君を探して三千里(中)

 食事を摂りながらも、怜乱と青年は楽しそうに堂々巡りの会話を繰り返していた。

 きっと共通の話題なのだろう、利彪という男の思い出がおもな内容だった。

 甘い果実酒をちびちびと舐めながら聞いた内容で、護児は元々この町から少し北の方に峰を連ねる爪牙そうが半島の山中に、主人と二人で暮らしていたらしいことが知れる。

 暮らしていたと言っても主人は狩人だ。その猟犬として仕留めた獲物の話を、護児は嬉しそうに話していた。

 彼ははぐれてしまった主人を捜して、この大陸を北へ南へ走り回っているらしい。

 他にすることもなく二人を眺めていた狼は、嬉しそうに話す護児が、時折妙に悲しげな顔であちこちを見回すのを発見した。

「? どうしたんだ、護児よ。何か引っかかる事でもあるのか」

 何気なく狼が口にした問いに、怜乱が柳眉を逆立てる。

「ちょっと老狼」

 護児にちょっと待っててねと言い残し、怜乱は狼の肘を乱暴に取って席を立つ。

「おっとっと……どうしたんだ、急に」

 乱暴な扱いに非難の意を込めて狼が問うと、少年は勢いの割には言いにくそうに視線を彷徨わせた。

 護児がきょとんとした顔で待っているのを確認してから、狼の頭を引っ張り寄せて声を落とす。

「……老狼。お願いだから彼にはあんまり質問とかしないでやってほしいんだ」

「なぜだ?」

 理由が解らず聞き返したが、少年は何とも悲しそうな様子で首を横に振った。

「君はなんでもすぐに顔に出すから、教えたくない」

 いつもなら深く冷たいだけのとび色の瞳がどことなく哀れみの色を浮かべているのを、狼は見逃さなかった。

 怜乱に聞かれてまずい事情というものはないのだろうが、護児の方にはあるのかもしれない。

 それにしても……と、狼は考える。

 怜乱が他人(例えそれが犬であったとしても)に対して情らしい情を見せることなど初めてではなかろうか?



 護児は怜乱たちに同行させてほしいと言った。少年が二つ返事で承諾して、旅の同行者が一人増える。

 取ってつけたように朗らかな様子の少年は、狼の目から見れば明らかにおかしかった。人形じみた動作は変わらないが、いつもの冷たい言動を引っ込めた少年はどうにも気味が悪い。何の意味もなく楽しそうな表情を浮かべて、これまた意味のないおしゃべりに興じる怜乱など初めて見た。

 そのうえ、元々どこを歩きたいのか判らないような道行きではあるし目的地などない旅ではあるが、後戻りをするように旅路が変わった。

 狼は何か釈然としないものを噛み締めてはいたが、何も言うなと釘を刺された以上口出しをするわけにもいかない。黙ってその道行きに従った。


             *  *  *


「どこへ向かっているのですか?」

 たき火を囲んで夕飯を取っている途中。護児がぼんやりとした様子で首を傾げた。

 後先のつながらない質問に疑問を覚えた狼だったが、怜乱の反応は違った。

「……判らないかな。護児の知ってるところだよ」

 明らかに固い声でそう告げた後、青年から視線を逸らす。

「……ご主人様はどこへ行ったんだろう……俺を置いて……」

 少年の言葉が聞こえなかったように、護児はどこか遠いところを見つめながら譫言うわごとのように呟き、熱にうかされた子供のように利彪りひゅう様利彪様と繰り返した。その様子は犬が主人恋しさに鼻を鳴らしている姿そのものだ。

 呆然としたまま護児は夕食を終わらせ、ごそごそと寝床の用意をする。寝床といっても、普通はただ毛布にくるまるだけのことだが、護児は地面に穴を掘って適当なくぼみを作り、その中で体を丸くする。そのまま目を閉じると、くぅんと鼻を鳴らして、墜落するように眠りに就いた。

 動物の眠りは浅いというが、彼のそれはどちらかといえば病んだ生物の混濁に近いように見えた。

「形ばかりは人かもしれないけど、本性は変わらないね」

 怜乱は青年の頭を仔犬の頭でもあやすように撫でながら呟く。そんな相棒に、狼は抱き続けていた疑問をぶつけてみた。

「怜乱よ。その、利彪とかいう男は死んでいるのだろう? もしそうなら、なぜ教えてやらんのだ」

「……よく分かったね。まあ、飛龍ぼくの知り合いだって言う時点でもう大抵の人間は死んでるから、直ぐ判るかも知れないけど。僕らが話していた内容だって、もう七十年以上昔のことだよ。ごく普通の人間だった彼をいくら探したって、生きてる道理はないのにね」

 半分目を伏せながら、怜乱は痛ましげに眉を寄せて青年の頭を撫で続けている。

「……答えになってないぞ」

 固い声で文句を言われて、怜乱は重い溜息を吐く。そうしてゆっくりと首を振ると、表情のない目で狼を見つめた。

「言うけどね、老狼。自分の死を理解できてないような相手に他人の死を説いてどうするんだい?」

「……」

 何となく、嫌な気分になって老狼はごそごそと座り直す。

 もしかしてそいつは、とはどうしても聞けなかった。

 ──そう、自分たちにとって死はそんなに身近なものではない。天地の精を取り込む限り力をつけ、限りなく生きられるのがあやかしというものの性質だ。死とは自ら精を取り込むのをやめたり、殺し合いでもしない限り無縁なのだ。

 故に、相手がいつまでも何処かにいると思いこんでいる。

 いつものところからいなくなったとしても、気まぐれにどこかに行ったと思い気にも留めないことだろう。死んだと思うよりも、そちらの方がよっぽど現実的なのだ。

 そして獣は己の死があまりにも近すぎるところにあるが故に、そんなものを眺める余裕などない。

 ──こいつは、どっちなのだろう?

「……護児がさ、刃物を見るとちょっと苦しそうな顔をするの、気付いた?」

 怜乱が髪飾りとして挿している小刀に手をやって、憂鬱そうな表情を見せる。

 しかし、少年の言葉は考え事をする狼の耳を素通りした。


             *  *  *


 「……うう」

 護児がうなされている。毎晩のように苦しそうな寝言を漏らす護児を心配そうに眺め、狼は鼻面に皺を寄せた。

「怜乱、こいつ、何かの病気じゃないのか」

「病気といえば病気だけど……たぶん治しようはないと思うよ」

「見てるこっちが苦しいんだよ。どうにかする方法はないのか」

「ないね」

 身もふたもなく言い切ってそっぽを向く怜乱だったが、その手は心配そうに護児の頭を撫でている。

「ううん……ご主人様……ぁ」

 寝言を言いながら、彼は宙に手を差し伸べる。

「ご主人様、か。本当に覚えているのかな」

 怜乱が冷たい手のひらを額に当ててやると、護児は嫌に人間臭い動作でその手から逃れようとした。心なしか額が熱い。

「こうしてると普通の妖なんだけどなあ」

 帰してやるのが幸せなんだろうけどと呟いて、少年はゆるゆると頭を振った。

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