2-2 君を守る

「あのぅ……助けてくださったのはありがたいんですけど、あなたたちは一体……?」


 少女は不安そうに零式ぜろしき琉琉るる挽歌ばんかを順に見てそう言った。まだ完全に自身が置かれている状況を把握できていないらしい。


 零式たち三人は簡単な自己紹介を済ませた後、少女に質問することにした。

 まずは少女の緊張と警戒心を解くことが最優先だ。その点では琉琉の馴れ馴れしい態度は一部には有効なのかもしれないが、大抵は逆効果だろう。


 琉琉に話の流れを支配される前に、零式が少女に問いをかけることにする。


「安心してくれ、僕たちは君の敵じゃない。昨晩、君が機神兵きしんへいに襲われているところに駆けつけて保護させてもらったんだけど、昨日のことは覚えているかい?」


「……ッ!」


 零式が問うた瞬間、少女の表情に強い恐怖の感情が湧き上がるのが見て取れた。


 無理もない。襤褸ぼろ切れのような酷い格好のまま、両足に深い切り傷を作るほどの必死さで逃げ続けていたのだろう。それも、相手は忌むべき存在である機神兵だ。


「僕たちは君を酷い目に遭わせた機神兵を解体したい。だから、君の知っていることを教えてくれないかな。そうだ、君の簡易識別名は?」


「ど、簡易識別名ドメイン……?」


 少女はゆっくりと首を傾げた。


 どうやら、簡易識別名が何かわからないらしい。防衛都市では個々人は一二桁の個体識別番号で登録されているため、本名というものが存在しない。しかし、他者とコミュニケーションを取る場合に識別番号で呼び合うのは困難であるため、簡易的な名前を付けるのだ。

 親から譲られた簡易識別名ドメインで過ごすのが大半であるが、偶に識別名を変更する者もいる。


「あーもう、女の子の名前を聞くだけなのに『君の簡易識別名は?』なんて硬い言葉が出るのが驚きね……ねぇ、貴方の名前はなんていうのかしら?」


「名前……」


 少女はしばらく黙り込む。そして、申し訳なさそうに笑った。


「すみません……私、ここ数日の記憶しかなくて……気がついたら、あの人に追いかけ回されていたっていう直近の記憶しかないんです」


 零式は少女の顔を観察する。


 表情筋や目の動きを観ることで相手が嘘を吐いているかどうかをある程度判断することは可能だ。だが、少女の表情には何一つ不自然はない。

 それは、少女が本当に記憶を失っているということを語っていた。


「……何も、思い出せないのか? どんな些末なことでも良いんだ」


「ご、ごめんなさい。自分自身が何者なのか、どうしてあの人に追いかけられていたのか、私自身全くわからないんです……」


「……そうか」


 機神兵きしんへいに追いかけられている最中に頭に強い衝撃を負うことでもあったのか。

 それとも、機神兵に追いかけられた恐怖によるストレスが起因して記憶喪失となったのか。

 そのどちらでも、少女から情報を得ることが不可能であることは変わりない。


 零式と少女が共に無言となり、病室内を静けさが支配する。

 その静けさを切り裂くようにして、ベッドに腰掛けていた琉琉が口を開いた。


「記憶喪失ねぇ……なら、思い出すまで保護するしかないわねー」


琉琉るるさん。この少女が記憶を取り戻すという確信はあるのか?」


 確かに琉琉の提案には一理ある。

 記憶喪失となっても、記憶を取り戻すという事例はある。

 だが、この少女が短期間で記憶を取り戻すという保証はどこにもないのである。


「馬鹿ねー、そんなもんに確信なんてないわ」


「なら、いつか記憶を取り戻すまで保護するという考えは無理がある」


「あんたの言うとおり、この子が記憶を取り戻すかどうかなんてわからない。でも、身寄りのない記憶喪失の女の子を帰すことなんてできないでしょ?」


「それはそうだけど……」


 そう言って零式が少女を一瞥すると、彼女は再び申し訳なさそうに笑みを浮かべた。

 琉琉の言いたいことは判る。この少女には帰るべき場所がないのだ。


「それに……その機神兵がもう一度、この子を襲いに来るっていう可能性もあるでしょ?」


「……確かに、その可能性は高いと思います」


 そう答えたのは、すっかりと顔から熱が抜け、冷静さを取り戻した挽歌である。


「私が零式が駆けつけたことで機神兵は去って行きました。しかし、彼女が一人という無防備な状態になれば、再び襲撃を仕掛けてくるという可能性は十分考え得ることができます」


