第7話 赤い悪鬼

躍動する馬の背で、マユラは手綱をとる志摩の背中にしがみついていた。馬に乗せてもらったことなんてそんなになく、以前なら歓喜したものであるが、ストリームという自身の機動力を得た今は、そんなに嬉しくない。それでも軽快に蹄を打って走る馬の背にあって大地をゆくのは、やはり快いものであった。

 エルゼンの町は、砦から十キロほどの距離にあって、平野に拓けた小さな町だった。砦から駆けてきたのは四騎ばかり。町に入って馬を歩かせ、大通りを少し進んだところで、先導してきた砦の副官のレイウォルが馬を降りたので、志摩たちも下馬した。チームのメンバーは志摩とその背中におまけのマユラ。ファズとサブリナと、彼女の肩から羽をキラキラさせて飛び立ったフェアリーのウィルだ。手綱を馬止めの横木に繋いでいると、建物の中から人が出てきた。

「これはレイウォル様、お役目ご苦労でございます」

 男はレイウォルに挨拶した。クリオ砦直轄の番屋で、五六人ほどの男たちが詰めていて、馬の世話をしたり、人探しや調べ物など、手足として働いてくれるのだ。警察もあるが、そちらは行政の組織で、軍に属する砦の者が、あれこれ命令を出す関係にはないのだ。

「こちらの方たちは」

 男は志摩たちに怪訝の目を向けた。

「グルザム一味の討伐に協力してくれることになった傭兵の方々だ。こちらがリーダーの志摩殿だ」

「それじゃあ、あのグロルを退治したというサムライですか。こいつはどうも、なるほど、たしかに強そうだ。この方たちをわざわざお仲間になさったとなると、ライゼン隊長様も、いよいよ、本腰入れて取り掛かられるおつもりですか」

「我らはいつでも本腰いれておる。ただ、志摩殿たちの協力を得たこの機会に、なんとしてもグルザム一味を討ち果たしたいと思っているのだ」

「上首尾を祈っております」

「うむ」

 レイウォルは歩きだし、志摩たちも続いた。

「小さな町ね」

 辺りをみまわしてくさすげなサブリナに、

「だが、活気がある」

 志摩は、人々の声や表情に目を止めていった。

 マユラも、町全体がグルザム一味の脅威におびえて、もっとおどおどした雰囲気かと思っていたら、意外と賑々しいのに驚いたのだ。

「町には警察もあるし、砦の者も駐留しています。いままで町が襲われたことはないので、みんな安心しているのですよ」

 レイウォルの説明に、

「人間は自分が安全なら、周りでどんなひどいことがあろうと、案外平気でいられるものよ」

サブリナは覚めた言葉で応じる。

「なにか飲みませんか」

 グラスとボトルを描いた看板を出している酒場があった。レイウォルに付いて志摩たちも入る。昼間だがにぎやかな声がしていた。

「いらっしゃい」

 カウンターの向こうの店主が挨拶した。

「勤務中だからね、ビールでいい」

「他の方々も」

「それでいい」

 志摩が言って、ファズもサブリナも異論のない顔だった。

「そっちの子供と、おっ、これは珍しい、小さいお客さんだ。そちらにも」

 店主はウィルに気づいて目を丸くした。

「フェアリーはともかく、子供にビールはないだろう」

「それじゃあ、コーラなんてどうだい」

「コーラって、噂にはきいたことあるけど」

 コーラは都会で流行りの飲み物だが、田舎町ではお目にかかれぬ代物だ。

「最近入ってくるようになったんだ」

「じゃあマックは」

「マックはハンバーガー屋の名前で、食べ物じゃないぜ」

 ウィルがマユラの無知を笑った。

「こいつに、人生初のコーラを飲ませてやってくれ」

 志摩が注文してくれた。

 みんなの前には琥珀色の泡立つ液体の入ったジョッキ。そしてマユラの前には、黒い泡立つ液体の注がれたコップが置かれた。ストローが二本刺さっているのはウィルの分か。

「これがコーラなの」

マユラは冷えたコップを両手で持ち、ストローをくわえて飲んだ。一瞬、喉のひりっとするような刺激にむせた。

「なにこれ」

「炭酸だよ」

ウィルもストローを使ってコーラを飲んだ。

「やっぱ、コーラはどこも同じ味だな」

 マユラも今度は慎重にストローで吸う。炭酸の刺激になれると、さわっとした飲み心地だが、どこか薬品ぽくもあった。

「酔わない?」

「酔わないよ」

「なんか酔ったみたいだけど」

「気のせいだって」

 ウィルが面倒くさそうに言った。

店内は六割ほどの入りか、ほとんどの客はくだをまくでもなく、軽くひっかける程度で静かに飲んでいる。にぎやかなのは一つのテーブルで、男が五人ばかり、それぞれに水商売とみえるけばけばしい化粧の女をはべらせて盛大にやっている。テーブルは食い散らかした料理の皿で埋まり、ボトルも何本か転がっている。くだらぬやりとりに大声をだし、そのあと酔いしれた女の耳元になにごとか囁き、キャッキャッと嬌声をあげさせる。

「昼日中から、けっこうな御身分だぜ」

 ファズがそちらを見やって、面白くもない顔でビールを飲む。

「あいつら、ジェリコ砦の者ですよ」

レイウォルがいった。

「ベイロード隊長の配下の者たちです」

「まあ、兵隊も年がら年じゅう肩肘張ってたらストレスがたまるさ。たまには息抜きもしないとな」

「たまなもんですかい」

 店の主人がいった。

「ジェリコ砦の兵隊たちは、非番となると繰り出してきて、けっこう派手に遊んでますぜ」

「そりゃあ大した羽振りじゃないか。兵士なんぞは安月給と思っていたが、おまえさんたち、けっこう高給取りじゃないのか」

ファズが探るようなまなざしで言う。

「高給取りなものですか。私だってそんなに遊べるほどもらっていないのに、一般の兵士たちは推して知るべしです」・

「それじゃあ、あっちだけ多くもらってるのかね」

「兵士の給料は州政府から支給されるもので、砦によって違うことはないはずです。まあ、他人の懐事情を穿鑿するのは好きじゃない。なにか問題があれはベイロード隊長が処理することで、我々が、首をつっこむことではありません」

