ジェリコ砦の戦い

 山峡に胸壁をめぐらせて、盤踞するがごとくにあるのが、ナタール郡北の防塁ジェリコ砦であった。人里離れた山岳地帯にあって、山賊どもを取り締まり、クリオ砦と並んで、ナタール郡の治安の一翼を担う存在のはずなのだが・・・

「気に食わないぜ。ジカルの兄貴が片腕取られ、トロールのテグロも殺されて、ここまでコケにされているのに、いつまで手をこまねいているつもりだ」

 がぶがぶ酒を飲み、テーブルを叩いてわめくのは、小柄ながらも頑強そうな体躯の、人型矮小種ヴァルム、ゴブリンであった。

 ここは周囲をぐるりと胸壁で囲んだジェリコ砦の、中央本丸より西に建つ一棟。軍の施設らしく、無味乾燥で広々した間取りの一室だ。れっきとした帝国軍の施設の一画であり、その存在自体がアルスター帝国の法に触れるヴァルムが、我が物顔に振る舞っていい場所ではないはずだ。しかしほかにもゴブリンにリザードマン、ヴァルムだけで五六人、その他十数人の男たちも人相風体うろんげで、ヴァルムとも馴染んでいる様子からするとヴァルカンであろう。そいつらが酒をくらってのさばる様は、帝国軍の砦の中とも思えぬ、兇賊の巣窟のごとき有様であった。

「テグロを殺したのはベイロードだぜ」

 こいつは人間だが、ヴァルカンらしい髭面の男がいった。

「わかっている、戦鬼モードになってトチ狂い、味方を攻撃したためやむを得ずって事だろう。理屈はそうかもしれんが・・・」

 ゴブリンはグラスを傾け、犬歯の並ぶ口に含み笑いを浮かべた。

「いずれあの大将も思い知るときが来るさ。俺たちとつき合うってことが、どういうことかをよ」

「思い知らせるなら、あの、クソいまいましいクリオ砦のジジイだろうが。ひっ捕らえているババアの、首を取ってしまおうぜ」

 別のテーブルで飲んでいたリザードマンが、大声で主張する。

「そうだ、やっちまおうぜ」

「血祭だ、ババアの首をクリオ砦に投げ込んでやれ」

「だけど、勝手に人質を殺したりしたら、後が面倒だぜ」

「知ったことかよ」

 口々にわめき、酒を飲んで気勢を上げる。

「よし、俺がババアを引っ立ててくるぜ」

 髭面のヴァルカンが立ち上がった。

「大年増の肉などよりは、こっちの方がずっと美味いけどよ」

 ゴブリンは大皿に山と積まれた、タレをつけて焼いた、鳥のもも肉を一本取ってかじりつく。

「だけど、どうせ殺すからにゃ、ずんばらりんと切り刻んで、地獄の饗宴のひとつでもやらぬことには、ヴァルムがすたるってもんだぜ」

 リザードマンが剣を抜いて、赤い舌をひゅると出して、舌なめずる。

「へへっ、とにかくババアを引っ立ててくる」

 髭面のヴァルカンは、壁に掛けてあった鍵束を取りドアを開ける。

「待て」

 リザードマンが、部屋を出た髭面を止めた。

「近くに、なにかいないか」

「何かって」

 髭面は怪訝な顔であたりを見回す。

「なにもいないぜ」

「気のせいだったようだ」

「・・・」

 髭面はよ呼び止められたことが気に食わなさそうに、ドアを荒っぽく閉めた。

「どうしたい」

 ゴブリンに問われ、

「なんでもない、チラッとちっこいもんが見えた気がしたが、錯覚だったらしい」

 リザードマンは、決まり悪そうにトカゲ口を歪めた。

「そんなことより、ムラサメから来た野郎を始末にいったドベたちが、まだ戻らない」

 心配そうなヴァルカンに、

「返り討ちに遭ったんじゃないのか」

 リザードマンはあっさりと言う。

「ドベはけっこう使うぜ。簡単にやられる奴じゃない」

「ジカルの兄貴だって片腕取られたんだぜ」

「そこまで使うのが、そうそういるとは思えない」

「だったら、同じやつかも」

 リザードマンは勘のいいことをいってくる。ヴァルムも人間と同じで、サル並の馬鹿から大賢者並の知性の持ち主まで、個体によってその知力も千差万別だ。平均的なところでは、知能レベルは人を若干下回り、レベル下位のゴブリンは、マジでサル並の奴が多い。レベルが上がれば知力も上がる傾向で、つまり、手ごわくなるほどに悪賢くなるというやつで、これはなかなか厄介なのである。もっとも知力大賢者レベルとなると、大魔王か邪神クラスで、滅多にこちら側の世界に現れるものではない。また、種族によっても若干の差があるようで、リザードマンは、おおむねゴブリンより知恵が働く。冷血動物の系統によるものか、個体の多くがあざとく冷淡なのである。

「クリオ砦がムラサメに肩入れしたっていうのか」

「さあな。そんなことは俺たちが考えなくても、ベイロードの奴が知恵を働かせているはずだ。それがアイツの仕事だろ」

 リザードマンは持ち前の冷淡さで言い捨てると、鶏肉を手に取り、がつがつと食べた。

 廊下を、ライゼン夫人を閉じ込めてある牢獄へと歩く髭面のヴァルカンだったが、背後に、トンボのようなキラキラ羽ばたかせ、つけてくる者があることには気づかなかった。

 ジェリコ砦に潜入したフェアリーのウィルは、ライゼン夫人のを引っ立てて来るというような、内容の言葉を漏れ聞いて、廊下で待ち受けていたのだ。髭面のヴァルカンが出て来て後をつけようとしたら、危うくリザードマンに見つかりそうになり、とっさにドアの後ろに身を隠した。ヴァルカンは酒が入っていて、注意力もいささかお粗末となっていて助かった。人目につきにくい小さい身体だが、潜入には細心の注意が必要となる。それにしても、リザードマンの目働きは侮れない。

 廊下を何度か曲り、地下へと下る階段を降りた先に鉄の扉があった。ヴァルカンは鍵束をじゃらじゃらいわせ、中の一本を鍵穴に差し込んだ。扉を蹴り飛ばすように開けて大股に踏み込む。砦のような軍事施設の牢獄はだいたい地下に設けられていて、カンテラ一つ吊り下げただけの薄暗い通路の両側に、鉄格子が連なっていた。

