3-2.悪魔は何かを悟る。


 ハハハ、迎井むかい先生がなんか言ってら。


「真面目に聞け!」


 げんこつをもらってしまった。

 もぉ、今日日体罰は大きな問題に発展しかねませんよ?

 俺が悪魔だったから良い様なものを、他の生徒だったら教育委員会のチャイム鳴らしてダッシュで逃げ出してますよ。

 そして最近はモンスターペア? とか言うやつらがやって来てツープラトン攻撃を仕掛けて来るらしいじゃないですか。全く物騒な世の中だ。暴力に暴力で対抗しようなどと言う野蛮で浅はかな思考が理解できませんよ、全く。

 しかし、時代が時代で実際に世間がそうなのであればそれには抗いようがないのかもしれません。

 だから気を付けてくださいね? 先生がいくら男勝りだと言えど、やはりどうして女性である事には変わりないのですから。流石に二対一では分が悪いでしょうし。

 でもこれは先生の愛の鞭なんだろうなぁ。社会的に非難されることもいとわずに、世間体など物ともせず、俺の為を思って拳を痛めてまで指導してくださる迎井先生はなんと言う聖職者。

 図らずも、聖なる力で浄化されてしまいそうだ、悪魔だけに。笑えないけど。


「な、なんだ葦木。お前ちょっと気持ち悪いぞ……。

 どうして殴られてニヤニヤしてられるんだ」


 迎井教諭は苦々しく口を歪めた。

 どうしてってそりゃ、先生の愛を感じるからですよ。今、俺は愛に包まれています。世界は思いやりで溢れていたんだなぁ。草木が花を咲かせ小鳥達は歌い、虫達も歌っている。

 みんな歌い過ぎ。全てが俺を祝福しているみたいだ。


「先生、世界ってどうしてこんなに輝いているんですか?」


 あれ? どこ行くの先生。そんなに後ずさらなくても良いじゃない。もっと近う寄れ、そして一緒に踊ろう。喜びの舞を踊ろう。


「葦木、まさかとは思うが怪しい薬なんかには手を出してないよな? 若しくは変な物でも食べたか? 悩み事があるなら相談に乗るぞ」


「ハハハ、ご冗談を。何もおかしな事はしていません。今日もいつも通りの平凡で、でも清々しい一日でしたよ。

 いつもと違う事と言えば、そうだな……そうだ、素晴らしい食事をとりました。俺、今日友達と一緒に昼ご飯を食べたんですよ」


 姫琴の笑顔が脳裏に浮かんだ。

 幸福感で脳がとろけそうだ。思わず頬が緩み、この世界から争いや諍いがなくなれば良いのにと本気でそう思う。

 皆が皆、友達を作り一緒に食卓を囲めば良いのに。そうすれば憎しみや悲しみは全て溶けて甘いシロップになるだろう。その蜜をホットケーキにかけて食べるのだ。甘い甘いホットケーキを食べる事が出来るのだ。

 そうだ、明日はデザートも作ってこよう。姫琴の好きな食べ物はなんだろうか? 是非、確かめる必要があるな。


「わかったから説教中はちゃんと先生の話を聞け。

 上の空だった様だからもう一度言うぞ」


「あぁ、ありがたき幸せ……」


 深々と頭を下げる。


「……調子が狂うな。

 えー、君が刃物を持っているとの情報があった。もしそれが本当なら由々しき事態だ。

 胸の内を晒せば、私はそんなこと信じたくない。君は変わり者ではあるが、決して悪いやつではないと思っている。これまで人に迷惑をかける事はあっても、悪意を感じた事はないし、君は本当に純粋で良いやつだと思う。

