オークde姫騎士!だったのに…… 一族皆殺しにされた蛮族の姫が人化の呪いを受けて復讐を目指すところから始まる年代記

きばとり 紅

レディ・オークの変転

第1話 無頼漢 ユアン・ホー

 そこは太陽が最も高い時刻でありながら一寸の光も差し込まない洞窟を、長い年月をかけて手作業で均した玄室のような場所だった。石灰質の岩壁は湿気を帯びてぬるぬるとしており、掲げた松明の揺れる炎に合わせて現れる鍾乳石の影が踊っているように見えていた。


 さて、このようなおどろおどろしい場所へ普通人であればどのような理由があろうと入り込むはずもなかった。だが今は、松明を掲げた一人の男がどこへ続くともしれぬ闇の中を音もなく歩んでいる。

 

 長旅にくたびれたマントの下から、薄汚れた包帯の切れ端が幾本も垂れており、顔も深く被った皮兜の面頬によって定かではなかった。濡れた地面を踏みしめるサンダルから除く足を見れば、この男が人間ではないことに人々は気づくだろう。青黒い肌に生える黒い獣毛と鋭く伸びた黒い爪のある足だ。しかしそれでありながらこの男の動きには、獣のような人を脅かすところが全くなかった。灯りの乏しくなった夜の街ですれ違っても、きっと誰もこの男をオークだとは思わないだろう。


 そう、彼はオークだった。面頬の下に隠した獣じみた顔を一目見れば、彼が東方からソフロニア大半島へ移動し、いまやレムレスカ帝国の辺土をかすめ取って国を築いているオーク諸族の血を体に流していることに気付くだろう。とはいえ、このような場所にやってくる以上、彼は普通のオークでもなかった。


 尋常なオークは巨人種族という異名に違わぬ偉丈夫であり、普通人でも時折身をかがめて進まねばならないこの洞穴に入り込むことなど、出来るはずもないからだ。


 尋常の人でも、またオークでもないこの男は、濡れた空気に充満した鍾乳洞を迷いなく歩いた。道々で穴は複雑に分岐し、正しい道順を知らぬものなら確実に遭難する。そして彼は正しい道順を知っていた。彼はここにやってくる前に、鍾乳洞の正確な進み方を調べていた。

 

 そのために彼はいくつかの罪業を犯しもしている。この場所へ入り込むために、彼の腰からつるされた長刀が吸った命の数は一つや二つではない。


 進むほどに洞窟は狭く、自然の生成に任せた荒々しい壁面へ代わっていった。いったいどれほど歩いたのか男も定かではなくなった頃、彼の視線が闇以外のものを捉えた。それは星の光のようにちっぽけだったが、彼の持つ松明のような人口の灯りに違いなかった。


 目指す場所を見出した興奮に、彼の息は震えた。やがて自らを落ち着けるためにゆっくりと歩き、徐々に灯りが大きく目に映るようになった。


 たどり着いた場所は、巨大な岩盤に支えられた縦長の空洞、その行き止まりだった。そこには鉱石を砕いて顔料とした奇怪な図形が名状しがたい宇宙の諸法則に則って描かれ、絶滅したと伝えられる古代の獣の頭骨を燭台に、青紫の蝋燭が三本立てられ、脳を揺さぶるような芳香を伴う煙が上っていた。


 ありうべからざる場所に作られた驚異の祭壇を前に、地にうずくまる影があった。影の正体は、突如現れた訪問者であるオークの男を前に立ち上がり、振り返って言った。


「このような地の底へ、何の用かな、旅人よ」


「お前か、帝国の招集に応じなかったというはぐれ魔術人というのは」


 幾許かの恐怖を滲ませた声で、オークは続けた。


「この俺をオークと知っているな。そして何をしに来たのかもわかっているはずだ。古き神々の末裔よ」


「いかにも。おぬしのことはこの玄室の戸口を開いた瞬間から見ていたよ。里なきオークの男、ユアン・ホーよ」


 ユアンと呼ばれたオークは、身体を包んでいたマントを広げ、膝をついて首を垂れ、魔術人へ訴えた。


「ならばどうか、この哀れなオークのささやかなる野望へ、手を貸してほしい。どのような代償でも払おう」


「私はお前のことを知っているが、お前は私のことを知らないね、ユアン・ホー。私は自分の力を使うのに、誰の施しも欲してはいない。ただ、力を養い、時折使う。この宇宙とのつながりを検めるためだけに私は力を使っているのだ。だから帝国にも靡かなかったのだよ。それだのに、お前の野心を叶えるために使うと思うかい?」


 いかにもさげすんだ目で、魔術人はユアンを見た。ユアンはその恥辱に耐え、続けた。


「俺の野心は俺自身で叶える。たがたった一つ、どうにもならないことがあるのだ」


「シー・オークのホン・バオ・シー」


 その名を聞いたユアンは顔を上げて魔術人をにらみ返した。その眼にはありありとその名が示す人物への憎しみが込められていた。


「心を読んだだけさ。私はお前を知っているが、その者のことは知らないよ」


「あの女さえいなければ! 俺は俺の望むものを手にすることが出来るのだ! そして俺はあいつが欲してやまないものをお前が持っている、という話を風で聞いた」


 ほう、と魔術人は興味をそそられたらしい。乗り出した頭から頭巾の裾が落ち、面が灯りの中に晒される。落ち窪んだ目と突き出た鷲鼻の青白い老婆の顔が、ねばっこい笑みを浮かべ始めた。


