戻って来た二人

 どれくらい経ったでしょうか。眠っていた雷太郎君の頭の上で大きな声がしました。


「これ、おまえたちいつまで寝ておるのじゃ」


 雷太郎君は驚いて目を開け上体を起こしました。そこには稲光先生が立っています。


「せ、先生!」

「おまえたちときたら、修業がなくなるとすぐにこのざまじゃ」


 雷太郎君はきょろきょろと雲の上を見回しました。もう日はだいぶ西の方に傾いて雲は茜色に染まっています。青かった空も濃い紺色になっています。かなり長い間眠っていたようです。


「いいか、また明日から修業を始める。二人とも相当体がなまっているようじゃからな」

「明日から!」


 雷太郎君は立ち上がりました。稲光先生の後には光太さんも立っています。


「先生、明日から修行が始まるってことは、つまり、地上からの雷は」

「さよう、まもなくやって来る。まったく大変な仕事じゃったわい」


 稲光先生はそう言うと手で顔を拭いました。よく見るとかなり疲れた表情をしています。稲光先生の後にいる光太さんもやはりくたびれた顔をしています。


「先生、本当の仕事はこれからですよ」


 光太さんが笑いながら言いました。


「なあに、ここまで来たら後は赤子の手をひねるようなものじゃわい。ふわあー」

 稲光先生は大きなあくびをしました。

「太郎、わしらは少し休むぞ。なにしろ今まで不眠不休で頑張っておったのじゃからな」


 言い終わらないうちに稲光先生は雲の中に体を入れました、光太さんも同じことをしています。二人は顔だけ出してすっかり雲の中に入ってしまいました。


「よいか、太郎。ここを動くな。地上からの雷はここに来る。何があってもここを動いてはならんぞ。分かったな」


 稲光先生はそう言って目を閉じました。雷太郎君は雲に入って眠っている二人をしばらく見つめていましたが、ふと、雷次郎君のことを思い出しました。振り向くと雷次郎君はまだ雲の上で眠っています。


「次郎、次郎、起きろ次郎」


 雷太郎君が体を揺すって声を掛けると、雷次郎君は眠そうに目を開けました。


「むにゃむにゃ、どうしたの、兄ちゃん」

「来るんだ、地上の雷がもうすぐここへ来るんだ」

「えっ、本当に?」


 雷次郎君はいきなり立ち上がりました。そして妙な顔をしました。すぐ近くに眠っている稲光先生と光太さんが目に入ったようです。


「兄ちゃん、あの二人どうしたの。寝ているけど」

「疲れているんだ。今までずっと休まずに頑張っていたらしいよ」

「ふうん」


 雷次郎君は気の抜けた顔をすると、気持ちよさそうに眠っている二人の顔を眺めました。少し風が出てきたようです。


「あれっ!」


 雷太郎君が大きな声を出しました。また雲が動き始めたのです。周囲には霧が漂い始めています。


「下がっている。また下がり始めている」


 二人は雲に入って眠っている稲光先生と光太さんを見つめました。雲を動かしているようには見えません。


「どうして動くの。二人とも眠っているのに」


 雷次郎君が不思議そうに言いました。雷太郎君は首をかしげました。やがて霧が晴れると今度は氷の粒がぱらぱらと落ちてきました。風も強くなってきました。完全に雨雲の下に抜けたと見えて、頭の上の空は真っ黒な雲で覆われています。


「次郎、ここを動いちゃ駄目だぞ。稲光先生にそう言われているんだ」

「うん、分かったよ、兄ちゃん」


 風は次第にその勢いを増してきます。氷の粒は雨に変わり、ぱらぱらではなく叩きつけるような降り方に変わってきました。雷太郎君と雷次郎君はお互いに相手の体に掴まって雨と風をしのいでいました。風が一段と強くなり、ごうごうと音をたてるようになりました。


「大丈夫か、次郎」

「う、うん」


 二人の体には大きな雨粒が今ではあらゆる方向から叩きつけてきます。風ももうどちらから吹いて来るのかも分からなくなりました。聞こえて来るのは、まるで誰かが怒っているような風のうなり声だけです。


 ひゅるるるるうー!


 竜巻のような風が起こりました。二人は吹き飛ばされまいと雲の上に腹ばいになってしっかり雲を掴みました。しかし二人が掴んでいる雲も強い風にあおられ、はがされて飛んで行きます。雷次郎君は雷太郎君の体に抱きつきました。こんな暴風を体験するのは初めてでした。


「兄ちゃん、兄ちゃん」

「次郎、しっかりしろ」


 雷太郎君は左腕でしっかり雷次郎君を抱かえると、右手を雲の中に差し込みました。二人の体には風と雨が容赦なく叩きつけてきます。雷太郎君自身も誰かにすがりたい気持ちで一杯でした。しかしすがる相手がいない以上頑張らねばなりません。雷太郎君は稲光先生と光太さんの方に目をやりました。二人ともまるで死んだように眠っています。


「ボクが次郎を守らなくちゃ」


 雷太郎君は自分に言い聞かせるようにつぶやきました。そして雲の奥深くに手を突っ込んだまま、いつ止むとも知れぬ雨風を必死に耐えるのでした。

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