ご来店をお待ちしております。

糸乃 空

第1話 牛っす。うっしっし(寒)

 腹が減った。

 ついてない、全くもって今日はついてねえよ。

 バイトは首、女には逃げ出され、かかってくる電話は借金の催促ときたもんだ。

 商店街裏通り、飲食店の裏口にあるバケツを蹴飛ばすと、派手な音をたてて転がった。

 何もかも気に入らねえ。


 原立典夫は、ドクロの絵がプリントされたTシャツと、スリムな皮のパンツに包まれた体を揺らしながら歩く。左の耳からぶら下がったナイフ形のピアスが、その度にじゃらりと不機嫌な音をたてた。

 細く整えられた形の良い眉が、ピクリと動く。お洒落な木を組み合わせたドアと、手書きの看板を見付けたのだ。


 ☆鮮度抜群 ご来店をお待ちしております☆


 ぐぅと腹がなり、営業中の文字に背中を押され、吸い込まれるように扉をあける。

 ちっ、誰もいねえじゃねえかよ。ドカッと腰を降ろしたカウンターは、磨き上げられた一枚板でなかなか迫力があった。

 とりあえずと、メニューを開く。


 カタカタカタ。何かがやってきた。

 カウンターの端から駆けてきたのは、見たこともないような地味な色をした鳥だった。よく見ると、首からぶら下がっている名札に下手くそな字で「ヨウムデース、ヨロシクデース」とふざけたことが書いてある。


 そのヨウムとやらがグイっとこちらをのぞき込み、くちばしをカチカチと開いた。

「お客さん、決まったあるね?」

 インコのようなオウムのような、30センチはありそうなデカい鳥は、前足を俺の腕にぐっとのせて選択をせまる。

「生ビールと、牛モモのたたき」


「ビールと牛モモたたきの、おなーりーおなーりー」

 素っ頓狂な声を上げ、カウンターを下がって行く奇妙な鳥に肝をつぶされそうになる。くっそ驚かせやがって、俺を舐めるんじゃねえぞ。カウンターへ底の厚いブーツをどっかり乗せると大声で喚いた。

「おい早くしろ店員よぉ!」


 瞬間、ダーン!と目の前にどでかいピッチャーが降り降ろされ、思わず「ひぃ」とのけぞった。

 「待たせたな兄ちゃん」

 振り返ると、筋肉隆々のヒゲをはやしたオヤジが、にっとこちらを見詰めている。その隣に立っているのは――。


 口の中で何かを反芻する、プラスチックの鼻輪を付けた牛だった。人の好さそうな笑顔でオヤジがまくしたてる。

「おい、このモモを見てくれ、実に立派だろう? 俺が育てたんだ。遠慮なくたたいてみてくれ。大丈夫だ、遠慮はいらん」

「え」


「さあ!」

 その勢いに押されておっかなびっくり、その太モモを叩いてみる。ピチピチと、とてもいい音がした。筋肉も張りもあるいいモモだった。っておい!

 ふざけんなよふざけんなよ、なんの冗談なんだぁ? カウンターにのせたブーツをドンと鳴らして凄みをつける。


「おい! ざけんじゃねーぞこらぁ、店潰すぞおらっ、食える牛持ってこいや」

 親父が負けじとカウンターと拳で叩く。

「お前の目は節穴か? 鮮度抜群の牛モモたたき、看板に偽りなし! 食える食えないはお前の問題だ。それを押し付けるんじゃねえ!」










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