第3話 駒門飛鳥の涙

 東京でのデーモンブリードの活躍により、都内の治安が改善されつつある一方。ヴィランの犯罪が未だに横行している神嶋市では、多くの患者が助けを求めていた。

 これを受け、橋野架は藍若勇介院長の命により、城北大学付属病院から神嶋記念病院へと一時出向。ニュータント犯罪による被害者達の治療に当たっている。


 そんな彼に急患の連絡が入ったのが、約20分前。自宅療養中であるはずだったグラビアアイドルが、貫頭衣の姿で発見された――という、奇妙な内容であった。

 奴隷のような服を着ている上、昏倒するほどに疲弊しているという彼女の状況を聞き付けた架は――ニュータント犯罪の関与を疑っていた。


 ――そして、病院に搬送されて来た彼女と対面した、彼は。


「……通報によれば、全身に切創があったそうですが」

「え、えぇ……そのはずだったのですが……」


 貫頭衣を着ているというだけの、傷ひとつない・・・・・・彼女の姿に、目を細めていた。

 眠っている間に、自然治癒したとでも言うのだろうか。そんなはずはない。人間である限り・・・・・・・、そのような芸当はありえない。


(……勇介先生から、例のワクチンを取り寄せておくか。この子がヴィランになるとは思えないが……)


 彼女の身に起きた現象から、一つの仮説を立てた架は、安らかに眠る駒門飛鳥の貌をじっと見つめる。

 綺麗なようで、どこかやつれたその頬が、ここに辿り着くまでの苦難を物語っているようだった。


 ◇


「……あたし、1週間前から体がおかしくなったの。なんだか、怖いくらい力が湧いてきて、ドアノブを触っただけで捩じ切っちゃったりとか……」


 ――3階の病室のベッドで目が覚めた彼女の前には、1人の若い医師が立っていた。本来なら彼以外にも、大勢の人間が面会を求めて集まっていたのだが……当人の心理的な負担を軽減すべく、当面は面会謝絶という形式を取っている。


 一方、ようやく「逃げ延びる」ことができたのだと安堵した彼女――駒門飛鳥は、自分の目覚めを待っていた橋野架に、いきさつを静かに語っていた。

 身体が「何故か」完全に快復したことで、精神もそれに併せて少しずつ安定して来ているのだ。恐ろしい体験をしたというのに、勇気を振り絞って自分の身に起きた出来事を語る彼女を、架は神妙に見つめている。


(……普通なら、2、3日は口もきけない。すぐに身体が快復しているし、精神もそれに吊られて持ち直している。これも……彼女に発現した力の影響なのか)

「それだけじゃないの。1週間前、仕事に行く途中に、車に轢かれそうになった子供を助けようとして……あたしが撥ねられたんだけど。ほんの数秒気を失っただけで、あたしには傷ひとつなかったんだ」

「そうですか……」

「それで怖くなって……具合が悪いって事務所に言って、自宅に帰ったの。……そしたら……」


 そこから言い澱む彼女の肩は、小刻みに震えていた。体が全快し、精神も快復しつつある中でも、拭いきれない恐怖の記憶。

 彼女の様子からその存在を察した架は、冷たい水をコップに注ぎ、彼女の前に差し出した。


「……無理に思い出す必要はありませんよ。ここなら、もう大丈夫ですから。ゆっくり休んで、いつか元気になってくだされば、それでいいんです」

「……」


 彼女を安心させるべく、架はそう言って微笑みかける。だが、飛鳥は苦い表情を浮かべたまま、水を受け取ろうともしない。


「……元気って……身体なら、もう元気よ。でも……もうあたし、どこにも行けない。こんな身体で、どこにも行けるわけないじゃない!」


 やがて、消しきれない不安や恐怖をぶつけるように。彼女はコップを奪い取ると、激昂しながらそれを架に投げつける。咄嗟にそれを受け止めた彼の顔に、冷や水が浴びせられた。


「こんな化け物の身体でっ……どうやって、事務所のみんなとやって行けるの。どうやって、生きて行けってのよ!」

「……」

「あたしを攫った、あの3人組が言ってた。お前の力があれば、どこででもやっていける。『ニュータントのヴィラン』として、どこまでも成り上がれる……って。あたし、そんなの望んでないのに! そんな力なんか、要らないのにっ!」