 レイウォルは好ましいとは思っていないが、無視する構えだった。

 テーブルの;連中が席を立った。女をしなだれかからせながら、一人の男が勘定を済ます。カウンターに金貨が輝いた。店の主人が釣を出そうとするのを、

「取っとけや」

 男は気前よくいった。そしてレイウォルに気づくと、酔いしれた顔に笑みをみせた。

「おや、クリオ砦の副長さんではないですか」

「昼間からご機嫌だな」

「非番ですよ。休みのときにはハメをはずして、任務に戻れば気を引き締める。そういうメリハリがなけりゃ、兵隊稼業なんて身がもちませんよ。なあみんな」

「そういうことで、こうやって英気を養うことで、明日からまた任務にまい進できるってもんです」

 女の肩を抱いた男が、赤ら顔でもっともらしげにいう。

「英気を養うか。ずいぶん金まわりが良さそうだな」

「副業してるんですよ」

「副業だと」

「なにせ山の中の砦ですから、暇なときにはすることもなし、イノシシや鹿を捕まえて、そいつを猟師どもに売っているんです」

 真面目なのか冗談なのか、男は酒気のまわった赤ら顔で平然といってのける。

「それがそんなに金になるのか」

「なりますよ。ただしイノシシなどは、牙をむき出して突進してくるので油断はなりません」

「そうそう、こんなふうにね」

 仲間の男が顔の横にイノシシの牙のつもりで指を立て、かたわらの女の尻に軽くぶつかる。

「イヤ、このスケベ」

 ケバイ化粧の女がはたいて、どっと笑い声があがる。

 レイウォルは連中の酔態に苦い顔をした。

「おっ、よくみり副長さんもキレイどころを連れてるじゃないですか。コレですかい」

 男がサブリナを見て小指を立てる。

「こちらの姉さんはキレイどころなんかじゃないぜ」

 ファズがしゃしゃり出た。

「うっかりちょっかい出そうものなら、口説き落とす前にてめぇの首が掻き落される、しいていえば恐いどころの姉さんよ」

 ファズの軽口を、サブリナはおもしろくもないと聞き流す。

「なんだと」

 男は酔眼を険しくした。

「傭兵だ」

「傭兵?」

 レイウォルの言葉に、男ははたと思い当たった顔となった。

「そういやぁ、旅の傭兵がグロルを斃したって聞いたが、まさかその女が・・・・・・・」

「それは私だ」

 志摩が応えた。

「アンタかよ。俺だったら、のんびりビールなんか飲んでないがね。グロルにはジカルという、何十倍もおっかない赤毛のザウルスの兄貴分がいるんだぜ。そいつが舎弟の仇討に来たら、比喩ではなく、マジ、首根っこ引き抜かれるぜ。命が惜しかったら、さっさとずらかるのが賢明な判断ってやつだぜ」

「俺は、そのジカルってザウルス野郎の首も獲るつもりだ。向うから来るのなら、捜す手間が省けて好都合ってもんだ」

「大した剣豪か、それとも死ぬほどのおっちょこちょいか、いずれわかるってもんだぜ」

 男は意地の悪げな笑みを浮かべ、仲間たちとともに酒場を出て行った。酒臭い男たちと、ケバイ化粧の女たちが出て行って、安物の化粧水の匂いがツンと鼻に残った。

「猟師の真似ごとで、そんなに儲かるとは思えないがな」

疑うような表情のファズに、

「兵士が裏稼業で稼ぐのはよくあることさ」

 胡散臭くは思いながらも、さして穿鑿するつもりもない志摩であった。

「なにか問題が起これば、ベイロード隊長が対処されるはずです」

 レイウォルも、ジェリコ砦の問題なので、深くかかわるつもりはなさそうだ。

「ジカルって奴は、ザウルスなだけにずいぶん恐れられているようだが」

「いずれ当れば、どの程度のものか分かるだろう」

こいつは驚いた」

酒場の店主が目を丸くした。

「あのジカルとやりあおうっていうのに、そうも落ち着いているのはアンタが初めてだ」

「ジカルって奴は、そんなにおっかない化け物なのかよ」

 ファズが聞いた。

「グルザム一味の大看板だからね。一味には四メートルを超えるトロールもいるらしいが、ジカルが格上らしい」

「グルザムとはどんな奴だ」

志摩の問いに店主は首を振った。

「わからないよ。グルザムについちゃ、見た者はいないし、いたとしても生きていないってことかな。とにかくグルザムについちゃ、これっぽっちの噂も聞かないんだ」

「そうか」

 志摩は怪訝の面持ちでビールを飲んだ。

「なあに、どんな奴だろうと、やっつけりゃいいのさ」

 ファズはビールを喰らって気が大きくなったのか、店内にいた客たちに大声でいった。

「おう、みんな、こちらの我らがリーダー志摩ハワードは、先日グロルってトカゲ野郎を斬った大陸屈指の使い手だ。リーダーだけじゃない、うちのチームは全員一騎当千のつわものだ。ジカルだろうがグルザムだろうが、もうそんな化け物どもにおびえなくていいぜ。俺たちが来たからには、いずれまとめて退治てやるぜ」

 店内のざわめきが静まり、白けたような空気が流れた。

「なんだい、疑ってんのかよ。この顔がでまかせ言ってタダ酒せびっているように見えるか。俺たちはやるといったら魔王だってやっちまうぜ。だから、しけた顔で飲んでないで、パッとはじけろや。よっ若いの、陣中祝いだ一杯やっとくれとかさ、そんな声かかんないもんかね」

 ファズが見渡すに、客たちは静まり、苦々しげな空気さえうかがえる。

「ケッ、しみったれたやつらだぜ」

「どこから見てもタダ酒せびるチャラ男でしょ。真に受けろっていうほうが無理よ」

 サブリナは、あきれ顔でくさす。

「てやんでぇ、俺のどこが・・・・・」

「よせ」

 言い合いが始まろうとするのを志摩は止めた・

「出ましょう」

レイウォルが勘定を払って、酒場を出た。

 エルゼンは、ことさら見るべきものもないありふれた田舎町だったが、州政府の出先の役所も置かれ、主要街道にも近く、地域の産物を扱う問屋の倉庫も建ち並び、この一帯にあっては、それなりに要衝といえる町だ。

