第24話 7月11日。夢と創作と現実。

 少し前に見た夢。


 高校生活を真面目に、勉強も部活も遊びも程よく過ごしている夢。友達にも恵まれている。

 いつも夢から覚める直前に感じる「ああ、これは単なる夢だったのか」というガッカリ感はなく、もっと見てみたいと思った。


 何とか小説など作品にできないだろうか?

 

 平穏無事な学生時代などありえない。問題なく勤勉に過ごせた学生時代など僕の記憶にはフィクション作品のペルソナ4ぐらいしかない。


 果たして説得力があるのか。


 現実に戻って来た今では想像だけで学園モノを書いてみても単なる夢小説の類いにしかならない気もする。


 だが、映画監督・細田守も言っていた。


『創作活動は生きづらさを抱えたり人生が上手くいっていない人の為にある』『(時かけを見ながら)こんな充実した学生時代を送っているわけがない』と。


 テーマと工夫とメッセージ。


 それらを活用すれば自分自身だけでなく読み手の人にも何かを与えられるものを書ける気もする。


 それにはもっとインプットが必要なのだろうなあ。


 インプットするのはフィクション作品ばかり観たりだけでなく、リアルでの日常のひとコマに感じたことや思ったことが大事だな、と最近はよく思う。


 最近話題の朝ドラ・『半分、青い』でも秋風先生の台詞に「想像はリアルに負ける」と言うのがあった。


「そうは思いたくないなー!」


 たまに顔を出してる関西創作交流会でその台詞を引き合いに出すと、その場にいた創作仲間の人たちはやや難色を示した。いや、多分僕の言葉が足りなかっただけだと思うが。


 どんなに想像の翼を広げて創る素晴らしいファンタジーも、現実という根を張った土から産まれるのだ。


 現実で、こんな喜びや悲しみを味わった。


 現実で、こんな人物や事象が在った。


 それらをよく観て初めて、創作者は「おっ、これは創作の種になりそうだな」とか「これがもしもこうだったら面白いのに」とか空想を始めるのだ。


 人間は動き回る木だ。


 現実と日常という土を見つけては根を張り、創作の源泉を吸い上げ、遂に作品という果実を実らせる。そして根から源泉を吸い尽くして我がものとしたらまた違う観点から現実と日常の土を探す。そしてやがては大木となり得るのだ。実らせた果実は今度は現実を生きる僕たち人間に影響を与える。


 それに、案外現実の方が想像のみの世界より突飛な物語が潜んでいるものだ。『事実は小説よりも奇なり』とは本当だと思う。


 リアルなんてつまらない。


 そう思う人も多いだろうが、だからこそリアルを基に想像と創造を行なうのだ。ネット小説で異世界転生だのラブコメだのが幅を利かせるのは、つまらない現実からもっと楽しい、イキイキとした人生を空想したくなるその証拠だ。


 冒頭で書いた学生生活を楽しく送る夢も、まさに脳の深奥で現実では叶わなかった人生を求め、思い焦がれるが故だろう。細田守監督の、どちらかと言えば生きづらさを抱えた人にこそ創作がある、という言葉も説得力がある。現実が何の問題もなく充実して楽しければ、案外『こうあって欲しい』という想像も希薄な物になるのではなかろうか? 

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