第2話 薄幸少女のStreet Bet

 部活動に力を入れている高校には、大抵の場合「生徒は必ず部活動に所属すべし」という校則による拘束がある。僕の通う私立鳥羽高校もこの例に漏れなかった。新入生は四月の間に所属したい部活を選ぶ必要があった。

 だから僕は、春の暖かい陽気を浴びながら校舎の外を歩き目的の場所へ向かっていた。お通夜みたいな空気の漂う教室を抜け出して。あのあと教室に戻った僕たちは、自分たちを待ち受ける過酷な運命に気づかされ、どんよりと落ち込んでいた。少し記憶を遡ると、敗北が決まった瞬間の不良たちの愕然とした表情がまざまざと思い返された。

「流石にちょっと可哀そうかもね」

 がっくりとうなだれる不良を見ながら、女子生徒の一人がそう言っていた。まあ確かに、自業自得とはいえ勝利の確信から敗北の確定まで急転直下に叩き落される様は哀れだった。

 九十九先生は「あんなのよくあることだよ」などと明るく言っていたが、サイコロの出目で退学にされてはたまらない。普通に学校生活を過ごしていればああはならないだろうとしてもだ。九十九先生のいい加減な励ましは教室の空気をさらに重くし、休憩時間も誰一人口を利かないという新学期のスタートとしては最悪の幕開けとなった。

 そんな空気だったから、部活動見学に行こうという話を帰りのホームルームで先生にされた後も、「えーみんなどこ行く?」「俺は野球部かな」みたいな浮ついた交流は一切なく、クラスメイトは最前線へ送られる下級兵さながらに全員押し黙って各々の目的地へ旅立っていった。地獄だ。

「確かこの辺なんだけど……」

 僕は誰にでもなく呟いた。手には全ての部活の部室の位置が記されたプリントを持っている。部活動選びを始める一年生全員に配られるものだ。周りには誰もいない。新入部員獲得の騒がしくなるだろう時期だというのに、校内は不自然なほど落ち着いていた。

 僕の手にある地図には、「生物部」の名前に蛍光マーカーで印をつけられていた。その部活が僕の目的地だ。運動はダメ、芸術も解さない、かといってボランティアみたいな殊勝な活動をする気もない僕にとって興味ある部活はここくらいしかなかったのだ。母親が生物学者だからって訳じゃないけど、中学時代も理科は好きで得意だったから、生物部は僕にあっているだろう。

「けど、本当にここなのかな? 方角間違えたのかな?」

 僕はもう一度誰もいない静かな空間で呟いた。校舎の裏手にある、倉庫のような金属製の建物がいくつか並んでいる場所だ。風が木を揺らす音だけが聞こえる。ここで昼寝でもしたらさぞ気持ちがいいだろう。

 けれど、この近くに生物部の部室があるような雰囲気はなかった。普通生物部って理科室みたいなところを拠点にしていそうだけど、この学校はそうではないのだろうか。少なくとも倉庫の中を部室にする部活なんてものはないと思うけど。

 僕は地図を広げて、いろいろと方向を変えてみた。しかし建物の形や昇降口を出た後に辿った道順を考えると、今いる場所の近くに部室はあるはずなのだ。僕は首をひねって、あたりを見渡した。

「……しょぉ……よいしょぉ……」

 一周ぐるっと回って視線を元に戻すと、さっきまで視界に入らなかった人影が見えた。小さな女子生徒らしき影は、倉庫の大きな鉄の扉の前で何かをしている様子だった。

 ちょうどいい、あの人に聞こう。そう僕は心に決めて倉庫へ近づいていった。側にまで寄ると、その女子生徒は扉を開こうと格闘していることがわかった。

「あのー」

「よいしょ……うん? だぁれ?」

「手伝いましょうか?」

 僕は質問には答えずにそう言った。女子生徒はくりっとした目で注意深く僕のことを見上げるように見つめてきた。リスのように丸く大きな瞳だ。彼女はあたりをきょろきょろを見たあと「それ……私に言ってる?」と言った?

