第6話大連合軍結成

 カラマン城砦城下の戦いの翌日、ヴァーゼルは、篭城を続けるアダンニ伯に改めて降伏勧告の使者を送る。

 しかし、援軍にきたバルボ家の敗走を見て、城内の戦意は無きに等しいのにも関わらず、アダンニ家の当主コズモは家臣達も居並ぶその場で徹底抗戦を宣言し、その使者を追い返してきた。

「一体、何を考えているやら……」

 アイゼルは、コズモ・アダンニが錯乱状態にあるのではないかと疑っていた。

「こうなっては仕方あるまい。家臣達にはすでに戦意はないとのこと。包囲をしつつ、内応を呼びかけた方が早かろう」

 ヴァーゼルはそう結論づけ、その日から城兵達に投降を薦める矢文を送ったり、大声で城砦からの退去を呼びかけさせた。

 戦意のない城砦内の浪人衆を始め民兵達は、その夜から一人、二人と連れ立って城を抜け出し始める。

 すると、次の日には五人、六人とまとめて逃げ始めた。

 三日目になると数は更に増え続け、正規の兵士達まで逃げ始めていることが判明する。

 これを見たアダンニ家の重臣ですら、これはもういかんとその身の処遇を考える有様であった。

 それでも何故か当主コズモは、舎弟ムラートの兵に大館を守らせてそこに籠り、家臣達にひたすら、もう暫く耐え続けよと言うばかり。


「この分だと、あと三日もすれば、城は勝手に落ちてしまうかも知れないわね」

 本陣の仮設医療所の小屋の中で、リーゼルはそんな城砦の様子を伝えながら、負傷したカゼルの包帯を取り換える。

 幸い、帷子かたびらの袖に当たってくれたお蔭で、矢傷は思いのほか軽い。普段から持ち歩いている薬の効能もあってか、化膿する様子もなかった。

「カゼル様はいいですなぁ。こんなお美しい姫姉様に看病して頂けて……」

「あら、そんなに御所望なら、貴方にもやって差し上げても良くってよ?」

 足を負傷している郎党の一人が、心底羨ましそうにそう口走ると、リーゼルは何でもないことの様にそう答えた。

「い、いえ! そんな滅相もない!!」

「あら、別に遠慮しなくってもいいのに?」

「姫様にそんなことをさせては、ここにいる全員に殺されてしまいます!」

 その郎党は慌ててそう言うと、途端に周囲から笑い声が沸き起こった。

 カゼルも笑いながら狭い仮屋の外へ出ると、リーゼルも連れ立って外に出る。仮屋の外では、兵士達が楽しそうに朝の煮炊きをしていた。

「旨そうだ。僕等も御相伴に預かろうか」

 カゼルはそう言って兵士達の輪に入れて貰い、リーゼルと共に雑穀の雑炊を口にする。

 すると、カゼルの従士であるラウグやライン、そしてリーゼルの従士カミル、セリオもその輪に加わってきた。

「……ライン。あの時は無茶をして済まなかった。そして、貴方達がいなければ、我等二人は危うかったかも知れない。本当に感謝する」

 そう言われたラインは、恐縮するばかりであった。

 それとは対象的に、カゼルに礼を言われた二人は、少し照れくさそうにして笑って答える。

「いやいや、とんでもない。あそこで見事に囮を務められたカゼル様を討たせたとあっては、我等フォントーラ家武人の恥でありますゆえ」

「貴方様が無茶をしそうだからと、我等に命じたのは殿なのですよ」

 彼らは、父ヴァーゼルの近習を務める郎党、カスパーとロマスの二人。どちらも歴戦の勇士であり、共に二十代後半という男盛りの武人であった。

「父上が、そんなことを……」

 父ヴァーゼルは、血気に逸ったカゼルの行為を咎めるでもなく、影からそっと手を差し伸べてくれていたことを知って、カゼルは思わず胸の内が熱くなる。

「雑炊を食べたせいで暑くなった。少し散歩でもしてくる」

 そう言ってカゼルが不意に立ち上がると、リーゼルは半分ほど残った雑炊の椀を自分の従士であるカミルに渡し、カゼルの後を追いかけた。

 暫し、カミルは茫然とその椀を持ったまま、リーゼルを目で追い続ける。

「……それ、いらんならオレが貰ってやろうか?」

 ラウグが、すっとカミルの持つリーゼルの椀に手を伸ばすも……。

「駄目です! これは私が頂いたのですから!!」

 そう言って、カミルは椀を守ろうとするが、思いもよらぬ別の手が椀を掴んだ。

 そこには、むすっとしたセリオの顔。

「姫様はお前にやるとは言ってなかった。だから、私にも半分よこせ!」

 カミルとセリオの二人は無言のまま、その椀を奪い合う様にして、あっという間に平らげるのだった。


 その頃、ヴァーゼルの下には予期せぬ使者が訪れていた。

「……これは何だ? 一体、御主君は何を申されているのだ!?」

 ヴァーゼルが凄みを利かせてその使者に詰め寄ると、その使者は恐れる様にしてかぶりを振る。

「わ、私はただ、この書簡を届けよと言われただけで、何も……」

 ヴァーゼルは、半ば呆れた様子でその書簡をアイゼルに手渡す。そこに書かれていたのは、俄かには信じがたい内容であった。

「……アダンニ伯は過去の過ちを悔いて再び帰属を当家と望んだ故、本領安堵とし、我が連合軍への参加と相成った。直ちに先鋒隊はカラマン城砦の包囲を解き、占拠したバルーケ城砦をアダンニ家に返却すること……だと?」

