10.閉幕後

 ……とまあ、そんな風に綺麗に締めることができるのなら、田中真由子と白石和葉の邂逅の物語は美しい青春の一幕として永遠にもなるのでしょうけれど、あいにくやっぱり俺たちはどこか決定的に締まらないらしい。


 放課後。担任教師が放課を告げて、教室内はにわかに騒がしくなる、そんな中。

「ナオ!」

「応!」

 右隣からの声に返事をし、真後ろの席の女子生徒へ振り向いて、手を合わせる。

「一生のお願い! 俺の机と椅子一緒に運んどいて! あと隣のこいつの分も!」

「えっ、あ、いいけど……一生のお願いここで使――」

 言い捨てるように頭を下げ、彼女の返事も聞き終えないままで、真由子と一緒に教室を飛び出す。部室に荷物を一旦置いて、昇降口に駆けていく。

「急いで、急いで!」

 登下校用の靴に履き替え、校舎を飛び出し、昇降口とは反対側に向かう。

「自分のやつは最後まで目で追ってたけど、風で飛んでるかもしんない!」

「そうだな! 無事であるよう祈るしかない!」

 校舎裏手側――つまり教室から見れば窓の外。敷地を取り囲むフェンスと南校舎の間の、木々が植えられている場所。緊急の緊急時にだけ教師たちが車を移動させてくるような、特に名前のない場所。南校舎はもちろん普段生徒たちが過ごす校舎で、一階は一年生の教室が連なっている。時折俺たちの存在に気づいた同級生たちの視線を浴びながら、俺と真由子は大慌てでを探す。


 紙飛行機。


 団長様も頭捻って考えたもので、契約相手の白石に対し、彼女の世界を否定しないまま、彼女のやり方に則って、正しく契約を履行した。純粋に感心した。いや、もはやそれは感動だった。「中二病」を否定するのではなく、強制手術を施し無理矢理完治させるわけでもなく、真由子は〝病みつつ生きる〟方法を選び取った。それはやはり、あいつだからこそ思いついた方法だったのだと思うし、あいつだからこそやり遂げることができたのだと思う。しかも自身の「元患者の声」まで治療にぶち込みやがった。似たような症状を持つ相手にあんなことまでされて、負けましたと言えない方がどうかしているだろう。

 で、まあ、問題というのはつまりその「患者の声」であって、あんな赤裸々丸裸の文章を形式としてとはいえ紙飛行機にして飛ばしてしまうだなんて、冷静になってみれば少しやりすぎなのである。やりすぎなくらいの方が革命っぽいのだけれど、あの美しい一瞬が漫画の最後のひとコマで永遠になるだなんてことは決してなく、俺たちの日常はどこまでも続いていくわけで、後始末はしっかりしておかないと後々に響いてしまう可能性があるわけだ。誰かに見られたらと思うと恥ずかしさで死にたくなっちゃうよ、というわけなのである。ましてやここは高校であり、運が悪ければ同じ学び舎で過ごす誰かにそれを知られてしまうかもしれない。あるいは近隣住民に拾われて、それがちょっと高校生に対して過剰な意識を持っている大人だったりすると職員室に連絡が行って問題になる恐れもある。そんなリスクは早急に潰しておかなければならなかった。そんなことも考慮してかお互い名前は記名しなかったわけだけれど、見る人が見ればこれは誰が書いたのか、なんて簡単に判ってしまうような内容でもある。真由子なんて一応有名人の部類だ(よくない意味で)。


 間抜けなものである。必死になって紙飛行機を探しているだなんて、滑稽にも程がある。

 しかし、まさかこの探索に白石を混ぜるわけにもいかない。彼女は真由子の演出した舞台から、余韻を抱いたまま劇場の外へと、現実へと日常へと向かうのだ。幕が閉じた後の舞台の片付けは俺たちの仕事でしかないのである。4組の辺りで探索を始める前には一度教室の中を覗き込んで、彼女がいるかいないかしっかり確認。部室に向かったのか帰宅したのか、彼女はいなかったので一安心だ。


「あ、あった!」

 真由子が小さく叫び、視線の先を指差した。校舎の足元にある側溝。教室でいうところの6組の辺りだ。しばらく雨もなく乾いたその側溝の中で、「私の仕事は終わりました」と言わんばかりにぽつりと横たえている紙飛行機。真由子がすかさず取り上げて、中を確認する。