「なら、彼女は機関に保護してもらい、僕と挽歌は独自に機神兵の情報収集を行う。そういうことになるのか?」


 零式が提示した方式であれば、効率的に機神兵を探すことができる。

 零式や挽歌が足を使って機神兵を探している間に、少女が記憶を取り戻せば良いのだ。

 しかし、琉琉は零式の提案に少しばかり苦笑して答えた。


「それがねぇ……現状、機神兵と戦うことができるカーネルの持ち主は零式と挽歌ちゃんしか残っていないのよ。他のカーネル所持者は十掬ちゃんの護衛に行ったり、機神解体の任務で出張していたりで街に残ってないわ。だから、この子の護衛はあなたたちのどちらかにしてもらう必要がある、かしらねぇ……」


「なら、仕方がない。機神兵の捜索を僕が担当して、彼女の護衛を挽歌が担当する。挽歌はカーネルの修復を待たなければいけないし、任務の最前線に向かうのは僕で良いだろう?」


「む……不服だが、それが一番良い選択だろう。今回は貴様に奴の首を譲ってやる」


 少しばかり気が進まない様子であるが、挽歌は首を縦に振って承諾の意を示した。


 彼女も《懺悔の唄エレギア》の仇を取りたいのだろう。だが《懺悔の唄》を修理に出している以上、彼女は機神兵に牙を剥くことができない。


 それに少女を護衛するならば、同姓である挽歌が適任だ。

 その方が少女も安心できるだろうし、なにより零式はコミュニケーションが苦手だ。


「……いや、だめよ。それは非効率すぎるわ」


 しかし、零式の提案を琉琉は『非効率』の一言で切り捨てた。

 その『非効率』という、自身が最も嫌悪する言葉に零式は明らかな反応を見せる。


「非効率? 琉琉さん、僕の計画の何処が非効率なんだ。これが最も効率的な案だろう?」


「あんたね……本当は倒れそうなほど疲労しているでしょ?」


 普段は見せないような真剣な眼差しで、零式の全身を観察する琉琉。何もかもを見抜いているかのような双眸が、零式に『嘘を吐くな』と語っている。


「……はぁ」


 零式は諦めたかのように深い溜め息を吐いた。

 図星、である。


「あの治療システムは、自然治癒力を一時的に活性化させることで使用者の傷を癒やすの。だから、怪我は治るけれど体力消耗は著しい。そんなふらふらな身体で機神兵を倒せると、本当に自分で思ってるの?」


 琉琉に問いただされ、零式は答えを出すことができない。

 自身の身体が酷い疲労感に苛まれていることは、自分自身が一番良く知っている。


「それに、挽歌ちゃんの《懺悔の唄エレギア》は手入れの簡略化を図るために刀身がモジュール化されているの。だから、替えの刀身を付け替えたら今すぐにでも使うことができる。それに比べて、あんたの身体は少なくとも一日、二日は休息を取らないと使い物にならないわよ?」


