番外編① 2-1 取捨選択

 午前七時。

 身体に限度を超えた疲労さえ溜まっていなければ、挽歌は毎朝決まってこの時間に目覚めることができる。目覚まし時計が不要で便利な身体である。


「むにゃ……ん、うぅ……」


 覚醒を始めた脳が、目蓋を通して朝日の光を感じ取る。意識が明瞭になるに伴い、掛け布団の心地良い温度と低反発ベッドパッドに身体が沈み込んでいる感覚が感じ取れる。


「んぐぅぅ……?」


 しかし、今日は妙に息苦しい。

 何かに身体が締め付けられているような感覚と胸のあたりに妙な違和感を覚える。心地が良い温度だと思っていたが、普段よりも暑い気もする。


「な、なんだぁ……?」


 寝ぼけ眼を擦りながら、挽歌は恐る恐る掛け布団を捲る。

 そこには、シャツ一枚だけの姿で挽歌に抱きついて眠っている零華の姿があった。


「ああ、なるほど……だから息苦しかったのか……は!?」


 跳ね起きるほどに仰天した挽歌は、未だに自身の胸に顔を挟んで心地よさそうに寝息を立てている後輩を引き剥がしにかかった。これがなかなかしぶとく、離れない。


「お、おい! 起きろ、離れろ、服を着ろ!」


 零華が下着を着けていないことに気が付き、挽歌は顔を赤らめて捲し立てる。馬鹿力には自信のある挽歌が藻掻いても拘束が解けないあたり、この零華という娘もかなりの怪力である。


「起きなければ、貴様の痴態を支部長殿に告げ口するぞ! ほ、本当にするぞー!」


「起きてますから、朝から騒がないでくれますか。頭に響いて不快です」


 挽歌の胸に顔を押しつけたまま、零華はじっとりと睨み付ける。彼女は名残惜しそうにゆっくりと離れた後、大きな欠伸と伸びをした。


「おはようございます。先輩は早起きさんですね」


「そ、そんなことはどうでも良いのだ。貴様、どうしてここにいる!」


「先輩が泊めてくれたんじゃないですか。その歳で健忘症は辛いですよ」


「そういうことではないのだ……貴様には別室に布団を敷いてやっただろう。何故、そこで眠らずに私の寝床に忍び込んでいるのだ」


「それには二つの理由があります。一つ目は私が抱き枕がないと眠れない体質であること。二つ目は一人で眠るのが心細かったことが挙げられます。よって合理的に判断し、この家で最も抱き心地が良いと思われる先輩に抱きついて寝ただけです。先輩、寝ている間も反射的に殴りかかってくるので抱きつくのが大変でした」


 零華は一間置き、眠たげな半目のままにっこりと笑う。


「でも、予想通り抱き心地はすごく良かったです。良い匂いもしましたし」


「はぁ……百歩譲って私を抱き枕代わりにすることを大目に見てやろう。だが、私の家でそんな格好のまま居ることは許さん。服を着ろ」


「女の子同士だから気にしなくても良いのに……これだから生娘は……」


「……聞こえなかったことにしてやる。服を着ろ」


 思わず《懺悔の唄》に手が伸びそうになるのを堪え、挽歌は渋々と部屋から出て行く零華を見送った。




 調理用3Dプリンタで印刷されたソイレントバーを頬張りながら、挽歌はこの世の終わりを体験しているかのような顔になる。挽歌自身が厳選した味覚カートリッジによって味付けされたチョコレート味は嫌いではない。だが、ソイレント特有の粉っぽさと口の中の水分が吸い尽くされる感覚が何よりも苦手である。飲み込めるほどに咀嚼した後、コンソメを溶かしたお湯でさっさと胃の中に流し込んでしまうのが一番だ。


「よくもまあ、こんなものを美味そうに食えるな」


「ええ、大好物なので」


「こんな一昔前の家畜の餌と同じものをか? 食材の価値が高いのは分かるが、やはり人間はきちんとした料理を食べるべきだ」


「まあ、そうですけど。少なくともソイレントが主食の世界では、先輩のように屁理屈並べてこれを嫌っている人間よりかは、私みたいに割り切った人間の方が幸せですよね。最も、私は割り切ったわけではなく、純粋にソイレントが好きなんですが」