「他に誰もいないですけど……」

「本当!?」

 僕が肯定すると、女子生徒の顔がぱっと明るくなった。まるで目の前に神か何かが舞い降りたような反応だ。いささかオーバーだけど、リアクションが大きいタイプの人なのだろうか。

「よかったぁ、扉が全然開かなくて。ここの扉重いうえに立てつけ悪いから」

「はぁ……確かに重そうな扉ですね」

 僕は扉の取っ手に手をかけると、力いっぱい引っ張った。何かをひっかくような鈍い音がして扉が少しずつずれた。確かに重たく、動きが悪い。僕は力が強い方ではないとはいえ、男子高校生の全力でこれだけ固いとなると、側に立って僕が扉と格闘する様子を眺めている女子生徒では確かに開かないだろう。彼女の細腕に僕以上の腕力が隠されているとは思えない。

「よいしょ……っと」

「がんばれぇ、がんばれぇ」

 女子生徒の少し舌足らずな、無邪気な応援を背に僕はゆっくりと扉を引いた。そうやってしばらく扉と綱引きをして、一人が十分通れる空間を作り上げた。うん、道を尋ねる対価としては申し分ない労働だったと言える。

「わぁありがとう!」

 女子生徒は僕の働きに、万歳をしながら礼を言った。やっぱり反応がオーバーな人らしい。

「いえ、どういたしまして……ところで聞きたいことがあるんですけど」

「なぁに?」

 僕の質問に女子生徒は小首をかしげた。その可愛らしい仕草に、ふとこの人は何年生なのだろうかという疑問がよぎる。とりあえず敬語で話しているものの、同じ一年生だったら間抜けだなと思ったのだ。それに一年生なら道を聞いてもわからないかもしれない。

「あー、実は道に迷ってまして……生物部の部室を探しているんです」

 しかし唐突に学年を聞くのも不自然だし、一年生だったとしても道を知っている可能性はあるだろうと僕は思い直して、女子生徒に尋ねた。すると女子生徒は一瞬きょとんとした表情になった。ああ、これは知らなかったかと僕は思い、空振りを覚悟した。

「もしかして……入部希望者?」

 しかし女子学生は、僕が予想していなかった言葉をおずおずと言った。

「えっと、一応そういうことになるんですけど……ん? ということはあなたは生物部の人?」

「うん!」

 女子生徒はすぐに笑顔になって、大きくうなずいた。そして胸を大きく逸らして

「私、三年生の㐂(き)島(じま)奈々っていうの。こう見えても部長だよ」

と自己紹介した。

「あ、三年生だったんですか」

「うん。見えなかった?」

「あぁ、はぁ」

 三年生どころか、一年生かもしれないとすら思っていたことにバツが悪くなって、僕はあいまいに答えた。㐂島先輩は「よく言われるよー」と言って手をパタパタと振った。

「あなたは?」

「僕は八葉永人と言います。生物部の見学をしてもいいですか?」

「うん、おいでおいで」

 僕が尋ねると先輩は手招きしながら倉庫の中に入って行った。何か活動に使うものでも取り出すのだろうか。だとしたら手伝った方がいいだろう。扉の開閉もあることだし。

 僕が倉庫の中に入ると、先輩は明かりをつけた。オレンジ色の電球に照らされて、埃っぽい倉庫全体が明るくなった。倉庫の中央には折り畳み式の長机やパイプ椅子が雑多に並べられており、壁際に置かれた黒板と相まって倉庫の中というよりは教室のような印象だった。

 うん? 教室?

「先輩……これは?」

 僕は先輩の方を向いて聞いた。すると先輩は満面の笑みで手を広げた。まるで、我が家に客を迎え入れるように。

「ようこそ、生物部の部室へ!」

「ぶ、部室?」

「うん、部室」

 僕が聞き返すと、先輩はこくこくと頷きながら同じ言葉を返した。首が揺れるたびに先輩の柔らかそうな髪が一緒になって揺れる。心なしか、先輩の挙動に落ち着きがない。

「しかしなんでまた倉庫が部室に……」

「ほ、ほら、うちの学校って部活が多いからさぁ、教室足らないんだよねー……それにほら、うちの部活はいろいろ荷物が多いし倉庫の方が都合がいいっていうか」

 僕の至極真っ当な疑問に、先輩は露骨に目をそらしながら答える。どう見たって何かを隠している人間の反応だ。第一、倉庫の中はさっき描写した以外の荷物はほとんどなく、スカスカに近い状態だった。荷物が多いというのも嘘だろう。