「どっちのだ⁉」

 彼女の元へ駆け寄りながら尋ねる。

「……私の」

「そうか……」

 どちらかといえばクライアントのプライバシーこそ第一に守られるべきであり、一枚見つかったはいいけれど安心してもいられない。おそらく校舎の全く反対側にまで飛んでいったなんてことはないだろう。引き続き全力で、念入りに探していく。

「木に刺さってたりするのかなぁ」

 敷地を囲むフェンスに添うように生えた高い木々を見上げる。木の葉が散る季節には少し遠い。木々の天辺はもちろん見えない。

「……かも」

「後で三年生の階から見下ろしてみるか」

「うん」

「運動部が外周走り始める前に、敷地外も探そう」

 俺たちは敷地の南東にある裏門を抜け、学校のすぐ南側にある道へ出る。

「急ご!」

 小走りで、焦りながら目的のものを探す。ない、ない、ない。


「あー、ぞろぞろと下校する生徒たちが!」

 群れをなすようにたくさんの生徒が現れる。行き交う人々に不可解な視線を送られることはそれなりに厳しいものがあるが、しかしより厳しい想いをするかもしれない白石のことを思うと早く見つけ出さなければという使命に燃える。真由子なんて俺以上にその恥ずかしさが理解できるのだろう。あっちこっち忙しなく走り回っている。

 俗に言うところの黒歴史。切実な問題だ。真由子が自分の行動を振り返って黒歴史を黒歴史ときちんと認識し、反省できるようになったらしいのはちゃっかり成長なわけで、加えて今、彼女は誰かの為に全力で行動をしている。それは大変微笑ましく喜ばしく感動すら覚えたりもするわけだけれど、あいにく今はそんな成長を祝っている場合ではない。

「私たちの部活もそろそろ始まっちゃうよ」

「……そうだな」

「……部活終わってからもう一回探そう……」

 少し落ち込んだ様子の真由子。お前は本当によくやったよ。こんなところまで気が回るなんて、入学当初の俺には想像もできなかったよ。

「まあでもさ、もしかしたら合宿場の裏の林とかまで飛んでいった可能性あるし、雨が降ったりすれば鉛筆で書いた文字なんてすぐに薄れるだろうし」

 校舎から、今俺たちが立っている道を挟んで、林の手前に建てられている学校所有の合宿場に視線を送る。言葉通り、運動部などが合宿で使う宿泊施設だ。演劇部も大きな公演の前には必ず一回以上合宿を行うらしい。直近だと文化祭公演の時だけれどその時俺たちは入部していなかったので、初めて足を運ぶことになるのはあと二ヵ月もなくやってくる秋の大会に向けた練習においてだろう。

「うん……」

 紙飛行機の形のままの「空へ還す手紙」一枚だけを手にして、真由子は裏門に向かって歩き出す。小走りで隣に追いついて、一緒に敷地内に戻る。


「……ところでさ」

 彼女の手元にちらりと視線をやる。「ん」と小さく返事する真由子。

「その紙飛行機、俺にくれない?」

「え……なんで」

 低い声と共に顔を上げて、驚いたような不可解なようなしかめ面を見せる。

「お前の素直な心情吐露って、結構レアだなって思ってさ。それに――」

 屋上で、白石に向けて、世界に向けて、切実に紡いだ剥き出しの言葉。

「すげー嬉しかった。ああ、こんな風に思ってくれてるんだ、俺のこと、ってさ」

 その言葉に目を見開いて、分かりやすく顔を赤くする、田中真由子。

「う、ぁ……うっさい、やだ、あげない、絶対あげない。燃やして処分する!」

 照れ隠しに悪態をついて、手元の紙飛行機を解体する。乱暴に八つ折りにして、ブラウスの胸ポケットに突っ込んだ。

「……まあ、いっか」


 本気の言葉の飛行機は、この胸に真っ直ぐ飛んできて、しっかり刺さったままだから。


「……ていうか、思ったんだけど、結局SSS団としては成功なわけ? 今回」

「……」

 真由子は忘れていた大切ことに思い当たったように、硬直する。

「セオリー通りなら、彼女を加入させるなり、本当に乗っ取るなり、あるわけだけど……」

「……忘れてた」


 ……俺たちはやっぱり、どこかが決定的に足りないらしい。


「――まあ、でも」

 そう言って、真由子は再び歩き出す。

「些細なことだよ、そんなこと」

 青い空を見上げて、彼女は満足そうに言った。

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