 その内容は、状況的に全く無意味な命令であった。

 滅亡寸前まで追い込んだアダンニ家を味方に加えたところで、南領公家にとっては何の得にもならず、悪戯に先鋒隊の進軍を妨げるだけでしかない。

 ヴァーゼルは冷酷な目で、へたり込む使者に詰め寄った。

「お主。さては摂政家に内通し、この様な偽手紙を送りつけてきたか!?」

「お、お待ちあれっ! 本当に私は何も知らぬのです。どうか真偽のほどを……」

 ガクガクと体を震わせたその使者は、腰を抜かしたままずりずりと後ずさる。今にも腰の物に手を掛けそうなヴァーゼルを、参謀のアイゼルが押しとどめた。

「ヴァーゼルよ……残念ながらこの書簡にある朱印は本物だ。ワシ等の知らんところで、何かが起きているとしか思えん」

 更に、ヴァーゼル率いる先鋒隊には帰還命令まで出されていた。理由は、南北領公家による『反摂政家大連合軍』結成の場にて、此度の華々しい戦功を上げたヴァーゼルに、正式な帥将の印綬を授けると言うものだ。

 代わって、連合軍の先鋒隊には北領公家の帥将であるエーケンダール家が務めるとも書かれている。

 エーケンダール家は、フォントーラ家と並ぶ武門の名家であり、先鋒隊を任せること自体に不満はない。

 しかし、戦には『時』というものがある。

 せっかく、ここまで順調であった作戦もこれで頓挫するかも知れない……。

 それでもこれは主君レアンドル公直筆の命令書である。ガイゼル卿の志を受け継ぐフォントーラ家の武人は、たとえどんな理由があろうとも、主命に逆らうことがあってはならない……。