「おう、バアさん、出ろや」

 石壁で仕切り、鉄格子を嵌めた牢屋が通路の左右に十数室、向かい合って並んでいたが、囚われ人はライゼン夫人一人だった。あとは無人の独房のあるばかりで、薄暗がりに人を閉じ込める檻の並んでいる光景は、寒々しくもどこか生臭かった。「一人で寂しかったろう。五六日も前に入っていたらお仲間もいたのによ。もっとも上へしょっ引かれて、血みどろ三昧のなぶり者にされたそいつらの悲鳴、断末魔がここいらにまで届いてくる。そんなの聞いたら、アンタも狂っていたかもな」

 髭面のヴァルカンは、人間性の弛緩した薄笑いを浮かべた。

 ライゼン夫人は背筋を伸ばして端座し、表情は冷静を保って眉一つ乱さぬ。

「ふん、いつまでそうやってお澄まししていられるか、ともかくお前の番だ」

 ヴァルカンは夫人の落ち着きが気に食わなさそうに、ガチャガチャと鍵束を鳴らせて、乱暴に鍵穴に鍵を差し込み、その背後に羽ばたく小さな姿に、夫人は目を瞠った。

「んっ」

 振り返ろうとするヴァルカン、

「邪神に心ゆだねし罪人よ!」

 ライゼン夫人は不意に立ち上がって大声を放ち、ヴァルカンの注意を引き付けた。

「きっとその身に、エウレカの裁きの刃がくだるであろう」

「けっ、ベイロードからの言いつけもあって、扱いに手心加えてやってりゃ、いい気になりやがって」

 ヴァルカンはわめきながら鉄格子の戸を開けて踏み込み、その背後、ウィルが白銀の矢のように、元来た方へ飛び去っていったのを気づきもしない。

「その穢れた手で私に触れること、許しませんよ」

「けっ、ババアよ、ここは地獄の一丁目、てめぇがどんなに粋がったって通りゃしないんだ。二三発殴らなきゃ分からないみたいだな」

 牢の中に入って来るヴァルカンに、ライゼン夫人は後ずさりしながらも、表情はひるまない。ヴァルカンをキッと睨み返して、

「舌を噛むわよ」

「なにっ」

「出来ないと思っているのでしょう。私も武人の妻、結婚した時からそれぐらいの覚悟はしてきました。どうせなぶり殺しにされるのなら、ここで舌を噛み切って死んだ方がマシよ」

 ライゼン夫人の決意の表情に、ヴァルカンは足を止めた。どうせ殺すことになるのだが、ここで舌を噛まれたら、仲間たちから楽しみを台無しにしたと責められることになり、それははなはだ面白くない。特に、あの、リザードマンのクゴの奴は性格が悪い。ヴァルムも十人十色というか、性格はさまざまだ。ジカルは、上位種のザウルスになっただけあって、兄貴肌というか、太っ腹な性格で付き合っても面白いが、クゴの奴はネチネチした性格で、人のしくじりを責めて喜ぶところがある。アイツになんだかんだ言われるのだけはご免だ。

「わかったぜ、おとなしくするのなら、こっちも手出しはしない。さあ、出ろ」

 ヴァルカンにうながされ、夫人は牢を出た。

「歩いて突き当りの階段を上がれ、逃げようとしても無駄だぜ。バアさんの足で逃げ切れるもんじゃない」

「バアさんバアさんて失礼ね、まだそんなふうに呼ばれる年じゃないわよ」

 ライゼン夫人は腹に据えかねて言い返す。

「そうかい、だがアンタがバアさんじゃなかったら、今頃は、随分と悲惨な目に遭っていたはずだぜ」

 髭面のヴァルカンの卑猥なニタニタ笑いに、夫人は汚物でも見たような表情で顔をそむけ、無言のまま歩き、階段を上がった。

「大したもんだぜ」

 牢のある地下から一階に上がり、長い廊下を毅然と歩くライゼン夫人に、髭面のヴァルカンは後ろから声をかけた。

「男でもこんな時には、へなへなになっちまって、まともに歩けないやつもいるというのに、さすが隊長夫人、堂々とした歩きっぷりだ」

 からかうようなヴァルカンを、夫人は見向きもしない。

「まあ、そう深刻になりなさんなって。切り刻む俺たちは愉快だが、切り刻まれるアンタには面白くないことだろうぜ。だがこっちも死んでしまった者には、それ以上の苦痛は与えられない。地獄みたいに永遠に苦しむことはないのさ」

 髭面のヴァルカンはライゼン夫人を怖がらせようと、下卑た笑いを交えながら話しかける。

「女やひ弱な男などには、指を削ぎ落とすぐらいの拷問で、あっけなく死んでしまう奴がいる。こっちはこれから楽しむつもりだったのに、張り合いがないってことこの上ないってもんだ。アンタはしぶとそうだが、なにっ、どれほども持ちはしない、せいぜい半時間の地獄めぐりよ」

 髭面のヴァルカンはげらげら笑う。

「そうやって命をもてあそび、暴力による優越感にひたって何様のつもりになったところで、いずれ自分の番がやってくるのよ」

 ライゼン夫人は振り返り、この人には珍しい、厳しい表情で言い放つ。

「ハア、俺の番だと。あいにくだが俺は運が強いのだ、そんなもん来やしないぜ」

「そうかしら。掛取りは夜討ち朝駆け、思いもかけないときに、とんでもないツケを払わされるものよ」

「うるせぇババア、てめぇ切り刻んでやるから覚悟しや・・・」

 ヴァルカンの視界に、黒い影が飛び込んできた。

「あっ!」

 ヴァルカンは反応しようとしたが全然遅い。剣に手をかける間もなく、グサッと、胸に冷たいものを突き込まれる衝撃で全身が痙攣する。痛みではなく、急速に自分というものの壊れゆくゾッとするような喪失感。全身が棒のように硬直して、暗くなりゆく視界に、黒人女性の顔が死の女神のように微笑む。

「おっ・・・おれの・・いの・・チ・・・」

 血の泡を吐きながら、絶え絶えの言葉を口にする髭面のヴァルカンに、

「終わったわよ」

 サブリナは告死天使のごとく告げて、胸板を貫いていたショートソードを引き抜く。ヴァルカンは倒れ、さっきまで残虐を誇っていた髭面には、ヴァルカンの証である邪紋が、魂の受領印として表れていた。

