番外編① 2-3 悪食

 人の往来が生み出す騒音を身に受けながら、挽歌は公用の自動運転車を下りる。


「一体、どれだけの市民が命を失ったのだ……?」


 挽歌たちが昼食を取ったエイトバーガーズで起きた投身自殺以外にも、第八防衛都市シェルターでは何人もの一般人が同じ時間に自殺を遂げていた。

 これで既に三件目である。街中は混乱状態に陥っており、時折聞こえてくる警報サイレンによると自殺者は十数人以上が発見されているとのことだ。


 事件現場として訪れたその場所は、第三外周区港地区の中でも特に経済発展が著しい。第八防衛都市という巨大市場を背後に構えており、他の防衛都市や副防衛都市サブシェルターの中継地点としても利用されるため、人や金が円滑に流れていることがその理由だ。


 第二外周区の建築物にも劣らないビルの真下には人集りができていた。二件目の自殺を捜査査していた挽歌たちが『新しく自殺が起きた』という旨の連絡を受けて速やかに向かったというのに、それよりも早く人の群れを生み出す好奇心というものには脱帽である。


「はいはい、どいてどいて」


 蝿のように事件現場に集まった野次馬たちを掻き分けようとする零華だが、あまりの人数に弾かれて挽歌の元に戻ってくる。


「駄目ですね。私みたいな無名の廃品回収業者では、話すら聞いてもらえません。先輩、遂にその権力の権化のような制服が活きる時ですよ。やっちゃってください」


「うむ……あまり気乗りはしないのだが……」


 挽歌は少しばかり嫌そうに顔を曇らせた後、すぅと息を大きく吸い込んだ。


「――貴様ら、そこを退けッ!」


 挽歌が吐きだした大声に、場の空気が一気に張り詰めたものになる。群衆が一斉に口を閉じてその視線を挽歌に向けた。いや、正確には挽歌の制服にだ。


「ここは貴様たちの好奇心を満たすための場所ではない。我々が捜査を行う場所だ。これ以上に騒ぎを大きくして、混乱を招くようであれば全員の個体識別番号をこちらで控えることになる。我々は無駄な労力を割きたくはないし、貴様たちにとっても不都合なはずだ」


 挽歌の忠告を聞いた野次馬たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。彼らが恐れているのは挽歌という少女そのものではなく、九九式機関という最大権力に対してだ。

 挽歌が九九式機関の手足である解体師を表す制服を着ていなければ、歯牙しがにもかけられなかっただろう。


「これは解体師が大衆から嫌われる理由もわかりますね」


「可能ならば私も権力をちらつかせるような発言は控えたい。だが、ああでも言わなければ奴らは道を開けてくれぬだろう?」


 そう言いながら、挽歌は『立ち入り禁止』と貼られたテープを潜った。既に第三級解体師が数名ほど捜査に当たっているようで、黒地に白を基調とした制服を着用した解体師たちが忙しなく現場を検証している。


「そこのお兄さん、少し話を聞かせて頂いてもよろしいですか?」


 零華は退屈そうにタブレットで資料を眺めている少年に声をかけた。


「ん……何だよ……?」


 その少年は面倒臭そうに視線を零華に移すと、その白い詰襟つめえり姿に目を瞠目させた。一見、一般人の零華が事件現場に入ってきていることに驚いたのだろう。


「おいおいおい……! 一般人が入って来たらマジでヤバいって! お前、さっきの怒鳴り声聞こえなかったのかよ!?」


「もちろん、聞こえましたよ」


「命が惜しいなら、ここから出て行った方が身のためだぞ! 『八つ裂きの挽歌』に見つかったらお前の身の保証ができねえ! 斬り殺されるぞ!」


 零華の肩を掴み、必死の形相で訴えかける少年。

 そんな少年に苦笑いを浮かべながら、零華は何とも言えない視線を挽歌に送る。


「えっと……先輩、他の解体師の皆さんにどんな噂を流されているんですか」


「ううむ。全く身に覚えはないのだが……」


「げっ……! や、八つ裂きの挽歌……さん!?」


 挽歌の存在に気が付いた少年は、挽歌から距離を取るように三歩後ろに下がった。挽歌が腰にぶら下げている《懺悔の唄エレギア》に目を釘付けにして、明らかにビビっている。


「貴様がどういう噂を聞いたのかは知らないが、私はレプリカント以外を八つ裂きにした覚えはないぞ」


「えっ……じゃあ、人間と見た目の区別が付かない機神やヒューマ=レプリカントを戸惑いもせずに八つ裂きにしたっていう噂は……?」


「その機会はあったが、実際に八つ裂きにした事実はない。まあ、躊躇ためらわないのは事実だが」


「た、躊躇わないって……人間と同じ見た目なのにか!?」


「見た目が同じでも、奴らは人間とは全くの別物だ。何を躊躇う必要があるのだ」


 溜め息交じりに言って、挽歌は少年の身なりを確認する。

 年の頃は挽歌よりも一つか二つほど下だろうか。染めたような茶髪にシンプルな作りの髪飾りをしている。甘ったるい考えを持っているところを考えると、おそらく解体師に成り立てほやほやの新米ルーキーだろう。


