番外編 仮病の特効薬

 ――マクタコーポレーション。

 ニュータント犯罪に対抗しうるパワードスーツの開発・製造を一手に請け負う大企業であり、警察用だけでなく「キャプテン・コージ」のスーツを手掛けたことでも知られている。


 神嶋市には現在、その一大企業の支社が設けられていた。ニュータント犯罪が特に多いと言われているこの街では警官の負傷率も高く、パワードスーツの改良と大量投入が急務とされているからだ。

 「魔法少女マジカルみーあ」を始めとする著名なヒーローも多数在籍しているとはいえ、街の治安が盤石なものとはいえない以上、国や企業もヒーロー任せにしているわけには行かないのである。


 ――そんなマクタコーポレーション神嶋市支社では、現在。一つの問題が浮上していた。


 同社の存在を疎んだヴィラン組織「吸血夜会」の犯行により、社内の健康管理の役を預かる産業医が負傷する事件が起こったのだ。


 労働安全衛生規則に則り、14日以内に代理の産業医を立てなければならなくなった神嶋市支社は、近辺の病院に事情を報せて協力を仰いだが……荒事には無縁の医師達にとって、ニュータントに襲われる危険性のある「マクタコーポレーションの産業医」など、死地に等しい。

 案の定、市内の協力を得られず規定に抵触する恐れが出てしまった同社は、やむなく市外の病院にも募集を掛けることに決めた。だが、それでも結果は芳しくなく……神嶋市からの事業の撤退も、視野に入れねばならなくなった時。


 ――城北大学付属病院から、ある1人の医師が名乗りを上げたのだった。


 ◇


「お疲れ様です、橋野先生!」


 マクタコーポレーション神嶋市支社のオフィス。透き通るような煌めきを放つ床の上を、幾人もの社員が行き交うこの空間の中で……柔らかな女性の声が響いていた。


 淡い緑色の制服に袖を通した、この支社の受付嬢である彼女は――「営業スマイル」というものには収まらないほどの華やかな笑みを、通りがかった青年に向けている。周りの男性社員達は、他の女性社員の蔑視にも気付かぬまま、彼女の美貌に見惚れていた。

 鳶色の瞳と茶髪の三つ編み、そして制服を押し上げるEカップの胸。入社2年目にして、すでに社内のアイドル的存在としてその地位を確立している彼女は、目の前を通りがかった白衣の青年1人に、熱い視線を注いでいた。

 声を掛けられた白衣の青年も、受付嬢の笑顔を前に穏やかな笑みを浮かべる。


彩瀬あやせさんも、お疲れ様です。やっと昼ですね」

「はいっ、もう私お腹ぺこぺこで……。あ、あの、良かったらこの後、食堂ご一緒しません? 最近おすすめのメニューがあるんです!」

「えぇ、ではまた後ほど」


 橋野先生と呼ばれた白衣の青年は、にこやかに対応しつつ足早に立ち去っていく。

 臨時の産業医として、本来の医師が復帰するまでその役割を代行している彼は、まだここに来て日が浅い。慣れないことも多く、忙しいのだろう。


(……いつ見てもやっぱり、素敵。4つも歳下だなんて、信じられないなぁ)


 そんな彼を呼び止めてしまったことに、微かな罪悪感を覚えつつも。恋する乙女は露骨に頬を緩ませて、その背中を見送るのだった。


「全く。そんなにあからさまに他の社員と違う対応してると、周りの男どもが殺気立つよ? ただでさえあんた、阿形あがたの奴から狙われてんだし」

「大丈夫ですよ先輩。橋野先生はウチの会社にとっては今一番大事な人なんですから。それに私、阿形先輩みたいな軽い人ってタイプじゃないんです」


 隣で受付を担当している先輩女性社員に対し、この支社のアイドル――彩瀬叶恵あやせかなえは、キッパリと言い放つ。


 ――城北大学付属病院の勤務医・橋野架がマクタコーポレーション神嶋市支社の募集に応じて、同社における臨時の産業医として参加したのが2週間前。

 かつてはTVやニュースで取り上げられたこともある「天才医師」が来たということもあり、ニュータント犯罪に怯え体調を崩していた社員達も、徐々に活気を取り戻しつつあった。


 そんな社内の患者達とひたむきに向き合い、対ニュータント犯罪の鍵を握るこの会社のために奔走する彼の姿は、叶恵の瞳にしっかりと焼き付けられたのである。市内の病院が軒並み自分達を見放す中、この会社と社員のために、わざわざ東京から出張して来たという点も、彼女の心を惹きつけていた。


 たった1人でここまで駆けつけて来た彼の存在は、すでに彼女の中で大きなものになりつつあったのだ。

 中高生の頃は学園のアイドルと煽てられ、大学ではミスキャンパスとして崇められ、数多くの男性から求愛されて来た彼女だが……これ程までに甘く高鳴る恋を経験したことは、未だかつてなかった。


(これも全部、茉莉奈のおかげよね……。今度会ったら、駅前のチョコパフェ奢ってあげよっと)


