馬車の中で《2》


「……えー、セイハさん」


「はい、マスター」


 と、ネアリアの方から瞬時にこちらへと身体を向けるセイハ。


 その彼女の方へと俺は、徐に腕を伸ばすと――彼女が被っている仮面を、手に取って外す。


 途端に現れる、少女の美しい素顔。


「あっ……あの……ま、ますたー……な、なにを……」


 するとセイハは、即座にかぁっと頬を染め、慌てて持っていたお盆で顔を隠してしまった。


「あ、おい、隠すなよ。お前の顔が見たい」


「……わ、わかり、ました……」


 ぎこちないながらも頷いた少女は、完全に顔を見せようとはしないものの、お盆を少しだけずらし、目から上だけを覗かせ、チラチラと上目遣い気味にこちらを見る。


 その動きが小動物染みていて、非常に愛らしい。


「ほら、セイハもこっち座れよ」


「……で、は……失礼、します……」


 その状態のまま、おずおずと俺の隣までやって来ると、ソファにゆっくりと腰を下ろす。


 彼女は素顔を見られるのが恥ずかしいらしく、未だお盆で顔の下半分を隠したままなかなか目を合わせてくれないが、こちらのことは意識してくれているらしいので、俺はテーブルにことんと仮面を置いてから、口を開いた。


「――さて、セイハさんや」


「は、はい……」


「お前が俺に懐いてくれているらしいのはよくわかるし、メイドとして世話をしようとしてくれることに、正直悪い気は全くしない。けどな、あんまり固くならなくていいんだぞ」


 この少女は少し、真面目に過ぎるように感じる。

 

 まだ人格を獲得して言葉を話すようになってから一日と経っていないので、断言は出来ないのだが……しかしそれでも、俺の配下の、この少女以外の面々は、各々自由に生きているように思う。


 そう、自由なのだ。


 特にこの、俺達の前に座り、俺が何を話すつもりなのか面白そうに眺めている女盗賊を見ていればよくわかるが、自分の意思に忠実に生きている。


 コイツ程極端でなくとも、割と皆、各々が考え、好きに動いているしな。


 だが……それに比べるとこの少女は、何だかあまり器用に生きることが出来ず、ただ俺に仕えようとすることだけに、一生懸命になっているように見える。

 そんなに感情表現が得意ではないだけなのかもしれないのだが、少し、自分を殺し過ぎているように感じるのだ。


 俺としてはもうちょっと気を抜いて、家事をやっている、ぐらいの気分で楽にいて欲しいと考えているのである。


「お前はメイドかもしれないが、それ以前に俺の仲間だからな。あんまり気張らず、もっと気楽にいてくれればいい」


「……は、い。わかり、ました」


 こくり、と頷いた彼女に、俺はにやりと笑みを浮かべる。


「よし!わかったならいい。それでセイハは、何が一番したいんだ?」


「……ます、たーと。一緒にいて、お世話を、したい、です」


「筋金入りだなお前は」


 もっと他に面白いこともあるだろうに。


 思わず苦笑を浮かべてそう言うと、拒否されたとでも思ったらしく、少しだけ焦った様子でこちらを見上げるセイハ。


「あ、あの……だ、駄目で、しょうか……?」


「いいや、駄目じゃない。けど、あんまり固くなるのはナシな。こっちが対応に困る」


「……ですが、その……私は、あまり、そういうものの是非がわかりませんので……失礼に、ならないかと……」


「真面目だねぇ、セイハは」


 と、横から口を挟むのは、面白そうにこちらを見ていたネアリア。


「そんなもん、何も気にせずテキトーでいいんだ、テキトーで。このウチらのボスが、そんな細かいことをぐちぐち言うタマに見えるか? 血で全身真っ赤に濡れながらも、笑顔で敵をぶっ殺しに行っていたヤツだぞ?」