「こ、怖ぇ……噂通りにでかい乳で美人だけど、中身も噂通りに怖ぇ……」


 挽歌に聞かれないようにぼそぼそと呟いた少年であるが、挽歌の地獄耳に届いていた。


「……わかった。この捜査が終わったら、その噂とやらを根掘り葉掘り聞いてやろう。貴様、名前は何というのだ?」


「できればあんたに名前を覚えられたくないんだけど……」


「観念した方が良いですね。蝉丸せみまるくん」


 タブレットで検索を終えた零華が少年の簡易暗号名ドメインを呼んだ。この街で市民権を得ている限り、体内に注射されているナノマシンによって個人の特定など容易なことだ。


「よし、蝉丸。私に関する噂話は置いといて、今までの捜査で判明したことを報告するのだ。この白い奴は廃品回収業者スカベンジャーだから気にすることはない」


 蝉丸は諦めたように肩を落とし、「こっちだ」と先導をする。


「まず、被害者の名前は酒蔵さかぐら。二十五歳男性で、死因はビル三〇階からの転落死だ」


「これは……むごいな」


 現場であるオフィスビル前の通りには、巨大なトマトが勢いよく地面にぶつけられたかのような赤い飛沫が飛び散っている。その場に残された鉄生臭い臭いから、それが血であることは明白だった。


 その飛沫の中心に、落下による衝撃でぐちゃぐちゃになった被害者が転がっていた。辛うじて人間の形を留めては居るが、何処の部分か判らない肉片やどろりとした脳髄が散見された。


「同僚たちの話によると、三〇階にある感情ハーモニカ専門店で実演販売をしていたらしい」


「すると、突然酒蔵さんは窓を突き破って飛び降り自殺をした……というところでしょうか」


 零華は周辺に落ちているガラス片を拾いながら、独り言のように呟いた。


「その通りだ。自殺するような素振りもない明るい人間だったらしいんだが……とりあえず最近起こっている不自然な自殺との関連を探っている最中だ」


「蝉丸、その同僚たちが突き落としたという可能性は?」


 酒蔵を殺すために同僚が口裏を合わせているという可能性を考慮しなければならない。

 しかし、蝉丸は首を横に振った。


「いや、あの場には彼の同僚以外の人も居た。それに店内に備え付けられた監視カメラを見る限り、彼らの証言に嘘はない。これは間違いなく自殺だ」


「自殺……か」


 この一件もこれまでと同様に突然に自殺するというものだ。関係性があるのは間違いないのだが、どう頭を捻ってもその関係を『視る』ことが適わない。

 そこで零華の意見を聞こうと、挽歌は彼女に声を掛けようとした。


 しかし。


「……ん? 零華、何をしている?」


 零華は白いスカートが血に触れることを気にする様子もなく、被害者の真横にしゃがみ込んでいた。両手の掌を合わせて、目を瞑って静かに拝んでいた。


 零華は黙祷を捧げている、挽歌はそのように感じ取った。彼女はこの犠牲者に対して敬意を払っているのだ。大勢を救うための一人の犠牲として、散っていった命を尊重している。


