8月26日「キミハトモダチ」


三十八日目









 手を伸ばす。暗い中彼は確かに掴む。捕まれたそれは暴れる。だが、それは頓着せず、躊躇いも無く、その声を押し潰す。


 声にならない声を上げる。その意味をそれは理解できない。いや、何となくは理解できる。だが、その言葉を聞き取ることはできない。ただの音にしか聞こえない。だが、滲んでいる恐怖を感じ取る事はできる。楽しくなる。嬉しいと思う。もっと震えればいい。


 最初、閉じこめられた時の恐怖はこんなものではなかった。あの時は幾らかの言葉を理解していた。太陽の光についても憶えている。出ようと思えば、出られた。だが──彼はここに留まる。


 五月蠅い──。


 力を加えた。頸骨が砕ける。脆い――。


 洞窟内に反響する音。悲鳴と絶叫、苦悶、憤怒全てが混ざり合う。その手がせめてもの反抗を試みるが、彼は涼しそうにそれを受け止めた。何気ない手振りで、頭を岩に打ち付ける。震え、カクカクと三秒ほど震えて、力を失った。頭蓋骨がうまい具合に、陥没し、割れている。


 その手で、脳を抉りだして舐める。食事が一番の至福だ。だが、これは不味い。


 手足を引き離す。そのまま囓る。肉が固い。これは今一だ。まぁ、腹も減っているし、贅沢は言えない、と彼は考える。


 息をつく。食いかけをそのまま捨てた。


 早く、ありつきたい。そう思う。唸る。こんな、固い肉じゃない。若さに溢れた、純粋で、諦めというものを全く考慮しない、そんな人間の肉を。それを絶望に染める瞬間はとても美味しいだろう、と思う。夢想する。小さく笑む。


 疲れさせる必要がある。ただ食べるだけじゃダメなのだ。これは狩りだ。知的なハンティング。いかにクールに追いつめて、いかに恐怖を浸透させて、生きたまま食すか。ゲーム、と言ってもいい。ただ食うだけなら、どんな肉でもいい。


 脳味噌を啜る。聴覚が一つの音を確認する。


 ──動いた。


 その肢体を投げ捨てる。標的はここの地理をよく知らない。彼は寝ながらでも、追いつめれるほど熟知している。この差は大きい。


 彼は動く。四肢でゆっくりと駆ける。距離を置いて。少しずつ少しずつ。追いつめる方法を、楽しみながら考える。ふと思う。今までにないほど、歓喜している。嬉しくて嬉しくて、喜んでいる。食べたい? そうじゃない。それより、それより──遊びたい──


 遊びたい? 遊ぶって何だ? 食べる以外に何がある?


 出たい? この暗闇から? でも太陽が怖いのに?


 会いたい? 会いたかったの? なんで?


「バ、ケ、モ、ノ」


 そう彼の事を、いつも侵入者達は言う。いい言葉じゃないのは分かる。どうでもいいと思う。どう言おうと、ここに迷い込んだら、生きてなんか返さない。食い尽くすだけだから。骨まで食べ尽くすから。


 でも、と思う。でも、でも。でも。近づきたいという興味、食いたいという食欲、それ以外の何か。混乱する。殺意を灯す。とりあえず、よく分からないけど殺してあげればいい。そう結論づける。それでいい。それでいい。それでいいから。混乱そのものを打ち消して、殺意を剥き出しにする。


 手をかざす。岩をゆっくりと押す。かちん、何かが何かと噛み合った。


 彼はわざと──罠を作動させた。











 沈黙。冷たい空気が流れた。照は冷然と玉置議員を見つめた。楠はその場にいないように、事務仕事を続けている。


「子どももろとも、閉じこめた」


 苦悶の解答を、玉置議員は繰り返す。


「……」


「最初は、私もそんなつもりはなかった」


「……」


「みんな、そんなつもりはなかったのだ!」


「だから、何が起きたんだ?」


「……それは」


 口を紡ぐ。と、楠が照に一冊の書類を置く。荒い文字が多いのは、早急にFAXで取り寄せたせいだろう。照はパラパラと見やる。ため息が出た。


「10年前失踪したのが、矢島浩一郎と謙太の親子か。書類上では、一週間、親子の姿を見ないと住人達が駐在所に連絡。その一週間後、岩手県警へ報告、三日間の捜査があるも、足取り全くなし。全国捜索願出されるも、手かがり無く、その後捜査は打ち切り」