「……確かに、琉琉るるさんの言うとおりだ」


 零式は素直に彼女の言い分が正しいことを認める。

 琉琉は常にふざけた態度を取ってはいるが、全体像はきっちりと把握している。

 それ故に、解体師に適切な指示を出すことができる指導者としての一面もあるのだ。


「だから、零式がこの子……えっと、なんて呼べばいいかしら?」


 琉琉はゆっくりと振り返り、緊張して黙ったままの少女に問いかけた。

 少女は唐突に話しかけられたことに驚き、あわあわと必死になって言葉を探している。


「え、えっと……その……なんでも構いませんよ」


「そうねー。綺麗な白髪だし、ホワイトディザスターなんてどうかしら!」


「それは嫌です!」


 少女は即答し、助けを求めるような瞳で零式と挽歌に視線を送った。その他にも奇怪な呼び名を提案する琉琉を完全に無視している。


「もー、それじゃあ何が良いのよー」


「あなたが名付ける名前以外が良いです!」


 話が進まない。

 そう感じた零式が適当な呼び名を探そうと、どこかで見聞きした『女の子に多い識別名ランキング』を思い出そうとした時だった。


「……そういえば、件の機神兵が彼女のことを『アーセナル』と呼んでいたのだが」


 神妙な面持ちで挽歌が『アーセナル』という単語を口にした。負傷して意識が朦朧としていた零式には聞き取ることができなかった単語である。


「……機神兵が彼女のことをそう呼んだのか?」


「うむ。逃げ際に一言だけ彼女のことをアーセナルと呼んでいた、と思う」


 挽歌は自身の記憶を引き出して、再び検証を行う。

 相棒である《懺悔の唄》を破壊されて、全身に燃えるような怒りと凍えるような恐れが沸き立ったことが今でも思い出される。


 忘れるわけがない。機神兵は間違いなく少女をアーセナルと呼んでいた。


「……間違いない。アーセナルという単語が彼女自身を示すものなのか、それとも彼女と関連のあるだけの単語なのかはわからない。でも、奴は確かにアーセナルと言っていた」


工廠アーセナル、か。彼女のどこをどう見ても、そんな物騒な代物には見えないけどね」


「え、えへへ……」


 零式の視線に気がつき、少女は恥ずかしそうに身体をもじもじと動かした。少しだけ伏し目になり、耳を真っ赤にさせながら羞恥に耐えている。


「……あ」


 少女が裸の上に薄い病衣を羽織っているだけの格好であることに気がつき、零式は申し訳なさを感じて目を逸らした。裸体に近い格好を男性である零式に眺められれば、羞恥を覚えるのも仕方ないだろう。


「……すまない」


「い、いえいえ! 大丈夫ですから!」


 はにかみながら、優しく微笑む少女。


 彼女からは物々しい雰囲気など欠片も感じることができない。工廠などという呼称で呼ばれるには、あまりにも普通の少女すぎるのだ。

 しかし、他に良い案がないのも事実だ。ならば、それを利用するのが良いだろう。


「じゃあ、アーセナルは少し長いから短縮しよう。セナ、でどうかな?」


「あ……その名前、かわいいです」


「よーし! それなら、セナちゃんで決定ね!」


 セナという名称に少女が好印象であると判断するや否や、琉琉はポケットからフェルトペンを取り出して未記入の名札に『セナ』と丸い文字で記入する。

 そのまま、少女の病衣に衣服用強力接着剤クロスボンドでぺたりと貼り付けた。


「じゃあ……零式がセナちゃんの護衛を担当して、挽歌ちゃんが機神兵の捜索をするっていう担当割り振りで良いかしら?」


「あぁ、僕はそれで構わない」


「私も異論はありません」


 零式と挽歌は、もはやそれ以外の計画はないと言わんばかりに即答する。零式は最も効率的な作戦であれば素直に従うし、挽歌も上司の命令であれば逆らうことはできない。

 そもそも、合理的な作戦を前にして挽歌が逆らう理由はないのである。


「それじゃあ、セナちゃん。九九式機関が認可している廃品回収業者スカベンジャーの零式が、今日から貴方のことを機神兵から保護します。ちょっと偏屈で内向的なへたれ男だけど、貴方の命の恩人でもあるし、仲良くしてあげてくれるかしら?」


