予定外の来訪者

 その日は夜明け前から降り始めた雨に包まれていた。

 早朝までバケツをひっくり返したような勢いで降り続いた雨は、昼を目前に穏やかな霧雨へと変わった。

 落ち着いたのは雨足だけで、ガバンディ邸の人々は対応に追われている。


 ぼくは地下奴隷用のテントの浸水対応を手伝った後は、屋内で報告を受けては指示を飛ばすガバンディの仕事振りを眺めて過ごした。

 報告と指示の内容を聞いていると、ガバンディの所領がどんな様子なのかがぼんやりと理解でき、どれくらいの数の人々が、どんな風にガバンディと関係し、どのように付き合っているのかも見えてくる。

 雨に紛れて魔物が襲ってきたという報告も挙がってたので、魔物の実在とその人との関係まで知る機会を得られたのは、個人的に嬉しかった。

 危険な目に遭ってる人がいたんだから不謹慎だとは思うけど。



 ダラダラと過ごしている間に昼食の時間になり、ほんのりと温かな空気を満喫して、美味しい食事に舌鼓も打てて。

 こんな日が続くといいなと。



 そう考えて間もなく、アデリーからの召喚要請が脳裏に灯った。

 予定より早い呼び出しに気を引き締め、まだ食卓でマルセリーと会話を楽しんでいるサリィに呼び出しに応じてアデリーの元へ行くことを伝え、返事をしたサリィの真剣な表情に笑顔で頷いて、召喚に応じた。




 そうしてぼくは思い知ることになる。

 ぼくはこの世界のことを本当に何も分かってなんかいなかったのだと。





―――




「旦那、ちぃと遅かったな」



 視界に飛び込んできたのは、晴れ渡る空と、風に波打つ草原。




 そして、矢の速さで迫り来る"黒"。




「チィッ!」



 慌ててアデリーごと包み込む物理障壁を展開して、防御姿勢を取る。



  ギャリンッ!



 金属同士を強く擦り合わせたような不快な音が響き、前方に伸ばしていた右腕の肘から先の感覚が途絶える。



「いッ!?」



 割れて崩れ去る物理障壁。

 その向こうには、深紅の大剣を振り下ろした緑色の髪の少女の姿。

 場違いな深紅のドレスに身を包んだ少女が、その涼しげな顔に興味と驚きの表情を浮かべて、ほうと声を発する。



「肩を断つ気で振り抜いたのに、丈夫ね」



 地面に深く刺さった大剣が小枝のような軽やかさで引き抜かれて真っ直ぐ地面に突き立てられ、赤い瞳の少女はドレスのスカートの両端を指先で可愛らしく持ち上げて微笑む。



「初めまして。私はガーネット。彼はケントよ・・・・・・


「ッ!?」



  タタタンッ



「……グゥッ!?」


「旦那ァッ!!」



 右腕の切り口を左手で押さえたまま、慌てて後ろを振り向こうとしたぼくの背に、激痛が走る。



「あのジョージが父さんに泣きついたって聞いたから期待してたのに、こんなもんか〜」



 衝撃で吹き飛ばされて派手に転がったぼくに、その声の主はゆっくりと歩み寄り、顔を覗き込んでくる。

 見えたのは年若い少年。

 緑の髪の少女も若いけど、同い年くらいか?