「どこでそれを──」


「お前らが忌々しく思っている夏目の情報網だ」


 とつまらなげに言う。


「問題はその後の情報だ、な」


 さらにパラパラとめくる。


「定期的に、里の住人がいなくなっている。失踪、あるいは病死、交通事故、熊にやられた、という報告はあるが、これは本当にそうか?」


「……」


「本当にそうなのか?」


 目を伏せる。ぐっと、拳を握る力が強い。表情はますます苦悶と苦痛の色を濃くしている。むしろ、その色に罪悪すら、滲ませていた。


 ノックの音がする。楠華が、許可も得ず、入ってきた。


「照さん」


 にこっと笑って、歩く夏目の情報網が、両手で抱えきれないほどの書類を、照の前に投げ出す。


「ご苦労さん」


 とそこにあるのは、公然とはされていない、あくまで極秘裏な、金山採掘従事者の名簿と、周囲の関係。そして、地図だ。照はそれと名簿を一つ一つ、見比べていく。結果は全て、一致する。


 さらに照は、不自然な死に方をした里の住人の警察の調書を手にする。


「バカな、そんなものを何処で!」


 玉置議員が呻いた。


「必要だから手に入れた。それ以外の他意は無い」


 と照はぶっきらぼうに言う。と、その読む手を止めた。


「なんだ、こりゃ」


 と書類を投げつける。空白の欄は多いし、あまりに描写が曖昧すぎる。こんなもので、行政書類として通っているのかと思うと、涙すら出てくる。


「熊と思われる動物に、食い殺されたり、白骨死体が出たり、そんなのがここ十年で、あまりに多い。熊、じゃないな?」


「わからん。わからんのだ!」


「は?」


「生きているはずが無い。罠を作動させて、親子を生き埋めにしたはずなのだ!」


 先人が設けた金山の罠は、冷徹冷酷怜悧だ。予備知識なくして、金山の中を探索し、採掘する事など不可能に近い。それをあえて、玉置議員は発動させた、と言う。


「……なんで?」


「金を持ち逃げしている、という噂があった」


「でも、それは噂なんでしょ?」


 と華が口を挟む。それを楠は冷たい視線を送り、たしなめるが華がそれで納得してくれるはずも無い。と言うよりも、華はこれでもガマンしている方だ。本当はさっきから、怒りで腹が煮えくりかえっている。


「その噂を制止できなかった! 噂が噂を呼んで、我々は悪循環に陥ったのだ。私には。それを管理する事ができなかった。夏目、あれはお前らの仕事だったんだ!」


「知るか」


 と照は表情一つ変えず、言い放つ。


「な──」


「書類上、お前達に譲り渡したしたんだ。公的にも、夏目のものではなくて、お前達のものだ。それが管理できなくなって、俺達のせいにしようなどと、遺憾も遺憾だ。むしろ、俺の子ども達の安全を保証して欲しいぐらいだ」


 ぐっと、と首そのものを鷲掴みにする。


「お前は、なんだかんだ言って、名誉と虚栄を守りたいだけだ。お前の娘は? 助けなくていいのか。それでいいのか。聞いていれば、お前は自分たちを擁護する言葉ばかりだな。それでいいのか、本当に良いのか?」