 此度と同じ過ちを繰り返さぬ様、元凶を突き止め、排除する為にもヴァーゼルはその無念を胸中に納め、トラス城市に戻るしかなかった。


 落城寸前と思われたカラマン城砦では、城下の包囲を解いて撤退していく先鋒隊の様子を、固唾を飲んで見守っていた。

 その姿が視界から消えたとたん、皆、安堵のあまり地べたにへたり込む。

 嬉々として喜んでいるのは、当主のコズモ・アダンニただ一人。

「どうだお前達! ワシの言った通り、籠城して正解だったろう!!」

 愉快そうに勝利を叫ぶ当主の姿に、家臣達は呆れ顔のまま、何も答えずただ首を振るのみ。

 それ以上に事態が掴めないのは、援軍にきたバルボ家の当主ゴナークである。

「おい、一体何がどうなっている!? ちゃんと説明しろ!!」

「おおお、これは済まなんだ。これは我が秘中の策でな……ささっ、奥の方で話すとしよう……」

 包帯だらけで痛々しい姿のゴナークは、浮かぬ顔のままコズモに着いていく。


 一方、カラマン城砦に起こった異変の知らせを受けて驚いたのは、ブリアス城市を守る金獅軍大将バルデス・バランディーンも同様であった。

「……それで、ヴァーゼルの先鋒隊はどうなった?」

「はっ、それがバルーケ城砦すらも放棄して、トラス城市に退却した模様……」

 謁見の間に腰掛けたバルデスは、戻ってきた密偵からの報告を聞きながら、ヴァーゼル隊の不可解なその動きに困惑する。

 神速とも言えるヴァーゼル隊の進軍に、恐れをなした周辺諸侯等が皆、南領公側に寝返ってしまいかねない最悪の状況をも想定していた矢先のことだったからだ。

「どうも敵には、腹に毒虫が巣食っている様ですな」

 金獅軍参謀のロルダン・カルデナスは、面白そうにその白い顎鬚を擦る。

「……そうであってくれれば、こちらとしても助かるが、そんなものをアテにしてはアダンニ家の二の舞となる」

「無論、我等金獅軍においては他力本願などあってはならぬこと。しかし、この機を逃す手もありますまい」

「確かに、ヴァーゼルめが送還された今こそ、我等の動く時でもあるか」

 バルデスは、即座に麾下の金獅軍に出陣の命を伝えた。

 無論、その矛先に据えられたのは摂政家から鞍替えしたアダンニ家、そしてそれに同調したとみられるバルボ家の両家である。

 すでに両家は、ヴァーゼルの先鋒隊により大打撃を受けており、兵力を立て直す時間も余力もなく、新たなる脅威に晒されることとなった。


 バルデス率いる金獅軍三千は、その内の直衛一千、全てが騎馬隊という驚異の部隊であり、この中原帝国でも屈指の精強さを誇る。

 その金獅軍が、瞬く間にアダンニ伯の守るカラマン城砦へと押し寄せてきたのである。

 驚いたコズモ・アダンニは、直ちに弁明の為に使者を立ててきたが、果断の将バルデスはその書簡を一刀両断にし、即座に使者を追い返した。

 アダンニ伯爵は慌てて城を捨て逃げ出すも、バルデス率いる直衛一千の騎馬隊によって蹂躙され、兵は四散し、自身は命からがらバルーケ城砦へと逃げていった。

 最早アダンニ家に戦力はないと判断したバルデスは、占拠したカラマン城砦を焼いて破却。瀕死のアダンニ家を無視して、今度はバルボ城砦へとその矛先を向ける。

 間一髪で金獅軍の攻撃前にカラマン城砦を出ていたゴナーク・バルボは、全てはアダンニ伯の姑息な策略であると訴え、自らバルデスの前に跪いた。

 バルデスはそれを許さずと処断を命じるも、参謀ロルダンの取り成しによって、バルボ家と当主ゴナークは、辛うじて現状のままを許されることとなる。

 次はないぞとの念押しされたゴナークは嫡子を人質に差し出すと、摂政家への絶対忠誠を誓う他なかった。

「残念だったのは、バルボ家の目付にやったヘルマンを失ったことですな……」

「うむ。これからだと言うのに、惜しい人材を亡くした」

 ヘルマンは金獅軍参謀ロルダンの弟子であり、近い将来、金獅軍の一隊を率いる部将と目をかけていた人材であった。

 戦死したのは、天命であるから致し方のないこと。しかし、ヘルマン本人にとって、此度の様な不本意な戦場を最後としたことは、主君バルデスとしても悲しいことである。

 そんな感傷に浸る間もなく、バルデス率いる金獅軍は、造反した両家の始末を終えると速やかにブリアス城市に帰還していった。

 遠く西の空には暗雲が広がり、この広大な中原平野に近付いていく。

 それはあたかも、このアダンニ領内に打ち捨てられた一千を超える死傷者の血で染まった大地を洗い流さんとする、天の慈悲にも見えた……。


        *         *         *


「せっかくの晴れの舞台であるというのに、こう雨が降り続いてはな……」

 そこはトラス城市内、本城の楼閣。

 不機嫌そうな顔をしたまま、白拍子に酒を注がせたその若者は、不意にその腰に手を回していく。

「あら、いけませんわ。まだ、終わりの鐘は鳴っておりませぬのよ……?」

「良いではないか。どうせ、この雨では何もする気がせぬ」

 豪奢な礼装をまとい、上座に腰かけたままで傍らの白拍子の左手を引くと、吸い寄せられる様にして、二人は淫靡に互いの唇を吸い合った。

 時折、薄暗い室内を稲光が照らし、少し遅れてから春雷が遠く鳴り響く。

 二人が更なる行為に移ろうとした時、唐突にパンと乾いた音が打ち鳴らされた。

「な、何用だ!?」

 慌てて二人が身を起こすと、書記官ユーグ・ベルトランが何事もなかった様な顔で、二人が着衣の乱れを正すのを待っていた。

「まだ、御政務の時刻は一刻ほど残っております。宰相殿が来られぬ内にその女中と酒を下げて頂きたく……」

 書記官であるユーグは、ただ冷静に窘めるだけでまだ融通が利く。

 しかし、宰相が来るとなると話は違ってくる。

 レアンドルは、烈火のごとく怒りを露わにした宰相の顔を思い出すと、嫌そうな顔をするも、仕方なくその女中に酒を持たせて下がらせた。

「すでに、この城には多くの諸侯等が集まっております。少なくとも日中は御慎み頂かないと」

「わかっておるわ! ただ、この様に来客もなく、さりとてこの様に降り続く雨の中、外へも出られぬ。少しばかりの戯れに、そう目くじらを立てるでない」

 書記官ユーグ卿は静かに一礼すると、その背後から宰相ロズナー・トゥアルグが姿を現す。

 レアンドルは、すぐさま佇まいを正して向き直る。

「おお、宰相か。こんな時間に珍しいではないか?」

 平静を装ってはみるも、どこか声が上ずっているのは否めない。

「いくつか、良ろしくない知らせが届いたので、その御報告に参りました」

「(悪い知らせなど、わざわざこんな時に聞かせなくて良いものを……)」

 レアンドルは口に出さず、その言葉を飲み込む。

「……前置きは良い。手短に話せ」

「先日、閣下がお許しになったアダンニ伯ですが、摂政家の金獅軍にカラマン城砦を焼かれ、またバルボ伯もその圧力に屈し、摂政陣営に戻った様にございます」

 レアンドルは、舌打ちしたいその気持ちを辛うじて抑えた。

「……それで、バルーケ城砦の方は無事なのか?」

「それが……逃げ込んだアダンニ伯を家臣達が放逐し、新たな城主の到着を待っております」

「何、謀反か!?」

「いえ、家臣達は我が南領公家に忠誠を誓っております。ただ、もうコズモ殿の下ではやっていけぬと……」

 それは戦線が、このトラス城市やアルトナー城市まで後退せずに済んだこと意味する。

 レアンドルは、浮かしかけた腰を再びゆっくりと下ろす。

「……して、そのアダンニ伯はどうなった?」

「流石に己を恥じたとみえ、身をくらませた様に御座います」

「せっかく摂政家のくびきから解き放たれたというに、哀れなものよのぅ……」

 レアンドルはアダンニ伯の末路を知ると、さも気の毒そうな顔をして見せた。

 これも素の感情を、露わにし過ぎるなと宰相や書記官に何度も注意された結果である。

 しかし、内心は当然こうである。

「(わざわざ降伏を受け入れてやったのに、全てが無駄になってしまったではないか……!)」

 と、腸が煮えくり返る思いなのだが、それを妙な芝居がかった仕草で隠す。

「(見え見えではあるが、些細なことで血相変えて怒鳴り散らすよりはマシか)」

宰相であり、この主君の教育係でもあるロズナー伯は、そんなレアンドルの次の反応を黙って見守る。

「ところで、先鋒隊はどうしている? 戻りが遅い様だが」

「はっ、それがバルーケ城砦の急変を知り、そちらの守備に入ったと思われます」

「ふん。毎度毎度、御苦労な事よ。これでまた、ヴァーゼルに余計な手柄を上乗せさせてしまった訳か」

 レアンドル自身が進めた懐柔策は、まさかの裏目となり、結果としてまたしてもヴァーゼルの戦功となったのを知ると、一層不機嫌そうな顔となる。

「ヴァーゼル卿が駆けつけねば、あの城砦まであのバルデスめに奪われてしまったかも知れぬのです。御主君である閣下は、配下の戦功を賞すべきであり、競ったり妬んだりするものではありませぬ!」