「魔女よ。俺の心を読んでいるなら、答えてもらおう。俺がお前に望むものを用意できるか」


「答えてやろう。私がその気なら、そこのろうそくの火を揉み潰すように容易く、その女に与えてやれるだろう」


 老婆の魔術人がそう答えた途端、髑髏の燭台に燃える蝋燭からひと際大きな火柱が上がって、暗い玄室の壁面を照らし出す。そこにはびっしりと隙間なく大蝙蝠が張り付いて二人のやり取りを見つめているのだ。


「面白い。それほどの執着でもってことを成したいという、お前の願いの行く末に興味が出てきたぞ。手を貸してやろうじゃないか」


「そうか、礼を言う」


「そして手を貸すからには代償を頂こう。少なくともこの場で二つ、あとで一つ」


「申せ、何が要る」


「まずお前の懐にある帝国銀貨アサリオンを200枚」


 ユアンはそれを聞くと一旦眉を潜めたが、覚悟を決めたらしく腰元を漁って革袋を取り出し、相手に投げ与えた。


「隠者の癖に俗っぽい要求だな。ちと足らんかもしれないがすべて持っていけ」


「あいあい。ひひひ」


「次は何だ」


「そうさな、次は」


 卑しい笑みを浮かべながら地に投げられた袋を検めた魔女は、袖の下から隠された自らの手を差し出して言った。


「契約のために、お前に印を与えよう。さあ、手をお出し」


 ユアンは魔女の差し出した手を一瞥し、自分の右手の手袋を外す。全身くまなく包帯と胴衣で覆われた体の下にある、黄土色の皮膚の色が覗く手をそこに置いた。


 魔女は恭しく重ねられた手へもう一方の手のひらを重ねる。そしてもごもごと口の中で声にならないほどの小さな音で何事かの詠唱を始めた。それはユアンには皆目理解の及ばない所作だった。果たしてこんなものに、何の意味があるのか分からなかった。


 どれくらいそうしていたのかわからない。おそらくさほどの時間はかけていないだろう。魔女は重ねていた手を降ろすと、貴人の手へ服従の印にするように、ユアンの手の甲へ自分の唇を乗せようと首を伸ばす。ごく自然な動作だった。


 だが唇が手に触れようという瞬間、ユアンははっと息を吐いて落雷の速さで飛びのくと、呪いの言葉を吐きながら腰の長刀を片手で抜き構えた。


「その手には乗らんぞ! 魔女め」


 鋭い誰何の声を上げたユアンに驚いた壁面の蝙蝠が一斉に飛び立ち洞窟の闇の中へ飛び立つ。蝙蝠の乱舞する中に立つ魔女が哄笑をあげながら懐より抜いた一本の短剣を掲げて言った。


「ご明察、しからばとくと見よ。我が魔術を……」


 魔女は短剣を口元へ運び、口からだらりと汚らわしい舌先を垂らして刃先を舐めしゃぶると、その短剣を流星の様に蝙蝠の群れの中へ投げた。


 か細い蝙蝠の悲鳴とともに硬い床面へ落ちる音が闇の中から聞き取れた。剣で刺された蝙蝠が地面でのたうちまわりながら事切れて行く姿を、ユアンは想像した。


 玄室に隠れ住んでいた蝙蝠たちがあらかた外へ出ていくと、再び静寂が闇を満たした。ユアンは松明を掲げて蝙蝠の落ちた場所へ明かりをかざした。


 明かりの下に現れたものを見て、ユアンの背筋に震えが走った。ユアンの目は闇に消えるか消えないかの一瞬だが、蝙蝠の背中に魔女の放った短剣が突き刺さる様を捉えていたのだ。


 だが確認したもの、短剣の刺さっていたものは蝙蝠ではなかった。蝙蝠と同じくらい大きな、見たこともない鳥の亡骸がそこにはあった。羽は深緑と藍色で長く、足爪は細く短いが、嘴が黄色くとても巨大だった。ユアンの目にはその形態が見知らぬもの過ぎてとても不快で、不気味なものに映った。このような生物がいるものなのだろうか。


 正味、そのような生物がこの世には存在するのだと魔女は満足げに自らの魔術の効果を確認しながら語った。


「ソフロニア大半島から岸伝いに海を行くとたどり着けるベルベル海岸に住まう鳥だ。かつてレムレスカ帝国はその地まで総督を派遣して支配していた時代もあったが、今では夢にも見ない過去の話だな」


「これが貴様の変身魔術か」


「そうさ。私の唾液を含ませたもので触れられた生き物は、私の思い描いたものへ姿を変える。蝙蝠を極楽鳥に、人間をオリーブの木に、オークを」


「オークを人間に」


 興奮した様子でユアンは魔女の言を遮って言った。


「オークを人間にすることもできるのか」


「出来るとも。どのような人間にも変えることが出来る」


「そうか。そうか……ふふふ」


 湧きたつ野望の確信が口の端からこぼれていくのが堪え切れない。ユアンは魔女を改めてみた。ぎらつく太陽のまなざしが大きな両目には宿っていた。


「待っていろホン・バオ・シー。お前に最高の贈り物を持って行ってやるからな……」

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