グランティンバー 馬車の旅

 朝食のテーブルに着いた人影が少ない。

 ぼくとアントンさんだけが、オッサン二人で食卓を囲んでいる。

 大貴族の私邸であるにも関わらず、給仕に就く者も今はいない。



「イエン殿」


「んー?」


「やり過ぎでは?」



 アントンさんから批難の声が挙がる。

 この世界の騎士道精神がどのようなものなのかは知らないし、どんな宗教があり、どんな教義があるのかも知らないけれど、ドロドロした政治的駆け引きというものの中にはそれらと相容れないものがあるはずだ。

 本当に知らんけど。



「ぼく個人としては」



 口の中のソーセージをもっと味わっていたい。

 そんな欲求を、ソーセージと一緒に飲み込む。



「やっぱり自分は甘いと思ってしまうくらい、危ない橋を渡ってると思ってんですよ」



 食事を進めながら、アントンさんは顔に疑問を浮かべる。



「今回、誰も殺してないでしょ?」



 フォークの先で2本目のソーセージを転がしながら言うと、アントンさんは口をもぐもぐと動かしながら頷く。



「社交界の裏側を熟知してる人たちからするとですね、もうそれだけで、コイツは甘い、付け入る隙など幾らでもある……なんて思われて、無用な火種を呼び込むネタになっちゃったりするんですよ。戦場の用兵でもそうじゃないですか。被害死者総数が少ない敵将が相手だと、その実力を過小評価しがちじゃねーっすか?」



 テーブル中央の籠からバケットを一本手に取り、ナイフで切って野菜とソーセージを挟み、がぶりつく。

 美味い。

 でも、前の世界で旅してる途中で出会ったマスタードソースが恋しくなる。

 香辛料の生産と供給の状況はどうなってんだろ?

 塩は海に面してるなら安定供給も可能だろうし、グランティンバーは農業が盛んだって言うし、開拓村でも香辛料は普通に使われてたし、気になるなぁ。


 そんなことを考えてるぼくをよそに、アントンさんは得心が入ったという感じで頷いている。



「確かに、そういう傾向はありますな。しかし、誓約の紋まで使うのは、やはり」



 理不尽な暴力による絶対的な支配という風に受け取られてしまってるんだろうと思うし、その見方は間違ってるとも言えない。

 アントンさんの言葉に、食べ切ってしまった朝食の名残を惜しみつつ紅茶で口をスッキリさせ、なるべく真摯に、言葉を選んで答える。



「使ったのは誓約の紋よりエグいかもしれんですよ。誓約の紋は課せられたルールを破るとまず苦痛、重大なルール違反には死を与えますよね?」


「そうらしいですな」


「ぼくのは、自発的にルールを破ろうとすると、呼吸と心臓の動きを除く体の動きを完全に拘束し、どんなに離れていても瞬時にぼくにそれが伝わり、ぼくがその場に召喚されます。そして、ぼくが直々にお仕置きすることになります。その上で自殺も禁止。相手次第で、ぼくがひたすら面倒くさくなる仕様になってます」



 アントンさんは露骨に嫌そうな顔をしている。

 ぼくが説明した状況を想像してくれたんだろう。

 ルール違反が同時多発した日には、どう対処したらいいのか自分でも分からないので、ぼく自身、本当に面倒くさいことをしてしまったと思っている。

 我儘を押し通すための代償だと割り切ってはいるけど、エルフとかいう長命主が混じってるので、もう既にゲンナリしている。



「まぁ、ルールも縛りは緩いんですよ。3つしか禁則事項設けてませんし、ぼくやガバンディに絶対服従させるようなもんじゃありません。自殺の禁止と、自分を直接殺そうとする者を除いた奴隷殺害の禁止、ガバンディ殺害の禁止。この3つだけですし、それは伝えてあります」


「それは……確かに、甘いですな」


「抜け道なんざ幾らでもありますし、今後どうするかは、ガバンディ含め、彼ら次第。ぼくはそこまで干渉しません」



 地下から解放された奴隷たちはぼくを無責任だと恨むかもしれないけど、ぼくは自分の無力さを知っているので、軽々しく責任なんて負えない。

 サリィとその弟だけでも手に余る。

 権力闘争などという茶番にうつつを抜かす為政者たちとどのように向き合い、自分が所属する国家とどのように付き合うかは、国に所属する彼らの自由と責任の範囲であって、少なくともまだぼくの領分ではない。

 正直、積極的に関わりたくなんてないので、自分たちでどうにかして欲しい。

 圧倒的少数の為政者なんて、民衆が本気出して結託すればイチコロなんだから。



「そういうことなので、アントンさんには今後も苦労かけると思いますが、ガバンディがバカなことやらかしたら殴ってでも止めてやってください」


「貴殿が私に苦労をかけさせるわけでもないでしょうに……どうにも、不可思議な御仁だ」


「そう言われるとそうですね」



 二人で笑って、それなりに気持ち良く朝食を食べ終えることができたので、こんな朝を迎えられる日を増やそうと心に決めた。




 アントンさんが不満を言い募ったのには、当然ながらその背景となる経緯がある。


 ガバンディ邸本宅に移動した直後、ぼくの指示を使用人に伝えて即座に行動に移そうとしたガバンディを制止し、現在ガバンディ邸にいる者を全員漏れなく食堂に集めさせ、執事たちに行った洗礼を再現したのだ。

