが人の世話なんてできるわけ?」


「大丈夫! こう見えてケガの応急処置の知識はあるのよ」


 リュカが、ですけど。




 暴漢から大山先輩に助けてもらったこと、大山先輩に憧れていることは二人に伝えてあったから、半分呆れ顔ながらも頑張れと激励してくれた。


「ただし……。

 ちえり、格闘技系サークルの一部の女子には気をつけた方がいいよ。

 大山先輩の熱烈なファンクラブがあるからさ」


 アジフライ定食を食べながら、真衣があたしに忠告する。


「熱烈なファンクラブ?」


「うん。その子達の中では、大山先輩に一定の距離を保ちつつ抜け駆けはしないっていう協定があるらしくって、ファンクラブ以外の女子が先輩にアプローチをしようものなら、徒党を組んで攻撃されるって話だから」


「何それこわっ!」

 物騒な噂に、渚も頬張ったばかりの生姜焼きを口から出しそうな勢いで反応する。


 マジですか。

 そんな秘密協定が結ばれてるなんて、部外者からしたらいい迷惑だ。

 おかげで大山先輩がフリーだということはわかったけれど。


「そのファンクラブは “赤フン同盟” って呼ばれてるんだけど、メンバーに誰がいるのかは秘密にされているの。

 どこで赤フン同盟のメンバーに見られてるのかわからないから、大山先輩にアピる時には人目に十分気をつけるんだよ?」




“赤フン同盟”──!?

 なんじゃそりゃあ!




 そもそも名前がおかしいでしょうよ!

 大山先輩に似合うのは白フンだっつーのっ!!




 唐揚げを持つ箸がわなわなと震える私に、真衣によってさらなる燃料が投下される。


「それと、明らかに要注意人物っていうのが一人いるね。

 ムエタイ同好会にいるタイ人留学生。

 赤フン同盟との関連は不明だけれど、その人も大山先輩に近づく女子には容赦ないから気をつけて」


「へ、へえー……」




 先輩を取り巻く女子の勢力図は何とも恐ろしいことになってるらしい。




『めんどくさがりのちえりが、随分めんどくさそうな人を好きになってしまいましたね』


 耳元で囁くリュカが他人事のように涼やかな顔で笑っている。


(協力してくれなくちゃ、リュカが天使に戻れる日は永遠にやって来ないんだからねっ)


 小声で脅すと、花のような笑みが一瞬で凍りついた。


 真衣の話からすると、いきなりアプローチするよりも、まずはリュカと一緒にマネージャー業を完璧にこなして大山先輩に認めてもらうのが得策かも。


 赤フン同盟だろうが、ムエタイ女だろうが負けないもんっ!!



 👼


 空手部のマネージャーとしての活動初日。

 用具室からキックミットや救急箱を第二武道場に運び、大きなウォータージャグに大量のスポーツドリンクを作るのが部活前の仕事になる。



 のだけれど……




『スポーツドリンクは僕が家できちんと分量を量って作ってきます!』


「そこまできっちり量らなくても味はそんな変わらないって!」




 その作業を行う武道館の給湯室で、あたしとリュカはスポドリ粉末の袋の奪い合いを繰り広げていた。




『味どうこうの問題ではなく、浸透圧の問題です! 水分、塩分だけでなくエネルギー源としての吸収率を高めるためにはアイソトニック飲料として適正な……』


「だあぁっ! めんどくさいっ! 家に持ち帰ったりしたら練習に間に合わないじゃないっ」


『だって、ここには計量カップも量りもないじゃないですか。僕が空から行けばアパートの往復までそんなに時間はかかりませんし』


「ウォータージャグが空を飛んでるとこ見られたら大騒ぎになるでしょ! 今までだって部員が当番で適当に作ってたんだし、ざっくりでいいんだってば!」


 リュカが握りしめていた袋を奪い、開封してジャグの中にざざっと開ける。


『ああっ! そんな開け方をするから、粉が飛び散ったじゃないですかっ! まったくもう、ちえりは本当に世話が焼ける……』


 あたしがジャグに水を注いでいる横で、ぶつぶつ言いながらリュカが調理台を拭いているときだった。




「アナタが、空手部ニ入ったマネージャー?」




 外国語訛りのある日本語が聞こえてきて振り返ると、給湯室の入口に見知らぬ人物が立ちはだかっていた。




 真っ赤なサテンのトランクスから出た、すらりと長い足。

 同じく真紅のタンクトップを身にまとい、黒髪をポニーテールにまとめた女性──


 くっきりとした輪郭の大きな瞳には、明らかな敵意を宿している。




 もしかして、これが噂のムエタイ女……?




「そ、そうですけど、何か?」


 スレンダーで野性味を帯びた美貌に少々気圧されながらも返答すると、彼女は値踏みをするような目でジロジロと私を見た。




益次郎マスに近づくタメに入部したんだろうケド、無駄だカラ」




 初対面のあたしにいきなり高圧的な態度。




「無駄ってどういうことですか?」

 

 不躾な忠告に直球で返したけれど、彼女はそれには答えずに、突然その場にひざまずいた。

 両肘を曲げてボクシンググローブで顔を隠すと、おもむろに前後に体を揺らし始める。



 な、なに!?

 いきなり何を始めたの???




 体の揺れは次第に大きくなり、両腕を顔の前で大きくグルグル回しながら、何かをブツブツと唱えている。


『こ、これは……ワイクルー!

 ムエタイ戦士が闘いの前に捧げる儀式の舞です!』


 三百何十年もの間、世界中の新聞のスクラップを続けて知識を溜め込んだリュカの解説が入る。




 ってことは……

 これは、あたしに対する宣戦布告──!?




 ワイクルーを舞い終えた彼女はすっと立ち上がると、ボクシンググローブをつけた手をあたしの前に突き出した。


「マスはこのスパポーンが必ズ落としてみせル!

 アナタも覚えておきなサイ!」




 スパポーン……

 それが、この人の名前──




 な、なんだか名前どおりに勢いのある人だな……




 スポドリの空き袋を片手に呆然とするあたし(と台拭きを握りしめて呆然とするリュカ)を給湯室に残し、一方的に宣戦布告をすませたスパポーンは意気揚々と第四武道場に向かっていったのだった。

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