第3話

「ちぇ、なんだよエリのやつ。ちょっと気合入れてただけじゃんか」


 今日もまた大声を出して獲物を逃がしてしまった螢丸は、またしてもツァルツェリヤに怒られた。そのことでついつい口喧嘩をしてしまった2人。螢丸は飛び出すように森に、ツァルツェリヤは教会へと残っていた。1人でぶつぶつと文句を言いながらもしばらく森を散策して、暗くなり始めたため教会へと螢丸は踵を返した。

 いつもだったらなんだかんだ言いながら唯一残った家族ということでお互いに甘い2人である。ツァルツェリヤは螢丸に怒りながらも、帰ってきた螢丸に「おかえり」と言いながら今日の罠で捕った動物を煮込んでシチューを作ってくれる。喧嘩した2人の仲直りの合図が、シチューを一緒に食べることだったから。

 だから今日も、そのはずだったのだ。螢丸の中では。なのに。


「あれ?」


 教会の母屋に明かりがついていなかった。突然に人が消え電気が止まってしまったあの日から、いつもは螢丸がわかるようにと窓辺にろうそくの火を灯しておいてくれるツァルツェリヤが、今日は灯していなかったのだ。

 ツァルツェリヤの大事なおもちゃを壊してしまったときも、大物の獲物を逃がしてしまった時もツァルツェリヤは必ず許してくれて、火を灯しておいてくれたのに。

 こんなことは初めてで、これは相当怒っているなと顔を青ざめさせて扉に近づいた螢丸は、ふとおかしいことに気付いて教会の母屋へと向かっていた足を止める。


 気配がない。


 螢丸たちは過去の迷宮探究者であった先生たちに気配の断ちかたを教わっている。そのなかでもツァルツェリヤは特に下手で、こんな完全な気配の断ちかたは出来ない。普段はいい子で手のかからないツァルツェリヤの意外な一面に、優しい先生ですら苦笑していたくらいなのに。まさか暗い中、なかなか帰ってこない螢丸を探しに外に出たんじゃないかと思ってあわてて母屋の扉へと駆け寄って開けると。


 むわっと鉄の錆びたようなにおいが鼻につく。

 壊された椅子にチェスト、家具の数々。床にこぼれた大量の血液、散った白みがかった金色の髪に、血に汚れたツァルツェリヤがいつも首に巻いていた白いマフラー。そして早斬丸の折れた刃。それを見た瞬間、螢丸はここで何があったかを知った。でも、それを認めたくはなかった。というか、ありえないとすら思っていた。

 生き残った人間がやったにしてはツァルツェリヤの死体がない、それにツァルツェリヤはわずか8歳、2年前にその実力が認められて武器の常時所持を許された武術・特に剣術にかけての天才だ。それが生き残っただけの、迷宮訓練も受けていない人間に殺されるとは思わない。きっと、きっとこれは返り血で、ツァルツェリヤは森の中に逃げたのだ。きっとそうだ。幼い思考で、自己防衛のためにかそう考えては必死に思い込もうとした螢丸は、背後から近づいてくる黒い人影に気が付かなかった。


「なあんだ。まだガキがいやがったのか」

「え……」


 低いけれど艶やかな男の声がしたと思ったら、だあんっと思いっきり床に叩きつけられた身体が悲鳴を上げる。とっさに受け身は取ったものの、相手の方が何十倍と強い力だったようでこらえきれずにかはっと息が抜けたところを上から押さえつけられる。ぎしぎしとなる身体に、子ども相手にも本気で殺しにかかってきていることを知って螢丸は目を見開いた。月明かりでかすかに見えたその顔はひどく端正で、浮世離れしていて。こいつは影族だととっさに悟らせるのには十全だった。

 誰だ、誰だ、誰だこの影族の男は。考えろ考えろ考えろ。まだと言った。この男はまだと言ったのだ。ということはきっとツァルツェリヤを見かけたのだ。きっと逃げおおせたはずの、ツァルツェリヤを!

 そこまで考えて、とっさに言葉が零れる。


「エリ……エリはどこだ……」

「エリだ? ああ、あの金髪のガキか。それなら安心しな。影王さまの供物にしてやるために運んでるところだ。あの世に行きゃあ会えるぜ」


 今頃あの世でお前さんを待ってるかもなあ。なんてにやにやした口調で言う端整な顔立ちの影族の男。


 あの世に行けば会える。それはつまり、死んでいるということで。


 その言葉に、螢丸は全身に入っていた力を抜いた。生を諦めまいとする心がしぼんでしまった。死んだ、死んだ、死んだ。あのツァルツェリヤが。自分の片割れともいうべき最後の家族が。

「みかちゃん!」嬉しそうな声で自分を呼ぶ、地上にある太陽のように眩しい白金に煌めく髪、みずみずしい紅梅色の瞳、泣きぼくろのある人間にしては天使のように美しい顔。主人に駆け寄る子犬のように駆け寄ってくる姿はいまにでも思い出せるのに。最後に見た姿は悲しい顔だった。「エリなんてもう知らねぇ!」と言った時の傷ついた顔が目に浮かぶ。


 もう、どうでもよくなってしまった。本当は知らなくなんてない。だって、ツァルツェリヤは螢丸の最後の家族なのに。たった2人になってしまった、半身みたいな存在なのに。そう考えたらみしみし鳴る身体も、痛みもどうでもよかった。願えるなら、せめてツァルツェリヤが殺されたときは自分より痛くなかったらいいな。だって「もう知らない」なんて言って傷つけてしまったのだから、これ以上傷ついてほしくない。

 あの世に行ったら謝らなきゃななんて考えたら、口元に笑みすら浮かんできて。

 そんな螢丸を見て「気持ち悪いガキだな」と呟くと、男は背負っていた剣を突き立てようと鞘から抜いて、思いっきり振り上げたのだった。

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