「……」


「文句は言わせない。俺は、自分の弟の子ども達と、その賓客を守る義務がある。お前らがそれを妨害すると言うのなら、夏目の総力を結集して駆逐してやる」


 と吐き捨てて、玉置議員をソファーへ押し込む。


「だが、お前の娘は助ける。何があっても、どんな秘密を隠していたとしても。大人の言い訳の代償にさせるな。それだけは絶対に許さない」


 照は立ち上がる。楠夫妻を見やる。


「行くぞ」


 スーツに袖を通して、照は議員を全く関与せず、出る。楠もそれ続いた。華はじっと、議員を凝視する。時計の針だけが、ちくたくと進んでいく。


「いつまでそうしているんですか?」


「……愚かなのは分かっていた」


 唇を噛む。目の焦点すら虚ろだ。意志が弱い。彼の中のナニカが、ぼろぼろと崩れ落ちていくのが目に見えて分かった。彼は彼なりに、里の住人達を守るのに必死だったのだ。その必死さは、照が陽をなくしてから、企業・夏目を守ろうとした努力と同類項とも言えなくも無い。


「悔恨なら、この10年ずっとあった」


「そう」


「無駄な事をしていたんだな」


 小さく自嘲する。クスクスと笑う。やがて喜びじゃない笑顔へ。卑屈とした哄笑へ。歪んだ笑顔で、自分をなじる。その姿が華は、どことなく、照と重なる姿を見た。


 (私はお節介すぎるんだろうな──)


 小さく息を吐く。


「で?」


「………」


「だから?」


「………」


「それが、志保ちゃんと何の関係があるの?」


 玉置議員は顔を上げる。若手議員として人気を博していた里の気鋭も、この面談で一気に老け込んだ感じがする。秘密を守り通すのに疲れ切った、そんな表情だが親である以上、疲れ切ったなんて言い訳をさせるわけにはいかない。それでは志保は投げられたに等しいではないか。それではあまりに志保という女の子が可哀想すぎる。


「罪は罪。それは夏目も貴方も同罪」


「なにを言って、夏目は我々に金山の所有を──」


「だとしても、企業が地域の理解を得られず壁を作っていた事に問題はある。問題はそこじゃないの! 志保ちゃんは? 志保ちゃんはどうなるの、って事なの」


「それは……」


「悔恨も後悔も、後でなさい。志保ちゃんを助けてから」


「不可能だ、知識もなく、金山の中に落ちたとなれば。それ以前に絶命している可能性のほうがはるかに高い」


 意識していなかった。自然に、その手が玉置議員の頬を打つ。ぱん、乾いた音が室内に響いた。


「あんたは親でしょう!」


 怒号のような叫び。その肩をゆする。日向がここにいたら、同じような事をするだろう。ここの状況下にいたら、陽と茜はもっと早く行動に移していた。でも、彼らは守りたくても守れない。同じく、失ってからでは遅いのだ。失ってからでは取り戻せない。


 だからみんながみんな、何も言わず、何も語らず、ただ晃と仲間達を助けたい一心で動いているのだ。きっと彼は後悔するだろう。体裁を保つ事に必死だったのなら、なおさら。それに苦渋の決断を強いられて、今度は娘を失う事になったら、きっと立ち直ることなんかできるはずがない。


 華は無理矢理、玉置議員の腕を引く。











 日向、朝倉、そして北村、長谷川の四人は、洞窟の入り口を見つめていた。


 そこに陽大達が入っていくことを確認する。


「難儀だな、照も」


 と朝倉は小さく笑んだ。難儀と言うよりは、どことなく不器用だ。こんな回りくどい手を使わないでもいいだろうにとも思うが、行政の意味不明な圧力への工作でもある。企業が動くより、自由な個々人が動いていたと見せる方が、後で色々な言い訳として成立する。


「照、なんだかどんどん前向きになってるかも」


 と日向は呟く。兄をとらえての正直な妹の感想か。前向きと言うよりは、変わりつつある。陽と茜という呪縛から抜け出して、照は照、そう思うようになったのかもしれない。照からしてみたら、だ。陽の自由さ、何事にも囚われず、縛られず、伸び伸びと幸せへ手を伸ばす姿は羨ましかったし、それがコンプレックスの一つであるのは間違いない。


「いいことだろ、経営者がそうなってくれる、って事は」


 と朝倉と北村を、長谷川は見やる。元々、両者とも経営者がどうであれ頓着しない男達だ。たまたま夏目という企業に籍を置いただけ。彼らが有力だと望む企業があれば、別に躊躇は無い。ただ、居心地は良いし、作業環境としても最適化されている、というだけの事。それ以上もそれ以下も無い。企業の枠を越えてのお付き合いが、これが初めて、と言ってもいい。