 宰相ロズナー伯は、主君の為にどれだけ働いても妬まれてしまう娘婿のヴァーゼルを不憫に思うが、公正な立場としてはそう言ってやるのが精一杯であった。

「わかっておるわ! しかし、ヴァーゼルにばかり戦功を挙げさせては、他の諸侯も面白くあるまい。そうだ、レイアン伯にバルーケ城砦を任せることにしよう」

 宰相ロズナー伯も、それには特に反対せず、素直に従った。

 書記官ユーグ卿の用意した書面にブリアス公の朱印を押すと、側近の一人に書簡をレイアン伯へと届けさせた。

「ふむ、それでは明日の夕餉は、北領公殿を招いて酒宴でも開くか。ヴァーゼル卿が戻るまで、大切な客人を退屈させてはいかんからな」

 レアンドルは、最もらしい言い訳をしながら宰相ロズナー伯の顔色を窺う。

「(出陣もせぬ内に、この御仁は一体どれだけ酒宴を開けば気が済むのだ……)」

 しかし、宰相ロズナー伯はそんな言葉を飲み込んで了承すると、自身の処務に戻る為、謁見の間を退出していった。

 宰相ロズナー伯の姿が見えなくなると、レアンドルは、やれやれと言った表情で、ようやく姿勢を崩す。

「そういえば、お主もヴァーゼルと同じく宰相の縁者であったな。義理とはいえ、あれが兄では色々と大変であろう?」

「とんでも御座いません。宰相殿は先代様から閣下のことをお任せされた故、常にそれに報いんとされてるだけで、その心掛けは私共、家臣の手本に御座います」

「ふん。まあ、そう言うことにしておいてやるか……」

 レアンドルは、そんな書記官ユーグ卿をからかうかの様に鼻で笑うのだった。


 その夜、書記官ユーグ・ベルトランは自宅の離れにて、ある男と会っていた。

「……そうですか。アダンニ伯は放逐されましたか」

 その男は淡々と、まるで自分には関係無いことの様に感想を漏らしている。

「よくもまあ、そんな他人事の様に聞いていられるものだ。元はと言えば、お主がアダンニ伯に仕向けた話であろうに……そうではないか? リゴーラよ」

 リゴーラは、コズモ・アダンニ伯からの書簡を預かるとレアンドルの側近の一人を買収し、二つの手土産を持参して、密かにレアンドル自身との面会を果たすことが出来た。

 その一つは、アダンニ家の帰順であり、もう一つはコーゼルの妾であった白拍子の娘であった。

 そもそも、コーゼルにこの白拍子を売り込んできたのもこのリゴーラであり、元々はコーゼルの側近として、フォントーラ家の実権を握らんとしていたのだ。

 しかし、ある時、リゴーラによる備蓄兵糧の横流しが発覚し、宿老ディオルグの命により捕縛された。

 その背後に、ヴァーゼル配下の闇士の働きがあったのは言うまでもない。

 本来ならば処断されるところを、白拍子の娘に買収された牢番の手によって逃がされ、面識のあったアダンニ家を頼り、そこで密かに庇護されていた。

 そして此度リゴーラは、ヴァ-ゼルの命で修道院に押し込められたその白拍子の娘を連れだすと、再びその娘の色香を使い、まんまとレアンドル公への接触を果たしたのである。

 そんなリゴーラとフォントーラ家との因縁を知ったレアンドル公は、ヴァーゼル達の目に届かぬ様、その男を自身の側近筆頭でもあるユーグに預けることにしたのだ。

「しかし、あのような娘をどこで見つけたやら……よくも同じ様な手を使い、再びトラス城市に潜り込んできたものよ」

 ユーグは心底呆れた様な顔で、目の前にいるリゴーラの顔を見る。

 古来より、女を使って権力にすりよる者に良臣はおらず、あるのは姦臣だけとされている。

 実際、このリゴーラという男は紛れもない姦臣であり、自分であったならば即座に処断したくなる様な手口を使う男であった。

 しかし、そうは言っても、主君レアンドルの命で預かる大事な客人であり、粗略に扱えばユーグ自身が主君から不興を買うことになる。

 この戦が無事に終われば、老齢であるロズナー伯は引退を考えているはず。それはフォントーラ家のアイゼルも同様だ。

 となれば、次の宰相位はほぼ間違いなくこのユーグ・ベルトランが任命されるであろう。

 この戦で仇敵摂政家を撃破し、代わって南領公家がこの中原帝国の実権を掴めばその時、自分は今の摂政家と同じか、それよりも大きな権限を手にすることが出来るやも知れぬ。

「(こんな男に関わり、万が一にも墓穴を掘るようなことがあってはならないのだ……)」

 そんなユーグの胸の内を見透かす様に、リゴーラは挑発してくる。

「……そう言う書記官殿とて、此度の戦の先に、見据えているものがおありなのでしょう?」

「……何が言いたい?」

 リゴーラは、意味ありげな笑みを浮かべるもそれには答えず、ただ声を殺して笑っている。一々、癇に障る男だ。

 ユーグの不快さを知ってか知らずか、リゴーラはその薄ら笑いを止める。

「これは失礼。しかし、ユーグ卿。貴方と私めは、利害が一致する間柄だと思うのですがね」

「さっきから、一体、何の話をしている?」

「もちろん、フォントーラ家のことですよ。あの家は貴方にとっても目障りなはずでしょう?」

