事件の始まりは薄紅色1

時間の経過は、歴史のある。年季の入ったなどの良い表現もある。老舗の旅館や歴史的建造物などは、時間が経てばそれ相応の価値が出るもんだと思う。しかしこのどこにである雑居ビルにおいては、時間の経過はただの劣化でしかないだろう。


よく見ると所々小さいヒビが入り、耐震性に大きな不安のある古い雑居ビル。そこの今にも止まりそうな小さいエレベーターに乗り込み、4階のボタンを押す。ガタガタと大きな不安を煽る音とともに、辛うじて上昇していく。


スマホでネットを見ながら、ここへ来る前にコンビニで買ったカップのコーヒーを一口すする。三口目をすすったところで目的階に到着して、エレベータの扉が開いた。

「おはようございます!」

「小平!おせーぞお前!」


ここは俺、小平祐樹こだいらゆうきの職場。【翼見新聞編集部】歴史だけある弱小新聞の新聞記者も今年で2年目。そろそろ独り立ちしてスクープをものにしたいものである。


自分の席について、一息つく。しかしフッと見ると、奥の席で、偉そうに踏ん反り返っている厳ついおじさんが、俺を手招きして呼んでいる。無視したい、無視したい、なんとか見なかったことにならないだろうか。

「小平!何やってる!早く来い!」

俺は渋々厳ついおじさんの所へと足を運んだ。


「何でしょう三木編集長」

「今朝、百合川の蔵橋付近で溺死体が上がった」

「はぁ・・・」

「どうも仏さんは中学生らしい。記事になるかもしれないからお前ちょっと行ってこい」

「はぁ・・・え!俺一人でですか?」

「ただでさえ人手が足りんのだ。そろそろ独り立ちして記事にしてみろ」

「あっはい!不肖ながら小平祐樹!取材に行ってまいります!」


これはチャンスである。これをうまく記事に出来れば、一人前として認めてもらえるだろう。自分に対する期待感、不安感が胸の奥から湧き出てきて、何とも高揚していくのがわかる。俺は相棒の一眼レフカメラを首に掛け。取材カバンを手に持ち、早々に編集部を出て現場へと急いだ。


百合川の蔵橋付近の公園の遊歩道は、綺麗に整備されて、早朝に走りに来るランナーや散歩する老人などに人気がる。そのランニングコースは河川敷から公園内を走る5キロほどのコースになっていて、意識高い系のOL三島香は、毎日のようにここを走っていた。


早朝、いつものように河川敷を気持ちよく走っていた香は、意識しないまま、不意に川の方を見やる。いつも見ているその風景に、何か違和感を感じた彼女は少し集中してそれを見てみる。すると川の隅に何かが浮かんでいるように見えた。


なぜか気になり、河川敷を降りて、近づいて見てみる。そしてそれが何かわかった時にはその行動を激しく後悔する。香は驚きと恐怖によってその場に倒れこんでしまった。川の隅に浮かんでいたモノは明らかに人の形をしていたから。


早朝の静かな川辺は多数の警察関係者によって騒がしく賑わいでいる。川で発見された遺体は見識が一通り調べると、ブルーシートに隠され。何人もの人により運び出されていく。遺体の発見された周辺は規制線が貼られ、出入りを制限される。警察関係者が騒がしくそれらの作業をする中、周りには野次馬や報道陣が集まり始めていた。


他の報道陣に比べて少し遅れてきた祐樹は、現場を取り巻く報道陣の中に馴染みの顔を見つけ、情報収集の為に声を掛ける。


「中尾さん、おはようございます」

「おっ祐樹くん。宮間さんは一緒じゃないのかい?」

「はい。今日から独り立ちです」

「ほう。だからいい顔をしてるんだね。まー頑張りなさい」

中尾さんは大手の新京新聞のベテラン記者である。私に仕事を教えてくれた先輩、宮間さんの昔馴染みで何度か取材で会って話をしている。情報通で警察関係にもかなり顔が聞く。


「中尾さん。仏さん中学生だって話ですけど本当ですか?」

「うん。私もそう聞いているよ」

「事件ですか事故ですか?」

「そこまでの情報はまだ出てきてないよ。今の状況だと、どちらとも言えないみたいだね」

「そうですか・・・」

これ以上は情報を聞き出せそうにないので、とりあえず現場の写真を抑えることにした。


俺は周辺の写真を何枚か撮ると、できるだけ現場に近づき、望遠で死体が発見された周辺を写真で収め始めた。すると、覗いていたファインダーに場違いな人物が入り込んでくる。それはブレザーの制服を着て、カバンを脇に抱えた、栗色の髪の女子高生だった。


規制線で入れないはずのその現場に、少女は躊躇することなく、川辺を散歩するように自然と近づいていく。周りの人間も、少女があまりにも自然体の為か、誰も止めようともしない。死体発見現場に立った少女は、そこで何かを見ている。じっと俺には見えない何かを、集中して見ているように感じる。


「き・・君そこで何やっているの!入ってきちゃダメだよ!」

さすがに警察の人に気づかれたようだ。少女はその場から追い出される。追い出された少女は何事もなかったように、蔵橋の方へと歩いていく。その堂々とした姿に、なんとも気になってしまった俺は、その少女を追いかけた。少女は蔵橋までくると、脇にある階段で河川まで降りていく。キョロキョロと周りを見ながら、少女は橋の下まで来ると、そこで川の方をじっと見つめ始める。