 もっとも朝倉としては、照に負けず陽一郎達「俺の息子たち」なわけだが。


 北村は黙って、洞窟を見やる。団体行動は避けたい。何より、少年達の意志を尊重したい。彼らが助けたいと思う意志を。無事であって欲しい。邪な奸計に等しい、大人のやりとりに見切りをつけた彼らに、あるのは希望であって欲しい。


 と日向の携帯電話のコールが鳴る。


「いい年して、着信メロディーがキャンディーキャンディーかよ」


 と朝倉が呆れる。


「うっさいわねぇ! あ、もしもし」


「俺だ」


 とかなり緊迫した照の声が、他のみんなにも届く。今までかつて、こんな冷静さをなくした照の声を聞いたことがない。


「照?」


「陽大達を止めろ。夏目で組織を組んで、捜索プロジェクトを組む。子ども達だけじゃ危険だ」


「え?」


 意外な言葉に日向は、息を飲む。


「でも、もう中に……」


 照は言葉無く舌打ちした。沈黙。照が走っているのだろう、荒い呼吸が聞こえる。


「すぐ行く。少し待ってろ、俺と一緒に突入だ」


「え? 照? どうしちゃったのよ?」


 日向は──そこにいる誰もが、面食らう。


「危険なんだ、あの中は」


 苦渋の声。


「かなり危険だ」












 天井が揺れた。落盤。晃達は、全速力で駆けた。岩の雨が降り注ぐ。


「吉崎さん!」


「晃、とにかく走れ、走れ!」


 と吉崎は優理を背負ったまま疾走する。晃は志保の手を引いて、追随する。なんで、と思う。光の道の通りに、晃達は進んだ。何の間違いはなかっ。それなのに、それなのに、罠は作動した。


「私、何か余計な事を──」


 志保の不安を晃は、その視線だけで否定する。違う、そんなんじゃない。故意に、ここにいる誰か以外が、作動させたのだ。気付いて、いた。誰かがいる。誰かが傍で、そして時々、距離を置いて、晃達を監視している。


 誰……なんだ?


 岩の雨が止んだ瞬間、岩の下から何かに、晃の足が引っ張られた。


 呼吸。それは岩の下にいた。晃はバランスを崩す。晃は志保の手を離した。------そして、すぐ志保は晃の手を掴んだ。


「バカ」


 と晃は叫ぶ。それでも、今度は志保は手を離さなかった。強く強く、晃の手を引く。晃は志保を助けようとした。でも、そんな助けなんかいらない。そう思う。強く強く願う。助かるのなら、晃と一緒じゃなきゃ嫌だ。嫌なのだ。


「晃!」


 ターンして、吉崎も晃の手を引く。


 晃は見た。岩の下から覗かせる、紅い両眼を。変な呼吸だ。ぷしゅー、ぷしゅー。痩せた手だ、と思う。まるでトカゲのようだ。その手から伸びた爪が食い込む。


 (痛いっ)


 妙に冷静だった。志保がいるからか。吉崎がいるからか。優理がいるからか。


 ぷしゅー。ぷしゅー。紅い目は苦しそうな表情だ。牙を剥く。威嚇だ。そう威嚇したふり、なのかもしれない。


 ぷしゅー。ぷー。ぷしゅー。


 晃は、その手を握り替えした。


「サ」


 それは何かを呟いた。


「晃君っ」


 優理も這って、晃の手を掴む。


 こんなに、みんないる。志保は思う。晃は何も脅えてない。むしろ、見とれてしまった。あまりに優しすぎる笑顔を、晃は紅い目へと送っていたから。


「バ」


 それは何かを呟いた。そこから、次の発音が出てこない。晃は相手の力に反して、ゆっくりと手を握る。そのかさかさに乾いて、ぼろぼろに剥がれ落ちていく皮膚を、ゆっくりと指の腹で撫でた。


 どうしてなんだろう? 晃はどうして、そんな風に笑えるんだろ?