「そ、そんなことよりもさ! 入部希望なんでしょう? なんでうちに来たの!?」

 目を泳がせ、うわずった声で先輩が続ける。このまま強引に押し通して僕を生物部へ入れようという魂胆なのだろうが、しかしそれを実行する側に胆力がなさ過ぎた。爽やかな気候の春に寒々しい倉庫の中にいるにもかかわらず先輩の額には大粒の汗が滲んでいた。

「その前に、いくつか質問をしてもいいですか?」

「う、うん? いいよ?」

 あんまり追及するのも可哀そうな気がしたが、こちらとしても三年間活動する部活を決めなければならないのだ。よくわからない部活に入るわけにもいかない。僕は心を少しだけ鬼にして、生物部の闇を暴くべく尋問を開始した。

「他の部員の方は?」

「えーっと……後で来るよー……」

「何人くらいいるんですか?」

「私と、あと二年生の子が一人と……」

「それだけですか?」

「ほ、ほかにも、えっと、うぅんと……」

「ほかにも?」

「こ、顧問の先生とか……」

「そりゃぁいるでしょう。部活なんですから」

「えっと、その……うわぁぁ!」

「うわぁぁ!?」

 突然声をあげて、先輩が僕に掴みかかろうとしてきた。僕は慌てて先輩の頭を押さえて、近づけないようにする。先輩は僕よりもかなり背が低いために、それだけで僕へまで手が届かなくなり、ぶんぶんと腕を空中で暴れさせていた。

「あの、落ち着いてください、先輩!」

「うちの部活に入ってよぉ、入ってくれないと校則の決まりで廃部になっちゃうんだよぉ」

「これが部活に入って欲しい人に対してすることですか!?」

 しばらく新喜劇じみた滑稽な格闘の後に、先輩は疲れたようで動きを止めた。そしてそのまま倉庫の床へしゃがみ込んでしまった。

「はぁ、はぁ……ご、ごめん。つい混乱して」

「はぁ……僕が入らないと廃部になるってことは、やっぱり人数少なかったんですね」

「うん。私と、二年生の幽霊部員の子と、あとはあなただけ」

「しれっと数に入れないでください」

「ばれたかぁ……」

 先輩は悔しそうにつぶやいて、立ち上がった。そして砂のついたスカートを手で払うと「入部してくれないかなぁ、八葉君」と改めて懇願するような眼で言った。

「いやぁ、でも」

「くそう、こうなったら最後の手段だ!」

「いや最後の手段の登場早くないですか?」

 少し躊躇うような素振りを見せると、先輩はあっという間に僕の説得を諦めたのか倉庫の奥に置かれた段ボールまで走っていった。何をする気かは知らないけど、出会って十分くらいしか経っていないのだからもう少し説得を粘って欲しかった。人生のテンポが早すぎる。

「よし、これにしよう!」

 先輩は目的のものを見つけたのか、うれしそうな声をあげて段ボールから何かを取り出した。先輩は見つけ出したものを長机の上において、僕を手招きした。正直このまま回れ右をして帰りたかったが、いろいろな意味で後が怖いので大人しく従うことにした。

 机へ歩み寄ると、先輩が段ボールから取り出したものがはっきりと見えるようになった。百均とかに売っている、小さくてちゃちなカジノゲーム用のルーレットだ。先輩が箱を開くと、中からプラスチックで出来たチープなテーブルやチップが出てきた。