 指先に付着した粉末をぺろぺろと舐め取っている零華を横目に、挽歌は溜め息を吐いた。

 自身が異色な存在であることは十分に理解している。実際に防衛都市でソイレントを嫌う人間はかなりの少数派だ。しかし、様々な料理を食べて育った挽歌からすれば、ソイレントだけの食卓で満足の出来る世間のほうが異様なのだ。


「万年金欠の先輩が飢えずに生きていられるのも『ペルセフォネ・フーズ』が安価にソイレントを提供してくれているおかげなんですから。本当に資本主義はサイコーですね」


 ペルセフォネ・フーズ。防衛都市にソイレントを供給する大手ソイレント加工販売メーカーであり、第八防衛都市に限定するとソイレントの販売シェアを八割以上占めている。

 低賃金労働者に向けた安価なソイレントから第一外周区の高所得者層の舌を唸らせる高級ソイレントまで幅広く手がけている。もはや生活基盤インフラレベルの企業だ。


「ふむ」


 反論は無意味だと悟った挽歌は、ホログラムデスクを指先で二回叩いて起動する。製造元大手デスクメーカーのロゴが軽快な効果音と共に表示された後、生体認証によって挽歌専用のインターフェイスが再表示される。飾り気のない殺風景なインターフェイスには、立体映像として受注可能な任務一覧が浮かび上がっている。


「今日の獲物は何ですか?」


「そうだな……」


 第一級解体師である挽歌にはレプリカントの解体任務が数多く寄せられる。まれに要人の護衛なども依頼されることもあるが、守ることは苦手であるため断っている。


 今日も普段と同じように第五外周区のレプリカント解体の任務でインターフェイスが埋め尽くされている。その個々の詳細を眺めながら、代わり映えしない内容を前にして挽歌は億劫な気分になった。単純にやりがいが感じられないのだ。


 変わり種としては『平和主義者』と呼ばれるS級要注意団体に属する賞金首を暗殺する依頼が紛れ込んでいた。

 『平和主義者』は九九式機関に最優先解体候補として認められるほどの犯罪組織であり、機神の権利を主張して機神兵や機神を受け入れて九九式機関の脅威から保護するという紛れもない悪を正義としている愚者どもの集まりだ。


 挽歌に来た依頼はルサンチマンと呼称されている平和主義者のメンバーを暗殺する依頼であったが、いくら犯罪者とはいえ挽歌は人間を斬るために《懺悔の唄》を携えているわけではない。こういった暗殺依頼も挽歌は断っている。


「……ん?」


 適当に決めてしまおうか、そう考えた挽歌の眼に変わった内容の任務が留まった。それは第一級解体師には不釣り合いな難易度の任務だった。おそらく送信先を間違えてしまったのだろう。それは下積みの解体師が防衛都市内の見回りついでに行うような任務であった。


「今日はこれに決定だ」


 宙に浮かんだホログラムを指先で弾き、温めた人工ミルクを冷まそうと息を吹きかけている零華の目の前に飛ばす。


「どれどれ」


 手に持ったコップを置き、零華は任務の内容を目で追い始める。


「『第八防衛都市で多発している自殺についての調査』……? 先輩、本気で言ってますか?」


「うむ。たまには戦闘の必要がない任務を受けても罰は当たらないだろう」


 したり顔で満足げに頷く挽歌。

 来る日も来る日もレプリカント相手に命の駆け引きを行っているのだ。数日くらいは《懺悔の唄》を休ませても良いだろう。


「まあ、私は構いませんが……確かに、最近の自殺者数の増加は話題になってますね。聞き伝えでは自殺するような素振りを見せなかった人間が突如として自らの命を絶つとの話です。法螺話でしょうが、いきなり頸動脈を掻っ捌いたりするらしいですね。なんであれ局所的に連続して発生しているので何らかの要因が存在することは明白でしょう」


「まあ、私ほどの解体師になると直感でわかる。どうせ幻覚作用のある薬物が流行して、気の狂った人間が自殺しているのだ!」


「ううん……そんな単純な話にも思えませんが……」


 根拠もなく自信満々に語る挽歌に冷ややかな視線を送りつつ、零華は丁度良い温度になった人工ミルクに口を付けた。


 帰納的推理によって結論を導き出すためには、いくつもの証拠を用意する必要がある。この際に必要となるのは、挽歌が持つような鋭い勘ではない。

 証拠が完璧に揃うまで調査を続けられる努力が必要なのだ。

 そのことを零華は熟知している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る