 だから確認させてほしいんだ。悪いがカバンの中身を見させてもらう。良いか?」


「どぞどぞ」


 鞄を差し出す。それを慎重に受け取ると、迎井先生は中を覗き込んだ。


「……これはなんだ」


「ピーラーです」


「……そうだな」


 頭を抱える迎井教諭。


「確かに刃物と言えば刃物だし、目撃情報も嘘とは言えないが……ピーラーか……。

 なぜこんな物を持ち歩いているんだ」


「明日も友達と昼ご飯を一緒に食べるんで、弁当作るの待ちきれなくって」


 まじまじと見つめていたプラスチック製の調理器具を俺の鼻先に向け、彼女は更に問う。


「これで人を傷付けるつもりがあるか?」


「芋を剥くつもりです」


「……そうだろうな」


 先生の手からピーラーを受け取りケースに戻した。

 何故だか先生はぐったりとしている。いつもの覇気がない。体調が悪いのだろうか。

 毎日、お仕事ご苦労様です。


「紛らわしい事をするな、葦木。疑わしきが罰せられる事もあるんだ。たとえ君に、欠片ほども悪意が無かったとしてもな。

 それにしてもだ、正直ホッとしているよ。私に言わせれば密告者も密告者だな。まるで君が悪者の様な話だったが、蓋を開ければこれだ」


 溜息を漏らしながら迎井女史は続ける。


「疑って本当に悪かった。どうか許してほしい。

 気分が良いものでは無かっただろうが、万が一の事もあった。君のことだからな」


「先生が良い先生だって事は、いつも怒られてる俺にはわかってますよ」


 ありがとう、と迎井先生は笑顔を滲ませながら俺の頭をポンポン叩き、最後にこう付け加えた。


「それと、友達ができたんだな。おめでとう、大事にしろよ。それは君にとって何にも代え難い宝だ。

 ……ところで、何故鞄にピーラーしか入ってないんだ? 勉強道具はどうした」


 その時にはもう目が笑っていなかった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 追加で小一時間ほど『学生の本分とは何か』の題目でご講演いただいた後、俺は帰路に着くことができた。

 こってり絞られた後だと言うのに足取りは軽やかだ。なんならスキップでも踏んじゃうもんね。鼻歌も歌ってやる。野良猫にも挨拶をしよう。捨て犬だって拾って帰ろう。

 ご機嫌な歌を口ずさみながら昇降口に向かう途中、見慣れた後ろ姿に出くわした。


「よう帆篠!またラブレターでも貰ったのか?」


 ただでさえ大きな目は更に丸く見開かれている。長い髪が川のせせらぎの様にさらりと揺れて宙に流線を描いた。

 彼女も今から下校するのだろう。手には薄い鞄を携えている。

 少しバツが悪そうに刹那の間口籠る帆篠。昨日の出来事を気にしているのだろうか。


「今日は違うわ、ただ野暮な用事があっただけ。

 葦木くんは懲りずにお説教?」


 帆篠は髪を整えつつ目を細めて笑みを浮かべ、俺の真似をして小さく右手を上げた。

 俺が毎日の様に職員室に招かれる事がよほど嬉しいのだろう。いつもなら「うるせーバカ!」と刀を返すところだが、今日の俺は違う。

 現に、俺は昨日の帆篠の態度についてももうなんとも思っちゃいない。慈しみを覚えたニュー葦木君はと言うと、俺の不幸(?) で帆篠が笑うのならば道化にでもなってやろうと、少なからずそんな風に思えるのだ。