 集合前に着替えを準備させるよう伝えてあったので、奴隷用の別邸地下室で先に洗礼を受けた6人のように失禁したりしても、スムーズに対応できるような仕込みもしておいた。


 人数が多ければ、全員を血祭りにあげる必要はなくなる。

 このオーガは甘ちゃんだという誤解を解き、万全を期せば倒せるはずだという誤解を解き、恐怖すべきを恐怖させ、守るべきルールを覚えさせればいい。

 そのために必要な見せしめの候補は自主的に出てきてくれるので、選別の労も省ける。

 多少のダメ押しのために老若男女の別なく5人ほど追加で犠牲になっていただいたけど、手間は半分で済んだので、労力も被害も少なく済んだのは単純にありがたい。

 その上で全員にアレンジ版エルフの禁呪をかけて回ったというのが、朝食の前のイベントの全容となる。


 お陰で魔力も大量に消費され、朝食はとても美味しくなった。

 欲を言えば泥のように眠りたい。

 そんな眠り方をすると何年寝通すことになるのか予測もつかないので、一晩ぐっすり眠ったところで優しく起こしてもらいたい。

 全く寝なくても問題はないんだけど、この辺は気分の問題なんだ。

 肉体や魔力の回復速度も、睡眠時の方が速い。




 朝食を終えた後、アントンさんには開拓村に残っているヘルマシエ兵捕虜の引き受け準備を整えること、サリィへの伝言の二点をお願いしてから別れた。


 彼がどんな職責を担っているのかは知らないけれど、ずっとガバンディに張り付いているわけにもいかないだろう。

 開拓村では捕虜の引き渡しによって生じる身代金という収益は、元来予定されていないはずなので、その収容に要した費用についてガバンディ辺りと調整を図ることで、双方の損害を小さく収めることができるはずだ。

 身代金の相場は知らないけど、それで破産する騎士もいるくらいだと聞いているので、それに比べれば遥かにマシなはずだ。

 アトレテス兄妹のことを思えば心苦しいところも有るけど、平民の戦災孤児は何ら補償も得られず、奴隷にされるか孤児院にでも収容されるというのが相場だろうし、開拓村総出で保護されていることだけでも破格の待遇を得られていると言えなくはない。


 駆け引きが上手い者なら、ガバンディやアントンから金を引き出し、ダニエルをネタにその父ジョージからも大金を巻き上げ、国王辺りからも金を引き出してみせるんだろう。

 残念ながら、ぼくもアデリーもそんな知恵はないし、昇進にも興味がないので、アトレテス兄妹が慮外の大金を得る未来が訪れる可能性は無いに等しい。


 金ではない別の政治カードは引き出すんだけど。

 少なくともダニエルとジョージは、絶対に逃がす気はない。

 特にダニエルが危ないから。

 アデリーなんかは、ダニエルの動きを抑えるにはダニエルとも関わらなければならないという事実が、なんとも悩ましい課題になるだろう。


 政治カードという見方に則れば、ぼくという存在は突然降って湧いたジョーカーだ。

 望ましくはないけれど、そうなる選択を蹴ることは、心情として回避不能だったと断言できる。

 済んだ話だし、もはやどうしようもない。

 永遠に切られずに済むことを願うけど、無理な相談だろう。

 ぼくが為政者ならメリットとデメリットを両天秤にかけながら積極的に切ろうとすると思うし、それが人情ってもんだろう。

 避け続けて自分と関わった者にしわ寄せが行くよりは、程よく関わって自分をよく知ってもらい、上手に使いこなしてもらう方が、お互いにとって有益なのだ。



 開拓村でアントンとサリィをガバンディの元へ送り出した後、アデリーと結託して準備を進めていたのは、その辺の段取りだ。

 サリィの目覚めを待たずに伝言を残して出向く先も、そうした段取りに関係している。

 ダニエルの挙兵に絡んだ処理は、まだ終わってなどいないのだ。


 戦争は、戦争そのものよりもその事後処理が肝要で、面倒くさい。

 世界を違えても、時代をどんなに遡ってみても、それは変わらない。

 悪い奴を倒したらスッキリ綺麗に誰もがハッピーエンドを迎えました、なんてことは、現実に起こり得ない夢物語なのだ。



 だからこそ現実的に、比較的マシな明日のために、面倒事を一つずつ潰して回ろう。

 そう自分に言い聞かせ、アデリーの召喚術式を起動した。





―――




 グランティンバー国王都カルテリに続く本街道は、王都に近付くほどに街が増え、規模も大きくなって行く。

 辺境の騎士の所領が総人口7,000人もあれば食うに困らないと喜ばれるのに対し、ヘルマシエ側国境と王都の中間に位置する城塞都市デフェルナンなどは、その都市一つで凡そ10万人の正規市民を擁し、奴隷や不法移民といった非正規市民を合わせれば12万人を超えるとも言われるほどの規模を誇るようになる。

