4-3.姫琴は空を指差す。


「どうして帆篠がいるんですかね……」


 快晴の空の下、対照的に不機嫌そうな葦木くんはそう呟いた。

 今日は春を思わせる様な暖かい日差しが降り注いでいる。僅かに汗が滲む額を撫でて、昼休みの屋上で日陰を探し腰掛けた。


「どうしてもこうしても、あたしは姫琴さんにお誘いを頂いたのだけれど。

 何か不満があるのかしら?」


 帆篠さんは頬に笑みを浮かべながら葦木くんを睨み返す。

 開幕十秒、空気は険悪である。

 わたしはとりあえずあははと笑ってはみたけれど、どうやらそれは苦笑いにしかならない様だ。

 昨日の出来事で彼等の距離は多少なりと縮まった気がしたのだけれど、どうやら気がしただけだったみたい。

 夕方のテンションを引きずったまま朝になり、寝不足がちで多少ぼやけた頭が帆篠さんをお昼に誘うには都合が良かった。

 結果は現状をして然るべき。


「あ! 見てあの雲! このキュウリのお漬物にそっくり!」


 状況を打破すべく、いつもの葦木くんの真似をしてみた。空高く指を突き刺し、柄にも無く声を張ってみる。


「……ごめんなさい姫琴さん。あたしには、雲ひとつ無い晴天に見えるわ」


 恥っずかしい。

 見切り発車に思いつきで行動するものではない。顔から火が出そうになって、わたしはすごすごと膝をたたんだ。

 ダメだ、まだ寝ぼけてるのかなわたし。後悔後で立つ。


「ま、待ってろ姫琴! 俺が今すぐキュウリの漬物そっくりな雲を呼び出してやる!」


 葦木くんにさえ同情されてしまう始末。

 もうやめて、忘れてわたしの痴態は。

 ここぞとばかりに帆篠さんは言葉を放つ。


「あら、葦木くん祈祷師か何かなの?太古の昔には、火を起こして雨雲を呼んだと言うわ。

 そう言えばあなたの学生服、そろそろ暑苦しいと思っていたの。よく燃えそうだし、ここで燃やしてみない? 勿論着たままで」


「俺を火達磨にするつもりか!」


 葦木くんは怒りと焦りをわかりやすい象形で表して、叫び声を上げている。

 未だ赤面から冷めることのないわたしも帆篠さんの言葉にあやかる事にした。


「……葦木くん、わたしからもお願い」


「ひ、姫琴まで!?」


 驚愕を帯びた声が木霊する。

 しかし、おかげで話題は上手い事逸れてくれたのだった。


「ひ、姫琴冗談だよな?」


「じ、冗談だよ、もちろん」


 彼なら本当に上着に火を点けかねない。ここは強く否定しておこう。炎上するのはわたしの顔だけで十分だ。

 ほっと胸を撫で下ろした葦木くんは帆篠さんに矛先を向ける。


「おい! お前が変なこと言うから姫琴まで変な事言っちゃっただろうが!」


 帆篠さんもまた呆れた様な表情で刀を返した。


「ジョークだって言ってるでしょう?

 友達と言うものは軽口のひとつやふたつ交わすものなのよ。何も知らないのね」


「お、お前に友達について指南されたくないわ!」


 掛け合いは息つく間もなく繰り広げられ、思わず笑ってしまった。

 お互いに悪口を言い合っている筈なのに、何故だか声が喉元をくすぐる。

 わたしがこの輪に入ることが嬉しかったからであろうか、手のひら返しも甚だしいけれど、先程までの不穏な雰囲気はもう感じ無い。それが不思議で、とても可笑しくなった。

 三人寄れば文殊の知恵……と言うのは諺の使い間違いだけれど、彼彼女の普段見られない姿がとても新鮮で、それはわたしにとってとても幸せな事だった。


「ど、どうした姫琴。大丈夫か」


「ご、ごめんね、ちょっと楽しくなっちゃって。

 さぁ、そろそろお昼にしようよ」


 目尻を拭い、不思議そうに首をひねる葦木くんと頬を緩める帆篠さんとを交互に眺める。

 広げたお弁当箱にやっとの事で皆が箸をつけ始めたところで、わたしはようやく深く呼吸を取り戻す事ができた。

 箸をしっかりと握りしめる。今のわたしなら、箸が転げただけで抱腹絶倒必至だろうから。


「姫琴さんのお弁当、とても可愛らしいわね」


「ありがとう。帆篠さんのお弁当もすごく美味しそう。いつも持って来てるの?」


 女子トーク。

 なんだか凄く久しぶりな初めての会話。その相手が帆篠さんであることは、ついこの前までのわたしでは想像もできなかった出来事である。

 彼女のお弁当箱には蓮根の煮物やつくねなど、華やかでは無いけれど魅力的なおかずが溢れていた。どれもが手作りで、わたしのお母さんが冷凍食品でスペースを埋めるのとは対比的に家庭的な温かみが詰められている。

 あ、別にお母さんに文句があるわけじゃ無いよ。いつもありがとうございます。美味しくいただきます。

 さて、会話に戻る。


「えぇ。でも、ほとんど夕食の残りものよ。夕飯を作るのが面倒な日や、早起きできない朝には適当にコンビニで済ます事も多いわ」


「じゃあ、自分で作ってるんだ!? 凄いね! ね! 葦木くん!」


「……帆篠の弁当箱は姫琴に比べて大きいな。女子ってのは小ちゃい弁当が普通なんだぞ?」


 こらー!!

