用語解説4―10話~12話編

<10話 なんで嫌われとるんやろ?>用語解説


〇ランプ

家庭で主に使われる照明器具は大正の終わりごろまで、石油ランプだった。

釣りランプ、置きランプ、台ランプなど色々とあり、日清戦争後~1930年代までが石油ランプの全盛期だった。

ただし、ススが出て部屋の掃除が大変だったり、火事が起きやすかったりなど、問題点が多かった。

昭和期に入ると、電灯に取って代わられる。

参考にしたのは、『日本インテリアの歴史』(編著・小泉和子 出版・河出書房新社)。






<11話 No man is an island.>用語解説


〇No man is an island.

イングランドの詩人ジョン・ダン(1572~1631)の詩の一節。人は孤島のように一人で生きているのではなく、たがいに影響しあって生きているという意味。

ヘミングウェイの小説『誰が為に鐘は鳴る』にもこの詩は引用されていて、詩の最後は「For whom the bell tolls(誰が為に鐘は鳴る)」で結ばれる。






<12話 誕生日パーティーをしよう!>用語解説


〇体操の授業で運動場を走らされて

女学生の体操服はかなりの紆余曲折を経ている。

『新撰体操書』(1882年)には、体操をする男と女のイラストが載っているが、男は洋服なのに対して女は和服だった。

アメリカに留学してスウェーデン体操を学んだ井口阿くりは、アメリカの体操学校で使用されていたセーラー型の体操服に着目し、帰国後に教鞭をとった東京女子高等師範学校でこのセーラー型体操服を採用した。セーラー服の下に、丈の長いブルマーを着用したのである。ただし、井口が提案したこの体操服は普及しなかった。

日清戦争後、兵士の病死者をたくさん出してしまったことから、「国民の健康な体づくりのために、体育を振興しなければ」という意識が芽生え、元気な子供が産めるように女子の体育にも力を入れるようになり、その影響からか明治31年代ごろから袴が着用されるようになった。

女学生の袴姿は通学と運動の兼用で、履物は草履から靴になった。運動時にはたすきがけで着物の袖をおさえ、袴はすそを縛った。

「袴姿なんて動きにくそう……」と思うかも知れないが、和服時代は着物の裾がいつはだけるかわからないし、草履だからよく転ぶし、大変だったはずだ。袴姿となり、女子たちもかなり運動がしやすくなっただろう。

大正期に入ると、女の子たちはテニスや野球などに果敢に挑戦し、もっと動きやすい洋服の体操服が求められるようになっていった。そして、大正後期~昭和初期にかけてブルマーが女学校で採用されるになっていったのである。ちなみに、この頃からブルマーの丈が動きやすいように短くなっている(現代人の知っているブルマーよりはまだ丈は長い)。

『花やぐ愛は大正ロマン!』は、ちょうどブルマーへと変遷していく時期なので、桜子たちもブルマーで体操の授業に参加していたと思われる。

参考文献:『近代日本学校制服図録』(著・難波知子 出版・創元社)

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