第17話 小角

 小角は俺のように生まれながらの陰陽師の家系ではない。

元々は普通の家庭で育っていたが、昔何らかのきっかけがあってこの道を選ぶことになったらしい。

 俺のじいさんがケガで鬼祓師を引退をしてしばらくの間、後進の育成に取り組んでいたらしく、小角はその時に基礎を学んだ弟子の一人だ。

 それすらも引退した後じいさんは俺の師となったわけだから、俺と小角、それに親父は兄弟弟子になる。

 最もそれを知ったのはじいさんが亡くなる少し前だったが。

 その小角はここ数年で頭角を現し、こと式神に関してはじいさんの弟子の中で随一といっても過言ではなかった。

 今際のじいさんから式神の秘技を受け継いだ正四階位の鬼祓師。

 飛輪本部と俺たちの地域の橋渡し役で表の顔として高校教師の職に就いている。

 それが俺の知っているこいつのすべてだった。

 化け物しかない上級位に近い実力まで一気に上り詰めたのはそれだけ静乃のために、静乃の意思を守るために死ぬもの狂いで修行をした結果だろう。

 こいつほどの式神使いになるにはどれほどの修行が俺には必要か。いや、ヘタすりゃ一生その域までたどり着けないかもな。

 だけどよ。

 悪いが俺は対人戦闘のエキスパートだ。。

 式神では敵わなくても対人戦闘に関しては俺の方に分がある。

 時間にして数分経っただろうか。小角は血まみれの顔で床に伏していた。

 式神は完全に消滅している。元となる形代も破壊しつくされており、もう二度とこの式神は動くことないだろう。

 牛頭、馬頭。長い間じいさんと小角をありがとう。そして悪いな。

「清十郎に一人だと勝てなかったと宣言しているお前が、俺に勝てると思っていたのか?」

「……化け物め……この両式神で全く歯が立たないとはな。さすがは師匠の孫にて最後の弟子なだけはある。受け継いだ才能の違いか……」

「得意不得意の違いだよ。俺は神行業の術……天狗の術に適正があっただけだ。俺からすると成人前にこの道に入ってここまで式神を極めたお前の方がよほど化け物だがな」

 倒れた小角を見おろしながら告げると、仲間の方を振り返った。

 月雲は清十郎を介抱しており、深夜はマヤを抱いたまま目を見開いていた。

「月雲、清十郎は無事か?」

「術で眠らされただけみたい。もうすぐ起きると思う」

「シンヤ、なんだ?」 

 俺が声をかけると呆けていた顔に光が戻ってくる。

「……八代本当にむちゃくちゃ強いんだな……」

「なんだよ。惚れたのか?」

「……そのへらず口、黙らせてやるから歯を食いしばれや」

「せめて脱出するまで待てよ」

 極めて当然の意見だと思うのだが、顔を紅潮させてマヤを片手に抱いたまま右拳に息をかける。ひょっとしてさっきゲンコツと頭突きを食らわしたのを恨んでいるのか?

 どう言い逃れしようかなと考えていたら「駄目よ」と月雲が横から声をかける。

「女の子なんだからこういうときは拳じゃなくて平手じゃないと」

 止める気はないのか?

「それに折角かわいいんだから少し言葉遣い気を付けようよ。ね、シンヤちゃん」

 無邪気に笑顔を向けられ。深夜は口をぱくぱく動かしながらたじろぐ。俺んちに初めて来た時のような表情だ。何かを言おうとしているが意味ある言葉にならず、「ね」と笑いかけられ「はい」と素直に返事をすると姿勢を正した。月雲の奴、扱い方をだいぶ心得てきたようだ。さすがに後輩の面倒見がいい奴は違うぜ。

「その代わり後で手伝ってあげるから」

「はい!」

 なんでやねん! こいつら共通の敵を前に友情が芽生えた? 俺敵なの? 