 海の蒼を思わせるブルーの髪と金の瞳。

 少し長めの髪が綺麗に整えられ、ところどころ跳ね上がった癖っ毛には愛嬌が感じられる。

 目の細かい上等な服の上下、膝丈の黒いズボンに真っ白なシャツ、新緑のマントを赤い紐を使って胸元で閉じている。

 ガバンディから感じた空気が近いと感じる辺り、貴族階級のお坊ちゃんだろう。

 その右手には、異様な形状の黒い塊が握られていて、指と同じ方向に向かって突き出した部分の先端から煙が細くたなびいている。


 肺から競り上がる血が呼気に紛れて咳を誘った。



「………ぅグフッ! ガッ! ……カハッ! ………」


「なあガーネット、オーガってこんなだっけ?」


「いいえケント。同じなのは血の色だけね」



 油断し切ったようなやり取りが頭上で交わされるが、そこには懐かしい、できれば避けて通りたい、緊張が感じ取れる。

 そしてもう一つ。



「おい、ニイちゃん……ケントっつったか?」



  タタタンッ



「ガァっ!」


「驚いたな! ガーネット! このオーガしゃべったぞ!」


「はぁ……ケント、やっぱりロザリオ様のお話、ちゃんと聞いてなかったのね」


「え? 父さん言ってた?」


「仰ってたわ」



 新たに左足もダメージを負った。

 しかしなんだ、いちいち茶番を挟まないと会話もできないんだろうか?



「はぁ……グッ! ふッ!………その手に持ってんの、『銃』か?」


「なんでMOBモブがその名前を知ってる!」



 ケントと呼ばれた少年の顔に動揺が走る。

 それを鼻で笑い飛ばし、咳込んで、ニヤリと笑って言い放ってみせた。



「おまえらが言うところのキーイベントなんじゃね?」


「ッ!?」



 驚愕に染まった表情を見て、確信は深まった。

 こういうのは前の世界で打ち止めにしておいて欲しかった。

 声に出さずに心の中で毒づき、なんとか掴めた猶予で戦況の把握を急ぐ。


 アデリーは生きてた。

 まだ生きてるのか、どんな状態なのかは分からない。

 アメリアさんは? コルドゥは?

 馬車……は、さっき視界に入った木片が成れの果てか。


 再生は加減してある。

 まだ油断させられる。

 頭が潰されないならいい、最悪潰されても構うまい。


 魔力感知を最大出力で展開させて3人の位置と状態とを探る。



「ん」



  グチャッ



「ッガアアアアアアアアアアア!!」


「待て! ガーネット!」


「大丈夫。まだ死んでない」



 ぼくの両脚は深紅の大剣に潰され、陥没した地面のシミにでもなったんだろう。

 無茶苦茶してくれる。

 血糊を払うために振るわれたんだろう大剣の先から、自分の左足首だった肉塊が剥がれて飛んだのが見えた。

 いちいち意識が飛びかける激痛で、頭痛と吐き気が酷くなっていく。



 でも、賭けには勝った。



 3人は怪我こそしてるけど、致命傷は負ってないと感じた。

 渡していたお守り・・・が、少しは役に立ってくれたらしい。

 2頭の馬は荷台が破壊された衝撃と、その際に飛び散った破片とをまともに受けてしまったんだろう。

 胴は腰まで消し飛び、荒い断面に木片と金属片とが幾つも刺さって絶命している。


 ガーネットとケントだったか?

 こいつら加減を知らんのか?