「どうやらグルザム一味は、思いのほか厄介な相手かもしれぬ」

 酒場を出て、町の大通りを歩きながら、志摩は慎重な口ぶりで言った。

「リーダーらしくない言葉だぜ。まさかジカルってトカゲにびびったわけでもないでしょうに」

「ジカルが出てくれば、ガチと当って斬り合うのは望むところだ」

 志摩はファズの言葉にもののふの気概で応える。

「グルザム一味そのものに、一筋縄でゆかぬものを感じるのだ。この種の手合とは、過去にも何度か戦ったことがある」

「どういう手合なのですか」

 レイウォルが聞いた。

「山賊野盗の類は元来分かりやすいものだ。悪で名をあげた奴が仲間を集めて旗揚げしてアジトを築き、周辺荒らしまわる。勢力を拡大して組織が大きくなっても、首領の素姓はつかみやすいものだ。どんなに強くても、よそからやってきて、いきなり一党を牛耳ることはできない。悪党どもも命が懸かっているから、人柄も知れぬものについてゆけないのだ。しかし、何年か前あたりから、グルザム一味のように、首領の正体も知れず、いつのまにか大きな勢力を形成している、そんな賊もでてきだしている。過去に何度か相手したことがあり、他にもちらほら噂を聞く、新しいタイプの盗賊集団だ。この連中の特徴は、最初から地域の悪党どもを牛耳れるぐらいの力を持ち、仲間内にヴァルムを抱え、その所業は残虐。そして多くの場合ダークネス交易と関わっているので、ダークネスマフィアとも呼ばれる」

「ダークネス交易ですって、国禁ですよ」

 レイウォルは、ついあたりもはばからぬ大声となってしまった。

 帝国と、その同盟圏にある国々の版図の外には、ヴァルカンどもの国が存在する。ヴァルステーツとか、ダークネスランドとか呼ばれていて、ティギルス、ラブティス、ムラサメ、キルクティル、ランゴイの五カ国がある。異界ヴァルムヘルの傘下にあるこれらの国々は、帝国の国是に反する存在であり、表向き、交易や交流は堅く禁じられていた。

「なにを驚いているの、ダークネス交易なんて珍しくないじゃない」

 サブリナが、レイウォルの世間知らずを笑った。

「珍しくないだと、国禁だぞ。犯せば厳しく罰せられる重大な犯罪なのだ」

「国禁が聞いてあきれるわ。帝都の雲上人の中には、ダークネス交易を取り仕切って、数千万もの富を築いた人もいるって、もっぱらの噂よ」

「まさか、そんなことが・・・・・」

レイウォルは生真面目な帝国軍人だが、そうした謹厳実直な武人がおうおうにしてそうであるように、彼もまた世間の事情にはうといところがある。

「あくまで噂だがな」

志摩はいった。

「しかし、ダークネス交易があちこちで行われていることは事実だ」

「ですが、このかいわいでそんな重大な犯罪が行われているとはとうてい思えない。ヴァルカンの国と国境を接しているわけでもないし」

「ヴァルカンの国と国境を接していなくても、ダークネス交易は行える。ヴァルカンどもが帝国の版図に入りこんでいる状況であるし、ウィズメタルを欲しがる都市は大陸各地にあるからな」

「ウィズメタルってなんなの」

 話を聞いていたマユラが、肩に腰かけるフェアリーに聞いた。

「ウィズメタル知らないのかよ。てかっ、おまえまだ、魔道炉のある都市に入ったことないか」

「魔道ロって、聞いたことはあるげど、どんなものかは知らない」

「それじゃあ、ランプやロウソクとは違う、火を使わない灯りって見たことないか」

「なにそれ」

「魔道炉は、光や力を生み出す装置なんだ。アナハイムのような大都市では、夜ともなれば満天の星が地上に降りてきたかの如くさ。まばゆい光が闇を蹴散らして、昼間よりも明るいぐらいだ」

「ランプも使わないのに」

「「そうさ。魔道炉からケーブルを通してエナジーの供給されるルクスボードという照明器具は、ランプの何倍も明るいんだ。それに光だけじゃない。魔道炉から供給されるエナジーは大きな機械をも動かすし、ビルの中なんて冷暖房が効いて、夏は涼しく冬はあったかなんだぜ」

「ふーん」

 マユラは半信半疑の顔で、

「持ってる?」

 ファズに聞いた。

「盛ってねーよ」

ウィルは心外そうにいった。

「アナハイムに着いたら、自分の目で確かめるんだな」

たわいもないことと片付けたファズは訳知り顔で、

「とにかく、都市にとって魔道炉は心臓みたいなもんだ。そして魔道炉の唯一の燃料となるウィズメタルは血液にもたとえられる。ヴァルカンの国から運ばれる品物の八割以上、まあほとんどがウィズメタルってことだ。どういう訳か、ヴァルステーツではウィズメタルが豊富にあるらしい。反対に穀物はあまり取れないみたいだ。一方帝国内では、どこもかしこもウィズメタルの取り合いだ。都市の繁栄には欠かせないものだからな。それで、こちらで余っている穀物やその他の産物と、あちらで余っているウィズメタルを交換するダークネス交易は、すこぶる理にかなったものなのさ。そして確実に金になる。蟻が蜜にたかるように、利のあるところに集まるのが人間だ。国禁だのって脅したところで、ダークネス交易はなくならない」

「本音と建前よ」

おもしろくもなさそうに、サブリナは吐き捨てる。

「表向きは国禁だなどといっておきながら、その実、ヴァルステーツからのウィズメタルが止まれば困るのは帝国。そのいいかげんさにつけこんで、ヴァルカンやヴァルムはいいように暴れている。おかげでウチらの仕事も涸れそうにないけどね」

「今日はあなたたちを、ウィランド男爵にひきあわせようと思っているのですが」

 レイウォルは、いささか複雑な表情だった。

「ウィランド男爵、宴会に来ていた御人か」

 志摩はクリオ砦での宴会で会った、初老の人物を思い出した。上品にスーツを着こなした痩せぎすの人物で、貴族ではあったが武芸の心得もあるように感じた。

「ウィランド男爵は郷士たちの信頼も厚く、地域の事情にも詳しい。グルザム一味について情報をもらいにいくつもりでしたが、もしそのようなことが行われているとしたら、なにかそのへんの事情も、知っておられるかもしれません」

 話しながら町の大通りを歩いていた一行だが、広場の近くにきたところで、志摩が足を止めて仲間たちを制した。ファズとサブリナが素早く周囲に目を走らせる。大通りの先には円形の広場があった。マユラが生まれ育った町にも広場はあったが、町はどこも大概広場を備えている。市場を開いたり、祝祭の日にはカーニバルが催されたりと、町の活動の中心となるような空間なのだ。しかしいま広場に人波は引いて、露店の一つとてなく、ぽっかり空いたその中心にたたずむもののあった。