 全くもってデリカシーの無い発言に目が眩む。

 葦木くん、わたしから得た知識だけで物差しを作らないようにしなさい。ちょっと後でお説教だ。本気のお説教だ。

 女の子に対する接し方と言うものを叩き込んでやる。


「あ、葦木くんもお弁当自分で作ってるんだよね? 二人とも、趣味が合うんじゃない?」


 と、届けこの想い!

 少しでも二人の関係が良くなります様に!

 ……あ、やばい。これ無理っぽい! ほぼほぼダメっぽい!


「葦木くんのお弁当、手作りなの? 顔に似合わないわね。骨でも齧っている方が絵になるんじゃない? 頭の悪い野犬の様な顔をしているし。

 ほら、お手」


「誰が犬だ! 犬はここには居ぬ!」


 やっぱりダメでしたー!

 いや、今のはわたしが悪い。明らかにタイミングミスったもん。そりゃこうなるよね、ドンマイドンマイ!

 ダジャレが滑ったのは葦木くんの自己責任だから擁護しません。


「なんだお前の弁当! めちゃくちゃ美味そうじゃねぇか! でもな、料理ってやつは目でも楽しめなけりゃ半人前なんだよ! 見ろ、俺のこの鮮やかな色合いを!」


「あ、そうそう。姫琴さん、あたしお菓子つくってきたの」


 華麗なるスルー。

 闘牛士みたいだなと言うのが素直な感想だ。さっと避けてグサッと刺す。葦木くんはその対応に不満を漏らし何やら騒いでいるけれど、帆篠さんの持参した包みに興味が吸い込まれたため、彼のそんな絶叫は隅に置いておく事にしよう。

 そこには、黄金色の甘味、シュークリームが輝いていた。


「わぁ! 凄く綺麗! シュークリームって難しいのに、お店じゃなくてもこんなに綺麗に焼けるものなんだね!」


 焦げ目がついたシュー生地にココアパウダーがまぶしてあり、生クリームでトッピングされていた。店頭に並んでいても引けを取らない、それどころか率先して買い物かごに放り込みたくなるような素晴らしい一品。いや、かごに入れてどうすんの、トレーに乗せてレジに持って行こうなんてセルフツッコミを入れてみる。

 しかしながら、ここで懸念がひとた急浮上して遥か頭上で制止した。


「ま、待て待て! なんでお前、それお前……!」


 葦木くんもまた風呂敷包みを取り出し広げてみせる。そこには人数分のシュークリームが不安そうにこちらを眺めていた。

 出来としては完璧だ。しかし、帆篠さんのものと比べると飾り気がなく、いわゆるポピュラーなシュークリームである。


「あら、葦木くん。可愛らしいシュークリームね。でも、見た目がイマイチよ。

 知ってた? 料理やお菓子作りは見た目が大事なの。それがわからないようではまだまだ半人前ね。

 ちょっとそこで半分に裂けなさい、縦に」


 ぐぬぬと葦木くんは悔しそうに奥歯を噛み締めていた。対するしたり顔の帆篠さんへ言葉を投げる。


「でも、どうして?」


「御礼よ。

 ……昨日はありがとう。御礼を言うのが遅くなってごめんなさい」


 どうしてシュークリームのことを知っているの? 

 そのつもりの問い掛けに彼女はそう零した。少し恥ずかしそうに目を背け、天気のせいではない頬の紅潮が僅かに覗いている。


「別に礼を言うことないぞ。俺はただ姫琴に……」


「たまたま葦木くんが通りかかってくれて本当に良かったよね!」


 ぶっきらぼうな彼の言葉を遮って語尾を潰した。その意図を汲み取れない様子の葦木くんも、わたしの眼差しで口をつぐむことにしてくれたようだ。


「わたしだけだったら、何も出来なかったよ」


 それは紛れも無い真実で、悔しくて悲しいけれど否定できない事実であった。だから頭を下げられる義理はないし、それを受け入れる権利すらない。

 癖になっている嘘の笑顔も、乾いた笑い声もただ虚しいだけだ。

 だから、本来ならわたしが葦木くんに御礼を言わなければならないし、帆篠さんに謝らなければならない。

 帆篠さんは、そんなわたしを慰めるつもりがあったわけではないだろうけれど、また口を開いた。


「あなた達は黙って受け取ってくれれば良いわ。

 姫琴さん、葦木君、嬉しかったわ。昨日のことも、お昼に誘ってもらえたことも」


 その言葉で救われるほど強い心だったらどれだけ生き易いのだろうと、そう言えるほどわたしは強くなく、単純な人間である姫琴彩は笑って頷くしかできなかった。


「あ、でも先に葦木君のシュークリームを食べる事をお勧めするわ。

 美味しいものは後にとっておいた方が良いと思うの」


「……ほらな姫琴、俺の言った通りだろ? いっつもこんな調子なんだよ。失礼で俺の事を毎回馬鹿にするんだ、帆篠ってやつは」


「あなた、あたしのことをそんな風に話していたのね」


 再びゴングが鳴った。

 いったい何ラウンド殴り合うつもりだろうか。それはそれで見ていて楽しいのだけれど、今はただ笑っていたい。

 わたしはシュークリームをそれぞれ手に取り、交互に一口ずつ口に放った。


「姫琴、食後のデザートなんだから先に弁当食べないとダメだぞ」


「なんだか、ものすごく食いしん坊みたいに見える画ね」


 ふたりしてわたしを見て笑う。

 わたしも笑顔で返す事にした。それは心からの喜びを表した笑顔であると信じたい。


「どっひも、ふごくおいひいよ」


 甘さが口の中でずっと残って、梅雨入り前最後の快晴は過ぎて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る