 ……ぼくが言えることでもないか。



「やっと諦めたか?」



 浮かんだ苦笑いを勘違いしたんだろう。

 ケントと呼ばれた少年は、やれやれといった様子で肩を竦める。



「友の無事が分かれば、それでいい。それに……ハァ………この状態で何ができる」



 流れ出る血の総量に合わせて、ぐったりしてみせる。

 実際、気怠い。



「友を見逃してくれるなら、おまえが訊きたいことに答えてやろう。ダメなら意識を手放す」


「……ガーネット」


「却下。ロザリオ様の命令は全員殺すこと」


「ガーネット!」



 怒気を孕んだ少年の叫びに少女はビクッと身を竦ませ、その目にはみるみる内に大粒の涙が溜まっていく。



「…………頼むよ」



 今度は弱気な哀願。



「……仕方ない。ケントのお願いは断れない」



 少女は、その身の丈ほどもある大剣を、器用に背中の鞘に収める。

 そのまま少年に歩み寄り、少年の左腕に抱き付いて擦り寄っている。

 少年は少女の緑の髪を愛しげに撫で、ありがとうと呟く。



 こんな状況じゃなければ、思春期の甘い恋愛模様として微笑ましく見守っていただろう。

 アデリーは空気を読んで・・・・・・黙って見守ってくれている。


 準備・・はできたが、少しだけサービスしておこう。



「……助かる」


「いいんだ。すまない、待たせた」


「で? 何を訊きたい?」


「オマエは何者だ?」


「見たまんまだが?」


「……オマエも転生したのか?」



 オマエも・・・・ってことは、この少年は記憶を継続して生まれ変わったってことかな。



「それも違う。俺は元々『鬼』だ。神隠しに遭って違う世界に飛ばされた。飛ばされた世界も壊れて消えた」


「……は? ……え? ……じゃあなんで『銃』のことを知ってる?」


「前にいた世界には、転生だの転移だので世界を渡った者がたくさんいた。俺の仲間にも数人『銃』を使ってる奴がいた。だから知ってる」



 少年の表情に翳りが差す。

 ホームシックかね?

 なら、これはリップサービスだ。



「ケントと言ったか? 『日本人』だろう?」


「それも仲間から聞いたことか?」


「そうだ。そして、最初に俺が生まれた場所も『日本』だと聞いた」


「はああああ!? いや『鬼』って……地獄にいるもんじゃ…………ああ、そういえば『酒呑童子』なんかも鬼なのか」


「『鬼』が滅んだことは知ってる。俺で最後だ」


「そっか……あんたも大変だったんだな」


「それを殺す奴のセリフじゃないな」



 ハッハッハッ! と笑うつもりがむせた。

 殺しに慣れてる感じしかしないこの二人、これまでどういう気持ちで他人を殺してきてたんだろな。

 あれは人じゃないだとか、自分には殺す権利があるだとかか?


 どうでもいいか。



「じゃあ、もういいか?」


「……ああ。いや……いや、もう手遅れか」


「そうだな。生かせば適うことも、殺せば終わる。記憶を引き継いで生まれ変わったもんだから、他人の命も軽いもんだと勘違いしたか? 人生は一度きりだ。思い返して後悔するといい」