 フード付きのマントを羽織り、背中をこちらに向けているが、ずいぶんと大きな男だ。すっぽり被ったフードから血のように赤い長髪がはみ出ている。

「ヒーロー様のお通りか」

 こちらに背中を向けたまま、そいつはいった。

「街道筋でザコ退治したぐらいで、豪傑気どりのお道化者が」

 大きな背中が嘲笑まじりの言葉を放つ。町の人々は広場の端まて゜引いて、恐ろしいものを見るような視線をその者に集めている。

「思いのほか早く、出会えたようだ」

 志摩は太い声音を響かせる。

――こいつって――

 マユラはその大きな背中に、ゾクリとするような違和感を覚えた。肩に止まっていたウィルが、雲母のような羽をキラキラさせて舞い上がった。

「思いのほか早くだと。まさか、この首を取るつもりだったとでもいうのか。それは、思い上がりもはなはだしいというものだ」

 大きな背中背中が回り、それはこちらを向いた。

――これがザウルス――

 マユラはその異様の風貌にたじろいだ。ザウルスとはリザードマンがクラスアップした上位種。二足したトカゲそのもののリザードマンと比べると、姿は人間に近く、ウロコはなく、顔の輪郭も人間っぽくなっている。マントの下には人がましくも黒革のブルゾンを羽織り、黒革のパンツの腰に剣帯を巻き、ホルスターに大剣を差している様は人間の武人そのものである。だが、見かけ似ている分、本質的な差異からくる違和感がかえって強烈なのである。蛇の腹を見るような青白くヌメヌメした皮膚。金色に光る目は人間のそれの倍ぐらいの大きさで、口は耳元まで裂けている。そして舌だ。触手のような先割れの舌が女の顔を舐めていた。ジカルは女を捕らえていた。左の腕を女の首にまわし、ぐっと引きつけるようにしている。小柄な女は必死に逃れようとするが、かよわい女がどうあがいたところで、鉄枷に嵌まったに等しく、ジカルの腕はびくともするものではない。

「舎弟の仇を討つ前に、ちょいとスイーツってやつをいただこうと思ってな」

 舌が耳のあたりを這い、女は恐怖に顔をひきつらせた。

「レミちゃん」

「レミー」

女の名を叫ぶのは、濃いめの化粧に派手めのみなりの、いかにも水商売とわかる女たちで、見れば、酒場でシェリコ砦の兵士たちといっしょだった女たちだった。捕らわれているのはあの場にいた女の一人で、名を叫びながら朋輩の身を案じる女たちのそばには、ジェリコ砦の兵士たちも突っ立っていた。

「おまえらの連れだろうが、そんなとこに突っ立ってないで助けてやったらどうだ」

 ファズが怒鳴った。

「馬鹿いえ、あのジカルだぞ。俺たちになにが出来るってんだ」

「そうだ。商売女のために命捨てられるか」

 他人ごとのように返す。

「「てめぇら、それでも武人か」

「だったらおまえがどうにかしてみろ。おまえらにも、なにも出来やしないのさ」

 チッ、舌うちしてファズはジカルに目をやったが、なるほどこれは、迂闊には斬りかかれない化け物だった。

「おのれ、町の中にまで現れて狼藉を働くとは」

 怒りも露わなレイウォルだったが、

「まるで、てめぇらの力でこの町を守ってきたような言い草じゃないか」

 ジカルはあざ笑った。

「なんだと」

「おれたちがこの町を襲わなかったのは、この町がとっくに俺たちの縄張りだからだ。ヤクザもてめぇのシマ内は荒らさない。そういうことだ」

「この町が、おまえたちの縄張りだと」

「でなけりゃ、おまえたちみたいなヘッポコが何十人いたところで蹴散らして、さんざんに荒らしまわっているところだ。これからどこへ行くつもりだ。ひょっとしてウィランドにでも会うつもりだったか。アイツも俺たちの協力者だ。いろいろ教えてくれたかもしれんが、ここで死ぬおまえたちには、もはやどうでもよいことだ」

ここで死ぬのが、おまえらか我らかはともかくとして、おまえも化け物なりに名の知れた武者ならば、かよわい者を手にかけるは恥と思わぬでもあるまい。女を放してやったらどうだ」

 志摩はおだやかな口調で説得した。

「おかしなことを言いやがる。それじゃあてめぇは鶏やウサギを絞めるときに、いちいち名誉だの恥だのと考えるのか。俺たちにとって人間は、ウサギや鶏と同等だぜ」

「そうか」

 志摩は憮然として、刀の柄に手をやった。

「グロル、あいつはまぁ、どうでもいいような奴だったが、一応舎弟分だったからな。仇の一つも取らなきゃ、このジカル様の沽券にかかわるってもんだ」

「来い。ただし我がミスリル一文字の無類の切れ味、骨身に沁みるが」

「うぬのナマクラなどこの身にむざと受けるわけもなかろう。それ、景気づけだ」

 ジカルはいきなり女を突き放した。自由になった女が無我夢中で走りだす、その背後を大剣の一薙ぎして、スパッと断たれた女の首がボールの跳ねるように胴から離れた。頭部を失った首から太い血しぶきのあがって、これにはマユラものけぞった。

「きさま」

 眼光鋭利なる志摩に、ハハッとジカルは笑い返す。

「脳みそを喰らうにしても、こんな化粧臭い女よりも、そっちの黒いののほうが美味そうだ」

 女の首を刎ねたジカルは、貪婪な視線をサブリナに向ける。

「あいにくだけどこのサブリナ様は、トカゲあがりにどうにかなるほどお安くはないのさ」

 そこいらの剣士なら卒倒せんばかりとなるジカルの視線を、サブリナは鼻先で笑った。

「食らう前に、その舌引き抜いてくれる」

 血濡れの大剣ふりかぶり、ジカルが飛び出した。瞬きのうちに数十メートルを走るスピードのヴァルムの巨漢に、風を巻く飛鳥のぶち当たる。即座にブレイヴ体になった志摩は、ストリームを噴かせ、ミスリル一文字の居合一閃、城壁も破りそうなジカルの突進を弾いた。空間そのものを断ち切るような凄まじい抜き打ちの一刀に、ジカルはその巨漢が嘘とおもえるほどの身軽さで横っ跳びに避けた。大きく跳んで構えをとるジカルに、志摩もストリームを凪いで向かい合う。

