第9話 009

「いいニュースだ」

 春香がAIの書き上げた報告書をチェックしていると、宮野班長が後ろから話しかけてきた。

「なんですか?」

 春香が画面から目を話し、椅子ごと後ろを向く。

「御木がここに来て最初に担当した事件あっただろ、あの才葉大学の」

「えぇ」

 忘れるわけもなかった。

「あの時暴走した有川は、義体化していたことがバレて会社を解雇されていたんだが、彼は会社を不当解雇で訴え、今日仮処分が下った」

「じゃあとりあえず会社に戻れたわけですね」

 仮処分とは、本訴訟の結果が出るのを待っていては当事者に不利益が発生するかもしれない場合、権利保全に必要な暫定的措置を認める処分のことだ。

 有川の場合、完全義体化が会社にバレ、会社としては人として雇うことができなくなったため解雇したが、有川はそれを人権侵害であり不当解雇だと裁判を起こした。だがその裁判の結果が出るまでには何年とかかってしまう。その間解雇された状態では、給料が発生しないばかりか、もし裁判で解雇が無効とされても会社に戻りにくくなってしまう。

 そのため裁判所は仮処分を下し、本訴訟の結果が出るまで有川を雇うことを会社に言い渡したのだ。

「あぁ、まあそういうことだ。判決が出るまでには何年とかかるだろうが、もし完全義体に人権が認められるなんてことになったら、日本中がひっくり返るな」

 宮野は馬鹿にしたように言った。

「私は革新的な判決を望みます。元が人間だったのに身体を機械にしたからって人権が認められないなんて変ですよ」

 春香は強気に言い返す。

「君がそういう考えの持ち主だっていうことは、神崎から聞いてる。だがな、社会は大学じゃない。君は法学部だったらしいが、世の中ゼミの議論のように単純じゃないぞ」

「それは分かっているつもりです。ですが、この問題は今や社会問題です。完全義体化をした人が法的保護を受けられないことで、認知症の問題や……」

 宮野は春香を右手で制した。

「俺達実務の人間はそういうことを考えることを求められていない。いや、むしろ禁じられている。自衛隊と同じだ。奴らも戦うのは自分たちなのに国防を語ることはできない」

 宮野は一度言葉を切った。

「だがな、一つ言わせてもらえば、完全義体化した人間の人権を認めると、当然ロボットの人権も考えなくちゃいけなくなる。完全義体とロボットの違いなんて哲学の問題だからな。だがもしロボットに人権を認めれば、今、日本中で休みなく働かされている数多のロボットに休日をやるはめになる。それぐらい法学部でやっただろ」

 宮野はそう言い捨てると、自分のデスクへと戻っていった。

 たしかに彼の言うとおりだった。

 これが完全義体化の最大の問題点だった。

 義体化とは、なんらかの理由で元々の肉体が使えなくなり、体の一部を人工のものと交換することだ。大昔から義手や義足はあったし、今はその技術が飛躍的に上がり、人によっては元の腕や足より使いやすいという人がいるほどだ。

 しかし完全義体化は、人の精神を一度コンピュータ上にアップロードし、脳までもが人工の義体に移し替えることだ。学会の会告により国内での完全義体化施術は禁止されているが、実際のところは有川のように隠れて義体化しているケースは少なくない。

 そして完全義体化の問題点は、電脳化した元人間の精神と、高度なAIの区別が誰にもつかないということだ。今やほとんどのAIがチューリングテストを通過する時代だ。元人間だと言われて素直に信じることはできないし、そんなことが許されれば世の中は人間を越えた知能を持つ自称人間で溢れかえることになる。

 そうなったら、もうAIは道具ではなくなる。

 それは分かってはいるが、このまま放っておけばどうにかなる問題とは到底思えなかった。

パソコンの画面端にメールが来たことを示す赤いビックリマークが現れた。春香がそれにタッチすると、九条からのメールだった。


 御木さんお久しぶりです。

 九条です。

 少しお話があるので、電監庁舎の地下五階に来てください


 随分と簡素なメールだが、時間が書かれていないところを見ると今すぐということなのだろう。

 春香はデスクに置いてある小さな鏡で髪型をチェックすると、パソコンから端末を引き抜き立ち上がった。


 電監庁舎の地下五階は電波暗室となっていて、外部からの電磁波の影響を受けず、かつ内部から電磁波が漏れないように設計されている。通常の業務で職員が使うことはほぼないが、分析課が事件の検証などを行う際に使うことを想定して作られた。