 天緑山には神様が住んでいる。でも、そう大人が言うのとは反対に、天緑山に近づいた大人達は帰ってこなかったり、見目も無惨な死体になって帰ってきた。腕がなかったり、脳を抉られたり、骨の一部だったり。それを、なぜか大人達は、公にはせず隠し通してきた。


 なんで、と思った。


 お父さんになんで? と聞いた瞬間、顔を歪ませた。いい顔じゃなかった。隠し通そうとするような、それでいて罪悪感のような、その一瞬だけで一気に老け込んでしまったような。お父さんは脅えていた。何に? 多分、この紅い目の存在に。


 ぷしゅー。ぷしゅー。苦しそうだ。


 紅い目──そうじゃない、これはきっとそんな名前じゃない。


 晃が、夏目晃であるように。志保が玉置志保であるように。代議士の娘という呼称では無いように。


「サ」


「さ、みしい?」


 晃が聞いた。それの呼吸が止まる。手の力が、緩む。でも、晃はその手を離さなかった。


「サ、サ、サ、サ」


「うん、寂しかったんだね」


「バ、バ」


「え?」


 晃は柔和に笑む。優しく手を掴む。吉崎が岩を掘り起こした。志保も助ける。


「ウァァッッゥゥゥッッッ」


 悲鳴を上げる。それでも、晃は手を離さず、優しくさすった。爪は肉の奥底まで食い込んだが、それでも苦痛な表情一つ見せず、微笑み続ける。


「大丈夫」


 しゅーしゅー。ぷー。ひゅーひゅー。息を吐く。吸う。


 顔がそこにあった。人間の顔だ。細くて、裸身。手足が以上に長い。土色の皮膚なのに、まるで骨が透けてしまいそうなほど、皮が薄い。大きな目、頭髪は一本も無い。目が、口が、脅えている。


「ト」


「大丈夫、僕と君はトモダチだよ」


 晃は彼を精一杯、彼を抱きしめた。


 なぁ晃? 父さんは言った。もしも独りぼっちな人がいたら、お前は声をかけてあげるんだぞ?


 ねぇ晃? 母さんは言った。どうしようもなく寂しい想いをしている人がいたら、耳を傾けてあげてね。


 受け入れてもらえないのなら、受け入れてみて。攻撃的にされたのなら、攻撃をしないで。悪意は悪意を呼ぶから、善意でなくてもいいから、精一杯、その人に耳を傾けてみて。


「トモダチ?」


 反芻する。きっと、その意味について理解はしていない。それでいい、それでいいんだ。


「バケモノ?」


「違う、君は化け物じゃない」


「バケモノ、チガウ」


「そう、違う」


「トモダチ、チガウ?」


「違う。僕と」


 自分を指さす。そして彼を指さす。


「君は」


 もっともっと抱きしめる。


「友達だよ」


 笑む。心から、伝えたい言葉を。台詞な言葉じゃなくて。


 志保の手が動いた。彼へ手を差し伸べる。彼の手をゆっくりと握る。トモダチ、彼と同じなんだ。私もトモダチが欲しかった


 代議士の娘じゃないもん。私は私。


 すがりつくように、晃と彼と、抱きしめる。その手と手に、吉崎と優理が優しく、手を重ねた。


 晃。父さんは言った。花はなぁ、水を上げないと枯れちゃうんだ。


 晃。母さんは言った。でもね、水をあげすぎても枯れちゃうの。


 優しさは水なんだぞ? あげすぎても、たりなくてもダメ。もしも水を欲しがっている人がいたら、迷わず晃は手を差し伸べろ。約束だ。


 優しさは水なのよね。だから、形なんか無いのよね。


「トモダチ」


 かくかく、と彼の体が震えた。


「ボク、キミ、トモダチ」


 口を開けた。晃の表情の真似をしたつもり──なのかもしれない。牙が、覗かせる。晃の手に食い込んでいた爪が、ゆっくりと抜けていく。目の色が、ゆっくりと消えていく。混濁。沈殿。濁っていく。


 スローモーションのように思えた。


 ゆっくりと、力が抜けていく。


「ウソ?」


 晃は呆然と呟いた。ウソ?