何をやっているのかはわからないけど、それを少し後ろから見ながら、俺は声をかけるタイミングを計る。しばらく川を見ていた少女は唐突に振り返り、後ろで見ていた俺と目が合った。振り返るタイミングを全く予測できなかった俺は、その場でフリーズしてしまった。そのままじっと見つめた少女は、一言呟くように喋る。透き通った綺麗な声が響いてくる。


「すごいよあなた。綺麗なピンク色なのね。そんなに綺麗なのは初めて見たよ」

「え! 何の色が?」

俺の服やズボンの色はピンクではない、なんの色を見られたのかよくわからないけど、なぜかすごく恥ずかしい。

「ピンク色の人に悪い人はいないから」

褒められているのかな、よくはわからないけど好感を持ってくれているみたいだ。


「ちょっと聞いていいかな?」

少女は無邪気な笑顔であっけらかんと鋭く返事をしてくれる。


「何でも聞いてくれ!」

「さっきは事件現場で何をやっていたの?何かを見てるようだったけど・・」

「色を見ていたの。でもあそこの色は薄くてよく見えなかった」

「色が薄い?」

「そう。色が薄いの。だから死んだのはあそこじゃないよ。死んだ場所には濃い色が残るから」

この子は何を言っているんだろうか。イマイチ理解できない。死体はあの場所まで流されたって言いたいのかな・・その可能性は十分あるだろうけど・・


「だから私は転々とこびりついた色を追ってここにきたの」

「え!どうゆうこと?ここが死亡した現場って君は言いたいのかい?」

「そう、ここが死亡した場所だって、私は言っています」


堂々と胸を張って彼女は言い切った。そしてくるりと回って振り向くと、川のある場所を指さして。

「正確にはあの場所です。あそこで亡くなっています」


彼女の指さした場所は、比較的浅い場所で、流れも遅く、人が簡単に溺死するような場所には見えなかった。彼女の言っていることが本当なら、今回の事は事件性が強くなる。最近、雨などは降っていないので、一時的に増水したとも思えない。あそこで死亡したとすると事故や自殺とは考え難い。なんだけど、適当なこと言ってるんだろうなこの子。あまり相手にしないほうがいいのかな・・


「あーーー!信じてませんね!紫色がにじみ出てきました」

「ええ?」

「紫は疑いの色です。あなたは私を疑っています!」

「いや・・確かにそんな話しは信じてないよ。そりゃー初対面の女子高生に、色が云々言われても、なかなか理解できないよ」


彼女はそれを聞くと、腕を組み。うんうん頷きながら話し出す。

「なるほど。素直な意見ですね。では納得できる話をしましょう!」

そう言うと彼女は俺に近づき、手を口に添えて、ボソッと内緒話をするように意味不明の一言を囁く。

「私・・・実は天使なんです」

きゃー言っちゃった!みたいな感じで手で顔を覆い、彼女はキャピキャピまわりだした。俺は悟りを開いた高僧のごとく無の境地で、彼女の囁きを完全に無視すると、帰るために階段を上ろうとした。しかしガシッと腕を掴まれてそれを阻まれる。

「紫色が濃くなっています!どうしてですか!」

「そんなもん当たり前だろうが!なんだよ天使って!」

「しょうがないじゃないですか!天使なんですから。私はだから生と死の色が見えるんです」


俺は彼女の両肩をガッと掴み、目をじっと見つめると無表情にこう言い放った。

「わかった!君の言いたいことは十分理解した。天使ちゃん。俺は忙しいんだ、そろそろ帰らせてもらうよ」


俺は彼女にそう言うと、階段を登り始める。何か言い返してくるかと思ったのだが、先ほどの勢いはどうしたのか、天使の彼女は静かに俺を見送る。いきなり静かになったのが少し気になり、ちょっと振り向き彼女の様子を見ると、俺を見ているのではなく、河川敷の上を何やら見つめている。


彼女が見つめている先を見ると、そこには先ほど話をした、記者の中尾さんが、歩いてこちらに来ている所だった。俺を見つけた中尾さんは、少し叫び気味に話しかけてきた。


「祐樹くん。警察発表が並木警察署で11時にあるらしい。この件を記事にするのなら行った方がいいよ」


少し距離があるので、俺も叫び気味に中尾さんに返事をする。

「中尾さん。ありがとうございます!行ってみます!」

中尾さんは手を少し上げて合図すると、そのまま歩いて去っていく。


中尾さんの去っていく姿を天使の彼女はじっと見つめている。

そのあまりに真剣な顔つきに、どうしたのか聞かないわけにはいけないような気がした。


「どうしたんだ?また色か何かが見えたのか?」

「漆黒の色・・・・」

「漆黒?それがあの人に見えたのかい?」

天使の彼女は無言で頷き、小さな声で嫌な事を呟く。

「漆黒の色は死の色・・・あの人もう少しで亡くなります」


さすがに不謹慎なその一言に、俺は苛立ちを隠さず。

「縁起でもない事言うじゃない!あんな元気そうなのに死んじゃうって言うのか?どうやって死ぬんだよ!」


「死の色は、事故や突発的な死に方では出ないの。おそらく病気だと思う・・」

その彼女の言葉がなぜか妙に説得力があり。信じる、信じないに関係なく、俺の心を不安にさせる。その場に居たくなくなった俺は、勢いよく振り向くと、力強く階段を登り始めた。


「俺は並木警察署に行かないといけないから・・」

彼女にはそう言ってその場を後にする。


その場に残された天使は空を見上げる。雲ひとつ無い晴天の青空。その瞳の先にある見えない何かを探すように、何かの言葉を探すように、じっと見つめ続ける。



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