「なんとか間に合ってよかったよ」

 気がつけば、フェアリーのウィルが羽ばたいていた。

「ありがとう、なます切りにされるところだったわ」

 夫人は律義に頭を下げた。

「感謝するのはまだ早いわ。なにせここは悪党どもうじゃうじゃだからね」

 サブリナはショートソードを一振りして血を払ったが、鞘には戻さず、左手にもう一剣を抜いてツインソードとなる。彼女のショートソードは左右で形が異なる。右手の、さっきヴァルカンを仕留めた剣は、ずんぐりとまでに肉の厚い両刃剣。笹の葉のような形をした、刺突重視の鎧通しと呼ばれるタイプだ。しかもこれはミスリル製精密咒鍛造の業物。使い手のブレイヴに反応して発動する、貫通力を増大させる、突震の咒性能が錬り込まれている。さっきのヴァルカンも鎖かたびらを装備していたが、編みの甘い安物なら紙のように貫く。左手の剣はジャックナイフを大きくしたような片刃験。斬撃重視マグナムソードと呼ばれる大型剣があるが、これはその小型版でショートマグナムと呼ばれる。切り払うのに利のあるタイプだ。左右の剣の形を変えるのは、剣技のバリエーションを増やすたと決め手の確保だ。両手に同じ剣を持つよりも、左右の剣の形を変えた方が、剣術がより多彩となる。そしてショートソードの斬撃は弱く、仕留めるにはどうしても突き技が必要となる。そこで右手の鎧通し、敵を一撃で仕留める攻撃力の確保だ。両手とも鎧通しにすると、乱戦の切り合いに弱くなるので、左手のショートマグナムでこれに応じる。左手のショートマグナムで応戦して、右手の鎧通しで仕留めるというわけだ。

「いざとなったらウィルと逃げて。道案内は彼がしてくれる」

 既にブレイヴ体となっていたサブリナは、エアを履いた駿足だが、夫人の足も考えてそんなには飛ばさないが、十数メートルの距離は取る。動きの遅い者がすぐ後ろにいると、展開の早いブレイヴファイトでは、戦いに巻き込まれてしまいかねない。

 つきあたりを曲がると、早速敵に出くわした。二人のヴァルカンが、サブリナを見つけると斬りかかって来た。サブリナもエアを蹴って飛び出す。ツインソードと二本の剣が火花を散らし、ヴァルカンたちはサブリナの手数に圧倒されて逃げていった。

「こっち」

 ウィルが途中の通路へと導く。

「彼女は」

 敵を蹴散らし、前方で仁王立ちとなるサブリナへと、夫人は視線を向けた。

「私なら心配ないわよ。こんな所で死ぬつもりないから」

 サブリナは背中を向けたまま、ぞんざいに言った。

「サブリナなら、僕たち以上に大丈夫さ」

 ウィルの言葉に、夫人は果敢なる女戦士の後ろ姿に敬意のまなざしを送り、走り出したのであった。

 サブリナは右手の鎧通しを前に出し、左手のショートマグナムを引き気味に構える。廊下は十数メートル先で折れていて、鋭敏な耳には、ひたひたと迫る足音が聞こえる。

 来る!

「脳ミソ食わせろ」

 開いた口から先割れの赤い舌をひらひらさせ、現れたのはリザードマンだった。

 暗灰色の鱗肌をしたトカゲ頭の長身で、人並みの服を着た上に鎖かたびらなど重ねている。ブロードソードを脇構えに、そのまま突進してくるかにみせて、横に跳んで壁を蹴り、横方向から頭上を狙ってくるなど、クセのあるところを見せる。サブリナはすかさず応じて、速い動きの中に双剣とブロードソードが絡み合う。そのまま押せるものなら、押し切って仕留めるつもりのリザードマンだったが、逆に双剣の手数に押され、難敵とみて一旦間合いをとった。だが、にらみ合いも秒余の間、すぐさま激突。リザードマンはトラキア流の跳躍を利かせた小技の連撃から、大上段の打ち込みを放ってきた。

 サブリナは両手の剣を頭上にクロスさせて受ける。リザードマンクラスでも、ヴァルムは人間を凌駕する腕力を備えていて、さすがにその一撃は強烈だ。しかしブレイヴはパワーフィールドとして、機動力ばかりでなく、衝撃に対する抗力も与える。これをサイマッスルと呼ぶ。サブリナが頭上にクロスさせた剣に、リザードマンの打ち込みがガツンとくる。普通体なら屈強の男でも受けきれぬ衝撃だが、陽炎のように沸き立っていたブレイヴの波形が瞬時に締まりサイマッスル化、サブリナの痩身は弾かれることなく、リザードマンのの剣を受け止めた。避けもせず、リザードマンの打ち込みを受けたのは、こちらの間合いに呼び込むため。次の瞬間、素早いステップで、残像もかすむほどの転瞬の動きを見せ、双剣の激しく切りたてる。脇腹への突きと三度の斬撃を浴びせたが、人間ならば戦闘不能の重傷だが、ヴァルムは人間に比べてずっとタフであり、回復力も高い。殊にリザードマンやその上位種のザウルスなどは、腹部への攻撃に強く、戦闘に支障をきたすほどのダメージとまではなっていない。ショートマグナムによる斬撃は鎖かたびらを裂いた程度だ。

リザードマンは大きく剣を振り回しざまに跳んで、一旦離れようとしたが、狙った獲物は逃さぬ獣の執拗さで、サブリナはエアを履いた駿足厳しく、手数激しく切り掛かる。

 剣光をもつれあいさせながら、褐色痩身の女剣士とリザードマンのじゅうおうに駆け回る様は、さながら黒い雌豹と大トカゲの闘い。後から来たヴァルカンたちも、展開の早い戦いに、加勢しようにも迂闊に手を出せずにいた。背後から切り掛かかったヴァルカンが、サブリナのショートマグナムに顔面を割られた。そこへすかさずリザードマンが切り掛かり、更に二人のヴァルカンの剣が迫る。一秒足らずでギュッと締まる死線。卓越した空間認知能力とシノビの体術、サブリナはスキルを駆使して、タイトな死線の間隙に翔ぶ。

「おのれ」

 大振りするリザードマンの剣を、サブリナはコノハの世界事情舞うようにひらりとかわし、目標を捉えそこなったリザードマンの剣は大きく空を切り、これを避けそこなったヴァルカンをザックリ割った。まったく、仲間のことなど考えずに、やたらと剣を振り回すヴァルム野郎の加勢などできたものではない。

 同士打ちで敵がひるんだ隙に、サブリナは更に一人仕留める。そして黒い雌豹は炯々たる眼光をリザードマンへと放ち、より多くの経験値が得られるヴァルムのトカゲ野郎に、次の標的を定めたのである。

「こっちだよ」

 サブリナと別れ、キラキラ羽を羽ばたかせるウィルに先導されて、ライゼン夫人は廊下を走った。一つ曲がってドアを開けると大きな部屋に出た。有事の際に兵員を集合させる武者溜まりのような場所だ。