「ナンバーレスAAは伊達じゃなさそうだな」

 志摩の斬撃を避けきれず、ジカルの脇腹から血が滴っていた。

「なぜ、それを知っている」

「この程度の情報は、居眠りしてても入ってくるのさ」

「そうか。それを知った上で俺に挑むとは、脳みそはトカゲからあまり進化していないようだな」

「ほざけ、俺はAレベルのソードマスターを食らったことがあるのだ。剣士を仕留める術は心得ている」

「・・・・・・・・」

 志摩は相手を透かし見るように目を細めた。人間と同じように剣術を使うが、ヴァルムは人外の化け物、どのような奥の手を秘めているか知れたものではない。ザコのゴブリンあたりならともかく、ベース種からランクアップした上位種となると用心せねばならない。加えて、高くなっている防御力と回復力だ。殊に回復力は、さきほど志摩の与えた一刀はザコなら仕留めている手応えだったが、既にジカルの脇腹の出血は止まっていた。一時間も経てば、傷はきれいに消えてしまうであろう・防御力と回復力の高さを嵩にきて、捨て身でかかってこられると厄介なものとなる。しかし志摩は、このリザードマン上位のヴァルムをも、一刀で真っ二つにする威力が、おのれ太刀には有ると確信していた。

 ジカルと向かい合う志摩。他の仲間たちはというと、こちらもなかなかのっぴきならない状況となっていた。あらかじめ配置してあったのだろう、人群れの中から現れた三十人前後の者たちに囲まれていた。いずれもアーマーに剣や槍、武装整えた無頼げな雰囲気の者たちだった。

「私たちにも見せ場がなけりゃね」

「まあ、そういうことだな」

 ファズはサブリナの強気に付き合いつつも、

「この町には、警察とか駐留の部隊とかいるはずだろ。こんな小さな町で、これだけの騒ぎに気づかないはずもなし、なんで出てこないんだ」

 レイウォルに文句をいった。

「それは・・・」

レイウォルも困惑の顔であった。

「てめぇらが死体になった頃に、やってくる段取りだ」

 取り囲む者どもの中の、顔に傷のある男がせせら笑っていった。

「ジェリコ砦の連中も、いつの間にか消えてやがる。どうやらこの町は、アンタの知らないうちに、敵の陣地となっていたらしいな。、えっ、副官さんよ」

 ファズの言葉に、言い返せぬ面持ちのレイウォルであった。

「死ぬのが嫌なら武器を捨てて降参しろ。助けてもらえる可能性も、高くはないが、なくはないぜ」

「そっちこそ、命が惜しかったら退散しなさいよ。このサブリナさんとやりあうっていうのなら、とてもケガじゃ済まないわよ」

「なめた口、利いていられるのもいまのうちだ。ズタズタに切り裂いたとき、どんな悲鳴が聞けるのか楽しみだぜ」

 取り巻く者どものブレイヴ体となり、顔にタトゥーのごとき紋様が現れる。邪紋。人食いの儀式を経て、ヴァルムヘルの邪神に帰依した者の証。こいつらはヴァルカンだった。

「さて、どういたぶってやるかな」

 ヴァルカンどもは邪紋の浮かぶ顔を、酷薄な笑みに歪ませる。

「いたぶるって、こんな感じ」

 サブリナが跳んだ。瞬時にブレイヴ体になると同時に黒い肢体の風を蹴って霞み、まず一刀、いたぶるうんぬんとほざいていた、顔に傷のあるヴァルカンの喉元を裂く。ぴゅうっと首から血を噴いて倒れる男。しかしヴァルカンどもも場馴れしている。先手を取られたがそれでうろたえることはない。すぐさまサブリナに反撃するとともに、ファズとレイウォルにも襲いかかる。ファズは瞬時に剣を抜きシールドを構える。普段は直径三十センチほどの円盤として肩に掛けている円形シールドが、六七十センチにも径を拡大させる。使い手のブレイヴに反応して形状を変える、ミスリル製精密咒鍛造の可変シールドだ。一秒もたたずして、斬りつけてきた剣がシールドを激しく叩く。しかしファズのジョブであるシールドソードは受けが攻めだ。盾の強い防御で攻めをしのぎ、機をとらえて剣で切る。攻守の素早い切り替えで押してゆくのだ。レイウォルはスタンダードな長剣使い。ブレイヴ体になると同時に細身の長剣を抜き払い、寄せ来る敵と打ち交わす。

 ブレイヴ体での戦闘は展開が速い。マユラはブレイヴ体にもならず、置いてきぼりをくらったようにキョトンとしていた。

「ボケっとしてないで早く逃げろ」

 頭上に飛ぶウィルが怒鳴った。

「オレだって戦いたい。みんなの役にたちたい」

「馬鹿。おまえが敵に捕まって、武器を捨てなければコイツを殺すと迫られても、武器捨てる奴なんて一人もいないぞ。それが傭兵の流儀ってもんだ。戦力になれない奴は逃げるのも戦いだ。死んだら負けなんだ」

 ウィルの言葉に、ここで意地を張っても、チームになんのプラスになれないことをマユラは悟った。

「わかったよ」

ウィルに応えるマユラ。そこにヴァルカンが腕を伸ばして掴みかかる。

ウィルはさっと空高く舞い上がり、マユラはブレイヴ体となるやストリームを噴かせ、間一髪ヴァルカンの手を逃れた。

「そんなのろまに、だれが捕まるかって」

 ほぞを噛むヴァルカンを尻目にストリームを駆る。

サブリナが始めて、志摩も動いた。風に乗った偉丈夫の秋水携えて翔け、ジカルの巨躯が駿馬のスピードで走る。

志摩は真っ直ぐ相手に向かうのではなく、わずかに曲線を描く。アイススケートで滑るように、ストリームを流したまま、進行方向とは違う方向に身体を向けることのできるストリームタイプの特性を活かした、巻き込みと呼ばれる基本戦法だ。真っ直ぐくる相手に対して、膨らんだ曲線を引いて当り、相手の側面より切りつける戦法である。ジカルもそこは心得ている。大きく跳んで巻き込みをはずそうとするが、志摩は蛇の鎌首のごとき深い曲線でジカルの側面に食らいつく。しかしそれも想定済み。ジカルは志摩を引きつけておいて、跳躍するとともに空中で半身をひねりざま、大剣を片手打ちに一薙ぎする。トラキア流撃剣術竜の尾。背後や側面から迫る敵を、振り向きざまに切り倒す技である。だが志摩もそれは読んでいた。構わず迫り、暴風巻いて来る大剣を俊烈なる太刀行きではじく。翔ける燕人と跳ねる魔人の、:幾十合と剣光絡めてぶつかりあい、潮が引くようにまた離れる。