 そう言ってリゴーラは扇を開き、その口元を隠す。

 扇の下にはきっと、さぞかし薄気味悪い笑みが浮かんでいるに違いない。

 ユーグはそのあまりの不快さに堪えかねると、席を立った。

「御相談になら、いつでも乗りますよ」

「貴殿は余計な口が過ぎる。少しは自分の立場をわきまえるが良い!」

 これ以上は付き合えぬとばかりに、ユーグはその部屋を出た。

 その耳には、あの癇に障るリゴーラの笑い声がいつまでも聞こえていた……。


        *         *         *


 それから七日が経った。

 長く降り続いた中原の雨もようやくその勢いを弱め、空には僅かだが雲間から光が差し込んでいく。

 そんな中、粛々としてトラス城市に入城しる軍勢の姿があった。

 ようやくレイアン伯の部隊と、バルーケ城砦の守備を交代を済ませたヴァーゼルの先鋒隊が帰還したのである。

 顔を上げて、規律正しく行進する先鋒隊に城内の民衆は熱狂し、こぞって歓声を上げて出迎えていく。

 ヴァーゼルは、そんな城内の民衆に応えてやる様、兵士達に指示を出すと、先鋒隊全軍が天高く槍を掲げ、調練風景さながら足並みを揃えた見事な行進で、民衆の作った花道を突き進んだ。

 そして、クーヴェルやリーゼルが姿を現すと、その歓声は一際大きくなっていく。

 その様子を本城の楼閣から眺めているのは、レアンドル公と書記官ユーグ卿の姿。

「ふん、すっかり凱旋気分か? いい気なものだ、ヴァーゼルめ……」

 レアンドル公は、面白くもないものを見たと窓辺を離れていく。

 書記官ユーグ卿としては、ヴァーゼルを始めとするフォントーラ一族が主君の不興を買うのは一向に構わないが、それを主君の前であらわにすることはない。

 それでなくとも、主君の側近筆頭で書記官を務めるユーグには、普段から主君への御機嫌取りをしていると周囲には思われており、甚だ不本意な思いを蒙っている。

「(まったく、どうしてお前達と関わるとろくなことがない……!)」

 ユーグもまた、苦虫を噛み締めるように、そのまばゆい軍装の一団から目を逸らすのだった。


 その後、謁見の間にて先鋒隊帰還の報告が行われることに。

 上座には南北領公の二人が並んで座り、向かって左列には南領公麾下の諸侯が、同じく右列には北領公麾下の諸侯がずらりと顔を並べていた。

 ヴァーゼルと共に謁見を許されていた嫡子クーヴェル、先代のアイゼルに諸侯の注目が集まる中、先鋒隊の挙げた戦果が読み上げられていく。

 あまりの緊張に、クーヴェルは全身の血が引いた様な顔のまま、臣下の礼をしていた。

「……ここも戦場だ。腹で息をつけ」

 密かに、横から祖父アイゼルが首を動かさずに、クーヴェルに声を掛ける。

 言われた通りに腹から絞り出す様にして息を吐くと、全身を襲っていた強張りが取れていく。

 気が付けば、壇上に跪く父の前に宰相ロズナー伯が立っており、周囲の諸侯から盛大な拍手が送られていた。

 次に、ヴァーゼルへ帥将印綬の授与式が行われた。これで、晴れて正規の帥将として南領公麾下の諸侯へ、軍事に関するあらゆる命を下せる権限と立場が名実ともに認められたのである。

 また、ヴァーゼルの部将であったクーヴェル、ドルガン、リアルグ、レアルヴの四人には、校尉の位が授けられた。

 校尉とは、一軍団を指揮する将軍に次ぐ上級将官であり、軍事面においては城砦持ちの領主に比肩する権限が与えられる地位となる。

 また、カゼル、リーゼル、ソーゼルら三人の子にも一千の兵を率いる部将の位が授けられた。

 普通、部将格の指名は、諸侯自身に任命権が認められているが、こうして大総督から直々に指名されることは大変な名誉であると言える。

 最後に祖父アイゼルには、フォントーラ家当主への復帰が命じられ、一代限りではあるが、侯爵位と同格とされる『宮内侯』の爵位を授けられた。

 これまで陪臣であるフォントーラ家には男爵位までしか許されておらず、此度の授与は、ガイゼル卿以来の快挙となる。

 年老いたアイゼルの胸には感ずるものがあったに違いなく、震えるその手で爵位の印章を受け取ると、膝を付いたまま深々と答礼をする。

 アイゼルのこれまでの苦難が並々ならぬものであったことは周知の事実であり、諸侯等は陣営を問わず、この老将に盛大な拍手を送ってくれた。

「この栄誉の中、死んで逝けたらどんなに幸せであろうか……」

「御冗談はそれまでに……先代には参謀として、まだまだ働いて頂かなければ我等が困りまする」

 ヴァーゼルに窘められたアイゼルは、声を枯らして笑うと、熱くなっていた目頭をそっと拭うのだった。


 先鋒隊の報告、そしてヴァーゼル等への褒賞の儀を終えると、諸侯一同、トラス城外に居並ぶそれぞれの自軍の陣地へと戻っていく。

 幸いにも、空には晴れ間が広がって閲兵式日和となってくれた。

 南領家ブリアス公、北領家ブラントーム公も一世一代の晴れ舞台に、これでもかという華美な出で立ちで外壁に現れると、この日の為に石積みで造られた祭壇の上にゆっくりと昇っていく。