 やがて、気丈に押し込めていた全ての不安が決壊し。飛鳥は枕や花瓶などを掴むと、架目掛けてがむしゃらに投げつけ始めた。中学時代は全国大会にも出場した空手部の主将であり、今はニュータントでもある彼女の腕力によって、様々な物が引っ切り無しに吹き飛んでくる。

 架は、敢えてそれら全てを避けることなく受け止めた。何が飛んで来ても、彼の眼は彼女だけを見据えている。


「あたし、まだやりたいこといっぱいある! 事務所のみんなと一緒にいたいし、今の仕事だって楽しいし、いつかは素敵な人にも会いたい! まだ……死にたくない。でも、こんな身体で生きてくのも嫌……! こんなあたしじゃ、誰にも会えないっ!」

「……」

「それはワガママなの!? あたし……やだよ……! 父さんにも母さんにも会えないなんて、やだぁっ……!」


 やがて投げる物も無くなっていき、飛鳥は膝を抱えてベッドの上に蹲ってしまった。そのまま啜り泣く彼女に寄り添うように、架は近くに腰掛ける。


「……この花、知ってる? アネモネって言ってさ。『希望』……っていう意味があるんだ」

「え……」


 彼の口調の変化に、飛鳥は思わず顔を上げる。架の目線の先には、花瓶に生けられた白い花々が伺えた。

 その穢れを知らない純白の花びらを、彼女は暫し吸い込まれるように見つめる。荒んだ彼女にとって、その花の白さは眩しさすら感じさせていた。


「この花、綺麗だよね。……でも、この花を違う色に染めても綺麗だと思う?」

「……」

「花も人も、ありのままが一番綺麗だとオレは思う。それでも大切なもののために、自ら違う色に染まることを選んだ花もあるけど……君は、どうしたい?」


 それは、言うなれば最終的な意思確認。ニュートラルの力を得た患者が、その力を良しとするか、拒むか。その二択が、架の判断を分ける。


「あたしは……ヴィランになんてなりたくない。でも……ヒーローになんてなれるほど、強くもないよ」

「そっか」

「あたし……戻りたい……! 人間に、普通の人間に戻りたいよっ……!」

「……」


 そして、患者である飛鳥は――後者を選んだ。架にとっては、それだけが全てであった。


「……わかった。じゃあ、治そうか」

「……え?」


 思いがけない言葉に、飛鳥は眼を腫らしたまま顔を上げる。涙の跡が乾かぬまま、彼女は穏やかに微笑む架を凝視していた。


「オレが元いた病院に、君の病を治せるワクチンがあるんだ。明日にも取り寄せる予定だから、1日安静にしてくれれば、すぐに処置できる」

「ほん、とう……なの……?」

「ああ。……ほら、少し前にニュースになってたろう? ニュータントを人間にしてしまう、謎のヒーロー。今はまだ内緒にして欲しいんだけど、実はその人から作ったワクチンなんだ。だから、実績もちゃんとある」

「……あたし……戻れるの? また、みんなと……一緒に……?」

「もちろん。オレも見たいんだ、雑誌の写真とかじゃなくて……直に見れる、君の笑顔を」


 その言葉を受けて、飛鳥は再び泣き崩れてしまう。だが、その涙の意味は……今までとは、違うものだった。


「失礼します、ヴィラン対策室の方が橋野先生に面会を求めておられますが……」

「……ッ!?」


 すると。病室の扉がノックされ、外にいるナースが架に声を掛けてきた。飛鳥ではなく自分に用がある、という珍しいケースに彼が目を細める一方、「ヴィラン対策室」という名を耳にした飛鳥は、身を震わせていた。


「……せ、先生……」

「大丈夫。君はヴィランなんかじゃない、それはオレもよく分かってる。ちゃんとそれを説明して来るから、少しだけここで待っててくれるか?」

「う、うん……早く、帰ってきてね」


 誰にも打ち明けられない苦悩を抱えている彼女にとって、その全てを知る架は、最後の拠り所だった。白衣の袖を摘む飛鳥の白い手を、架は優しく撫でる。

 そして席を立った彼は、扉を開き廊下に出ると――予想していた人物と対面した。黒スーツに袖を通した黒髪の青年が、真剣な面持ちで彼を出迎える。


「……神威さん」

「橋野先生、お忙しいところ失礼します。……彼女、駒門飛鳥の件で少し、お話が」

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