 ただ、実際は分析課も電波暗室を使うことはなく、プライバシーが完全に守られた状態で秘密話をしたい職員が使う場所と化してしまっている。電監庁舎の中はもちろん、今や外を歩けばマイク付きの監視カメラがそこら中にあるからだ。

 春香の乗ったエレベーターは途中で誰かが乗ってくることもなく、地下五階へと着いた。

 エレベーターのドアが開くと、目の前に「電波暗室」と書かれたドアが見えた。春香はここに来るのが初めてだった。

 そのドアを開けて中に入ると、部屋は明るく、壁一面に白い大きなタイルがびっしりと貼られていた。

「久しぶり」

 その部屋の中央には九条が立っていた。

「お久しぶりです」

 春香が軽く頭を下げる。

「この前の大学での事件以来だよね」

「はい、まあ……」

 言われてみると、彼は神崎さんの話では一班のはずなのに、オフィスで見たことが一度もなかった。

「九条さんはどうしていつもオフィスにいないんですか?」

「僕も一班の人間ではあるんだけど、最近はいつも本省の方の仕事を手伝わされてるからね」

 九条は爽やかな笑顔でそう言った。

 本省とは総務省のことだろう。電監はあくまで総務省の支局だから、本省の仕事があるならそっちが優先されるのは当たり前だ。

 だけど、それならどうしてあの時大学にいたのだろう。

 春香はそれも聞いてみようと思ったが、この場の雰囲気を察してやめた。

「そうなんですか」

「まあそれはどうでもよくてさ、今日君を呼んだのは、君が興味ありそうなことの情報を手に入れたからなんだよね」

 なんだろう……。今日はみんなやけに私に情報を与えようとしてくる。

「神崎から聞いたよ。フロンティア戦争やトゥレアについて調べてるって」

 九条の言い方に嫌味はなかったはずなのだが、春香はなぜか妙な気分になった。

「えぇ……。少しだけ。ただ特に何も分かりませんでした」

「だろうね。ここのデータベース、それ関係の情報アクセスレベル高いからね」

 あっ…そうだ。

 違和感の理由が分かった。

 神崎さんは私をこの問題からできるだけ遠ざけようとしていた。それなのに彼に私が調べ物をしていたことを話すのは、何か変だ。

「でもほら、今僕本省の方の仕事してるって言ったでしょ。それで、向こうの人達と仲良くなって、ちょっとしたデータ、貰ったんだよね」

 九条はそう言うと、スーツの内ポケットからデータチップを取り出した。

「それが、そのデータなんですか?」

「うん、そう。フロンティア戦争に直接関係ある文書は廃棄されてしまっているからもう手には入らないんだけど、トゥレラに関しては日夜研究されてるから、新しいことが分かっていくんだよ。ただそれらはテロなどに使われる可能性があるから、アクセスレベルを高く設定してる」

「それなのになぜそれを私に?」

「これは一度読み込んで見たら、自動的に消去され、復元も不可能なチップだからさ」

「それじゃ理由になっていません」

「実は神崎に頼まれちゃってさ。君はやめろと言ってやめるような人じゃないみたいだから、それなりの情報を与えておけって」

 九条はそう言って春香に歩み寄り、チップを渡した。

「ほら、これ。見終わったら一応チップは捨てておいてね。それじゃあまた」

 九条はそれだけ言うと部屋から出ていった。

 一度しか見れないのなら、オフィスに戻ってできるだけたくさんの人と見たいが、わざわざここに呼んだということは、外に出たら見れなくなるのだろうか。

 春香はポケットから端末を取り出し、チップにぶつけた。

 表れた文書は、トゥレラが流行しだした初期に総務省と民間のセキュリティ会社が共同で調査した時の報告書だった。

 この文書によれば、ウイルスのプログラムの解析の結果、トゥレラには高度なハッキングAIが搭載されていて、そのレベルは明らかに軍事用だったということ。そして、プログラムの中に中国語が使われていたということだった。

 要するに、トゥレラウイルスは中国が作ったものだということをこの文書は示唆していた。

「製作者は中国……。でもそれならなぜ公表しないの……」

 春香は自分に問いかけるように呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る