 トラス城市の外壁には両公爵家の主旗がたなびき、外壁下の軍勢の前には各軍から選ばれた楽団が並び、銅鑼や太鼓を使っての勇壮な音楽を奏でている。

 祭壇の上に立った両公爵が振り返ると同時に、一際、大きな音が打ち鳴らされると同時に、トラス城市の正門が開かれた。

 その中から現れたのは、両公爵家の誇る帥将二人と、その直衛である百騎づつの騎馬隊。

 それぞれ、白と朱に染め上げられた艶やかな外套を鎧甲の上に纏った騎馬隊は、悠然と諸侯軍の前を行進し、それぞれの陣営前に整列する。

 一瞬の静寂が、トラス城市の内外を支配していく。

 そして、向かって左側に面したレアンドル・ブリアス南領公が、ゆっくり両手を掲げると、声高に閲兵式の開幕を宣言した。

「中原帝国の諸侯等よっ! そして、この場に馳せ参じてくれた勇士達よっ!! 我等はついにこの日を迎えたっ! この中原帝国に巣食う害獣、摂政ボーグタスを打ち果たす時が来たのだっ!!」

 若年ながら張りのあるレアンドルのその声は、城下の軍勢の端から端まで、響き渡っていた。城下に居並ぶ総勢三万以上の軍勢が一斉に雄叫びを挙げて応える。

「(数少ない我が主君の取り柄だな……)」

 ヴァーゼルはその声を聴きながら、そんな感想を抱く。

 怒号とも言える雄叫びは、レアンドルがゆっくり手を下げると同時に静まった。

 代わって、今度はクレマン・ブラントーム北領公が、同じ様に両手を掲げ、妙に甲高い声で摂政家の悪行を連ねてゆく。

「そもそも、この中原帝国は百年以上も昔に我等の父祖が、遥か西方の大帝国より歴史的な大遠征の果てに築き上げたもの。それが今では、我等が絶対の君主である大帝陛下をこともあろうか傀儡のごとく扱い、専横を極める摂政ボーグタス家が思いのままに暴虐な行いを振る舞っているではないかっ。彼奴の一族はその大遠征にすら参加したことすらないと言うのにだ!!」

 兵士達から、今度は摂政家に対する怒りの叫びが沸き起こる。

「つい先年、我が父である先代のクランドル・ブリアスが、摂政家の凶刃によって亡き者とされた。それなのに誰もその悪行に、非難の声すら上げられなかったのは何故かっ!?」

 レアンドルのその悲痛な叫びに、兵士達は思わず声を詰まらせる。

「……それは摂政家が、我等が個々では立ち向かえぬほどの圧倒的な戦力を持っていたからに過ぎない! しかし今は違う!! 南北両公爵家がこうして手を携えたことにより、我等は姦賊を打ち下す正義の剣をここに得たのだっ!!」

 左右の祭壇上の両公爵が、高々と宝剣を掲げると、城下の兵士達は歓声と共に、それぞれが持つ槍を天に向かって突き上げた。

 ドォーンと城内から、轟音が鳴り響く。この結成式の為に、わざわざトゥアルグ城から持ち込んだ祝砲が、一斉に撃ち鳴らされたのである。

 この中原世界ではすでに火薬は発明されているが、兵器としての実用化はまだまだ先であり、現在は大きな音を鳴らす道具として良く用いられている。

 それでもこの祝砲の轟音には、城内の市民や城外の兵士達も度肝を抜かれた。

 祝砲の存在を知っていたはずの両公爵すら、それぞれ宝剣を落としたり、その場にへたり込む有様である。

「……これっ! ちと火薬の量が多すぎるぞ!!」

 幸い、城壁の上には祝砲による多量の煙が立ち込めており、両公爵の無様な恰好は城下の兵士達には、気付かれずに済んだらしい。

 城壁上の煙が晴れ、祭壇に立つ両公爵の姿が見えてくると、自然と兵士達からの拍手が沸き起っていた。

 その様子に満足したのか、両公爵は機嫌を直すと演説を再開する。

「見たかっ! この我等のこの雄叫びが、天にまで届いた様ではないかっ!」

「我等の手で姦賊を斬り、再び、この中原に正しき秩序をもたらすのだっ!」

「オウッ! オウッ! オウッ!」

 熱に浮かされたかの様に、三万の軍勢は雄々しいその相槌を繰り返した。

「(まるで、祭りの様だ……)」

 ヴァーゼルのすぐ横で、騎乗したまま槍を構えるカゼルは、目の前の異様な熱気をそう感じていた。

 しかし、父ヴァーゼルの顔を横目で見ると、まるで瞑想するかの様に静かに目を瞑っているだけで、何の感情も感じられない。

 これだけ鼓舞されれば諸侯等の軍勢の士気も、普段とはまるで別物の様に高まるはず。しかし、父ヴァーゼルには不安があるのだろう。

 カゼルは、その不安が何であるかを今は考えないことにした。

「(我々フォントーラの武人は、この熱に浮かされることなく、いつも通りであればいい……)」

 父ヴァーゼルならば、きっとそう言うに違いない。

 トラス城市の城内外に漂うその熱気は、閲兵式が終わっても冷めていくどころか次の日となっても収まる気配はなかった。

 しかし、兵の士気が高ければ戦に勝てるというものではない。南北領公の両陣営はすぐに思い知らされることになるのである。


 翌日、トラス城市の城外では、早朝であるにもかかわらず兵達の歓声が上がっていた。帰還したヴァーゼル隊に代わり、改めて編成された先鋒隊が出陣していったのである。

 今度の先鋒隊は、北領侯家麾下の諸侯を中心に、以下の様に編成されていた。


 第一陣・第一部隊 アーベル・ファーナー卿(北領公軍一千五百)