「あの、これは?」

 話の流れにそぐわないおもちゃの登場に、僕は嫌な予感がして先輩に尋ねた。先輩は意味ありげににやりと笑うと

「今日洗礼があったんでしょう?」

 と言った。

「洗礼?」

「うん、理事長先生のお話聞いたでしょう?」

「あぁ、はい」

 ギャンブルか。ギャンブルなのか。不確定な立場に身を置く、狂気のゲームが始まるというのか。僕はこの後の展開を見通し震えた。額に嫌な汗が浮かぶ。さっきまで先輩の方が冷や汗をかいていたのに、これでは立場が逆転してしまっているではないか。

 先輩は僕の心配などどこ吹く風と言った調子で手際よくルーレットを机へ広げていった。そしてあらかた箱から出して満足したのか、ルーレットから手を離して人差し指を僕に向け

「いまから私、㐂島奈々は八葉永人君へギャンブルを挑むことを宣言します!」

 と高らかに言い切った。

「……はい?」

「ちょっと待ってね、細かいルールはまだ知らないでしょう? 順番に説明するからね」

 先輩は困惑する僕を手で制してから、説明を始める。

「まず、さっきのはゲームの申し込みね。これで私は八葉君にギャンブルを挑んだことになるの」

「はぁ」

 先輩の説明に僕は曖昧に返事をした。要するに、中世の貴族が決闘の申し込みとして手袋を投げつけるようなものか。

「で、八葉君がこれに答えて受けると言ってくれればいいの。別に言葉が細かく決まってるわけじゃないから、受けますって普通に言ってくれればいいよ」

「あぁ、なるほど……じゃあえっと、受けます?」

 僕は半分疑問形になりながら、勝負を受諾した。僕の言葉に先輩は満足げに笑って頷く。

「はい、これで勝負が成立ね。あとは賭けるものと勝負の方法を決めるんだけど……」

 先輩は取り出したルーレット台を軽く叩いた。

「今回は簡単だしこれにしましょう。ルーレット!」

「えっと、ギャンブルの内容は何でもいいんですか?サイコロじゃなくても」

「うん。お互いが同意すればなんでもいいよ」

 説明し慣れているのか、実際に勝負し慣れているのか。ともかく先輩の説明はスムーズで、ぼうっとしているとこのまま流れでギャンブルをやらされそうだ。でも僕の頭には、一つの疑問が浮かんでいた。

「あれ、ちょっと待ってください。受けるって言ってからこんなこと聞くのもおかしいですけど、今からそのギャンブルをやるんですか?」

「うん、やるよ」

 先輩はさも当たり前のように答えた。僕は慌てて先輩を制する。

「いや、僕と先輩との間に争い事なんてないでしょう?」

「あるじゃない。生物部に入って欲しい私と、入りたくない八葉君との間に!」

「あ、部活に入るかどうかの意志も賭けられるんですね……って、それじゃ仮に僕が勝っても利益が無いじゃないですか?元々部活に入らないつもりなら、ギャンブルに勝ってもプラマイゼロですし」

「そう、このままだとね。だからこういう時にはメリットが大きい側、つまり今回は私が掛け金を吊り合わせるためにあなたが勝った時のメリットを提示するの」

 僕の懸念に、先輩は何故か得意げに答えた。つまりはお互いの掛け金、いわば負けた時に失うものを吊り合わせる必要があるということか。今回で言えば僕が生物部に属するかどうかが、僕自身の掛け金になっている。そして、先輩の賭けるものは……。

「メリット?どんなメリットですか?」

「一つ」

 僕が先輩の掛け金を尋ねると、先輩はまた人差し指をピンと立てた。今度は顔の前で、指先は天井を向いている。

「一つ?」

「一つ、八葉君の言うことを何でも聞いてあげる!」

「な、何でもって……」

「そう、何でも。命令は今決めなくていいよ、思いついたときで。どうするぅ?こんな可愛い先輩が言うことを聞いてくれるんだよ~。これはもう勝負に乗るしかないよね?」

 先輩は挑発するような口調でそう言うと、悩殺ポーズ……のつもりなのだろう、体を変な具合にくねくねと動かした。そのポーズはともかくとして、「なんでも」という部分に僕の平均的な男子高校生(なったばかりだけど)の部分が反応してしまう。

