7.勧誘活動

 特筆することもなく連休は過ぎ去って、休み明け。登校してきた田中真由子に、クラスメイト全員の視線はもれなく集中した。

 漏れなく、だ。「あいつ今度は何をしでかすんだ」と、唖然と呆然の合間みたいな表情を、皆彼女に向けていた。三十近い視線に追われる彼女が小脇に抱えているのは、薄いベニヤでつくられた立て看板のような何か。

 隠すことなく携えられたその木材には、「SSS団、団員募集」と赤い絵の具で大きく書かれていた。

「作ってきた」

 自分の席に着いた田中真由子は、隣の席である俺にさらりと言った。


 なんだよその「仕事できるでしょ、アタシ」みたいなすまし顔は。


「……いや、あのなぁ」

 せめて一言相談したらどうなんだよ。連絡先交換しただろうが。ワクワクして仕方なかったのは分かるけど、そんなことしたらまた痛々しい目で見られるに決まっているだろう。

 席に着いた彼女はリュックの中からなにやら白い塊をごっそり取り出し、渋い表情を崩せない俺の机にその半分をどんと突きつけた。心なしかその瞳は輝いている。

「ビラもある」

「…………おう」

 たんと積まれた無駄に枚数の多い紙束を眺め辟易する。こんなに印刷して……受け取ってくれる人間がいると思うか、おい。

「今日の昼休みから、勧誘始めるから」

 彼女と俺の会話に聞き耳を立てていたらしい近くのクラスメイトは、俺に対しても田中真由子に向けるそれと同じような言語化しがたい視線をくれる。憐憫? 同情? なんか多分そんな感じ。困惑とか失望とか、そんなのも混じっているのだろう、嗚呼。


 もしかして俺……失敗した?



 昼休みの中屋上。北校舎と南校舎を結ぶ開けたその場所で、田中真由子は叫ぶ。

「SSS団! 団員募集中! 世界を大いに盛り上げるために!」


 それからの彼女は、水を得た魚の如くだった。

 決して俺自身のことを〝水〟だと自己評価するわけではないけれど、おそらく協力者を得たことで浮かれたのだろう。俺はもっとこじんまり、自己満足する程度の範囲でやっていくものだと思っていたのだけれど。

 っておい、「世界を大いに盛り上げ」たらまんまSOSだろ。世界を大いに盛り上げる田中真由子の団……SOT。頼むから俺のことはそっとしておいてくれよ。

「何ちょっと隠れようとしてるの! もっと高く掲げて!」

 田中真由子は後ずさる俺の袖を力強く引っ張って、どこか嬉しそうに声を荒げる。嗚呼。

「SSS団をよろしく!」

 SSS団。正式名称も活動内容も教えてもらった。想像通り、大したことはなかったよ。結局何がしたいのかよく分からない、夢見がちで痛々しい、ありきたりな想像力だったよ。

「世界を大いに盛り上げるSSS団をよろしく!」

 部活新歓も落ち着いて一ヶ月以上は経っている、場違いに静かな中屋上で、どう考えても異分子なSSS団総員二名は、すれ違う人たちから憐みの視線を浴びまくる。嗤われ、囁かれ、避けられ、当たり前だ。そうじゃない世界の方が、可笑しいんだよ。


 嫌になるくらいの青空に、田中真由子の声は響く。



 多分全校生徒中に知れ渡ってしまったことだろうと思う。三橋や森田とも、最近はなんだか少しだけ疎遠になったような気がする。

 友人たちと離れていく一方でしかし、田中真由子はどんどん親しく、というか馴れ馴れしく厚かましくなっている気がする。やっぱりあいつは単純に、他人との距離感ってものを測れないのかもしれない。

 彼女の奇行はすっかり周知のものとなり、中には目障りだと思う者たちも多く現れてきたようだった。当然だ。校内に訳分からんビラを撒いたり、朝から校門でデカい声で勧誘したり。迷惑に決まっている。今後全校集会とかで暴れ出さないか、俺はそれだけが心配だよ。



「お……岡野? お前……マジで?」

 昼休みの無意味で空回りな勧誘を終え教室へ戻る途中の廊下、田中真由子に声をかける男がいた。正面から近づいてきたその男は、実によく見知った顔だった。

 彼の名前は岡野。そう、入学当初の窓際で、田中真由子の自己紹介を聞いて固まっていた巨漢の――いや、端的にデブのクラスメイトだ。


 昼休みに何をしていたのか、岡野は額に脂汗を滲ませ、かけている眼鏡もなんだかちょっと曇っている。立ちはだかった巨体に歩みを止め、俯く田中真由子。どうにも奇妙な沈黙は、昼休み終了間際の慌ただしい喧騒がなんとか誤魔化してくれている。

 田中真由子は口を一文字に結び、一言も発そうとしない。どうした、待ちに待った入団希望者なんじゃないのか。

 黙りこくる彼女の代わりに、仕方なく俺が会話を繋ぐ。

「えっと……なんだ、その、岡野、ハルヒ好きなのか?」

 ガッツリ影響元の名前を出してしまったが、そんなこと誰だって分かるだろう。ましてやそんなケッタイな集団に加入したいだなんて、良くも悪くもオタクしかいない。

「好き好き! もちろんだよ! 自己紹介聞いた時はビックリしたけど、実際に行動に移せるのはすごいよね! どんなことするのか気になるし……やっぱ憧れるし? そういうの……」

 岡野は表情明るく、しかしどこかぎこちなく返事をした。まともに会話をするのも初めてなら、彼のこんな表情を見るのも初めてだった。

「そっ、それにさ!」

 だらしない腹の肉を揺らしつつ、彼は慌ただしく言葉を重ねる。

「どうでもいいんだけど俺、下の名前、『涼太』でさ。『涼』の字、入ってるんだよね……」

 尻すぼみに閉じる発言。本当にどうでもいい。見た目全然涼やかじゃないし。


 隣の田中真由子は黙ったまま、睨みつけるように岡野を見ていた。睥睨。お得意のハルヒ的睥睨だ。そんなところばかり真似しても意味ないからな。

 しかしそんな目つきに、岡野は緊張した仕草を見せる。

「おい、どうすんだよ」

「……追って通達する」

 岡野に言ったのか俺に言ったのか、対象の定まらない言葉が呟かれ、田中真由子は歩き出す。

「また改めて」と岡野に言ってから、彼女を追う。



「彼は入れない」

 放課後。なんやかんや一緒に帰るようになった俺たちは、学校から続く下り坂を歩いていた。彼女のリュックが突っ込まれた自転車を手押しする俺に、隣の田中真由子は言い放つ。

「……はあ? なんでだよ、入団希望者だろ? 待ちに待った存在じゃないのか」

 しばらく黙ったまま歩く。ややあって彼女は端的に、実に端的に、言ってのけた。

「彼は平凡」

 ……おい。

「見栄えも悪い」

 ――あのなぁ。

「それに、慣れ合い集団になるつもりはないから」

 あのなあ!


「……分かった。団長サマの決定に従う。明日、俺からあいつに言っとく。それでいいな?」

「うん」

 いろいろ思うところがあった。でも、俺は何も言わなかった。なんだかんだ言おうが結局、SSS団は田中真由子が作った団体であり、決定権は彼女にあるからだ。現状俺しかいない団員の総意。ここで俺が反対したところで、意味があるようにも思えない。俺が言いたいのは結局、こんなんでお前はハルヒになれんのかよ、ってことだけだ。

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