「あのドアから外へ出られる」

 通用口へと走るが、駆け付けてきた十数人のヴァルカンに行く手を阻まれた。

「どこへも逃げられやしないんだよ」

 慌てて止まる夫人とうに、ヴァルカンは悪どげな笑みを見せる。

「そうだ、どこへも逃げられぬ」

 別の声がして、

「なにっ」」

 身構えるヴァルカンたちの前に疾駆して、夫人とウィルを背後にかばう屈強の壮士、バルドスだった。

「悪党ども、このバルドス様の槍先からは、逃れられぬところと観念致せ」

「てっ、てめえは!」

 ヴァルカンたちは一斉に後退した。トロールを退けた槍の使い手は、グルザム一味に知れ渡っている。

「いつもながら、バルドスの背中は頼もしいぜ」

 ウィルは、山のような偉丈夫の背後に羽ばたく。

「バルドス殿、やっぱり来てくださいましたね」

「このバルドス、約束をたがえたことは一度もないとは言い切れぬが、奥様との約束だけは、身命を賭しても果たすつもりでまいりました。もう、大丈夫です」

「なにが大丈夫なものか。飛んで火にいる夏の虫、ババアともども料理してやるぜ」

 意気込むヴァルカンに、

「そうかい」

 バルドスは愛槍を斜に構え、邪紋を顔に表した面々を見渡した。

「そろいもそろって邪神の下僕か。その顔にスタンプ押して、地獄へ直送してやるぜ」

 ヴァルカンは死ぬと顔に邪紋が残り、エウレカの信徒たちはこれを、魂の受領印と呼ぶ。

「ぬかしやがれ、野良犬の傭兵がちょっと使えるぐらいでいい気になりやがって。仲間の仇、討たせてもらうぜ」

 腕に自身があるのか、それとも血の気が多いだけなのか、二人のヴァルカンが襲い掛かってきたが、バルドスの電光の槍に、機銃掃射を受けたように弾けとんだ。まさに瞬殺だった。

「性根の腐った悪党どもに、このバルドス様の槍先は、しのげるものじゃねぇんだよ」

「くっ・・・」

 ヴァルカンはバルドスの手練の業前に唇を噛んだが、それでも数を頼んで強気に出る。

「多少使えるからといって、一人で乗り込むとは愚か者よ。この砦にはな、ヘタレの兵士どもはともかく、ヴァルムにヴァルカン、グルザム一味の強面どもが、わんさかひしめいているんだぜ」

「ここがてめぇらのアジトだってことは先刻承知よ。そのうじゃうじゃいる悪党どもを、残らず退治しに来たのだ」

「なんだと」

 ヴァルカンはバルドスの不敵な言いざまに目を剝いた。

「大変だ」

 男が駆け込んできたが、バルドスを見て、あっとたじろいだ。

「どうした」

 仲間に質され、男は思い出したように報告した。

「双剣の女が暴れている。こいつが滅法強くて凶暴で、まるで黒い狂犬だぜ。どうにも手に負えない」

「リザードマンのクゴを呼べ」

「やられたぜ」

「ハハハハハッ、あの女はトカゲ野郎の四五匹出て来たところで、抑えられるものではない。どれ、俺も負けてはおれぬな」

 バルドスは大らかに笑い、ゆるりと槍を一振りして、数多のヴァルカンどもを吞んでかかる。

「ジカルを呼べ」

「大変だ」

 また一人駆け込んできた。

「今度はなんだ」

「クリオ砦の連中が攻めてきた」

「なにっ!」

 通用口のドアが破られ、レイウォルたちクリオ砦の将兵が入ってきた。

「奥様」

 レイウォルたちは既にブレイヴ体となっていて、ライゼン夫人のもとに駆けつける。

「おお、レイウォル殿」

「お怪我はありませんか」

「幸いに、さしたる傷の、ひとつとて負っておりませぬ」

「ここは俺が引き受ける。奥方を安全な場所に」

「かたじけない」

 レイウォルたちは、ライゼン夫人を守りながら出口へと向かった。

 バルドスは、眼力で抑えつけるようにヴァルカンどもを睨み据え、すると争乱の物音の微かに聞こえてきた。

「表のほうでもおっ始まったようだな。では俺も、ひと暴れしようかい」

「ぬかしやがれ、切り刻んでくれる」

 数を頼むグルザム一味の者どもが、剣を連ねて取り囲むのを、バルドスは悠揚迫らぬ態度で眺める。あたかも、野犬の群れを歯牙にもかけぬとあくびするヒグマの如きであった。群剣の一斉に斬りかかり、刹那、ヒグマは飛鳥の駿足に跳び、殺到する乱刃に対する烈槍の、火を噴くが如きであった。

 午後四時過ぎに、クリオ砦の軍勢は、ジェリコ砦の正門前に到着した。五十騎の騎馬に、ほろを張った大型の軍用馬車が十台。八頭立てで、物資や兵員の輸送などに使われる。

 ジェリコ砦の二百メートル手前で停止して、騎兵は馬を降り、馬車の荷台からは兵士たちが出てくる。普通体の戦闘では馬の機動力は重要な戦力だが、歩兵でも騎馬に匹敵する機動力を発揮するブレイヴ体の戦闘では、馬上で手綱を取っている状態は、隙も大きく狙われやすいのである。よってブレイヴファイトでは、馬は移動手段としてのみ使い、戦闘に際してはこれを捨てるのである。

「我らライゼン隊長指揮下のクリオ砦の将兵である。重大なる用向きにて参った。ジェリコ砦の方々におかれては、速やかに開門あるべし」

 一人騎乗したままの副官が進み出て、大音声にて告げる。ややあって門が開いた。当然門を閉ざしたままにすることも予想して、攻城用の鉤付きロープなども用意して、あれこれ策も練っていたが、ここはあっさり片が付いた。ただ、こういう出方を予想していなかったわけではない。そして、おとなしく門を開けたからといって、必ずしも恭順の意を示しているわけでもないのだ。だが、開けてくれたからには、とにかく入らないわけにはゆかない。ライゼン隊長とクリオ砦の百数十名の将兵、そしてこの軍勢に加わる傭兵たちは、粛々として正門よりジェリコ砦に入っていった。ぐるりと胸壁を巡らせた内部は、奥に本丸を構え、四方に胸壁に通じる櫓を建て、防塁の建物を要所に配して、僻地の砦にしては大きく、いざとなれば数千の軍勢を抱えての籠城も可能かと思えた。本丸正面にはベイロードが四五十の部下を率いて迎え出ていた。といっても歓迎の意向などさらさらなく、全員が武装を固め、残りの部下も配置について、全砦あげて迎撃の構えだ。

