第二章 雷太郎君と友達

初めての地上

 ゴロゴロゴロ、ドドーン!


 大きな音が鳴り響きました。その音を聞いて雷太郎君はようやく我に返りました。


「こ、ここは……」


 雷太郎君は目を開けました。既に日は落ち、黄昏の残照が周囲を包んでいます。どうやらどこかの上に仰向けになっているようで顔には雨粒が落ちてきます。そして背中に当たるごつごつした感触、ここは雲の上ではなさそうです。


「あれは何だろう。真っすぐ空に向かって立っているけど……」


 見上げた目に映るのは真っすぐ空に向かって伸びている一本の太い棒でした。その先は傘のように広がっています。雷太郎君はその太い棒の横に寝転がっているのです。


「とにかく起き上がってここがどこなのか確かめなくちゃ。よいしょ、あ、あれ」


 体は全く動きません。腕を上げることすらできません。どんなに力を入れても、まるで何かに貼り付けられたかのように、手も足も顔も背中もびくとも動きません。雷太郎君は起き上がるのを諦めると、何が起こったのかを思い出そうとしました。


「波の柱……」


 雷太郎君の頭に最初に浮かんだのが波の柱でした。あの柱に飲み込まれてここへ来たのです。ならばここは地上なのでしょうか。雷太郎君の頭の中にはここへ来るまでの出来事がだんだんとよみがえってきました。


 あの時、荒れ狂う嵐の中でどうして立ち上がって歩けたのか。それが一番不思議なことでした。そしてもう一つ。柱の中を下に向かって動いている時に何かとすれ違ったのです。それは一瞬の出来事だったのではっきりとは覚えていないのですが、確かに何か、まばゆい光を帯びた者が雷太郎君とは逆の方向へ、柱の中を空へ向かって昇って行ったのでした。


「あれが、地上の雷だとしたら……」


 ここは地上に違いありません。自分はその雷と入れ違いに地上へ来てしまった、そうとしか考えられません。


「よいしょ」


 雷太郎君はもう一度体を起こそうとしました。なんとしても自分の周りの様子を見たいと思ったのです。しかし同じことでした。体は全く動きません。顔を横に向けることすらできません。こんな異常事態は今まで一度も経験したことがありません。


「せんせーい、こうたさーん、じろうー」


 雷太郎君は大声で叫びました。何の返事もありません。聞こえて来るのは雨の落ちる音だけです。


「やっぱりここは地上なんだ。ボクはついに来てしまったんだ。でも……」


 雷太郎君の表情は冴えません。あんなに行きたがっていた地上なのです。その地上へ遂にやって来たのです。もっと喜んでいいはずです。けれども雷太郎君の胸の中は、喜びや期待ではなく恐れと不安で一杯でした。ふと稲光先生の言葉が浮かびました。


『地上はおまえが考えているほど、我々雷にとって生きて行くのに容易い場所ではないのだ。雲の上を満足に走れぬ者がどうして地上を走れよう。雲と雲の間に雷の道を作れぬ者が、雲と地上の間に雷の道をどうして作れよう。おまえの力ではたとえ地上へ行ったとしても、何一つ得るものはないだろう』


「ああ、そうなんだ。稲光先生の言うとおりだった。地上へ行くことなんて、ボクにはまだまだ無理だったんだ」


 雷太郎君はここに来てしまったことをひどく後悔しました。あの波の柱に飲み込まれたのは自分の意志ではありませんでした。しかし地上に行きたがっていた心があったから、こんな事態を招いてしまったのかもしれないのです。稲光先生の言葉を軽視した自分を本当に愚かだと思いました。


「これから、どうすればいいんだろう」


 雷太郎君はつぶやきました。こうして寝転がったままでは何もできません。せめて起き上がって自分の置かれた状況を確認したいところです。雷太郎君は自分自身に気合いを入れました。


「えいっ! むんっ!」


 掛け声と同時にこれ以上はないというほどの力を全身に込めました。そして自分をここに縛り付けている何かから解き放たれようと、その力を一気に爆発させました。


「えええーい!」

 しかし、雷太郎君の努力は全く無駄でした。指一本動きません。

「駄目か……」


 雷太郎君はふっとため息をつくと体の力を抜きました。やがて、こんな所に寝っ転がったまま指一本動かせないでいる自分が次第に滑稽に思えてきました。


「稲光先生、怒っているだろうなあ」


 今ごろ雲の上では大騒ぎをしているはずです。


『まったくけしからん、あの馬鹿者めが。まったく』


 そんなことを言いながら顔を真っ赤にして、光太さんや雷次郎君に怒鳴り散らしているはずです。雷次郎君がどうしたらよいか分からず、おろおろする姿も浮かんできました。すると何とも言えぬおかしさがこみ上げてきて、思わず笑いが漏れてしまいました。


「ふふふ。でもまあ考えてみれば、ボクがここにいることは稲光先生たちだって知っているんだし、何とかしてくれるはずだよね」


 それに雷太郎君一人では地上で何もできないことも分かっているのですから、それを承知の稲光先生がこのまま手をこまねいているとも思えません。そう考えると今までくよくよしていた自分が何だか馬鹿らしくなってきました。


「そうだよ、あれこれ考えていたって仕方ない。動けないのなら無理して動くことはないんだ。動かずに何ができるか、それを考えればいいんだ。動かなくてもできること、それは眠ることだ」


 雷太郎君はそう言うが早いか目を閉じました。この辺の思い切りの良さが雷太郎君の持ち味と言えるでしょう。

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