  〃 ・第二部隊 カール・グリント卿(北領公軍一千)

  〃 ・第三部隊 ノンベルト・ブランケ卿(北領公軍一千)

  〃 ・第四部隊 フリッツ・アイスナー卿(北領公軍一千)

  〃 ・第五部隊 エドガル・ブラントーム侯(北領公軍三千)


 第二陣・総大将  帥将ドルフ・エーケンダール伯(北領公軍五千)

  〃 ・第六部隊 マリウス・ゲルストナー卿(北領公軍一千)


 此度の先鋒隊の総大将に選ばれた北領公家帥将ドルフ・エーケンダールは、この中原世界において、ヴァーゼルとも並び称される名将であり、自身の率いる直衛部隊はフォントーラ家を遥かに凌ぐ数の騎兵を持ち、その精強さを周辺諸侯に恐れられていた。

 麾下に続く諸侯等も、それなりに武門の家が揃っており、その点を心配する者はいなかった。

 但し、第一陣にいるエドガル・ブラントーム侯については別の問題があった。

 エドガルは、北領公家の分家でありながら、侯爵位を持つ名門の当主。そんな彼が本来、家臣筋にあたる帥将ドルフの指図に大人しく従うとは誰も思っていない。

 困ったことに、帥将ドルフが次の先鋒隊総大将と決まっていたにもかかわらず、エドガル自身が先鋒隊への参陣を強く希望した為、こんな編成となったのである。

 この陣容には、南北領公家のそれぞれ思惑が絡み合っており、先鋒隊大将である帥将ドルフにとっても、如何ともしがたい状況であったのであろう。

 先鋒隊の出陣を見送るヴァーゼルには、何事もなく、ブリアス城市まで先鋒隊が進軍出来ることを祈るしかなかった。

 その一方、ヴァーゼル隊自体の編成はそのままとされたことは幸いであった。練度の違う兵が混在すると、それだけで軍の行動に支障が出るからだ。

 その点、現状のヴァーゼル隊は、ヴァーゼル直衛以外の四千は、ほぼ同等の練度に仕上がっており、更に精強である直衛一千は、勝敗を左右する局面において常にその真価を発揮できる状態にある。