「兵を引き連れて他の砦に押し入るなど正気か、貴様の行為は、反逆罪に問われることになるのだぞ」

 ベイロードの恫喝に、

「我らは貴殿らの救援に参ったのだ」

「なにっ」

「ジェリコ砦が、凶賊グルザム一味に襲撃されているとの報せを受け、救援に駆け付けたという次第だ。共に賊徒を討ち果たすならば良し、そうでないのならば、奮戦するも賊徒の抵抗激しく、ジェリコ砦は隊長殿以下、数多の将兵死傷せり、との報告を州政庁に上げることになるが」

「小賢しい奴。そもさもムラサメと組んで、我らにとって代わろうなど猿知恵もいいところだ」

「ウィランド男爵か」

「アイツは後で始末する。おぬしらの動きなどとうにお見通しなのだ。こっちはおぬしが古女房の目を盗んで、こっそり出入りしている後家さんの家までわかっているのだ」

「・・・・」

 ライゼン隊長は不快気に鼻しわんだ。

「それでも女房が大事らしく、後ろの方でなにやら仕掛けているようだな。そっちもいずれ始末するとして、まずはおぬしらを片付ける」

「そうか」

 ライゼン隊長もやはり武人、腹を据えたその双眸は、剣吞な光を放つ。

「流れ者の傭兵風情を抱き込んで、勝算ありきのようだが、こちらも戦力は増強しているのだ。ヴァルムにヴァルカン、裏のルートを使えば補充は利く。加えてジカルも、切られた腕も元に戻って復讐心に燃えている。こちらから攻め込むつもりだったが、そっちから来てくれて手間が省けた。すんなり中に通したのは、ここで鏖殺する所存よ」

 正門は閉ざされ、ベイロードは袋のネズミにしてやったりと勝ち誇った。

「そんなところだろうと思っていた」

 ライゼン隊長は驚きもしない。

「できることなら帝国軍人同士で戦いたくはなかったが、そちらがそう腹を決めたのなら致し方なし」

 クリオ砦の将兵は、全員がアーマーや服に青いペンキで、目につくような太い線を一刷け二刷け入れている。敵味方を識別して同士討ちを防ぐためだ。最初からそれなりの準備をしてきたということは、同様の装備を身につける帝国軍人同士の戦いも想定済みというわけだ。

「なにが致し方なしだ、貴様らはとうに袋のネズミということが理解できぬか」

「悪党に金で飼われて、帝国軍人の誇りも忘れた腑抜けどもに、十重二十重と囲まれたところで何ほどのこともなし。袋のネズミにしたつもりが、オオカミを家の中に招き入れし子ヤギの愚はそちらよ」

 ライゼン隊長はベイロードの得意面にやり返す。

「ジェリコ砦の諸君にもの申す」

志摩が鋼の響くがごとき声を放つ。

「命が惜しければ我が前に立たれるな。帝国への敬意として、その軍籍にある者は、敵対行動をとらぬ限り斬りはしない。しかし武器を手に立ち向かわれるのであれば、互いに命を賭け合う戦いの場、寸毫の容赦も出来ぬ」

「なにをほざくかと思えば、痩せ犬ごときが大仰な」

 ベイロードが嘲笑で返した。

「ここはうぬが死に場所だ。敵を気遣う暇があったら、天国へ行けるようお祈りでもしていろ。まあ、貴様のような血みどろ犬が、どう祈ったところで行けるものではあるまいが」

「俺もそんなところへ行けるとは思っちゃいないが、ここが誰の死に場所となるかについては、大いに異論のあるところだ」

「どさ回りの三流剣士のぶんざいでふてぶてしい。総員抜剣」

 ベイロードの号令で、ジェリコ砦の将兵が一斉に剣を抜いた。

「是非もない」

 志摩はブレイヴ体となり、瞬時にストリームを噴いて翔ぶ。

「あっ!」

 ジェリコ砦の兵士が反応する間もなく、志摩の抜き打ちの一刀を浴びて鮮血をあげる。号令もなにもない。剣を抜いたからには、いつ斬られても文句を言えぬのが傭兵の流儀だ。志摩の切り込みを合図に、クリオ砦の将兵は一斉に戦闘態勢となる。ブレイヴ体となって装備していた可変シールドを最大限に広げて、胸壁からの弓矢に備えるとともに、切り込み隊が志摩に遅れじと突進する。

 さすがに志摩の斬り込みは凄まじい。瞬く間に三名を斬って一人は即死、二人は重傷だ。相手はアーマー装備だったが、志摩の手練に乗ったミスリル一文字は、蟹の殻を割るみたいにアーマーを割る。この程度の相手なら、ことごとく死を見舞うことも出来るが、この場は戦闘不能の傷を与えればそれでよく、多数の敵には断力よりも手数の多い太刀行きである。ファズ、ダオ、ファルコ、レオンといったチームの面々も、志摩に遅れじと敵中に身を投じてゆく。

 ファズとレオンは片手剣盾装備、シールドソードのスタイルだが、これはオーソドックスな剣士のスタイルで、味方にも敵にもかなりの割合いる。盾による防御は堅いが、その分片手剣による切りつけの威力は、ロングソードのそれと比べれば劣る。しかし盾による防御は、多数を相手にする乱戦の場において、殊にその堅さを発揮する。ファズもレオンも盾の扱いが巧で、受けに回るより、盾の堅さに任せて押し出してゆく戦いぶりだ。

 ファルコはアーマー装備に長剣を使う、ソードアーマーのスタイルだ。志摩ほどのスピードと切れ味はないが、攻撃主体の戦いぶりで、ジェリコ砦の雑兵どもを薙ぎ払う。

 ダオはアックスソルジャー。斧は一撃の威力が大きいぶん、振り切ったあとの隙が大きい。剣や槍との応戦にも技術が必要で、クセの強い、扱いの難しい武器である。しかしダオは、アックス一本で傭兵稼業を渡ってきただけに、ふりきりの後の返しも速く、剣や槍との打ち合いも苦にしない。

 烈風を巻いて叩きつけてくる剣を、ダオはとっさにアックスで受ける。強烈なまでの斬撃はベイロードであった。さすがに他の兵士たちとは剣速に精度、一段上をゆく。ベイロードの剣勢に押されたダオだったが、巧みなアックスさばきと俊敏な動きで、なんとか持ち直した。

「アックスのような不細工な武器で、私の剣防いだ手並みは誉めてやる」

 ひとしきり刃を戦わせた後、互いに隙を窺い合うかのような間合い、ベイロードが口の端を曲げ、冷淡な笑みとともに吐く。

「不細工とはご挨拶だな。女も武器も、クセの強いのが面白いのだ。その不細工なじゃじゃ馬が、大将首を取りに行くぜ」

「この程度で、私と互角に渡り合ったなどと思うなよ」

 ベイロードは、氷のように白銀冷たき長剣を八双に構え、剣気盛んに打ち込みの機を窺う。

 ダオはアックスを下手に構え、わずかに腰を沈める。相手の剣を下からの跳ね上げで払いざま、渾身の一撃を見舞うつもりだったが、飛んできた矢に、とっさに反応してしまった。アックスで払った瞬間、ベイロードが跳んだ。

 しまった!

