第3話 諦める理由

「まず、あなたは二つのハンデを背負っていることを理解してください」

「ハンデ?」

次の日、夜になったので彼女に電話すると、『さくらんぼ作戦』の恋愛講義が始まった。

「はい。まず、その美容師さんとあなたが会うときはどんなときですか?」

「どんなって、髪を切りに行った時だろ?」

美容師なんだから当然といえば当然だ。

「それが一つ目のハンデです」

「なんで? むしろ、会う理由があるんだからいい方のハンデじゃないか?」

世の中には好きな人と会う理由を必死で考えている人なんてごまんといるしな。

そう考えたら、会う理由が簡単につくれるのはプラスなはずだ。


「あなたが髪を切るときは、言い換えればその美容師さんが仕事中のときということです。仕事が絡むと恋愛は難しくなると言われているのを知っていますか? 仕事中は頭がそっちに集中していて、異性のことを深く意識しないようになるからです。美容師のような技術職では尚更そうなります」

確かにそうかもしれないと思ったが、これくらいなら別にたいした問題じゃ——

「『たいした問題じゃない』そう思いましたか?」

俺の思考を先読みしたかのように彼女は口にした。


「そうですね、確かにこれはそこまで大きな問題ではありません。大事なのはもう一つの方です」

もう一つの問題。

それは、多分俺もわかっていた。

俺と美咲さんの間にある大きな壁。


「もう一つのハンデは、年齢です。あなたは学生で、美容師さんは働いている。同じ学生の私が言うことじゃないかもしれませんが、社会人と学生では価値観も話題も時間だって違います。一つ一つは小さな違いでもそれがたくさんになれば、それは埋められない差になります。

これを埋めるのは相当難しいことだと思います」

年齢、それが大きな障害になることはわかっていた。

仕事中だとかそんなことは頑張ればなんとかなるんだろう。

だけど、年齢の差はどう頑張ったって埋められない。

俺が歳をとることも、美咲さんが若返ることも絶対にできない。


「要するに望みはほぼゼロってことだな……」

そうだ、最初からわかってたんだ。

それなのに彼女と話して、もしかしたらと思ってしまった。

そんなわけないのに。


「無理だってわかってたはずなのにな、ちょっと舞い上がってたみたいだ…… もう、終わりにしよう。そっちの話聞くよ、磯崎先輩だっけ?」

「なんでですか?」

彼女は刺すような声で聞いてきた。

「あれ、磯崎じゃなかったっけ?」

確か磯崎だったはずなんだけど、記憶力にはわりと自信がある方なんだ。

「そうじゃなくて、なんで諦めるんですか?」


「なんでって…… 君も言ってたろ、難しいってさ。結局、最初から無理だったんだよ。俺とあの人には違いが多すぎる。君の言う通りだよ」

そう、わかってた。

「それだけで諦めちゃうんですか?」

「十分だろ、不可能に近いんだ。普通なら諦める」

「不可能に近いだけで不可能ではないですよね?」

彼女の言葉の一つ一つが俺の心に刺さった。

諦めたくない俺の心を刺激した。

だからそれを認めないために、彼女の言葉を必死で否定する。

「そんなの詭弁だろ。世の中無理なものは無理なんだ」


「たとえそれがどんなに難しくても諦める理由にはなりません」

彼女ははっきりとした声でそう言った。

俺は昨日まで、彼女は天然でこういう本質を突くようなことを言っているのだと思っていた。

でも、今わかった。

彼女はわかってて言ってるんだ。

俺がいま諦めたら絶対後悔すると、俺が本当は諦めたくないと、全部わかってて言ってるんだ。

現に俺は彼女と話してまた、諦めたくないと思わされている。


「それで、どうしますか? 『さくらんぼ作戦』やめますか? 続けますか?」

少し時間をおいて彼女は聞いてきた。

俺の返事はもう一つしかなかった。

「続けるよ、『さくらんぼ作戦』」

「わかりました。これからもよろしくお願いします」

その声はさっきまでの刺すような声と打って変わって明るいものになっていた。


「まず一つ目の問題ですが、これはまあ簡単ですね。美容院以外で会う理由を作りましょう。どこかでばったり会ったとかそんな感じで」

「それ、ストーカーしろってことか?」

「人聞き悪いですねー、別にそういう意味じゃないですよ。ただ、ちょっとつけてみたりするだけです」

「それをストーカーっていうんだよ」

さすがに犯罪者にはなりたくない。


「じゃあ、お店から帰るときにたまたま会ったとかでいいんじゃないですか」

それなら少しは犯罪臭は減ったが、それでもまだグレーゾーンだ。

「とにかく、重要なのはそっちじゃありません。もう一つの方をしっかり考えないと」


恋愛講義はそれから二時間ほど続き、「じゃあ今日はここら辺で」という彼女の合図で終わりを迎えた。

彼女の講義は本当の講義みたいで、学校で授業を受けているような気分だったよ。


「そういえば、結局そっちの話を聞けてないけどいいのか?」

この二時間、俺の方の話ばかりで、磯崎先輩の話は一切できなかった。

「はい、そっちは私がなにか聞きたいことがあったら聞くので大丈夫です」

「それならいいけど」

俺には彼女みたいに誰かに教える技術なんてないので、正直助かった。


「また、明日」といつもの言葉を言って電話を切ると、そのまま眠りについた。

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