リ・バース ~あの頃を、今もう一度……~

@Bizon

45歳――

第1話 変わらないこと

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 うすぐら闇の中で、ベッドが軋みをあげ続ける。

 それに合わせて漏れ出る吐息と喘ぎ。それらの間隔が短くなると、終わりが近い合図だ。

 それが十数秒すると、くぐもった声が短く響く――。ずしりとしたものが私の身体にのしかかると、肺の中の空気が押し出された。

 のしかかった方も同じく、細く長い息を吐いた。


「ふぅー……」

「おつかされさま」

「ああ、お疲れ」


 まるで運動の後の社交辞令だ。まぁ運動には変わりないのだけど……。

 互いに真っ裸で行う運動。言わゆる、私たち夫婦は“夜の営み”を行っていた。

「よいしょ」主人が起き上がると、ベッドが揺れ、私の身体はふわりと軽くなった。

 始まりから終わりまでの行動は一貫している。

 主人はトイレにゆき、その後少しシャワーを浴びにゆく。私はその間に、ティッシュで“事後処理”をし、脱ぎ落とした下着を穿き、パジャマをちゃんと着て布団を被る――。

 ここまでが、夫婦歴二十三年の私たちの営みである。


 布団を被る前、ベッド脇の四角い置き時計を見た。

 五月二十六日(金) 二十三時四十三分。営みが始まったのが確か十一時頃だから――うん、今日も四十五分ぐらいだ。

 窓の外では猫が盛る声がしている。ナァー、ナァーとまるで喧嘩するような声だ。

 少し羨ましいけど、四十五歳を迎えた今、そのようなルーチンから外れた激しいことは出来ない。定められた通りにしなければ、どこかで不調をきたす……それが“夫婦円満”の秘訣なのだ。

 変わらないことこそが一番。私はそう思いながら、そっと瞼を閉じた――。


 世間一般では休日であっても、専業主婦の休みは正月の“三が日”ぐらいしかない。

 なので、七時には目が覚めて支度をする。……と言えば、仕事熱心に聞こえるけれど、実際は習慣として身体が覚えてしまっているだけに過ぎない。

 それに、主婦は三百六十五日仕事であるが、視点を変えれば三百六十五日休日とも言える。ようは、離婚クビにならない程度の仕事をしているに過ぎない。

 主人は少し遅めの八時くらいに目覚め、朝刊を読み進めながらトーストを囓る。

 私は国営放送をただぼうっと眺める。朝は主婦のためのお得情報が放送されるからだ。

 とは言え、それを実際に行ったことは少ないけれど……。

 ここまでの、夫婦の会話は


『おはよう』

『おはよう。パンでいい?』

『ああ、それでいい』

『はいどうぞ』

『うん』


 片手で足りるほどしかない。

 夫婦間が冷め切っているわけではない。義務的・事務的ではあるが、“営み”は約二週間に一度するし、むしろ良好な関係と言ってもいいはずだ。

 ただ、昔からこうだったから、今さら特別変える必要はないと言うだけ。

 この二十三年間の“夫婦”は、結婚してから何一つ変わっていない。

 そう。変わっていない。結婚してから、私は“主人の妻”と言う肩書きだけだ。

 気がつくと、テレビの内容は“キャラ弁”と呼ばれるお弁当の紹介に変わっていた。


『このパンダの顔は、子供にすっごく人気で――』


 若いお母さんが、嬉しそうにご飯と海苔で作ったパンダのおにぎりを披露する。

 私はそれを見ながら、無意識に唇をむにむにと動かしていた。

 可愛らしいし、大人が見ても美味しそうだ。けれど、口が動いたのはそれではない。

 理由は、彼女は“お母さん”で、私は“奥さん”と呼ばれることにあった。


「やはり――子供が欲しかったのか?」


 主人が六回目となる会話を切り出した。


「え?」

「いや、子供のことになると、お前はいつもぼうっとするからな……」

「あ、ごめんなさい……」

「いいんだ。お前がずっと望んでいたのは知っているし、それを叶えてやれなかったのは俺の責任だ」

「タイミングが合わなかったのよ。あなたの責任ではないわ」


 私は食い気味にそう言った。

 そう。私たちには子供がいない。主人が言うとおり、子供が欲しいと熱望していたけれど、こればかりは願っても百パーセント叶えられるとは限らない。

 どちらかに非があるわけじゃなく、調べてもらえれば、主人の精子も、私の卵子も正常に機能していた。

 私が言う通り、ただタイミングが合わなかっただけなのだ。


「これまでの暮らしに不満はないし、今更望んでも子供のためにはならない。だから平気よ」

「でも、やっぱり……欲しいんじゃないのか?」

「ないって言ってるじゃない」


 私は少し強い口調で返した。

 確かに『ない』と言えば嘘になるけれど、望んだとしても、この年で出産・子育するには色々と大きな課題がある。だから、あまりそのことを考えたくないのだ。

 主人もそれを承知しているので、“営み”ではコンドームをしている。

 すると主人は立ち上がり、近くにあった電話機の下の戸棚から一通の葉書を取り出した。


「支援センターから、通知が来てるんだが」

「……え?」


 私は目をぱちくりさせた。そんなもの、まったく身に覚えが無い。

 主人から葉書を受け取ると、そこには


【日本少子化対策センター 不妊相談部

 林谷 洋治様  ご夫妻

    紀子様         】


 と、書かれており、私は思わず眉を潜めてしまった。

 裏には、【少子化社会対策基本法】と、国が示す対策を挙げ【そこで我々は――】と、あたかも国の指示であるかのような文章が続き、私たち夫婦が、そこから特別な措置を受けられるとあるのだ。

 新手の詐欺の一種だろう。藁にもすがりたい気持ちを利用する卑劣な方法だ。


「お前が送ったんじゃないのか?」

「何言ってるの。こんなの胡散臭いの、詐欺だってすぐ分かるじゃない」

「そ、そう言われればそうか……」


 主人は申し訳ないと言った表情で葉書を受け取り、びりっと破ってゴミ箱に捨てた。

 私たちの間に、少し重い空気が流れる。

 子供の話題をあまり出さないようにする。それが私たち夫婦の、暗黙の了解だった。

 諦めているとは言え、完全には捨てきれない望みのため、胸の中でいつまでもくすぶり続けるのだ。

 きっと、その時……生理が来なくなるまでこうだろう。

 私は空気を変えようと、一つ息をついて立ち上がろうとしたその時――リビングに、インターホンが鳴り響いた。

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