 十分の一秒余の挙動だったが、エアを蹴って征矢のごとく疾走してくるベイロードに、構えを直すのも難しい。刃の嚙み合う硬い音の響いて、ベイロードの剣を間一髪弾いたのは、志摩のミスリル一文字だった。

「こいつは俺がもらう」

「すまない」

 強敵とは言え、乱戦の最中に一人の相手に注意を向け過ぎた迂闊を、ダオは反省した。しかし戦闘中にあってはそれもつかの間。ベイロードは志摩に任せて、すぐさま他の敵を求めて走る。

「貴様か」

 ベイロードは憎々しげに志摩を見やり、大きく跳び退いた。

 戦いは傭兵たちの活躍もあって、クリオ砦側が優勢で、櫓を登って胸壁に渡った兵士たちが、弓兵たちを切り払い、頭上からの弓矢の脅威を取り除いた。

「貴様の相手はジカルがする」

 言い捨てざまベイロードは素早く反転、自陣へと駆け込んだ。追撃して斬ることも出来たが、志摩は追わなかった。彼を殺せば全て片が付くというものではなく、現職の帝国軍将校であり、下手に殺せば後でライゼン隊長の立場を難しくしかねない。ベイロードには全ての戦いが終わったあとで、詰めの一役を果たしてもらわねばならぬ。

 士気の差が表れたか、ジェリコ側はこちらを殲滅すべく砦の中に招き入れておきながら、劣勢となって退いてゆく。替わって無頼げな連中の出て来た。顔に邪紋のあるヴァルカン、ゴブリンやリザードマンなどのヴァルムの姿もちらほら見える。グルザム一味が押し出してきたのだ。

 クリオ砦の軍勢も改めて陣形を組み直し、志摩をはじめ傭兵チームの面々も前線に揃う。

「外道連のお出ましってわけか」

 ファズが鼻で笑うような表情をつくってみせるが、緊張は隠せない。敵の一番難いところが出て来て、この戦いはこれからが本番である。

「これだけいたら、多少斬り過ぎても、みんなの分は残しておけるな」

 既に少なからず返り血を浴びている志摩だが、まだまだ飽くものではない。

「いやいや、俺が存分に斬りまくったら、志摩さんの分なんて、なんぼも残りませんぜ」

 ダオが気を吐く。

「なにいってやんだい。ここからは、俺が経験値の稼ぎ頭で暴れさせてもらうぜ。みんなは、俺のおこぼれでも拾ってな」

 ファズも負けてはいない。

 猟犬どもが狩りの前にじゃれ合うかのように、戦いの犬どもは敵を面前にして豪胆な言葉を投げ合い、屈託ない笑みの中に獰猛の牙を剥く。


 修道士は、広いケルト神殿の境内の中にある、小さな建物へと案内した。小屋というほど粗末ではないが、簡素な作りの建物で、入ると五六脚の椅子を備えたテーブルがあった。出入りの商人など、身分の低い客人に応接したり、修道士たちの休憩用に使ったりする建物だ。

「かけていたまえ。丁度湯を沸かしたばかりでね、紅茶を出してあげよう。紅茶は、ミルクたっぷりのほがいいかな」

「砂糖も多めにお願いします」

 遠慮のないマユラに、

「私も」

 エレナも続いた。

 修道士は台所へと入ってゆき、琺瑯びきの薬缶から、茶葉を入れたティーポットに湯を入れて、二つのティーカップに紅茶を注ぐ。それにミルクと砂糖を入れて、これでミルクティーは完成のはずなのだが、さらに懐から小さな瓶を出して栓を抜いた。中身の白い粉を紅茶に少量ずつ入れてかき混ぜるとき、実直そうだった修道士の顔に悪意の笑みが表れた。

「さあ、美味しいミルクティーができたよ」

 修道士は、テーブルに着いて待っていた二人の前に紅茶のカップを置いた。

「お菓子でもあれば良かったが、あいにく切らしていてね。そのかわり、砂糖はたっぷり入れておいた」

「いただきます」

 カップに手を伸ばそうとしたマユラだったが、

 ‼

 何に驚いたのか目を大きく見開き、カップを取ろうとしたエレナの手をつかんだ。

「どうしたの」

 わけが分からず、マユラを見るエレナ。

「小僧、誰と話している」

 善良そうだった修道士の顔が、どす黒いまでの悪意に歪んで、エレナは思わず息を吞む。

「本性表しやがったな」

 マユラはエレナの手を引いて立ち上がり、エレナはマユラの背に身を寄せ、その肩越しに恐々修道士を見た。

「本性だと、ならば見せてやろう、愚神の下僕に身をやつした、私の正体をな」

 修道士はブレイヴ体になると、顔に邪紋が表れた。

「ヴァルカンの修道士かよ」

「おとなしく紅茶を飲んでねんねしてりゃ、痛い目にあわずに済んだのによ」

 正体をあらわしたヴァルカンは、悪魔の爪のように曲がったナイフを、ローブの懐から出した。

「ふざけんな!修道士になんか化けやがって、神様に代わって成敗してやるぜ」

「ガキが粋がりやがって、喉を掻き切ってやる」

 とびかかろうとしたヴァルカンを一塊の黒雲が襲った。いや、マユラたちにはなにも見えなかったのだが、ヴァルカンの視界のみが黒い雲で覆われたように暗く翳った。敵の視界を遮るブラインドの術効果である。目には見えないが、宙を伝う術波動のうねりのようなものを、ブレイヴを覚醒しているマユラは感じた。

 暗く翳ったヴァルカンの視界だったが、ブラインドの術効果は二三秒、視界の晴れたヴァルカンの目前に、テーブルを跳び越えたマユラが躍る。ヴァルカンがナイフを握った手を動かす間もなく、マユラは腰に差した大刀を鞘ごと抜きかけ、柄頭で懐を突く。