 王都ともなれば、人口はその比ではない。

 長大な城塞に収まり切れなくなった人口は城塞の外にまで溢れ、近隣の都市を呑み込むように発展、現在では正規市民だけで30万人近い人口に膨れ上がり、事務処理その他の都合で20の区域に分割され、統治されている。

 商工業の急速な発展に伴い、現在も都市は拡大し続けており、食糧の安定した生産量拡大のための研究が急がれているという。


 ちなみに、ダニエル・ネイド・グロッシアは、パットン砦と呼ばれる城塞都市の北部、グランティンバー南部国境防衛部隊本部が置かれる城塞都市ファーガスを所領とする一騎士であり、その父ジョージはパットン砦とファーガスを含むグランティンバー南部の大部分を所管する大貴族で、爵位こそ低いが、グランティンバー総人口の約7%、約200万人の正規市民を擁している。

 その大貴族様の騎士の7割を投入して人口100人未満の開拓村に攻め入って、主力の騎士がほぼ壊滅。

 騎士が不在になった所領への対応や、捕虜となった騎士の引き渡し金の準備で財政が火の車になっているというのは、グランティンバー国の歴史上類を見ない大失態だと言える。



「その辺のゴタゴタを早期解決して国力低下を抑えたいってのが王室の本音、捕虜の引き渡し金はできれば無しにしたいってとこかね。あーやだやだ。そんな会議に付き合わされると考えると気が滅入るぜ……」


「隊長の仕事なんだから、しっかりしてくださいよ……」


「俺はその辺は苦手なんだよ」



 2頭立ての急行馬車の客席で、アデリーがボヤき、アメリアが宥める。



「おいコルドゥ!  帰ろう!」


「隊長、エンさんに怒られますよ」


「大丈夫だ! なんとかなる!」


「俺はご免ですわー。エンさんマジでこえーっす」


「クソ……! 味方がいねぇ!」


「帰るとアトレテスとの約束も守れませんよね〜」



 アメリアの言葉が決定打となったのか、アデリーは肩を落として溜息を吐いた。

 開拓村のたった二人の子ども、村の大人の心のオアシス、アトレテスとソラスの兄妹のことを思うと、一刻も早く帰って癒されたいとは思うが、その兄妹にカルテリの土産を買って行くと大見得切ってしまったせいで、アデリーは自ら退路を断ってしまっていた。

 カルテリの土産と聞いて眩しい笑顔を見せたアトレテスの顔が頭に浮かび、アデリーの頬は緩む。



 そんな3人が乗る馬車は騎士団の権限をフルに活用し、馬を取っ替え引っ替えして進むこと3日、通常の馬車の3倍の速度で王都カルテリを目指して本街道を走っていた。


 王都カルテリからヘルマシエ国まで続く本街道は、ヘルマシエ国を含むその以南の国々との交易路としての役割も果たし、街道整備は国家事業に位置付けられ、土木技術の粋を凝らした凹凸のほとんどない石畳の道は、都市間移動に要する時間を大幅に短縮することに多大な成果をもたらしている。

 その恩恵に与かり、通常なら徒歩で約1ヶ月かかる距離を1週間弱にまで短縮しようとしているのがアデリーたちの予定であり、早馬ともなれば2日まで短縮することを可能にしていた。



「コルドゥ、一旦馬車を脇に停めてくれ。旦那だ」


「了解!」



 街道脇の林、その木陰に馬車が停まると、アデリーは林の中に20歩ほど進み、事前の打ち合わせ通りに手順を踏む。



「意外と遅かったな、旦那」


「いやー……うん、面倒くさかったんだ。すまん」


「何度も言うけど、旦那が来てからの展開の早さが異常なんだ。普通は月単位で進むようなことが……トルメトルが………書類の山が…………ッ!」


「スピード昇進おめでとう! ぼくも嬉しいよ!」


「俺は嬉しくねええええ!!」


「ぶははははは! あ、そうだ。これ、前祝い」


「なあ旦那……なんで増えてんだ?」


「流れで2個増えた」


「どんな流れなら増えるんだよ……」



 威焔に渡された大きな麻袋を覗き込んだアデリーの溜息を合図に、二人は簡単な進捗の報告を交わし、次の合図まで馬車の旅に同伴することにした。



「エンさんがいると隊長が活き活きとしてくれるのはいいんすけどね、仕事でも活き活きして欲しいんですよ。エンさんからも言ってやってくれません?」


「アデリーには農作業とかやらせると活き活きと輝くと思うよ?」


「いいよな農作業。仕事終わりのエールも美味いし最高だよな」


「アメリアさんって農作業どうなん?」


「なんでそこで私に振るんですか?」



 そんな会話が続き、駅で3度目の馬の交換を終えた後、一行は城塞都市デフェルナン、別名「青の都」へと辿り着くのだった。

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