 それほどの想いを知るきっかけをくれた親友に、叶恵は胸中で感謝を捧げる。

 中学時代から付き合いのある親友であり、今は警視庁の刑事としてニュータント犯罪と戦っている浅倉茉莉奈へと。


 ――神嶋市支社が、市外に産業医の募集を出してから1週間が過ぎた頃。親友である叶恵の口から同社の窮状を聞き付けた茉莉奈は、知人である架に事情を説明し、協力を頼んでいたのだ。

 すでにその頃には、デーモンブリードの活躍もあり東京近辺の治安が落ち着いていたため、架は一時的な臨時産業医という条件付きで、それを引き受けたのである。

 茉莉奈がパイプとして彼を導いたからこそ、架の出張がスムーズに進み、神嶋市支社は規定に抵触する前に産業医を雇うことに成功したのだ。


(今はまだ、受付嬢と産業医でしかやいけど……勝負はここからよ。そう簡単には、負けないわ)


 ――その過程で、茉莉奈は藍若楓の存在も叶恵に語っていた。常に架のそばに寄り添う、美人ナースの存在を。

 そんなまだ見ぬライバルに対抗心を滾らせつつ、叶恵は見えなくなるまで架の背を視線で追い続けるのだった。


 ◇


「ちっくしょおぉ……なぁにが産業医だよ、なんであんなひ弱そうな奴が……!」

「お、おい阿形やめとけよ。橋野の奴に手なんか出したら、いくらお前でも……」

「わぁってるよんなこたぁ! ……くっそがぁあ、なんで叶恵ちゃんがあんな奴にぃ……」


 ――そんな彼女を、オフィスの影から見つめる者がいた。

 逞しくもしなやかな肉体をビジネススーツで覆い隠した、精悍な顔つきの青年が、嫉妬に塗れた表情で叶恵を見つめている。周りにいる取り巻き達は、そんな彼を心配げに見守っていた。


 青年は、自分が追い求めた「非営利スマイル」が、ぽっと出の代理産業医に取られてしまっている現実を受け止めきれずにいるのだ。


 艶やかな黒髪をツンツンに逆立てた彼の名は、阿形恭弥あがたきょうや。入社3年目にして、ヒーロー用パワードスーツのテスト装着員にも選ばれた経験を持つ、エリート社員である。

 ……が、女性に関してはだらしないことでも知られており、高いキャリアの持ち主でありながらモテない。現在は一つ下の後輩である叶恵に夢中なのだが、彼女からもまるで相手にされていないのだ。


 彼女に言い寄ってフラれた男は社内だけでも大勢いるが、エリートの自分なら、いつかは堕とせるはず。以前まではそう思い、タカをくくっていたのだが……つい最近になって現れた橋野架にあっさりと彼女を掻っ攫われた(?)ことで、彼は今メンタル面で深刻なダメージを受けているのだ。


 その胸の痛み。苦しみ。その全ての責任を、何も知らない架にぶつけるべく、彼は口元を歪に吊り上げる。誰が見ても明らかなほど、「悪いこと」を考えている顔だ。


「よぉし……こうなったら、あいつの評判落としてこの会社にいられなくしてやらぁ……」

「お、おい何する気だよ阿形……」

「へっへへ……まぁ見てな……」


 ◇


「んぁあ〜! オイオイいてぇんだけど先生! さっさと何とかしてくんないかなぁー!?」

「……おかしいな。もう少し、辛抱してくださいね」

「あーいてぇ! あー死ぬ! 死んだらどうすっかなー、先生のせいだよなぁー!?」


 社内に設けられた診察室に、恭弥のわざとらしい悲鳴が響き渡る。そんな彼に対し、架はあくまで神妙な面持ちで対応していた。


 ――恭弥の企み。それは「仮病で架を振り回し、誤診をさせて評判を落とす」という、子供でもやらないような手口だった。

 このようなことをしたところで、架の評判が落ちる可能性などゼロに等しい。その上、仮病がバレれば自身の名誉が回復不能なダメージを負うことになるのだが……叶恵を取り戻したいという焦りが、そこまで考える余裕すら奪っていたらしい。

 仮にこの作戦が成功したところで、架がいなくなって困るのは神嶋市支社なのだが……恭弥にとっては、架から叶恵を奪うことの方が遥かに重要であるようだ。


 一方、架は良くも悪くも「クソ真面目」な性格が祟って(?)、恭弥の仮病を疑いもせず真剣に診察していた。問診や触診を繰り返しても、自分が知り得る症状に該当せず、彼は真摯な面持ちで眉を潜めている。


(過敏性腸症候群とも、神経性胃炎とも違う。ストレス性の発症ではない? しかし近くのパワードスーツ工場では、有害物質対策は完璧に施行されていたはずだ)


 そう思案する彼をよそに、恭弥はニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべていた。


(へへ、効いてる効いてる。ざまぁ見やがれ。天才医師だかなんだか知らねぇが……いざって時に戦えもしない、女も守れない産業医の分際で、俺の叶恵ちゃんに手ぇ出してんじゃねーよ)


 そして、ここでさらに焦らせて誤診をさせてやろうと――恭弥は胸を押さえて・・・・・・、苦しみ始めた。


「あーだだだ! あーいてぇよ先生、早くなんとかして来んないかなー!」


「……!」


 すると。

 その下手くそな演技……であるはずの痛がりようを目の当たりにして、架は一瞬で目の色を変える。


 彼の眼には、重なって視えたのだ。

 あの夜、藍若勇介が苦しみの果てにアネモネ・ニュータントに覚醒した、あの苦しみ方と。


 ……真相はともかく。


(この苦しみ方……! あの時、ニュータント化した先生の症状と似ている! まさか……!)