「……お前達どうする気だ」

 倒れたままで小角が声をかけてきた。もう一度振り返って奴の顔を正面から見おろす。

「どうするも何も。最初からここを脱出して逃げる気だよ」

「どこへいくと? これは飛輪の決定だぞ。お前達は飛輪に居場所がなくなる」

「かもな」

「それどころかワルプルギスの夜が始まるまでに、必ず見つけ出そうとする。安息の時はないぞ」

「目的をはき違えているんじゃねえよ。飛輪の仕事は鬼や悪魔の退治であって、こいつの殺害じゃあねえだろ」

「それでもだ……」

 小角は身体を起こし、立ち上がろうと手を床に付ける。

「無茶しない方がいいぜ」

「無茶位はする。静乃のことだけではない。俺は自分の力でより多くの人を救うために飛輪に入った。そのために黄泉坂を渡すわけにはいかない」

「……たいした執念だな、おい」

 震える足を意思の力で押さえて立ち上がる小角に驚嘆すらあ。

「まさかお前、式神もなくなったのに一人で相手する気か?」

「まさか」

 小角は笑いもせずに霊符を取り出すと発動させる。

 何の術かと身構えた次の瞬間、雑多な気配が周囲にあふれかえる。

 空間が蜃気楼のように歪み、それが晴れたとき、俺たちは囲まれていた。何十人、いや百人を越える飛輪の鬼祓師達に。

「惑わしの術を……そんな、全然……」

 月雲が驚愕の声をあげるのが耳に入る。ああ、全く気がつかなかったぜ。

「他に術を使わないと思っていたら、この準備をしていたのかよ」

 冷静に考えれば深夜はワルプルギスの夜に対する最大の切り札だ。そりゃ小角ら数人だけに防衛を任せるほど甘くはねえか。

「取り押さえれるなら式神で取り押さえるつもりだったさ。だがやはり一人で無理だったようだ」

 特に勝ち誇りもせずに淡々と続ける。他の術を使って干渉し合ってバレないようにしていたってのかよ。用意周到な奴だ。

 本能的に懐から霊符を出そうと手を伸ばす。同時に周囲の鬼祓師達がそれぞれの武器や術を俺に向けた。

「ここまでだ、遠間。お前を飛輪に対する反逆で拘束する」

 洋館に小角の静かな声が響き渡った。俺は懐に手を入れた状態で固まっている。少しでも動けば周囲の一斉に動き出すのは間違いない。いくら俺でもこの人数相手に力押しできる自信は無い。

「う……月雲か……どうなった?」

 おはよう清十郎。お前はいつもタイミングのいい奴だよ。その清十郎も周囲を取り囲む鬼祓師達を見て状況を悟ったのだろう。緊張をにじませたのが見なくても解る。

「若宮、巫条、お前達はどうする気だ? 知っての通り飛輪は対霊的事件に対しては法的優先権利を持っている。遠間はこれまでの功績と何より父上のこともあり、?刑は免れるだろうが二度と術を行使できなくされるだろう。そして主犯は遠間だとわかっている」

 通訳すると今投降して謝ればお前達の罪は問わない、ということだ。

 そりゃあ俺だって相談をする際にこのことで悩まなかったわけじゃあないさ。

「何が法的権利よ! さっき八代が言ったでしょ? 自分たちが助かるために女の子を差し出すような軟弱者達に許しを請うなんてこっちから願い下げよ!」

「そんなことで考えを改めるような軽い気持ちで行動したわけではない。それを阻むというのならとことんやらしてもらう」

 ああ、お前たちはそういう奴らだよ。俺が言うのもなんだが、おまえらも相当バカだわ。

 臨戦対戦を取った二人に、周囲はさらに緊張が高まるのがわかる。

 それを制したのは小角だった。

「ならば黄泉坂、お前はどうだ?」

 壊れた眼鏡を取ろうともせず、その視線を俺の背後に、月雲の隣へと向けた。

「お前とて自分一人が助かるために他の大多数が犠牲になるのは納得いくまい。そしてその話を一度は受け入れたはずだ。心変わりに理由として、そうだな。確かに遠間の言うとおり我々は自分たちと他の人間が助かるためにお前を犠牲にしようとしている犯罪者かも知れない。もしお前が許せないというのなら俺はその罪で死刑でもなんでも甘んじて受けよう。だがもう一度言うぞ。お前が一人犠牲になれば他のすべての人間を救うことが出来る」

「てめえ! 今更……」

「俺は黄泉坂に訊いている」

 同時に周囲の殺気が俺へと集中する。俺が何か喋ればすぐさま攻撃するってわけかい。

 小角はゆっくりと歩いて俺の横を通り抜け、深夜の前に立つ。俺の視線など気にするそぶりも見せずにな。

「ここでお前がどう応えようが我々の行動は変わらない。だがもう一度訊くぞ。お前が生贄になればお前は助からん。だがお前の命をもって何の被害もなく悪魔を現界から追放することが出来る。お前は英雄になれる。それにこのままだとお前の為にこうして我々に逆らった遠間達は処分される」

「八代が……?」

「そうだ。お前のためにこうして反逆まで行った遠間がな。黄泉坂とてそれを望んでいるわけではないだろう? お前が自発的に生贄を引き受けてくれるなら飛輪としても今夜のことはなかったことにする。凶日まで拘束は免れないがそれが終われば自由を約束する。疑うなら術で契約をしてもいい」