「晃!」


 なだれこむように、陽一郎達は駆ける。照から渡された地図で、トラップは回避してきた。だが、それを別にしても、洞窟は静かすぎた。そして、いたるところが、地図とは少し地形が変化していた。


「トラップが作動したの?」


 美樹の不安そうな声。それれを振り払うように、陽一郎達は進んだ。その足が止まる。


「吉崎!」


 と北村は声をかける。が、吉崎は北村の顔を見て、再会の嬉しさ半分、憂い気な表情が半分だった。誰かに何があった? が、晃も優理も、そして里の女の子も無事らしい。ほっと安堵する。


 だが、空気はひんやりとしていた。


 陽一郎は晃に屈み込む。


 晃は、しがみつくように、誰かの体を抱きしめていた。


「晃、無事かっ」


 続いて、照、日向、長谷川、朝倉、北村、華、楠、玉置議員が続く。誰もが、猟銃を手にし武装していた。危険と考えた照が取り揃えた。一刻も猶予もならない、という判断からだ。だが、と照は肩の力を抜く。全ては終わった、らしい──。


「化け物が、いるっ!」


 玉置議員が呻く。照は猟銃を向けた。それを日向は制す。


「違う」


 晃は呟く。


「晃?」


 朝倉が聞く。


「晃?」


 日向が、誠が聞く。


「化け物じゃない。この子は化け物なんかじゃない!」


 さらにぎゅっと抱きしめる。


 ずっと一人で、此処を彷徨っていたに違いない。誰もいなかった。ただ一人だった。会った人間は、彼を化け物の罵った。暗闇しかなかった。敵意には敵意でしか応じられなかった。こうやって敵意と殺意をむけられるから、彼も殺意を持つしかなかった。そうしないと殺されるから。こんな危険な洞窟の中で、今まで生きてきたんだから。晃はそれを悟った。


 生きて、きた。


 こんな真っ暗な中で、この子は生きてきた。


 陽一郎は、晃のトモダチにそっと手を触れた。志乃もそれに続く。陽大が、美樹が、無言で見ていた亜香理も続く。吉崎が、北村が、弥生が、優理が、志保が、桃が、朝倉が、一郎少年が、日向が、みんながみんな、彼へ手を差し伸べた。


 玉置議員は呆然とそれを見た。


「陽アニっ──」


 晃の言葉は意味を成さない叫びへ、それは嗚咽へ。亜香理はそんな晃の手をしっかりと握った。志保も晃の手を離さない。


「こんなの、こんなの、こんなのないよ。こんなのあんまりだよ!」


 陽一郎はそっと晃の髪を撫でた。


「うん」


「どうして、どうして」


「うん」


「みんな同じなのに。こうやて生きてるのに」


「うん」


「どうして! どうして!」


「うん」


「陽アニっっっっっっっっ」


 泣く、というよりは破裂した、という方が的確か。泣き叫び、体を震わせながら、武器を持った大人達に敵意を送る。手を振り上げる。それを問答無用で、陽一郎は、強く抱きしめた。志乃も、晃の頭に手を置く。晃の声は止まらない。絶望と嘆きを、純粋に全て叩き付けて。洞窟内に反響し、音が晃の気持ちを反映させて、耳に届くたびに痛い。


「晃」


「陽アニ、陽アニ!」


「おかえり、晃君」


 志乃が声をかけた。それ以上もそれ以下も無い。今は何もいらない。晃は今まで頑張った。これまでに無いくらい頑張った。その小さい体で頑張った。それなのにそれなのに、なんで現実は晃に残酷なんだろう。なんでこんなに意地悪なんだろう。


 なんで、なんで、なんで──


 晃の声にならない声を、陽一郎はただ受け止めることしかできない。


「晃、晃」


 ただ強く、弟の事を抱きしめる。誰も何もできる事は無い。過ちを埋めることもできない。許されない罪だけが、此処にある。その全てを晃も陽一郎もまた知らない。大人達はそれを思い、唇を噛んだ。


 声にならない声。言葉にならない言葉。それだけが、洞窟内に反響し続ける。


      

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