「は、はい! こちらこそよろしくお願いします。そ、その……零式くん!」


 思わずこちらの口元が綻んでしまいそうな満面の笑みを浮かべ、少女はそっと手を差し出した。零式はほんの一瞬だけ、差し出された手の意味がわからずに躊躇する。

 これは契約という意味合いでの握手なのか、親愛という意味合いでの握手なのか。


「あ、あぁ……よろしく」


 少し遅れ、零式は差し出された手を握った。


 この握手の意味合いが契約だろうと親愛だろうと、関係はない。

 機神兵から少女を守るという任務なのだから、ただそれに従えば良いだけなのだ。


「あ。言い忘れてたけど、今回の機神兵きしんへいを解体し終えるまで、セナちゃんには零式の家に滞在してもらうことになるけどいいわよね?」


「えっ」


 琉琉の言葉に、セナの表情に明らかな動揺が見て取れた。護衛とはいえ、零式は初対面の上に一人の男なのだ。一人の少女であれば当然の反応だろう。


 しかし、セナよりも動揺している少女がもう一人。


「な、な……そ、それは、零式とセナが同じ屋根の下で暮らす、ということですか!?」


「ええ、そうよ。何か異論でもあるの? 挽歌ちゃん」


「だだだ、だって! この病室で寝泊まりすれば良いではないですか!」


 琉琉に詰め寄り、焦燥と困惑が入り交じったような表情で講義する挽歌。


「それは流石に無理よー。だってこの病院、中央区のど真ん中にあるのよ?」


「うっ……それはそうですが……」


 琉琉の一言に、挽歌は怯んだ。

 中央区という安全が確立された地域に、セナという危険因子を匿うことがどれだけの危険を孕んでいるのかを理解したのである。


「中央区に住むお偉いさん方は自分の身の安全にはうるさいからねー。それに機神兵との戦闘で動力炉歯車発電施設が被害を受けようものなら、この街が滅ぶことになるのよ?」


 『オリジン』の庇護下にある第八防衛都市の中で最も影響力が強く、安全なのが中央区だ。

 そのため都市を運営するのに必須となる多種多様な施設が集積しており、都市全体に電力を供給している動力炉歯車発電施設もその内の一つである。


 そして、その発電施設が停止することは、第八防衛都市の死を意味する。


 『オリジン』は第八防衛都市に存在する通信端末群を相互通信させることによってメッシュネットワークとして利用し、自身の支配力を伝播させている。しかし、電力が途絶えて全てのシステムが機能停止に陥れば、いくら『オリジン』であろうと遠隔でレプリカントの機能を掌握して無力化させることはできないだろう。


 すなわち、レプリカントを防ぐことができなくなるのだ。


「で、で、でも! 零式とセナだって、一緒の住まいは嫌だろう?」


「僕は別に構わない。それに、僕の自宅は第三外周区にあるから多少の襲撃を受けても都市全体に与える損害は非常に少なくて済む。実に合理的だ」


「ご、合理的だって……き、貴様の脳味噌は能率的であるかどうかの二者択一ブーリアンの答えしか導き出せんのか……?」


「たとえ真か偽の二択しか答えを出せなくても、それなりに生きていけるものさ」


 言うと、挽歌は「話にならん」とでも言いたげにそっぽを向いた。そのままベッドで寝転がっているセナに迫り、すがるような目を彼女に向けた。


「せ、セナはもちろん嫌だよな!」


「い、いえ……私は保護してもらう身ですから文句は言えませんし……」


「なぁに、私たちの間柄なのだ。遠慮せずに不平不満を口にして良いのだぞ!」


「いや……あの、その……別に私、嫌じゃないです、よ?」


 躍起になっている挽歌にそう答えた後、セナは少し恥ずかしそうに俯いた。


「確かに、命の恩人である零式に好意を持つのはわかる。だがセナよ、それ以前にあいつは男なのだぞ!? 男女七歳にして席をなんたらとも言うし、流石に……なぁ」


「……挽歌。君は僕とセナが不純な関係を持つ可能性を考慮しているのか?」


「な、なんだその顔は……馬鹿にしているのか? 無論、その通りだ! だ、だってこんなに可愛らしい娘を野放しにする男がいるとは到底思えぬ……」


「はぁ……」


 挽歌の発言に対し、零式は呆れかえって溜め息を吐いた。


「今回の任務において、彼女は依頼者で僕は請負人だ。それ以上でもそれ以下でもない。任務中に私情を挟むのは青二才のやること、それは君も十全じゅうぜんに理解しているはずだ」


「……むぅ、それはそうだが。本当にセナもそれで良いのか?」


 零式に正論を説かれ、すっかりと消沈する挽歌。これで最後とばかりに、ちらりと弱々しい視線をセナに向けて尋ねた。


「はい、大丈夫です!」


「むむむ……それなら良いのだ。わ、私はどうなっても知らんからな!」


 そう吐き捨てて挽歌は病室から出て行った。


 何を言っても無駄だと悟り、自身の相棒である《懺悔の唄エレギア》の修理を急かしに行ったのだろう。このように計画が決まれば、彼女は行動に移すのが早い。


 挽歌が出て行き、開かれたままのドアを眺めながらセナは小さな声で呟いた。


「――それに、零式くんは命の危険を冒してまで私を助けてくれました。その零式くんを信じることができないなら、私は何を信じることができるのでしょう?」


 その問いは、誰かに向けられたものではない。

 だが、強いて言うならば、彼女自身に向けられた自問であろうか。


「……」


 彼女の独白に、零式は答えることができない。

 記憶を失ったセナが頼ることができるのは、零式を筆頭としたごく少数の人間だけだ。そのごく少数を信じられないという理由で切り捨てたならば、彼女には何も残らないだろう。