 零華に対する考えを変えなければいけないかもしれない。正直、効率主義の冷徹人間だと思っていたが命に対して敬意を払えるので有れば、まだ心は残っているだろう。

 この犠牲を無駄にしないために、次に踏み出すための『何かヒント』を見つけなければならない。


「さて」


 挽歌が感心していると、零華がゆっくりと目を開いた。

 そして、合掌したまま信じられない一言を呟いた。


「いただきます」


 零華は一欠片も躊躇することなく、落ちている肉片を拾い上げる。未だに血が滴るピンク色の肉片をしげしげと眺めた後、当然のように口に放り投げた。


「な――ッ!」


 挽歌は無意識に《懺悔の唄》の柄に手を添えていた。


 零華の常軌を逸した行動を目の当たりにし、死者を冒涜したという怒りを通り越して得体の知れない怖気に襲われたのだ。

 蝉丸を始めとする第三級解体師は皆、肉片を咀嚼する零華を見て硬直している。


「もぐもぐ……」


 その場に居た全員が、その光景を現実だとは信じ切れていなかった。まるで猟奇的な映画を見るときのように恐れを帯びた好奇心で、嘘のような現実に見入っていた。


「ふむ……ふむ……」


 味を楽しむかのように咀嚼した肉片を舌の上で転がしながら、零華は何度も頷いた。

 そして、満足したのか口から粉々になった肉片を吐き捨てる。


「ごちそうさまでした」


 その言葉が合図となり、虚構混じりの空間が一気に現実に引き戻される。

 硬直したまま一部始終を眺めていた第三級解体師がざわめき始め、女性解体師の悲鳴と零華を非難する声が混ざって溢れ出す。


「……先輩。どうして《懺悔の唄エレギア》の切っ先を私に向けているのですか?」


 零華に問われ、ようやく挽歌は自身が《懺悔の唄》を抜刀していることに気が付いた。無意識下で自身の身を守る行動を取ってしまうのは挽歌の癖だ。だが、それは睡眠時などの無防備な状態であったり、脅威であると判断した敵個体の前でしか起きない癖だ。

 挽歌は目の前で口元に付いた血を拭っている女を脅威と認識していた。


「そ、それ以上近付くな……!」


「言われなくとも《懺悔の唄》を抜いた先輩の間合いには入りませんよ。先輩、ふざけている時間はありません。納刀してください」


「ふざけているのは貴様だッ! 何故、遺体を口にするなどの愚行を起こした!」


「愚行……? 私が酒蔵さんを味見したのは、きちんとした意味があります」


 零華は何かを取り違えている。挽歌は彼女が意味の有る無しで遺体を口にしたことを怒っているのではないのだ。


「意味の有無など関係ない! 貴様は死者を愚弄したのだぞ……?」


「先輩、人間と死者は魂の有無という点で根本的に異なります。人間は死を以て、死者という魂が入っていた入れ物になる。つまり、モノです。我々が尊重すべきなのは魂であって、入れ物ではありません」


「貴様は……貴様は間違っている……!」


「いいえ、間違っていません。先輩が私に向けている《懺悔の唄》もOSという名の魂が抜けてしまえばただ切れ味の良い鋼に成り果てます。そこに無二の価値はありますか?」


「……」


 挽歌は陽光を反射して煌めいている刀身に目を移した。


 この《懺悔の唄》からOSを取り払ってしまえば、機神はもちろんレプリカントさえも解体することは難しいに違いない。機神を解体するために造られたカーネルとして、その目的達成のための力を失った状態に価値はない。

 だが、挽歌はそれを認めなかった。認めるわけにはいかない。


「蝉丸くん、酒蔵さんを検死に回していただけますか?」


 これ以上、挽歌と話をしても無駄だと悟ったのか。零華は硬直したままの蝉丸に命令する。


「お、おうっ! でも、今までの被害者も検死に回したが、何も見つからなかったぞ?」


「ええ、普通の検死では発見できないはずです。私が味見をしたところ、ごく微妙に通常とは異なる味がしました。おそらく、ナノマシンレベルの微細な不純物が含まれていると考えられます。第二研究所くらいの設備がなければ正体は掴めないはずです。先輩の名前を出しておけば、相応の設備とスタッフを回してくれるでしょう」


「な、何で普通の人間の味を知ってんだよ……と、とりあえずわかった!」


 蝉丸は一刻も早くその場から逃げ出したかったのだろう。第二研究所という第八防衛都市でも一番の研究設備と技術を有する施設に手続きをするため、早足で去って行った。


「さて、先輩。なかなか納刀してくれませんね」


 零華は《懺悔の唄》を向けたまま動かない挽歌の間合いにゆっくりと入っていく。ぬるりと蛇のような動きで間合いを越えた懐にまで侵入を許してしまう。


「私が一般的な方法ではなく、私なりの方法で捜査を行ったことには謝罪させてください。先程は強がって先輩に嫌われても問題ないと言いましたが、正直なところ先輩に嫌われては耐えられません。それに、私のお陰で犠牲者を最大限活用できそうなのは事実です」


 お互いの息を感じ取れるような距離にまで切迫。


 零華は普段から『重い』という理由でカーネルを持ち歩いていない。そのため、彼女は常に丸腰の状態だ。それにも関わらず、挽歌は胸元に鋭利な刃物を突き立てられているかと錯覚するほどの恐怖を感じた。


「良いですか、先輩。これだけは覚えておいてください」


 蛇に睨まれた蛙のように、挽歌は動くことができない。

 そんな挽歌の耳元で零華は囁くように言った。


「魂の抜けた入れ物が、どう足掻いても世界を変えることはできませんから」


 はむ、と挽歌の耳たぶを唇で甘噛みし、零華は間合いから離れていく。


「それでは、お先に第二研究所に向かってますね。先輩も落ち着いたら来てください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る