「うぐっ」

 ヴァルカンは呻いて、その場に崩れた。

「殺したの」

 後ろからエレナが、ひそめた声で問う。

「気を失っているだけさ」

 マユラは腰の刀を直しつつ言った。

「危ないところだったのう」

 声とともに入ってきたのはカムランだった。

「カムランさん」

 マユラは驚き、それから見も知らぬところで親しい人に出会ったときの、ほっとした表情になる。

「どうしてここに」

「食堂で会った時の君の様子が、なんとなく怪しかったからね、君が砦を出た時から、後をつけていたのだよ」

「そうだったんですか、全然気づかなかった」

「私は馬に乗って、距離をあけて尾行していたからね。それにしても驚かされることばかりだ。君たちが人里離れた岩山の洞窟に入っていったので、しばらく様子を見ていたら、突然洞窟の入り口が崩れてしまうじゃないかね。他にも出口があるのか周辺を歩き回り、これはもう、救援を呼びに戻るしかないと思ったら、あたりを揺るがすような轟音がしたので、そちらに回ってみると、キミたちが地上に出てくるところだった。わけがわからぬままここまでついてきたら、今度はヴァルカンの修道士ときた」

「僕も、いきなり頭の中で声がするものだから、びっくりしましたよ。それも、そいつは敵だ、ミルクティーには毒が入っているなんて言われたものだから、すっかり面喰っちゃいました」

「遠話という、直接意識に話しかける魔道だ。窓から覗いていたら、修道士がミルクティーの中になにやら入れたものだから、これはただ事ではないと思い、あまり得意ではないが、試みた次第だ」

「こいつに目くらましを、浴びせたんですか」

「ブラインドだ。とっさの術構築だったがうまくいった。もっとも、とろい奴で助かったという面もある。普通はもう少し時間をかけて、精度と速度をあげるのだ。さっきの術では、もう少し機敏な相手だったら避けられていただろう」

 カムランは、マユラから、人見知りの様子でいる少女へと視線を移した。

「噂通り、キミにはもったいない程の美少女だね」

「初対面だっけ、カムランさん、チームの魔道師だよ」

「エレナです。あの、もしかして、うちの中を覗いていたのはおじいさんですか」

「ちょっと様子を見させてもらったが、人の家を覗き見するなど、行儀のいいじいさんではないな」

「声をかけてくださったら、私たちが食べていたようなものでよろしければ、お出ししましたのに」

「なに、気を使わせては悪いさ。しかしおいしそうな煮豆だったね、匂いが外まで漂ってきたよ。機会があったら、ごちそうしてくだされ」

「是非、召し上がってください」

 エレナの素直で優しい人柄に、カムランも好感をもった。

「それにしても、ヴァルカンの修道士とは、この神殿はとんでもないことになっているようだな」

 カムランはエレナから床にのびている男に視線を落とし、険し気な表情となった。

「グレッグさんが来ているみたいだけど」

「そうじゃの」

「私の家族も、来ているようなのです」

「それは心配じゃのう。グレッグやお嬢さんの家族を捜すにしても、まずはヴァルカンの修道士殿をなんとかせねばな。このままにしておけばいずれ目を覚ますであろうし、縛って猿ぐつわでも噛ませておくしかないが、適当なロープでもないかね」

 言われて室内を見回したマユラは、テーブルの上の、ミルクティーのカップに目を止めた。

「そういえばコレ、眠り薬が入っているようなこといってたな・・!」

 マユラの頭にイタズラ小僧のヒラメキが点った。

「せっかくのミルクティー、捨ててしまうのはもったいないし、ここはひとつ、作った本人に召し上がっていただきましょう。

「適当なロープも見当たらぬようだし、致し方あるまい」

 カムランがのびているヴァルカンを抱え起こし、その口にマユラがカップのミルクティーを流し込むと、気が付きかけていた男は、深い呼吸とともに、再び眠りの淵に沈んでいった。

「おっ、すごい効き目、念のためもう一杯飲ませましょう」

 二杯の睡眠薬入りミルクティーを飲ませて、昏々と眠りこけるヴァルカンを床に寝かせる。

「こいつはこれでよし」

 一仕事片付けて、マユラはエレナとカムランを見る。

「エレナの家族を捜さなきゃ、それとグレッグさんも」

「この神殿は、かなり危険に思える。ここはいったんクリオ砦に戻って、志摩さんたちと共に出直したほうがよかろう」

「その間に、エレナの家族になにかあったら、手遅れになりますよ」

「しかし、我々だけで探索するのは危険すぎる」

「だったら、カムランさんは砦に報せに戻ってください」

「君たちを残して行くことなんてできない。エレナさん、馬には乗れるかね。近くに、私が乗ってきた馬が繋いであるのだが」

「乗馬なんてしたことありません」

「では、クリオ砦まで走りなさい。馬か馬車を持っている知り合いがいたら、その人に頼んででもして、一刻も早く、砦にここのことを知らせるのだ」

「嫌です」

 エレナも首を振った。

「私、家族が心配でなりません。父と母と弟の身に、よくない事が起こりそうな気がしてたまらないのです」

「気持ちはわかるが冷静になってくれたまえ。三人とも捕まったら、我々はもとよりキミの家族も助けられないのだよ」

「カムランさん、悪いけど」

 マユラがカムランの言葉を遮った。

「そんなこと言ってる場合じゃなさそうだぜ」

 マユラが指さす窓を見ると、三人ばかりこちらに歩いてくる。いずれもローブをまとう修道士の格好をしていて、となれば床で眠っている男と同じく、中身はヴァルカンである可能性が高い。

「見つかればまずいぞ」

 ヴァルカンはほとんどがブレイヴ体の能力を備えている。ヴァルムヘルの邪神に帰依する人食いの儀式を受けると、ヴァルカンになるのに付随してブレイヴ体の能力を覚醒させるようなのだ。ブレイヴ体の能力を備えた敵が三人もいると、チームの中ではサポート的な役回りの、魔道師のカムランの手にはどうにも余る。

「やっつけちゃおうか」

 冒険心にはやるマユラを、

「志摩さんにでも、なったつもりかね」

カムランが、冷ややかに咎める。

「キミだけじゃない、私と彼女の命もかかっているのだよ」

 腰に英雄の刀を差して、少し気が大きくなっていたが、確かに今は、自分がへまをすれば二人まで危険にさらすことになる。

「ちょっと浮かれてました」

「勇敢なのはけっこうだが、軽率は命取りだ。我々は既に、のっぴきならない状況にあるようだからね」

「裏口から出ましょう。小さい頃から来ていたから、あたりの様子はだいたい分かっているの」

 エレナに従って裏口へと向かう。

「こっちよ」

 外に出ると、エレナは勝手知ったるものとして案内する。

「なんかここ、空気が重いね」

 マユラは足を止めてあたりを見まわし、閑散としながらもどこかよどんだ空気を、そう表現した。

「空気が饐えているのだ。悪しきものが住み着いておる」

 カムランも忌まわしい気配に眉をひそめる。

「何してるの」

 先を行くエレナはのひそめた声にせかされて、二人はあたふたと足を早めた。


 奇怪な容貌をあらわにした司祭と酒を酌み交わしながら、グレッグの頭は思考を放棄していた。ひさびさタガがはずれたほど飲んでしまって、ここからまた後戻りする気力もない。恐れはあるが、今更あれこれ気をまわしても仕方がない。それに司祭は約束した、再び強くなれると。たとえ人間でなくなろうとも、強くなりさえすればそれでいいのだ。あの、志摩をも圧倒するほどに強くなれたら、あの男を倒せたら・・・

