奇談その四十二 傑作ができました

 出版社に勤めている平井卓司は夏休みが嫌いだ。この時期になると有象無象が持ち込みという行動に出てくるからだ。平井は元は社会部だったが、上司とそりが合わず、部署を替えられ、少年誌の編集部に転属になった。そのせいで持ち込みをしてくる漫画家志望の少年達の相手をしなければならない。

 漫画は嫌いではないが、面白くもないものを読まされるのは苦痛だった。しかも相手はどこから湧いてくるのか、自信の塊が多く、下手な事を言うと、ネットで名前を晒されて罵詈雑言を吐かれてしまう。だから、当たり障りのない事を言い、遠回しに才能がない事を理解させようとした。

「はい、週刊少年漫画陣です」

 目の前の電話がいつまでも鳴り続けたので、仕方なく受話器を取って応じた。

「平井さんですか? 何度かお伺いしている草壁です」

 一瞬、何も言わずに受話器を戻そうかと思ったが、思いとどまった。

(まだ諦めてねえのか)

 心の中で舌打ちをした平井は、

「新作ができましたか?」

 侮蔑に満ちた笑みを浮かべて尋ねた。

「今度は新ジャンルに挑戦してみました。絶対に傑作です。自信があります」

 そのセリフは耳タコな程聞いたよ。平井はそう思ったが、おくびにも出さず、

「そうですか。今日なら時間があるのですがね?」

 いくら暇なお前でもいきなり今日は無理だろうと考えて切り出したのだが、

「今すぐでも大丈夫ですか?」

「ええと、一時間後なら大丈夫ですよ」

 焦った平井はついそう言ってしまった。

「わかりました。一時間後にお伺いします」

 平井は項垂れて受話器を置いた。

(冗談じゃない。あいつのだけはもう読みたくないんだよ)

 平井は鞄を掴むと編集部を飛び出した。

(須坂先生の所にでも顔を出してみるか)

 平井は担当している漫画家の事務所に行く事にし、地下鉄に乗った。

「え?」

 向かいの座席で男が新聞を広げて読んでいて、その記事の中に気になるものがあった。

(漫画家志望の少年、自殺か?)

 それは昨日の事件の記事だった。名前は草壁遼一。今日約束をした少年だ。

(バカな? じゃあ……)

 その時背後から、

「平井さん、本当に傑作なんですよ。読んでください」

 冷たい手が右肩に置かれるのを感じた。

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