第九話「私は過去の物語を知る女」

 江田えださんは腕を組み語りだす。


「あの猫の名前は誰も知らねぇ。大正ぐらいに生きていた猫だからだ。この部屋に資料は残ってるが名前は載ってねぇ」


「あのぉ、猫さんの力で私や粕谷かすやさんが存在しているのは分かりました。でも何で私みたいな。まったく霊感とか無いのに……」


「あの猫は気まぐれだからと言いたいが、きっと理由はある。嬢ちゃんが何で幽霊なのに現存出来てるか知らねぇ。だから、今は猫の話を聞きな。そん中で思い当たる事とかあるだろーよ」


「は、はい。すいません。お願いします」

 私は背筋を伸ばす。


 大柄な男は両手を後頭部に組んだ。

「いや、そんな改まらないくて良いぜ。時間は有り余るほどあるんだ。のんびり考えな」


 江田さんは薄目でにやけて見せ、話を続けた。



「昔話みたいな感じで聞いてくれや。大正時代の話だ。ケッコー名家の望月家ってのがあった。長男は光太郎。三十歳ぐらいだったと思う。海軍士官で出世街道が期待されてた。こいつが大の猫好きで、暇があれば猫と遊んでた。その猫がアレよ」


 江田は台所へ親指を立てた。


「そんで水嶋って言う名家があって、そこの娘と御見合い結婚みてぇのをやった。名前は水嶋ぁぁ。なんだっけかなー」


 天井を見上げる坊主頭。


「水嶋時子だ」


 粕谷さんが台所から帰ってきた。


 猫さんは見当たらない。彼は蓄音機が置いてある低い机に腰掛け、江田さんの続きを話した。


「水嶋時子は当時十六歳。今じゃ年の差で話題になるかもしれないが、大正では良くあった。おまけに名家と名家の御見合いだ。結婚ってよりも行事のようなギスギスしたものだった。ところがいざ新居に二人っきりで住み始めると相性は良く、光太郎も時子も幸せそのものだったみたいだね。あっ、二人っきりじゃないな。光太郎の猫も一緒だった」


「何だか良いですね」

 ついつい口を挟んでしまった。


「うん。でも、これからが悲劇の始まりなんだ」


 やっぱり……出だしで幸福だと話の構成上、不幸は必ず訪れるんだよね。



 粕谷さんは続けた。


「光太郎は海軍士官だから海上での勤務が多い。したがって二人が一緒にいられた時間は少なかった。光太郎は結婚から半年後に戦死してしまう。この半年間で二人は二十日しか一緒に過ごしていない。結婚してから恋愛をし、そして愛し始めた直後に夫を亡くした」


「それは辛いですね」


 私は思った。二十日間の時間は時子さんにとっての初めての青春ではないだろうか。十六歳って思春期ど真ん中だよ。


「時子は光太郎が航海任務で家を空けている間、猫を大変可愛がっていた。まるで光太郎が側に居ない寂しさを埋めるようにね。この時点で猫はすでに老齢で、時子はしっかりと愛情をもって面倒をみていたと推測している」


 猫が台所から帰ってきた。私の前に座り見上げる。そして短く鳴いた。


「赤宮さんの膝に乗りたいらしい」


「え? あ、はい!」


 私は慌ててコーヒーカップを机に置いた。


 膝に空間を空け猫が来るのをジッと待つと猫は軽やかに乗ってきた。


 温かい。ゴロゴロ鳴きながら毛繕いを始めた。


 私はポカンと猫を見ていると粕谷さんは話を続けた。



「光太郎の戦死を知った時子はショックを受けて自殺した」


 あぁ、ないよー。そう来るような気もしてたけど。


「しかし、時子が死んで数日後に光太郎は帰ってきた。海軍の誤報だったんだ。光太郎は多くの感情がぶつかり合い狂ったように暴れた。一晩中暴れて朝を迎えると彼は放心し意気消沈する」


 江田さんが立ち上がり台所へ向う。


「ボタンの掛け違いってレベルじゃねぇよ」


 独り言のように渋い顔をして台所へ消えた。もしかしたら江田さんはこの事を口にしたく無くて思い出せないフリをしたのだろうか。




「疲れ果てた光太郎の側に猫が寄り添った。そして鈍く全身を光らせ光太郎の心に話し掛けたという」




―――お力をお貸ししよう。時子が着たらワタシの鈴を渡せ―――



「この声を聞いてから数秒後に障子が開き、時子が現れたと日記に残っている」

「時子さんも私達のような存在になったんだ」


 ちょっと嬉しかった。でも何か引っかかる。


「時子は自分が自殺したなんて思ってないんだ。荒れた部屋見て大変驚いたと日記に書いてある。物取りや強盗と勘違いしたんだろうな」


「えっと、粕谷さん。時子さんは光太郎さんが戦死したって事自体を覚えてないんですよね?」


「そうだね。彼女からすれば普通に帰還したと思ってる」


 私も通り魔に襲われたなんて憶えてないし……でも、何か……


「光太郎と時子は何事もなく、その後半年間を過ごす事になる。光太郎も始めはビックリしたが数分後には記憶が改竄され、日常生活に戻る。荒れた部屋は強盗の仕業と日記にあった」


「二人は半年後どうなったんですか?」


「うん。光太郎は戦地に赴き帰らぬ人となる」


 あぁ、結局は……


「時子さんは……」


 粕谷さんが腕を組む。


「日記の最後となる。遠くの海で光太郎が戦死した事が分かったそうだ。そして徐々に自殺した事を思い出している内容が書き残されていた」




―――今、夫が亡くなったのが分かってしまった。そして私は自ら命を絶った事を思い出す。私の世界は半年前に終わっていたと―――でも、再び一緒に居られた時間―――ありがとう―――




「恐らく、この文章の後に時子は消滅している。時子は他にも貴重な事を多く日記に残している」


 私には粕谷さんが少し生き生きと話しているように見えた。


「赤宮さんのケースは色々と違う。分かるかい?」


「自殺……」


 私は呟いた。



「そうだよ! そこなんだよ! 他殺か自殺、もしくは老衰。死に方なんだよ」


 粕谷さんのテンションが少し怖い。


 なら彼はどんな死に方をしたのだろうか。


 私は粕谷さんが大量に残したレポートの印象を思い出した。


 それは執着と言えばいいのか。それとも執念。


 彼は生死を越えた何かに固執している印象。





 もしかしたら私は―――

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