6-2.姫琴はぶちぎれる。


 舞台が切り替わった先は見覚えのない道路だった。

 赤い夕日が長い影を作り、子供達が母親の待つ家へ駆けていく声が聞こえる。

 遥か地平では空が赤と濃紺の交わりを見せており、夢の中だと言うのに冷たい風がわたしの肌を刺した。


『これは今から半年くらい前かなぁ。初めて帆篠と会った時の俺の記憶だ。だから、今見ているのはその時俺が見ていた光景だよ。

 恥ずかしいけど、姫琴だから特別な!』


 姿の見えない葦木くんの声が直接頭の中に響いてくるような不思議な感覚だ。

 視界が右往左往と泳いでから、眼前に佇む少女を捉える。

 帆篠さんだった。冬用の制服に身を包み、白く長いマフラーを首から垂らしている。

 冬の寒さと相まって、彼女の表情は今日見たそれよりも随分と冷めて見える。

 葦木くんの言うには、これは過去の彼の視点らしい。それを信じたとして、彼女は今まさに悪魔の姿を目の当たりにしているとは思えない程、冷静さを携えていた。


「……貴様か、俺を長き封印から解き放った愚かな人間は」


 耳に届く葦木くんの声。これはこの時彼が発した言葉であろう。


『そうそう。さすが姫琴。あったまいー!』


 あ、ちょっと混乱するから静かにしてて。

 て言うか、この状態だと心の声も彼に伝わっちゃうんだ。なんか嫌だなぁ。


「悪魔の掟に従い、貴様の願いをなんでもひとつ叶えてやろう。

 さぁ言え。富か名声か、それとも力を欲するか」


 葦木くんの声が冷たく響く。

 なんだ、ちゃんと悪魔してるんだね。


『今も悪魔だけど……』


 帆篠さんは表情を崩さずこちらを見つめている。マフラーで隠れた口元が僅かに動いた。


「あなた、悪魔なの……?」


「そうだ。人の力の及ばぬ願いでも、俺の魔力にかかれば容易く叶えることができる」


 相変わらず彼女は人形の様に微動だにしない。

 わたしが夜の学校で彼に出会った時とは大違いだ。


「どうした。願い事の一つや二つ、無いわけがなかろう」


 葦木くんはそう急かす。

 その言葉を飲み込んで、帆篠さんは冷たく答えた。


「とりあえず服を着てもらえるかしら」


 全裸だったのかよ! どんだけ全裸好きなんだよ! この冬の寒空の下どうして服を着ないんだよ!


『ま、待って待って! ほら、この時俺封印から解かれたばっかりだしさ、だから仕方ないじゃん?』


 と、取り乱した。

 そ、そうだね。悪魔は普段服を着てないんだよね。人間界に来た時に裸なのも仕方ないよね。


『魔界でも他の悪魔は服着てるんだけどね』


 まごう事なき変態だよ! あんた、変態以外の何者でもないよ!

 良かった、これがあなたの視点で本当に良かった! もし第三者視点で見てたならまたあの変態の姿を拝むところだった!


『ひ、姫琴さぁ、夢の中だと容赦無いよね』


 過去の葦木くん……あぁ、わかりにくいから今は『悪魔』って呼ぶことにしよう。

 悪魔は帆篠さんから男性用ブリーフを受け取り裾を通し……あぁ! 視界に悪魔の悪魔が映る! なにこれ!? 夢の中だから目が閉じられない! うわ、もう最悪……あぁ! バッチリ見ちゃった! 至近距離で!


『へへ……お恥ずかしい』


 笑うな! わ……笑うな! だから笑わないでってば!

 ……葦木くん、明日学校で覚えといてね。


『ちょ、姫琴さん怖いっす』


「パンツ履きました!」


 元気良いな! 腹立つな!


『どんどんツッコミが過激になっていきますね……』


 それにしても帆篠さん、どうしてパンツなんか持ってたんだろう。それが不思議でならない。


「て言うか、なんでお前パンツなんか持ってんの? 見たところジェーケーだよね?」


 お! ナイス! ナイス悪魔! わたしもそれ気になってた!

 あと、女子高生をジェーケーって言うな。裸でそれ言ってたらなんか変態性が増す気がする。


「さっき商店街で買い物したついでに福引券をもらったの。八等がブリーフだったのよ」


「なるほど、合点がいったぞ」


 なんも納得できてないよこっちは! どんな商店街だそこ! ちゃんとツッコみなよ! 消化不良だよわたしは!

 普通の商店街の倫理観ならそんなもの景品にしないし、あまつさえ女子高生に渡したりしないよ!


『ほら、悪魔だからわかんないんだよ。人間界の常識とか……』


 もう疲れたよぉ……。ツッコミ所が多すぎるよぉ……。

 早く本題に入ってよぉ……って言うか、ここから見せる必要あったの?


『が、頑張れ姫琴! もうちょっとだから! もうちょっとで本題に入るから!』


 ……くそぅ、早くしてよね。


『今の俺に言われても……』


「で、願い事はまだですか?」


 気が付いたら話題少し進んでるし! ツッコミに忙しくて見逃してた。いつの間にか敬語になってるよ、この悪魔。なにがあったんだよこの間に。

 このままのペースだと大事な場面も見逃してしまうかもしれない。よし、こうなったら葦木くんの事は少しの間無視しよう。


『えぇっ!? ひ、ひどい!』


「願い事……パンツを履いてもらったのはノーカウントで良いの?」


「あ、はい。パンツ履くのはノーカウントで。そもそもあなたのパンツですし。

 あと『ちょっと待って』もノーカウントです。俺、そこら辺ちゃんとしてるんで安心してください!」


 ちゃんとしてるんなら服着といてよ!


『もうその点は深く反省してるんで……これ以上責めないでやってください。彼も反省してるんで……』


「そうね……あたし、見ての通り美少女だし勉強もできる方だし、何ひとつ不自由してないの。だから、願い事を言えと言われてもすぐには思いつかないのよね」


 ほ、帆篠さんそう言う事自分で言っちゃダメだよ……。


『ですよねー! ムカつきますよねー!』


 どうしてわたしにまで敬語になってるの? それにどちらかと言うと、今は葦木くんの方が頭にきてるよ。


『す、すみません』

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