 というか、この人自分が可愛い自覚はあって言っているのか……悪質だ。

「ねぇ、どうする? やる? やらない?」

 妙に意味深に聞こえてしまうセリフで、先輩が決断を急かしてくる。生物部に入るか、先輩に一ついうことを聞いてもらうか。なんか悪くない賭けに思えてきた。まあ、生物部に入らなかったとしても他に興味のある部活があるわけではないし、廃部寸前の部活と情緒不安定気味の先輩を置いて立ち去るのも気が引ける。賭けがこの学校での紛争解決手段なのだからここで逃げてもいずれは直面するのだし、デメリットの少なそうな今ここでギャンブルの経験を積んでおくのも悪くないだろう。ゲームというのは慣れがものをいう側面もあるし。本当はギャンブルなんて不確定要素しかないゲームは嫌いなんだけど、そんなことを言っていられる状況ではなさそうだ……よし、やろう。決して「なんでもいうことを聞く」という部分に惹かれた訳ではない。決してだ。上述のようなもっと崇高な狙いがあって僕はこのゲームに自分自身をベットするのだ。

「よし……やりましょう」

 僕は深遠な思考を終えて、実に重々しく宣言した。それを聞くと先輩は嬉しそうに飛び上がって「やった! ありがとう!」と喜んだ。

「ふふ、八葉君も男の子だねぇ」

「ち、違いますよ! そんな理由じゃないですから! ルールを、どんなゲームで勝敗を決めるのかルールを教えてください!」

 決して痛いところを突かれたわけではないけれど、僕は慌てて説明の続きを先輩に促した。

「わかったわかった。今回のゲームはさっきも言ったようにルーレットだよ。でもルールにちょっとアレンジを加えた、ルーレット・サドンデスっていうゲームなの」

「アレンジ?」

「うん、でもルールは単純だよ。一つ数字を選んでチップを置く。その数字に玉が入るまで回し続けて、先に選んだ数字が当たった方が勝ちね」

「へぇ、単純ですね。でもそれだと勝敗がつくまで長くかかるのでは?」

 目の前のルーレットに視線を落として僕は言った。このルーレットには数字がゼロから三六まで描かれている。つまり二人が選んだ数字のどちらかにボールが入る確率は一投につき約五・五パーセントである。

「いいじゃない。どきどきは長く続いた方がいいの。すぐに決着がついたら面白くないでしょう?」

 先輩は弾んだ声でそう言いながら、チップをケースから取り出した。小指の爪ほどしかない赤いチップを、先輩は器用につまんで一つ僕に差し出した。

「先に選んでいいよ、はい」

「あぁ、どうも……じゃあ……」

 僕は一瞬だけ悩み、確率的にはどれでも同じだと気がついて、結局名前と同じ八のところへチップを置いた。

 先輩は僕がチップを置くのを待ってから「じゃあ私はここ!」と一瞬も悩まずに隣の七にチップを置いた。これでお互い名前の通りの数字に賭けたことになる。

「じゃあ一投目ね。これも八葉君に譲ってあげる」

 先輩は豆粒のように小さな銀色の球を差し出して言った。僕は落とさないように手の平で慎重にそれを受け取ると、ルーレットに手をかけて回した。

「なにが出るかな~なにが出るかな~」

 それはサイコロを転がすときに言うべきだと思ったが、黙っておいて僕は回転するルーレットの中へ球を転がした。プラスチックの弾かれる軽い音を立てて、球はルーレットを跳ねまわった。

 徐々に回転が遅くなり、球の動きも鈍くなる。そしてどこかに数字の溝に球が収まって、ルーレットは静かになった。回っている状態ではルーレットの小さな数字は読めないので、僕と先輩は息を潜めて回転が止まるのを待った。

「あ、これって……」

 遅くなったルーレットの数字が見えたのか、先輩が声を上げた。僕は目を凝らして小さな数字を読み取ろうとする。球の入っているポケットの上に書かれた数字は……。

「は、はち……」

「八……ですね。まさか一回で……」

 銀色の球は、確かに八と書かれた数字の下に収まり鈍く輝いていた。ちなみに、一投で自分の選んだ一つの数字が当たる確率は約三パーセントだ。

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