 ……あー、それはゲームの時の話か。


 その辺り、結構リアルだったからな、あのゲーム。

 普通に血は飛び散るし、部位欠損で腕とかもげるし。


「お前はもうちょっと、気にしてもいいと思うんだが?」


「そりゃ無理な相談だ。アタシは育ちが悪いからな。気遣いなんて高尚なもんは露店でとっくに売っ払っちまった」


 ニヤリと笑みを浮かべて肩を竦めると、ネアリアはくいとワインボトルを呷り、そしてそれを今度はセイハに向かってズイと差し出す。


「ほら。アンタも飲みな。その小さな口も、少しは滑らかに回るようになるだろうさ」


「……いえ、私、お酒は……」


「いいから。一口だけだ」


「…………」


 セイハは少し逡巡してから、顔を隠していたお盆をテーブルに置くと、ネアリアから両手でボトルを受け取る。

 ボトルを傾け、ちびりと中身を口に含み、喉を動かして嚥下えんげする。


 そして、彼女は最後に、プハ、と小さく息を吐き出した。


「……まずい、です」


「アハハ、そうかよ。こんなに美味いのに、それを楽しめねぇとは勿体ねぇなぁ」


 顔を顰めたセイハに、ネアリアは心から楽しそうにカラカラと笑ってそう言った。


 ――やっぱりコイツは、姉御肌なんだな。


 俺は、彼女らの様子に笑みを浮かべてから、ふとネアリアへと言葉を掛ける。


「――あぁ、そうだ、ネアリア。さっきの話。言っておくが俺は、神の使徒なんかじゃないぞ」


「あ? そうなのか?」


「あぁ。少なくとも俺は神なんて存在に出会ったことはないし、信じてもいない」


 いや、もしかしたらいるのかもしれないが、そうだとしても俺達人間には等しく知覚出来ない存在なのだと思っている。


 ……まあ、彼女らにとっては、アルテラの運営会社は、神に等しい存在なのかもしれないがな。


「それと関連して、試す気にもならないから確かなことは言えないが、今の俺は多分、死んだらそれまでだ。天国もしくは地獄行き。だから、お前らも気を付けろよ。蘇生魔法が使えるかどうかもわかんねぇ。蘇生魔法はコスト高いから、試そうにも試せないしな」


 この身体であれば、ゲーム時代と一緒でこの世界でも生き返ることが可能かもしれないが……可能でないかもしれない。


 経験していない以上わからないし、かといって生き返る方に全てをし、一度死んでみるような大博打に、自分の命や配下達の命をベットするつもりは毛頭ないのだ。


「あぁ、そういやそんなことをジジィとトカゲにも言ってたな。りょーかい、気を付けるよ、ボス」


「是非そうしろ。セイハもだぞ。あんまり無茶はしてくれるな」


「了解致しました。――ですが、マスター。私の命は、貴方のもの。全ては、ご命令通りに」


「じゃ、死ぬな。これからも俺の傍にいろ」


「――!」


 と、何気なく放ったつもりの言葉だったのだが、セイハは何故か、その綺麗な瞳を大きく見開かせると、まるで天命を受けたとでも言わんばかりに、重々しく頷く。


「……わかり、ました、マスター。この命、貴方と共に生きるため、捧げます」


「い、いや、そんな大げさなもんじゃなくていいけど。普通に、一緒にいてくれればいいさ。もっと気安くな」


「気安く……了解、です。では、マスター。もう少しだけ、マスターのお傍に寄らせてもらっても、いいでしょうか」


「え、あ、お、おう。いいぞ」


 と、言うが早いが彼女は少しだけこちらに近付き、ピトッと俺に身体を寄り添わせる。


 服越しに伝わる、セイハの体温。

 俺の頬を撫でる、その美しい銀髪。


 彼女の女性らしい香りがフワリと鼻孔をくすぐり、一瞬ドクンと心臓が跳ねる。


「……頭領、口説き文句ってのは、二人だけの時に耳元で囁くもんだぜ」


「……そんなつもりはなかったんだが」


「いえ、いいのです。マスターがどのようなお想いであろうと、我が主のお言葉は、確かにこの胸に刻まれましたので」


「あー……」


 感じ入った様子で言葉を紡ぐ少女に、俺は思わず苦笑を溢す。


 ――まあ、いいか。


 俺も、この少女のことは嫌いじゃないし、むしろ気に入っているからな。


 言わば、自分の娘のような存在だ。


 これだけ慕われて、嫌になる訳がない。


「……そういやセイハ、仮面被ってないけど普通に話せてるじゃねえか。綺麗な顔してんだから、いつもそのままでいればいいのによ」


「……っ!」


 俺の言葉に、ハッと我に返ったような顔をすると、自身が素顔を晒していることを思い出したらしく、再びかぁっと頬を赤らめ、慌てて机に置かれた仮面を取って自身の顔に宛がう。


