奇談その九 一枚足りない

 群馬県甘楽郡甘楽町には「番町皿屋敷」の源流となった「菊女伝説」がある。


 天正十四年、その地を治めていたのは小幡信貞おばたのぶさだという武将であった。その侍女にお菊という聡明な女性がいた。信貞はお菊を寵愛したので彼女は信貞の正室やその取り巻きの侍女達に恨まれた。彼女達は信貞の留守中に正室のお膳に針を落としてお菊の仕業と偽り、菊が池で蛇責めの刑に処してしまった。お菊はそれが元で命を落としたという。


 その話に興味を抱いた俺は現地に行ってみた。着いたのは日が暮れかけた夕方。カーナビを頼りに道を進んだが、目的地に行き着けず、途方に暮れた。その時、すぐ脇にある畑で作業をしている姉様かぶりの老婆に気づいた。俺は車を停め、老婆に声をかけた。すると老婆は道案内をしてくれると言った。俺は老婆を助手席に乗せ、車を走らせた。

「そこを右」

「そこを左」

 老婆は俯いたままで指示を出す。どうにも気味が悪かったが、指示は的確で、俺は探していた寺に辿り着いた。

「ありがとうございました。少し待っていただければ、畑までお送りします」

 俺は老婆に頭を下げて告げた。すると老婆は、

「それはいいから、出すもん出せや」

 右手の親指と人差し指を丸めて言った。このババア、金をせびるつもりか。呆れかけたが、仕方がないと思い、

「いくらですか?」

「有り金全部出せ」

 老婆はいつの間にか大きな出刃包丁を突き出していた。暗くなって足元が見えない俺は心底恐ろしくなってすぐにバッグの中から財布を取り出し、老婆に放った。老婆がそれを拾う隙に俺は車に乗り込み、走り去った。だが、いくら進んでも同じ道を走っているようで大通りに出られなかった。疲れ果て車を停めると、

「一枚足りない」

 目の前に老婆が現れ、気を失った。


 目を開けると大通り沿いの舗道に倒れていた。身包み剥がされたかと思ったが、バッグの中には財布も入っており、中身も抜かれていなかった。狐につままれたような思いがしたが、車がどこにも見当たらない。探す当てもないので走ってきたタクシーに乗り、最寄の駅まで行った。運転手に料金を言われ、財布を探った。そして思わず呟いた。

「一枚足りない」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る