第4話 == 決意

 夜のように深い闇。深淵に身体が沈んでいく感覚。


 死という概念を体験するならば、このように不可思議な感触を味わうのだろうか。

 いや、そもそも自分は一度死んだ身体だった。


 あの時に体験したのは、ただの『無』であったことを覚えている。セナに蘇生されるまでの数分、数十秒の間だが、あそこには『虚無』以外の何も無かった。


【目を覚ましてください。零式さま】


 誰かの声が聞こえる。

 背筋が凍えるような、それでいて安心のできる懐かしい声だ。


「君は……誰だ?」


【私のことを思い出す必要はありません。貴方の世界に、私は不必要なのですから】


 その声は、そうとだけ零式に伝える。

 誰かは分からない。だが、ここで手放してはいけないと、零式の本能が告げている。


【ここは、貴方が来るべきではない世界。貴方は、まだ死ぬべきではないのです。まだ、貴方が殺すべき機神は大量に居るのですから】


「待て、誰なんだ君は……! どうして、こうも僕の心をかき乱すッ!」


 視界には何も映らない。どこに居るのかも分からない。

 そんな存在を逃がすまい、と零式は藻掻くように手を伸ばした。

 だが、無慈悲にも零式の手は虚空を凪ぐだけだった。


【貴方のことは、これからもずっと近くで見守っています。だから、今だけは私のことを忘れて、本当に貴方を必要とするひとの元に、戻ってあげてください】


「――柩ッ!」


 それは、崩壊した記憶の残滓。

 思わず口から出た単語は、零式には身に覚えがない単語だった。それが棺桶と同じ意味を持つ単語であることは理解している。それも、人が入っている棺桶を指す。


 だが、それと自分の関係性が見出せないのだ。


【貴方が私を想って苦しまれていたのは存じております。だから、貴方が二度と苦しまないように……私に管理者権限が任せられている間に、貴方の魂――自我データから、私に関する記憶を完全に殺させていただきます】


「君は……ッ! 待て、柩ッ!」


 記憶の欠片と欠片が繋がり、それは徐々に柩という機神との思い出を構築する。


 止めろ、止めろ。


 そうやって、君はまた――


 ――また、自分を殺すのか。


【今度こそ、さようなら。零式さま、お慕い申しておりました】


 鮮明に思い出された彼女との記憶が、ジグソーパズルを分解するかのように解けていく。

 溶けていく。


「――君は、本当に」


 わがままだ、と零式が口にする前に、彼の意識は暖かな波にさらわれて消えた。

 

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