数十メートルの距離を置いて向かい合う両者。ぐふっ、ジカルの口から血がこぼれた。腹部にまた志摩の一刀をもらっていた。ジカルクラスのヴァルムなら、一二度腹を薙がれたぐらいでは死にはせぬ。死にはせぬが痛覚は人並みある。まさに断腸、めまいしそうな痛みであった。

――グロルを片付けるなど、案山子を切るようにたやすかったろうぜ――

 ジカルは宙に凪ぐサムライを見つめる。

 腹の傷は深いが、幸い背骨にまでは達していない。背骨を切られたらヴァルムといえども運動能力は格段に落ち、ジ・エンドだろう。人間なら致命傷だが、これぐらいの傷なら痛みさえ我慢すれば一時間ぐらいはまともに動ける。旺盛な回復力を誇るヴァルムであってもダメージにはペナルティがある。回復に体力を消費して、深い傷を負えばスタミナがもたなくなるのだ。もっとも、勝敗を決するのに一時間もかからないことはジカルも悟っていた。このままの状態では志摩の斬撃を、十分とてもちこたえられるものではない。殺られる前に殺るしかないが・・・・・・・・・

 ジカルを見据える志摩の目は、獲物を狙う猛禽のそれの如く、油断なく、そして容赦のないものであった。ジカルは剣士としての技量はグロルより一段上ぐらいか。だが、腕力と体力と防御力は五割増し以上、さらに反射も早くなっており、手ごわさは格段である。しかし、志摩の技量に及ぶものではない。なにかの奇手のあるようなくちぶりだったが、やらせてみるさと志摩は腹をくくった。向かい合う志摩とジカルをよそに、剣戟の音がかすまびしく、仲間たちとジカルの手下どもが激しい斬り合いを展開していた。

屈強の男が打ちおろす大剣を、サブリナは左右の手のショートソードを頭上で頭上でX字に交差させて受け止める。大剣の圧力に足の止まったサブリナに、すかさず別の敵が斬りかかる。だがサブリナは、軽捷俊敏な体術を身上とするジョブシノビの双剣特級、ツインソードである。止めていた剣をはずし、断頭台の如く落ちてくる大剣の下を瞬時にくぐる。シノビの体術なくしてはかなわぬ電光石火の身のこなし。斬りつけてきた敵の顔面を割り、ビュンと横薙ぎに来る大剣を右手の剣で受けざま、エアを履いた足で跳ぶ。伸びる大剣の先に黒アゲハのように舞い、

「おのれ」

 大剣の使い手がさらに打ちこもうとするのを、それより速く、エアで跳ねてふところに飛び込む。刃渡りが一メートル半に及ぶような大剣は、威力があるが取り回しが遅くなる。ジカルのようなヴァルムならともかく、人間ではよほどの使い手でないかぎり大振りとなって、ふところに飛び込まれる隙が生じる。サブリナは、右手の剣の半ばまで埋まる片手突きをお見舞いして、大剣の使い手を沈めた。すぐさま次の敵が来る。サブリナは複数の剣に間断なく切りたてられながらも、両手の剣とシノビの体術を駆使して剣風の間を泳ぎ、双剣の舞も鮮やかに絶命の剣を振るう。彼女の褐色の肌は返り血にドス黒く濡れ、大きな瞳は喜々とした色さえみせ、厳しくも戯れるものようであった。

 ファズはミスリル製精密咒鍛造の可変シールドを最大にまで拡大させる。こういう、乱戦の場でシールドソードは強味を発揮する。七十センチ近くまで径を拡大した円形シールドを構えると、わずかな手の動きでかなりのアタックエリアをカバーできる。敵も盾に正面から当っても跳ね返されるだけなので、背後や側面などシールドの裏を取りに来る動きに出る。しかしファズも巧みな動きで簡単にシールド裏を取らせず、盾をかわしてくる敵は右手の剣で迎え撃つ。盾と剣が攻守一体の武器と化し、数に勝る敵を撥ねつける。サブリナのように派手で数をこなす戦いぶりではないが、強固にして着実な戦いぶりであり、もし魔道師などの護衛対象がいた場合には、これは頼れる防壁となってくれる。

 レイウォルは中の上といったところか。そんなに強い戦いぶりではないが、基本に忠実な軍隊剣術で、数に勝る敵をよくしのいでいた。

ジカルが動いた。志摩もストリームを流し、強烈な風を巻く大剣と、鮮烈な光を引く太刀の交わり、ズバッ、志摩の太刀がジカルの左腕を肘ょリ断った。噴きだす血が赤い霧のように広がり、すぐさま更に致命の一刀を浴びせるべきところだが、志摩は違和感にストリームを逆噴、全速で退いた。次の瞬間、ジカルの腕から噴きだす血が爆炎と化した。あのまま切り込んでいたら爆炎に巻かれて、ヤケド程度では済まなかっただろう、0,1秒の判断で難を逃れた。

 ジカルの言っていた剣士を仕留める術とはこれか。ジカルの血液に爆薬の性質や可燃性があるのではない。血液や身体の一部を切り放って魔道の触媒と成し、術構築なしに瞬時に爆炎魔道を放ったのである。血漿魔道と呼ばれる技で、すべてのヴァルムか使えるわけではなく、上位種の中に、たまにこのスキルを持つものがいる。志摩も過去に一度、血漿魔道を経験していて、そのときは一太刀浴びせて仕留めたと思った瞬間、ヴァルムの噴血が雷撃の矢と変わり、バリバリと大気を裂く稲妻をかろうじて逃れた。その経験もあって、ジカルが剣士を斃す術を心得ていると思わせぶりなセリフを吐いたとき、血漿魔道のことを脳裏の隅に意識したのだ。

 爆炎が消えたとき、ジカルは町の家並の上に身を躍らせていた。捨て身の攻撃が失敗して、片腕では志摩に勝つ見込みもなく逃走したというよりは、その逃げ足の手際の良さから、どうやら最初から片腕捨てて逃走の手立てとしたようだ。ストリームタイプは、家々の屋根の上を駆け渡るような、不安定な地形を短いジャンプを多用して進む動きは苦手としている。そこはスプリントタイプや、通常走法で超人的な脚力を有するヴァルムたちに利のあるところで、志摩はジカルを追うことはしなかった。しかし、気が付けば切断したジカルの左手もなくなっていて、これには舌打ちした。おそらく手下が持ち去ったのだろう。ヴァルムは手足を切り取られても、接合したり復元したりできる。実は、この世界では人間もこのようなことは可能なのだが、復元よりも、切られた部位を付け合わせる接合のほうが、時間もかからず身体的負担も軽減できるのだ。五日もすればジカルの左腕は元通りになっているだろう。だが、奴の腕の程はわかった、ふたたび現れたらそのときに仕留めればよいと思いなおした。