「セナ」


 零式は、自身が名付けた彼女の新しい名前を呼んだ。

 彼女の問いに対する答えを出すことはできない。だが、自身の考えを言うことはできる。


「君が僕を信頼しようがしまいが、僕の任務内容に変わりはない。僕は僕の方法で君を機神兵から守るだけだし、君も僕に守られるだけだ」


「……はい」


 君の意志は関係なく物事は進む。零式は暗にそう告げた。

 零式の意図を汲み取ったのだろう。セナはしょんぼりと頭を項垂れる。


「でも、僕はあらゆる脅威から君を必ず守るということを誓おう。だから、君が他に頼ることのできる人間がいないのなら、せめて僕だけでも信じてほしい」


 言って、零式はセナに手を差し出した。

 これは契約でも親愛でもなく、何の変哲も無い『約束』という意味合いでの握手である。


「君を機神兵から守るという任務とは別に、これは僕と君の個人間プライベートでの約束だ」


「約束……ですか?」


「ああ、ただの約束だよ。何の拘束力も有さない、非常に脆弱な取り決めだ」


 だけど、と一言。


「そんな脆く儚い取り決めでも、互いの意志の強さで強力な力にも化ける。それは、僕の意志と君の意志が相互的に作用して生まれる結束力だ。これは、他者には気安く断ち切ることはできない力でもある」


 物事を遂行する上で、意志の強さというものは重要な要素となり得る。どれほど簡易な目的であっても、意志が弱ければ達成することはできない。同じように、どれだけ難しい目的であろうと、意志が強ければ達成は可能だ。


 この任務の場合、もし機神兵と戦闘することになれば、セナを守り切るという目的の難易度は非常に高いものになるだろう。


 だから、意志を高める必要があるのだ。


「僕は、僕の意志で君を守っても良いだろうか?」


 その言葉は、依頼者であるセナに対する建前ではない。

 紛うことなき零式自身の意志であり、詰まるところ心からの本音なのだ。


「……え、えっと、えっと」


 セナは仄かに頬を紅色に染め、どう返答すれば良いのか困惑している。

 彼女があたふたする様子を無表情で眺めながら、零式は確信していた。

 目の前に居る記憶を無くした孤独な少女には、どこか自分自身と似たような感じがする。


 それは、おそらく空虚感、であろうか。


 一見して元気の良さそうな少女であるが、おそらく何処かで何かが抜け落ちている。その欠落によって生じた違和感は、普通の人間にはわからないほど些末なものだろう。だが、同じように空虚感を抱いた人間である零式には、その微細な違いを判別することができた。


 記憶と共に全てを失ったセナと、大切な人を自分の手で解体した零式。

 ――両人とも、何かを失っているのだ。


「……駄目かな?」


「い、いえ! 全然……駄目じゃないです!」


 零式の問いに対し、セナは身体を起こして首をぶんぶんと横に振った。彼女の白髪が擦れ合い、さらさらという心地の良い音を奏でる。

 そして二、三度だけ零式の顔と手を交互に見た後、セナは零式の手を握りしめた。


「私も、私の意志で零式くんに守られても良いですか?」 


「ああ、まかせたまえ。たとえ何が敵に回っても、君を守ることを僕は約束するよ」


 言って、零式はセナの暖かい手を握り返した。


「……なんだよ、琉琉さん」


 琉琉から妙にじっとりとした視線を注がれ、零式はばつが悪そうにセナの手を離す。


「なんにもないわよー。最近の若い子は仲良くなるのが早いんだなぁ……ってね」


 琉琉はわざとらしい強弱を付けてそう言った。普段通りに笑ってはいるが、零式とセナを眺める双眸そうぼうは全く笑っていない。


「いや、まだ仲良くなったわけじゃない。ただ、約束をしただけだよ」


「いいなー、あたしも『お前を守る』的なこと言われてみたいなー!」


 年甲斐もなく頬を膨らませ、ベッドの片隅に突っ伏して藻掻もがく琉琉。


 立派な大人なのだから、せめてもう少し落ち着きというものを持って欲しい。普段通りのことなので琉琉の痴態に零式は対した反応を見せないが、セナはベッドの片端に避難して『こんな大人が存在するのか』とでも言いたげな表情でそれを眺めている。


「琉琉さんに素敵なボーイフレンドができることを心から祈っておくよ」


 零式が心にもないことを言ったのがばれたのか、琉琉に睨み付けられる。

 その厳つい睨み顔さえも美人と呼べるものなのだから、騒がしい性格さえ直せば彼氏の一人や二人くらい容易に作れるだろうと思う零式である。


「あー、黙れ黙れ。あと今からセナちゃんの簡易住民手続きを進めに行くから、さっさとこの部屋から出て行ってくれる?」


「……ん。どうして僕が退室しなければならないんだ?」


「あんたが居たら、セナちゃんが着替えられないでしょ! ほら、出て行く!」


 琉琉に無理やり背中を押され、零式は病室から追い出される。わざとらしい大きな音と共に扉が閉められ、廊下を歩いていた看護師や患者の視線を集めてしまう。好奇の目に僅かながらの不快感を感じつつ、零式は緩んでしまった黒いマフラーを巻き直した。

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