「ウルサイ!! 俺は何も間違ってない!!」



 少年の銃から高密度の魔力・・が際限なく放たれ、ぼくの残った体をボロ切れのように嬲る。

 射抜かれ、反動で浮き上がろうとしたところを更に射抜かれ、ビタンビタンと小躍りするように地面でのたうつ。

 肉という肉が削がれ、潰され、焼かれ、粉々に撃ち砕かれ、愛刀だけが原型を留めてその場に残った。



 少年は有らん限りの魔力を撃ち尽くしたのだろう。

 手から銃が消えてもなお動かしていた指も、ダラリと力なく垂れ下がり、その場に崩れるように膝を着いた。


 そんな少年を労わり、慈しむように、少女も膝を着いて少年の頭を優しく抱きしめる。







「さて。第2ラウンド開始で、ジ・エンドだ」



 再生する魔力の光に包まれたまま言い放ち、愛刀を拾い上げて少女の両足首をまとめて両断する。

 ぼくの声に、振り返ろうとして勢い付いた少女の体は、足首から先を失ったことで半回転しながら跳ね、地面に倒れ込む。

 受け身も取れず、魂が抜けたような表情のままの少年を巻き込むように倒れたため、形勢は完全に逆転した形となった。


 少年の激情に任せた魔法の乱発のせいで、準備は全て徒労に終わってしまったけど。




「お前らは危ない」



 少女の両腕を肩から切り落とし、切断面を魔法で焼いて無理やり止血を施す。

 その様子に意識を取り戻した少年の右腕も、肩から切り落として切断面を焼く。


 無表情のまま淡々と四肢を切り落とし、切断面を焼いて、並べて転がす。



「うおおおおおおおおおおお!! キサマ!! よくも!! よくもおおおおおおおおおおお!! ガーネットおおおおおおおお!!」



 少年は血の涙を流しながら、器用に跳ねて吼えている。

 隣の少女はショックで泡を吹き、白目を剥いて気絶している。


 元気な少年だなぁ。

 自分がやったこと、やろうとしたことは、棚上げだもんなぁ。



「アデリー、もう大丈夫……だと思うよ?」



 言って歩み寄ると、アデリーはぐっだりしていた。



「アデリー!」



 判断を誤ったかと慌てて駆け寄り、自前の魔力だけで治癒魔法をかける。


 肉体の再生に周囲の魔力はほぼ枯渇させてしまったので、他に使える魔力がない。

 他に刺客がいるなら、もうぼくだけしか助からない。



「大丈夫だ、旦那。腰が抜けてただけだ……」


「脅かすなよ…………泣くぞ?」


「もう泣いてんじゃねーか」


「へ? あぁ……ほんとだ」


「悪い……手ェ貸してくれ」



 アデリーの手を握り、よっこらせと勢いを付けて立たせ、アメリアさんの場所を教えて救助を任せる。

 ぼくはコルドゥの元へと急いだ。






「へ? エンさんも死んじゃったんすか?」



 意識を回復したコルドゥの、この第一声には面食らってしまった。

 死後の世界を語らない宗教を知らないけど、彼らの信仰する宗教ではどんな風に語られてるんだろう。

 ぼく自身は無信仰なので、興味が湧く。


 八百万の神の国に生まれたとはいえ、古い信仰は他にもあったし、鬼には鬼の信仰もあった。

 宗教や信仰それ自体を否定してしまう気はない。

 内容は道徳的なことも多く、面白い話も少なくないので、教典なんかは読み物として楽しめたりもする。

 宗教独自の禁止事項もあるし、色んな種族が入り混じった前の世界では、そうしたことを知ることも必要になった。



「この世界の地獄にはオーガがいるとかって話、ないんかい?」


「聞いたことないっすね」


「じゃあ死んでないんだよ」


「マジっすか……でも亡者の声が……」


「あー……見れば分かるよ」



 周囲に魔力が満ち始めたので、魔力感知を起動して警戒を厳にする。


 自然の魔力に干渉する魔法なので、魔力の空白地帯では使えず、周囲への魔力の充填を待つ必要があった。

 今はとても危うい状況だ。

 こうして選択肢が増えるまで状況が落ち着いていてくれたのは、幸運なだけだったのだ。


 自分に言い聞かせて緊張を保つ。



 アメリアさんはアデリーからそう遠くない場所に転がってたので、アデリーは早々にアメリアさんと合流し、少年たちの近くに移動していた。

 その頃には少年も力なくブツブツと何かを呟くだけになって、辺りは随分静かになっていた。

 アデリーたちは、ぼくがしこたま魔法を撃ち込まれた場所の近くに屈み、二人で口元を覆っている。



「なんか見付かった?」


「何も見付けられそうにないことだけは分かった」



 アデリーの言葉にアメリアさんは頷き、一生懸命に目を細めて地面を見詰めている。

 気になって目線を追ってみると、



「うーわー…………」



 自分の血痕だとばかり思っていた黒いシミが、地面に開いた大穴だと気付いて血の気が引いた。

 底が見えない。


 一緒に歩いてきていたコルドゥも



「おおっと」


「コルドゥ……」



 魔力を密にして解き放ち、衝撃波を生み出す。



「ゲェッ!?」



 弾かれたように駆け出し、手に持ったナイフ・・・・・・・・と共に・・・派手に吹き飛ぶコルドゥを追い、地面に転がった辺りで追い付く。

 すぐさま両足を掴んで元の場所に投げ飛ばし、駆け足で元の場所へと戻る。



「今やるか……?」


「……今しかやれんでしょ?」



 呆れ顔のアデリーに、半身だけ起こしたコルドゥが答えている。

 加減はしたけど、そんな軽いダメージで済む衝撃じゃなかったはずだ。


 ふと少年を見遣ると、ブツブツ言う声すら途絶え、絶望に目を見開いて涙を垂れ流している。



「コルドゥくん、説明してもらっていいかな?」



 詰め寄るぼくに、コルドゥは両手を挙げて仰向けに転がり、



「いいっすけど……エンさん、それ仕舞ってくだせぇ」



 そんな言葉を返してきた。



「私もそうしていただけると……」



 アメリアさんも同意して頷く。



「旦那、その……荷物に毛布が入ってたはずだから、ちょっくら探してくるわ!」



 アデリーはその場を逃げ出した。




 ぼくの再生能力には、衣類の再生は含まれていなかったのです。

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