 ジカルが引いて、手下どもも退散した。いまでも手こずっているのに、さらにジカルを退けた志摩にまで加わられてはたまったものではないからだ。ヴァルカンたちは手負いの者を助けて去り、八つばかりの死体を残した。

「みんな、ケガはないか」

 志摩は刀を鞘に納め、普通体に戻って、仲間たちに声をかけた。

「あんなヘタレども相手に、かすり傷だって負わないわよ」

 サブリナも普通体に戻り双剣を収める。彼女が一番血生臭げな様であった。志摩はジカルと一対一の戦いであったし、ファズも多数を相手によく戦っていたが、シールドソードというその戦闘スタイルから、積極的に打って出る戦い方てはなく、今回は、切っても致命傷を負わせるまでには至っていない。レイウォルも防戦主体の戦いで、転がっている死体のほとんどはサブリナの手にかかった者たちだ。

「右に同じ。この程度でどうこうあるほどヤワじゃないぜ」

 ファズも普通体に戻り、元のスケールとなった盾を肩にかける。

「私も無事です」

 レイウォルはやれやれといった表情であった。

「みんな無事でよかったよ。今回はなんの役にも立てなかったけど」

 空高く昇って難を逃れていたウィルが、舞い降りてきた。

「僕も、逃げるしかできなくて残念だったよ」

 マユラも戻ってきた。

「戦力になれないやつはさっさと避難してくれりゃ、それで十分役に立っているってことだぜ」

 ファズがいった。

「まさか、あのジカルをも退けるとは、想像以上の使い手でしたな」

、見物の中から声をかける者があって、みる初老の人物がこちらに歩いてきた。

「アンタは・・・・」

 見覚えのある顔だった。身なりはシルクのシャツにカシミアのスーツ、腰には金細工を施した華やかな拵えのショートソードを差して、風貌身なり卑しからざるたたずまいである。

「ケネス・ウィランド。クリオ砦の宴の席で合っているがね」

「ジカルがいっていた。アンタも奴らのビジネスに関わっているらしいな」

 志摩の問いに、ウィランドは気まずげに口を閉ざす。

「グルザム一味の討伐に、共に力を尽くしていたはずのあなたが奴らと通じていたなど、私には信じられません。あれはかの魔人が、我らを混乱させるためについた嘘でありましょう」

 顔を紅潮させて問うレイウォルに、ウィランドは困惑の表情で、

「とにかく、こんなところでは込み入った話もできない。我が屋敷に来たまえ。珈琲でも飲みながら話そうではないか」

「・・・・・・・」

「私が信用できないかね」

「いいだろう。信用はしていないが、情報は必要だ」

 志摩はウィランドの招きに応じ、他のメンバーも異存はなかった。

 ウィランド男爵の屋敷はエルゼンの町のはずれにあった。そんなに大きくはないが、貴族の屋敷の体裁は整えていた。

「かけたまえ」

 案内された客間でテーブルについた。明るいアイボリーの部屋は壁に染み一つなく、大きな窓に備えられたカーテンも絹織で、テーブルをはじめとして置かれた家具調度はどれもマホガニーの高級品。マユラなどには、王宮の一室のようにさえ思えた。

 テーブルにつくと珈琲が運ばれてきた。マユラはケーキを期待していたが珈琲だけだった。しかもブラックで、苦さにマユラは口をへの字にした。その肩に腰かけるウィルき、飲ませてくれとはいってこなかった。

「美味い珈琲だ。良い豆を使っている。それにけっこうな住まいだ。最近は貴族にも零落するもののあると聞くが」

 志摩は珈琲を飲み、ウィランドをみやる。

「先代陛下の改革以来、貴族は二つに分かれた。以前にも増して栄華を誇る勝ち組と、見る影もなく落ちぶれていく負け組だ。私とて、このような田舎の小貴族。普通にやっていては、貴族としての体面すらとても保てぬところなのだよ」

「連中のビジネスが、富をもたらしたと」

「それがなければ、代々住んできたこの屋敷も、とうに人手に渡っているさ」

「金のために、連中にこ寝返ったのですか」

 レイウォルが語気強く問いただす。

-「ほかに、なにがあるというのかね」

 開き直ったおったようなウィランド男爵に、

「おのれ」

 レイウォルは腰を浮かせ剣に手をかける。

「落ち着かれよ。話し合いの場で剣にてをやるなど無粋というものだ」

 志摩が厳しく制した。

 座りなおしたレイウォルは腹立ち収まりかねる様子で、

「由緒ある貴族の当主たるものが、たかが金のために、忌まわしきヴァルカンどもに与するなど、恥ずかしくはないのか」

 きつい口調で男爵をなじった。

「たかが金というがね、その金がなければ、わたしも他の落ちぶれた貴族たち同様に、いずれ由緒あるウィランド家の名跡をどこかの成り金に売って、平民になり下がるよりほかあるまい。金とは、実に露骨だが、威力は絶大だ」

 ウィランド男爵は恥じ入りもせずにいってのける。

「それに、それほどに悪事を働いているつもりもない。関わっているのはダークネス交易だけで、グルザム一味の凶行には、一切関与しておらぬのだ」

「だが、交易の主体はグルザム一味なのだろう」

「そうともいえぬのだ」

 志摩の指摘に、ウィランド男爵は首を振った。

「ウィズメタルの交易に関わる者たちと、グルザムの配下として凶賊働きをする者たちは別なのだよ。交易に携わる者たちは、たとえヴァルカンでも凶悪ではなく、むしろ紳士的だ。交易自体もまっとうなもので、国に利益をもたらしている」

「国の法律で禁じられているのに、まっとうもなにもないでしょう」

 レイウォルの反論に、

「建前はそうだがね。しかし、帝国政府から供給されるウィズメタルは、国内や同盟国の需要を満たすには、全然足りていない状況を君も知っているだろう」

 ウィランド男爵は言い返した。

「帝国では、そのウィズメタルってぇのは採れないの」

 マユラが聞いた。今日ウィズメタルの存在を知ったばかりで、事情はまるでわからないのだ。

「いや、帝国内にも、マナバレーやキルクスなど大きなウィズメタル鉱山がいくつかある。それらは皆帝国の管理下に置かれ、帝国内で産出するすべてのウィズメタルは、帝国資源局の専売品となっている。しかし帝国政府は、帝都には潤沢にウィズメタルを流しているらしいが、帝都以外の都市や同盟国向けには供給を絞っているのだ」