 武人の強さへの渇望は、貧乏人を富を求めるほどであり、このまま、酒で身を持ち崩した無用の剣士として終わるのかと思うとやりきれなかった。その鬱屈から逃れるために酒に向かい、悪循環の日々だった。それが今日、終わるかもしれないのだ。かっての強さを、力を取り戻せるのなら、たとえ魂を売り渡すことになったとしても、今のグレッグには、さしたる事とも思えなかった。

「グレッグ殿」

 司祭の声に、グレッグは我に返った。

「行きましょう、準備が整いました」

 司祭は立ち上がっていて、その横には、いつ来ていたのか修道士の姿もあった。司祭の目くばせで、修道士は一足先に部屋を出ていった。

 グレッグも席を立ったが、司祭に視線をやり悩まし気な顔となった。

「俺もおぬしのように、人ともつかぬ化け物になるのだなぁ」

「ご安心ください、その男前に、鱗の一枚だって生えやしません。そのお姿は頭から足の先までいままで通りで、爪の形一つ変わるものじゃありません」

「しかしおぬしは・・・」

「私は特別なのです。この域に到達出来る者はそうはいません。ましてや、あなたのようなビギナーに、いやいや無理というものです」

 司祭は一人悦に入り、グレッグはわけがわからぬながらも、どうやら化け物にはならずに済みそうだと思い、ほっとした表情だった。

 正殿を出て、人気のない境内を歩く。明るい陽の下では、司祭の顔は善良そうな老人のそれとなり、さっき、暗がりの部屋で見せた奇怪な変化は跡形もなかった。「しかし、エウレカ神に仕える司祭とまでになっていながら、大した宗旨替えだな」

グレッグの言葉に司祭は足を止め、その顔には、察しの悪さをあざ笑うかのような表情があった。

「宗旨を替えたのではありませんよ」

 善良そうな顔に、ヌルリと冷血動物の酷薄な笑みが表れる。

「すり替わったのです」

「すり替わっただと」

「私ぐらいの者になれば、顔かたちを変えて他人になりすますなど造作もないこと」

「では、本物の司祭は」

「あの爺さんなら、ゴミ箱に骨のかけらぐらいは残っているかもしれん」

 くくくくっ、含み笑いしながら言ってのけ、

「ゴミ箱といっても、食い散らかした人体の残飯をぶち込む専用のものでね、たまに覗くと、これがなかなかシュールな見ものなのです。覗いてみるかね」

 グレッグは、ブルルルッとおぞけをふるった。

「おっ、俺も、人の肝など食わねばならぬのか」

「お嫌かね」

 問い返されて、グレッグは青白くなった。いくら覚悟を決めたつもりでも、人の血肉などすんなり食えるものではない。考えただけでも気持ちが悪くなる。

「ハハハハハッ、安心しなされ、人の肉を食らえなどとは言いません」

 司祭に成りすましたるところの化け物は、大らかに笑っていった。

「人の血肉を口にするのは、ヴァルカンの中でも、私どものような通人の嗜むところで、多くのヴァルカンは人の肉を口にすることはありません。儀式も実にスマートなもので、生贄の血の一滴とて口にしません。魂と血肉の混合物と化した生贄の、その存在のエッセンスを、霊的エナジーとして阿頼耶識に注入する。それであなたは生まれ変わる。そう、生まれ変わるという言葉は、この場合、比喩でも大げさでもないのです。単に力を取り戻すだけでなく、細胞レベルで洗浄されて、酒やタバコなどのこれまで取り込んできた嗜好品や薬物によって、体内に蓄積されたダメージまでもが消え、生まれたての赤ん坊のようにみずみずしい存在となるのです」

「まことに、そのようなことが」

「嘘かまことか、すぐにわかります」

 化け物は、ローラン司祭の顔に揺るぎない自信を示す。

 グレッグは半信半疑の面持ちで、

「一つ聞いていいか」

「なんなりと」

「本物のローラン司祭は、既に、その、残飯となり果てているのなら、いま、目の前にローラン司祭として立っているおぬしは、何者なのだ」

「おお、まだ名乗っていませんでしたな、これは失礼しました。私はフェルムト国臣民にてグルザムと申します。あなたとは長いつきあいになると思うが、どうぞ、今後ともよろしく」

「グルザムだと、では、この一帯で凶名をほしいままにしている凶賊団の首領とは、おぬしなのか」

「ハハハッ、そういうことになりますかな」

 グルザムは、どこか誇らしげであった。

「・・・・」

 善良なる司祭に化けながら、毒気したたる本性の、この男の禍々しさは只者ではないと思っていたが、いま正体を聞いて、グレッグは腑に落ちた思いであった。

「さあ、参りましょう」

 グルザムにうながされ、ふたたび歩き出す。明るい陽の下、神の領域であるはずの境内を、グレッグは暗い冥府への道を行くような心持であった。この男の導く先には、どんな修羅悪行の待ち受けていることか。しかしもう行くしかない。正体を明かしたからには、ここで心を翻せば、まず生かしておかぬであろう。もはやこの化け物と、一蓮托生の身の上なのだと覚悟するグレッグだった。

 そこは円形の建物だった。

「神に舞を奉納する舞楽殿なのだそうだが、我らにはおあつらえ向きの物件というやつだ」

 グルザムに案内されて中に入ると、ここも薄暗い。窓は全て厚いカーテンが引かれていて、中央に円形の舞台を設けた空間は、薄めた墨を満たしたかのようだ。どうにかものの形が分かる程度の暗がりに、グルザムが短く呪文を唱えると、円形舞台の床にオレンジ色の光が点った。光は、ぐるりと舞台の形に沿って一周して、大きな円を床に描いた。さらに、円の内側に次々と、様々な記号や図形を描いて行き、やがて暗がりの中に、オレンジ色の燃え立つような大きな魔法陣が完成した。そして、オレンジ色に光る魔法陣の中に人影が浮かぶ。手足を縛られた二人の人間が、背中合わせとなって床に腰をおろしているようだ。

「あれは?」

 グレッグが問うと、

「あなたの生まれ変わりの糧となるもの。生贄ですよ」

 グルザムが答え、グレッグは、自らが飛び込むべき深淵を目の当たりにして、大きく目を瞠るのであった。

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