 それは脅しだ。悪魔の契約だ。

 どうせ無理矢理犠牲にするのだから、自分の意思でしろ。そうすれば他の人間は助けるという選択の余地を無くさせている。

「八代を、助ける……」

 深夜は熱にうなされたような眼で俺の方をみる。声をかけたいが声を上げようものなら容赦なく術が俺を襲う。今は無茶する場面じゃあ……いや、だが。

 深夜は俺に視線を向けたまま「……しろ……」と小さく口を動かした。

「どうした? 聞こえないぞ?」

 小角が尋ね、今度はその目を小角へと移した。

「嫌だってんだ。八代は生きていていいって言ったんだ。だから生きる。他の人間がどうなるかなんて知るか。死ぬってならおまえら全員勝手に死ね!」

 整った顔にはっきりとした意思を浮かべて拒絶する。

 他の誰でもない、あいつ自身の断固とした意思。

 この拒絶はわずかなりとも周囲の鬼祓師達の動揺を生んだ。一動作を行える程度の油断を。

 俺は術を唱えて一気に飛びかかる。

 小角を狙うと思ったのだろう。周囲の鬼祓師達から援護の術が飛んで来た、が元々小角なんか眼中にねえ。攻撃の軌道をそらす術を発動させると小角の眼前にいた深夜の手を掴み、我ながら器用に空中で身体を反転させると、深夜を抱き寄せる形で小角から離れて着地する。もちろん手には霊符を数枚とりだしていた。

 俺が飛び上がるのとほぼ同時に二人も動いていた。

 月雲は眷属を召喚し、祓い棒を手にする。

 清十郎は手元から離れていた錫杖を手に寄せ、それを構えた。

「女の子がいやがっているのに無理矢理何をする気? セクハラ教師」

「生きたい人間がいて、それを守る。これほど解りやすい正義はあるまい」

 俺達の間に身体を割り込ませながら啖呵をきる。

「後は任せなよ」

「あ、ああ」

 笑いかけると、突然現れた二匹のオオカミに警戒心を抱くマヤを宥めながら素直に頷いた。

 戦力差は圧倒的。

 そしてこれに勝ったところで終わりではなく追っ手がかかる。

 そのうえ三週間も後には悪魔の大侵攻が始まるというなんともいえぬ絶望的なこの状況で、俺たち三人はふてぶてしく笑った。

 俺たちだって譲れないんだよ。口の悪くて素直じゃないこと筆舌に事欠かないお姫様だが、お前等に生贄にされるわけにはいかないんでね。

 再び対峙し、じりじりとにじり寄る。

「やむを得ん、力尽くで押さえる。同胞だが手加減して押さえきれる相手ではない。殺す気でかかるぞ。ただし対象は絶対に殺すな」

 小角の命で周囲の鬼祓師達が一斉に動き出した。

 最初に動き封じに来たのだろう。突然重力が増加したように身体が重くなる。俺たちが逃げ回れないよう、周囲に対人結界が張られ、式神や眷属達が次々に召喚されていく。

 胸元に力が込められた。

 深夜が俺の襟をそっと握ったのだ。

 まっすぐに俺を見る顔に不安が見えるが、眼からは信頼が読み取れる。

 ああ、大丈夫だ。確かに相手は大多数だが俺たちは別に同胞達を倒すつもりはない。四人揃ってここを脱出すればいい。向こうもそれが解っているから動きを封じに来たんだろうが。

 都合良くおおきなトラブルでもあってくれないものかね?

「大きなトラブル……?」

 深夜が俺の襟を握ったまま、考え込むように言葉を吐く。

 おっと口に出ちまったか。そんな初めから強運頼みでは陰陽師失格だ。

 奴らが動き出したときに、一点を集中突破で抜ける。その隙はどこになるのか印術を唱えなつつ神経を尖らせる。

「え? 何あれ!」

 その隙はこちらから出来た。月雲が戦闘を忘れたかのように、開け放たれた扉から外を指さして叫んだのだ。取り囲まれても表情を変えなかった白い顔が青くなっていて、明らかに狼狽しているようだった。

 だがあちらさんはそれを好機、として襲いかかって来なかった。むしろ月雲が指さした方を振り返り、そして動揺が広がっている。

 その隙に動くなんてできない。

 なにせ俺も清十郎も二人とも固まっていたからだ。

 まだ夜だってのに夕焼けのように赤い光が照らしている。

「ま、まさか!」

 ドアを背にしていた小角が血相を変えて振り返ると扉から飛び出していく。

 何人かがこちらを見ながらもそれに続き、俺たちも少し遅れて続いた。

 そして見た。

 夜空に赤いオーロラが輝いているのを。

 オーロラはもっと神秘的で綺麗なものだが、これは禍々しく、そして人の本能的な恐怖を呼び覚ますようだ。現に寒気が全身を覆っている。

「馬鹿な、そんな筈は……まだ三週間は余裕があったはずだ……」

 茫然自失の小角の説明を聞くまでもねえ。 

 そう。

 ワルプルギスの夜が訪れた瞬間だった。

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