 ウィランド男爵の説明に、

「帝国は、たくさん採れても出し惜しみして、どっさり貯めこんでるって話だぜ」

 ウィルが補足する。

「帝国ってケチだね」

「いろいろな噂はあるが、本当のことは帝国政府のお偉いさんにでも聞かない限りわからないだろう。とにかくだ、ダークネスなどと言われているが、我々の交易が、帝都以外の都市部の人々の近代的な生活に寄与していることは、疑いようもない事実だ。これに反対するということは、アナハイムやメガリス、アルタイルやその他多くの帝都以外の都市の繁栄を犠牲にしろと言っているに等しいのだ」

 ウィランドの反論にレイウォルは言葉に窮した。

「都市の繁栄のために、地方の人々が犠牲になってもいいという論も成り立たぬと思うが」

 志摩が言い返した。

「もっとも、我らもアナハイムに本拠を置くものであり、うぬしらのウィズメタルの恩恵をうけているかもしれず、そんなに立派なことはいえぬがな。こちらも交易のことをとやかく言うつりはない。グルザム以下の凶賊どもを取り除きたいだけだ」

「しかし、それはやはり、このビジネスを壊すことになるのだ」

「では、グルザム一味を討伐するといっていた、あれは嘘だったのですか」

 レイウォルが問い詰める。

「連中との関わりを公にできぬ以上、協力を求められたら、それは、そのように言うしかないだろう。ただ私も、グルザム一味の凶行には胸を痛めていたのだ。しかしこのビジネスがダメになれば、この町そのものがすたれてしまうのだ」

「町の有力者たちの中で、アンタたちのビジネスに協力している者は」

 志摩の問いに、

「船員だ」

 ウィランドは答えた。

「町長は、警察や関係各所の根回しをしてくれているし、ウィズメタルを中継地点のこの町から、消費地である大都市へ運ぶのは、運送業のサモンズ商会が担当している。ヴァルカンはウィズメタルの代金を穀物に替えることが多いので、そこは穀物商のランス氏が手配し、金融業のペドロは手形発行を代行するといった具合だ。そして私は、北ナタール郡内での交易の安全を請け負っている。当然のことではないかね、利にさとい商人たちが、こんなうまい仕事を見逃すはずがないし、わたしに至っては、ほかにまとまった収入のあてがないときている」

「それじゃあ、あの席いた旦那たちはみんなグルザムの側だったってわけかい」

 ファズが憤慨していった。

「それじゃあ五万ユーロの報酬は」

「君たちがグルザム一味に勝てないと思っていたからね。いや、むしろ勝たれては困るのだよ。だから、どうせ出さずに済む金ならいくらでも約束出来るわけさ」

「まったく、わたしたちはいい面の皮だったってわけね」

 サブリナが苦々しげに吐き捨てる。

「おおよその事情は分かった。そこで聞くが、ベイロード、ジェリコ砦は絡んでいるよな」

「そうだ」

「まさか、ベイロード隊長が」

 驚くレイウォルを、サブリナが笑った。

「抜けてるね、アンタ。密貿易を始めるときは、まず取り締まる部署を懐柔するものよ。クリオ砦でなけりゃ、当然ジェリコ砦でしょ」

「酒場での、奴らの羽振りの良さも納得だぜ。なにが猟師の真似ごとをしてるだ、ふざけやがって」

 思い出すだにむかっ腹のァズは、

けどそれなら、ジェリコ砦の奴らが敵にまわってっててもおかしくなかったってわけだ。まあ、敵に回られても、あんな奴らならどおってことないけどな」

「いくらなんでも、白昼衆人監視の中で、砦の兵士がヴァルカンどもに与出来まい」

 志摩がおもしろくもなさげにいった。

「ライゼン隊長は知っているのか」

 志摩の問いに、

「薄々は感づいているだろうが、しかし、知っていたとしてもなにも出来んよ」

「・・・・・・・・」

「我々やベイロード殿だけで、こんな絵図が描けると思うかね。ダークネス交易の金の蔓は、州政府のずっと上のにまで伸びているってことさ」

「黒幕は、上ってわけか」

「それもずっと上だ。ライゼン殿が騒いでも、クリオ砦の隊長を解任されて、どこかにとばされるだけだ。そして後釜には、もっ物わかりのいい人物が来ることになるだろう」

「そんな、州政府がそこまで腐っていたなんて」

レイウォルは信じられぬ顔で、うなだれるばかりであった。

「けど、これじゃお手上げじゃね」

 ファズがいった。

「ジェリコ砦も郷士連中も、こっちの味方だと思っていたあっちもこっちも実は敵方となったら、勝算もなにもないだろう」

「我らが契約したのはライゼン殿だ。あの人の考えを聞かぬうちは、こちらから一方的に仕事を投げ出すことはできぬ」

 サムライというジョブがそうさせるのか、律儀な志摩であった。

「郷士たちは、本当にこのことを了承しているのですか」

 レイウォルの問いに、ウィランドは首を振った。

「いや、このことを知っているのは、わたしが説得して仲間に引き込んだ一部の者だけだ。多くの郷士たちは知らないし、本気でグルザム一味を討伐したいと思っている」

「あなたは彼らを裏切っているわけだ」

「郷士たちが本格的にグルザム一味と衝突したら大きな犠牲が出る。私は、そのような事態を回避すべく、グルザム一味の者たちにも働きかけているのだ。これは、私が彼らの協力者なればこそ出来ることだ」

「なんとかにも三分の理か」

 志摩は言い捨てざま、ウィランドに鷹のような目を向け、

「最後にひとつ聞く。グルザムとは何者だ」

「わからない」

「・・・・・・・・」

「本当だ。グルザムについてはなにも知らないのだ。どんな奴かも、ヴァルカンかヴァルムかも知らないのだ」

「ベイロードがグルザムではないのか」

「まさか。ベイロード殿はヴァルカンになっていない。向う側でそれなりの地位の者らしいから、ヴァルカンかヴァルムのはずだ」

「そうか」

 用は済んだと志摩は席を立ち、仲間たちも一斉に腰をあげた。

「気をつけたまえ、ジカルが敗れるとは、連中にとって予想外のことだ。きっと、なにか仕掛けてくるはずだ」

 ウィランドの忠告に、

「そうかい、そりゃ楽しみなことだ」

 不敵に応える志摩であった。

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