「……これだけは、無いと駄目です」


 ホッと一安堵した様子で息を吐きながらそう言うセイハに、俺とネアリアは、一緒になって笑った。



   *   *   *



「――月が四つ。私の知っている月とは、一つしか無いもの。……面白いこともあるものですね」


『あぁ。同感、だ』 


 雲一つない、数個の月が輝く夜。


 その月明りに照らされ、大地に転がるは――ボロボロの、むくろ


 臓物をぶちまけ、血を大地に垂れ流し、息絶えていることが一目でわかってしまうような、惨たらしい有り様である。


 そして――凄惨な光景が広がっているそこに、立っている人影が、二つ。


 一つが、血に塗れた執事服に身を包んだ老人。


 もう一つが、至る所に鱗を生やした、蜥蜴顔の男。


 ――ジゲルと、レギオンである。


「しかし、それにしても」


 少し、失望した様子で、小さく息を吐き出しながら老執事は言葉を続ける。


「現れる魔物が、どれもこれも弱いですな。我らが主様は、この世界のことを警戒しておられたようですが……」


『ユウ様は、あの方々の中での、司令塔。最も、思慮深かったお方。恐らくは、何事か警戒すべき、判断材料を有して、いるのだろう』


 彼らは現在、主が乗っている馬車よりかなり先行し、目的地となる人のいるところを探すための、捜索の役目を担っていた。


 最初は、単純に道行く先で遭遇したモンスターや、遭遇する可能性のありそうなモンスターを排除し、道を確保することに従事していた。

 しかし、出現する量も少なく、大した強さも無かったので、モンスターに関しては早々に、彼らの主自身が飼う最上位級モンスター二匹に任せてしまえば問題無さそうだと判断したため、現在はそのような活動へとシフトしていた。


「ふむ……まあ、我らのやることに変わりはありませんからな。主のお言葉に留意し、十分に警戒して――おや」


『どうし、た?』


「あれは……野盗の類ですね」


 ジゲルの視線の先に映ったのは、森に隠れた盆地のようなところにポツンと建っている、あちこちが朽ち、穴が開き、つたや何かの植物に覆われた、ボロボロの砦。


 恐らくは、廃棄されて久しいのだろう。


 その廃砦の内部へと、バラバラの装備をした武装集団が周囲を警戒するようにしながら出入りしており、見張りらしい者が数名、砦の出入り口らしいところを固めている。


 あんな、人気のない場所を拠点とする、装備の画一化が為されていない武装集団など、どう見てもまともな職に就いていない者達であることは明白だろう。


『む……朽ちた砦、までしか、わからん』


「貴殿はあまり、夜は得意では無かったでしょう。これだけは得手不得手の問題です」


 老執事はそう言うものの、実際にはその場から砦までかなり離れているため、常人では砦自体決して視界に捉えることの出来る距離ではないのだが……確かに二人の視界には、砦の様子が映っていた。


「……ということは、人里は近そうですな。野盗とは、盗む者。近くに盗む相手がいなければ、生活もままならないでしょう」


『道理、だな。どうす、る?報告に戻る、か?』


「……いえ。野盗は、宝を溜め込むものです。報告に戻るのは、主への土産物を確保した後でも良いのではありませんかな?」


『ハハハ、確か、に』


 レギオンは獰猛な笑みを浮かべると、カチャリと傍らの武器――大柄な彼の身体を超すサイズの大斧を、まるで枯れ木でも持ち上げるかのような簡単さでヒョイと肩に担ぎ上げる。


「それに、主も仰っていましたが、ここは異郷の地。一名ぐらい生かして連れ帰れば、我らの知らぬ情報を得る手段も確保出来ましょう」


『方針は決まった、な。では、さっそく仕事、に、取り掛かると、しよう――』



 ――そして、次の瞬間にはすでに、その場には誰もいなくなっていた。

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