「まぁ、そんなとこだよ」


「そう、それはお勤め御苦労様です」


 あ、嘘です撤回します。やっぱりこいつの為に割りを食うのは御免被りたい。俺は出所者かっつーの。


「いやぁ、参ったよ。危うく犯罪者にされかけたぜ。晴れて無罪を勝ち取った訳だけど、冤罪ってあるんだな」


 帆篠は更に目を糸の様に細めて笑う。

 その表情は日向で居眠りをする仔猫にそっくりだった。


「なんだかご機嫌ね。今日は廊下でもあまり転んで無いみたいだし、何か良いことでもあったのかしら」


 何故だか帆篠も楽しげだ。こいつも良いことでもあったのだろうか。

 歩幅を合わせて校門へ向かう。

 西日は梅雨の後に訪れる夏の様相をまだ見せて居ない。一足先に衣替えを終わらせた帆篠のまだ汚れのない白いセーラー服は朱に交わって赤く光っていた。

 普段、苦々しく思う帆篠に対してもこれだけ寛容になれるのだから、友達、ひいては姫琴の偉大さがあらためてよくわかる。

 この幸せを皆毎日感じているのだと思うと、余計に胸が高鳴った。そして、そんな幸福を帆篠にも分け与えたくなったのだ。


「実はな、友達ができたんだよ!」


 図らずもにやけてしまう。所謂鼻高々と言うやつだ。友情は何よりも尊い。このひと月悩まされ続けた尻餅問題もあっという間に解決してしまった。

 帆篠、お前も友達を作れば世界が変わるぞ? なんなら教えてやろうか? 友情の育み方ってやつを。


「……友達?」


 表情に陰りが見える。喜びを分け与えるつもりが、それは彼女に届いた頃には鮮度を失ってしまった様だった。

 先を越してしまった事を怒っているのだろうか。

 なにせ帆篠には友達がいない。同じ境遇だった俺が急に日常をエンジョイしているのだから、そりゃ面白くもないだろう。もしかしたら裏切られたなんて思っているのかもしれない。なんつう悲しい仲間意識だ。

 人間というやつは、他者との比較で幸せにも不幸せにもなる。だからこそ醜く、そして愚かなのだ。しかし、それは幸せに対し、あらゆる生物の中で最もストイックになれる理由でもある。

 いくら帆篠が風変わりであると言えど、その例に漏れないのだろう。それはある意味で、少し喜ばしい。

 帆篠、お前もちゃんと人間だったんだな。


「なんだ? 気になるのか?」


「疑っているだけよ。荒唐無稽過ぎて、寧ろ詮索してしまいたくなるわ」


 遠く落陽を指す眼差しが、俺の反応を求めているわけではないと物語っているみたいだった。

 

「あなたと親しくするような、そんなけったいな人が早々いるとは思えないから驚いているだけ」


 いつもいつも、よくもまぁ棘の生えた言葉がスルスルと喉を通るものだ。嘘ついて飲まされた針千本でも吐き出してやがるのか、お前は。

 俺の事はこの際別に何とも思いやしないが、間接的に姫琴を中傷する言葉に内心苛立ちを覚える。


「嘘じゃないさ。転ばなくなったのも友達のアドバイスがあったからだし」


「……と言う事は、あなたの言うその『友達』は少なくともあたしのことではないようね」


「わかりきったことを言うな。自分でも言ってただろ、俺達は『友達以下の存在』だって」


 トレードマークの無表情がその目に宿る。

 そこにいつも教室で見るような冷たさは無い。ただ、一層の青さが際立っている。

 その意味を掴む事はできない。やっぱり帆篠の考えている事はよくわからない。


「……今日、他に変わった事は?」


 いきなり話を変えるなよ。

 唐突な問い掛けに首をひねる。変わった事……数学の江川がくしゃみをした時に唾が飛んで、最前列の席の女子が悲鳴をあげたことに逆ギレしたことぐらいだろうか。


「あたし、今日は保健室で一日自習をしていたのだけれど」


「あぁ……そういやお前、教室に居なかったな」


 確かにそれも変わった事のひとつと言えなくもない。

 まぁ、一日中姫琴との時間を思い返すことに忙しくてそれどころではなかったから、気にも留めてなかったけど。


「……初めてあなたから話しかけてくれたと思ったのに」


 それきり帆篠は一言も口をきかなかった。詰まる所、俺からは声をかけるなと言う事だろう。

 今日と言う一日の最後に、俺は僅かばかり影を落として帰路に着いた。

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