 その(ほぼゼロに等しい)可能性に辿り着いた瞬間。架は勢いよく席を立つと、近くの電話に手を伸ばし外部との連絡を取ろうとする。

 ……そんな彼の様子から、恭弥は何かただならぬものを感じていた。


(え……なに? こいつ何しようとしてんの?)


 すでに、遅すぎたのだが。


「勇介先生、オレです。……例のワクチン、まだストックありますか?」

「お、おいあんた何を……」

「……えぇ、はい、そうです。神嶋市支社の社員が、ニュートラルに感染している可能性があります」

「は、はぁあぁあ!?」


 何故そんなことになるのか。架の経験を知らない恭弥は、ちょっとした仮病が途轍もない大事になろうとしている事実にようやく気づき、素っ頓狂な声を上げる。

 だが架は、そんな彼の叫びすら痛みによる悲鳴であると解釈していた。


「……先生の時より、かなり痛みも酷く症状も重い。ここでは有効な処置は出来ないでしょう。それにニュータント化の兆候が下手に周りに知れれば、パニックになりかねませんし……そちらに搬送して緊急手術を行います」

「き、きき、緊急手術ゥ!?」

「えぇ、はい、わかりました。藍若さんと藤野さんにも協力して貰いましょう。では、手術室の用意をお願いします。では」


 そこまで話し終えた架は、受話器を置くと素早く車の鍵を取り出し、出発の準備を始めた。そんな彼の真剣過ぎる貌を目の当たりにして、恭弥の顔から血の気が一気に引いていく。


「お、おいちょっと待てよ。冗談だろ?」

「……落ち着いて聞いてください、阿形さん。今あなたの体内で、ニュートラル・ウイルスが繁殖している可能性があります。今から私と一緒に病院に来てください。大丈夫、適切な処置さえ受ければ、現段階なら完治できます」

「い、いやいやいや! そ、そんっ……そんなアレじゃないから! そんなんじゃないから!」

「あなたの命が懸かってるんです。さぁ、行きましょう。それと、周りにはウイルスのことは言わないように。騒ぎになってしまいますから。……歩けますか?」


 青ざめた表情で必死に手を振り、恭弥はなんとか大事を避けようとする。だが架は真剣な表情のまま、彼に手を差し伸べていた。


「あ、あぁあ! な、なんか痛みが引いて来たわー! たぶんもう大丈夫だから、病院とか行かなくていいな、ウン!」

「急に痛みが引いた……? 妙な症状ですね、なおさら病院で検査しないと」

(コイツ話通じねぇ……!)


 その手を振り払い、恭弥は大事を避けるために治ったことにしようとする。だが、その様子に不審なものを感じた架は、仮病の可能性を全く考えないまま彼の手を引こうとした。


(や、やべぇ……! こいつ、此の期に及んでまだ俺の言葉を信じてやがる! こ、このままじゃあ……!)


 あまりにもクソ真面目なその対応を前に、恭弥は顔面蒼白になっていく。このまま散々引っ掻き回した挙句、仮病だとバレれば……間違いなく自分はおしまい。

 その可能性に今さら辿り着いた彼は、恥も外聞もなく架の手を払い、土下座するのだった。


「――ご、ごめんなさぁあい! う、ウソなんです全部仮病なんですぅぅう! だから大事にしないでぇえ! 手術は、手術は嫌ぁあぁ!」

「阿形さん……」


 そんな彼に架は微笑を浮かべて、ゆっくりと再び手を差し伸べる。その様子から、ようやく分かってくれたのだと思い、恭弥はぱぁっと表情を明るくして――


「……大丈夫です。あなたが感染していたという事実は、企業にも伏せておきますから。きちんと手術を受けて、病気を治して、元気に会社に帰りましょう?」


「う、うわぁあぁあぁあ!」


 ――仮病の告白を「手術を怖がる患者の方便」と取られてしまった結末に、絶望するのだった。


 ◇


 その後、必死の抵抗も虚しく城北大学付属病院へ搬送されてしまった恭弥は、緊急手術を受けることとなり。

 結局、ニュートラル・ウイルスへの感染も認められず、仮病もバレてしまったのだが……一連のストレスから、過敏性腸症候群と神経性胃炎を発症。本当に入院してしまう羽目になるのだった。


 以来、架が臨時産業医の役目を終えて東京に帰る日まで、恭弥が嫌がらせを企むことはなくなったのだという。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る