 カゼルやリーゼルも部将となったが、他に任せられる部隊もいないので、臨時の指揮官として今まで通り、ヴァーゼル麾下の郎党として置かれた。

 ソーゼルの方はというと、正式にドルガン隊の副将とされ、早くもドルガン隊の半数の指揮を任せられており、この日も朝から調練を行っている。

 カゼルとリーゼルは、それぞれ従士を連れての行動が許されていたので、遠乗りがてらにソーゼルの調練を見学していた。

 ソーゼルは、ドルガンの隊に倣い部隊の先頭に立って、懸命にその動きを追っていた。

 時折、ドルガンから厳しい叱責を浴びながらも、兵達と共に駈けずり廻っている。

 カゼルは、そんなソーゼルの動きを静かに目で追い続けた。

「……私達にも、少しくらい部隊を回してもらえないかしらね」

 リーゼルは、せっかく飛び級で部将にまで格上げされたと言うのに、今まで同様父の郎党であることに、少しだけ不満である様だった。

「殿や先代様も、この前の姫様の見事な采配を御覧になっております」

「そうですとも! なあに、その内五百や一千の部隊はすぐに用意して下さるはずです!」

 リーゼルの従士から郎党に格上げとなったカミル、セリオはリーゼルを励ます様に代わる代わる声をかける。

「カゼル殿はどうなんです? アレを見てると、やっぱ身体がうずきますかね」

「……ラウグ殿、カゼル様はすでに将官の仲間入りを果たしたのです。少しは言葉遣いを!」

「ああ、分かってるって。でも、急にカゼル様ってのもなんだかな……」

 同じく、郎党に格上げされたラウグとラインは、いつもと変わらぬ調子だ。

「こちらも、師匠に様付けされるのは変な感じだし『隊長』でいいよ」

「それじゃ隊長。……で、どうなんです?」

「あの調練を見れば、身体がうずくのは当然だけど、今はそれよりも思うところがあってね」

 カゼルが注視していたのは、ドルガンとソーゼルの指揮による兵達の動きの違いである。

 指揮官の違いにより同じ練度の部隊の動きに、どれほどの差が現れるか。

 全ては、咄嗟の戦況分析の差にある。集中して調練を見ていたカゼルは、それに着目していた。

 これが、父ヴァーゼルと自分であったなら、どれだけの差が付くのであろうか。

 今の様に上から見下ろしていれば、戦場の全体像が見渡せるので、どんな時にソーゼル隊の動きが遅れるのかが良く分かる。

 しかし、これがソーゼルの目線であったならば、果たしてどうであろうか。

 ……やはり、あるところでドルガンの姿を見失った。

 ソーゼルはひたすら、ドルガンの姿を目だけで追っていた。対するドルガンは、相手の動きを先読みする様に、常に先手、先手で相手の側面を突く様に動く。

 それも決まった動きではなく、不意に正面から迫ったりもするのだ。

 指揮官が不意を突かれるということは、兵達も同じく不意を突かれていることになる……。

「なるほど。これが目ではなく、戦の流れを読んで動けと言うことか……」

 言葉で理解出来ても、それを体験しなければ何も学んでいないのと同じである。そう言った意味でも、カゼルは早く今の感覚を試してみたかった。

「行こう。我等も負けてはいられぬ!」

「あ、ずるい! 先は譲らないわよ!!」

 先に駆けだしたカゼルに遅れまいと、リーゼルもそれに続く。

「やれやれ、元気な若様に姫様だこと」

 ラウグの言葉に、他の三人の郎党も苦笑する。

 そして彼らは一斉に馬首を返すと、互いの若き主君を追って駆けていくのだった。


        *         *         *


 先鋒隊の出陣から遅れること二日後、ようやく第二軍として、再びヴァーゼル隊にも出撃の命が下りた。

 今回はアルトナー隊二千と、バルーケ城砦を守るレイアン隊二千も合流し、更に留守居を任せていた宿老のディオルグにトラス城市で動員させていた浪人衆一千も合わせて、総勢一万の兵力となった。

 浪人衆の指揮はヴァーゼルの客人であり、今までクーヴェル隊で副将を任されていたガーヴァス・クロンヘイムが部将格として充てられた。リーゼルが学院を離れる際、侍女と偽って保護していたロアンデル公子を預けたオーグス・クロンヘイムの庶子であるこの男がこの場にいたのは、まったくの偶然である。

「面白い男だから、道中は彼の者のところで色々と話を聞かせて貰うがいい」

 ヴァーゼルはそう言って、カゼルを浪人衆の下へと行かせた。

 リーゼルも着いていきたがったが、それは皆に止められた。流石に浪人衆というゴロツキ連中の中に、若い娘を送り込む訳には行かなかったのである。

 リーゼルは膨れっ面をしたまま、その日は一言も口を聞こうとはしなかった。

 このガーヴァスとは面白い経歴の男で、ヴァーゼルよりも五才ほど若く、北藩国の重臣格の家柄でありながら庶子であるという身軽さからか、この中原諸国をもう十年以上も遊歴している武人である。

 ヴァーゼルの客人となったのは僅か半年ほど前のことであり、その前はなんと、摂政家で浪人頭を務めていたという。

 実は、このガーヴァスは先年のブリアス城市奇襲にも参戦しており、その時の摂政軍の圧倒的な強さに呆れ、それが嫌になって摂政家を飛び出してきたのだ。

「強すぎる軍は、嫌なのですか?」

「勝って当たり前なんて軍で、浪人頭なんかやってもつまらんさ。何もすることがない。なら、そいつらと戦った方がいい修業になるだろう?」

「しかし、父上の率いる軍は、摂政家が誇る七獅軍に決して劣らぬ精兵揃いです。こちらもガーヴァス殿の御期待には、そぐわぬかも知れませんよ?」

 カゼルは、ガーヴァスの調子に合わせてそう聞いてみる。

「ヴァーゼル殿が強いってのはいいことだ。自分とこの大将はそうでないと困る。しかし、フォントーラ家はそこらの諸侯と同じ兵力しか持ってない。そこがいい」

「規模が小さいと、何が良いのです?」

「こんな浪人でも、出番がまわってくるところが実にいい。それだけのことさ」

 要するに、このガーヴァスという男は最前線での戦が好きなのだ。

 確かに、摂政家という常時二万を超える精強な軍勢の中にあっては、浪人衆の出番などあってない様なもの。

 浪人衆とは、潰れた家の武人が仕官先を求めてやってくるものとされているが、中には働き場のない食い詰め者や、罪を犯して国元を追われた者もいる。

 武人の出であればまだマシな方であり、民兵上がりに町のゴロツキ、盗賊まがいの連中も数多く混じっている。

 カゼルは、自分にとって未知の世界を渡り歩いてきたこの男に興味を持ち、行軍の間、ずっと寝食を共にして様々なことを教わることにした。

 戦のこと、今まで手合わせてきた相手のこと……。

 見知らぬ土地に、見知らぬ人々の生活。どれも、カゼルが知らぬことばかりだった。

 その内、いつの間にか周囲の浪人達も集まり、野営の時にはまるで宴の様な盛り上がりを見せる様になっていた。

「カゼル殿。あんたは変わっているな」

「そうでしょうか?」

 周囲の浪人達が騒ぎ疲れ、寝付いた頃、カゼルは草叢に寝ころび星空を見上げていた。

 その横には、浪人達と一緒に騒いでいたラウグ、それに引きずられ、疲れ果てたラインが寝ている。

「ヴァーゼル殿の子であるし、お行儀のいいお坊ちゃんかと思えば、こんなオレ等やさぐれ者の話を面白そうに聞いてくれる。あんたの兄貴とは、大分違っているな」

「……兄は、父の跡を継ぐ嫡子ですから」

「オレだったら、あんたを押すけどな」

「あはは、ガーヴァス殿にそう言ってもらえると、なんだか嬉しいです」

 カゼルは、今までそんなことを言われたことはなかった。

 誰もが兄クーヴェルとの比較をし、その結論を答えようとはしなかった。

 正直なところ、自分が兄に負けているとは思っていない。しかし、勝ってはいけないのだとも知っている。

 物心がついた頃、フォントーラ家の大人達がカゼルを見ては、こそこそと会話を交わしていた。何故だか無性に悔しかったのを覚えている。

 父や祖父に何か褒められると決まって陰口を叩かれた。そんな時、母コーラル、そして姉のリーゼルは決まってこう言ってくれるのだ。

『貴方は、貴方のままであっていいの。誰かを気にする必要なんてないのよ……』

 それは慰めや励ましではなく、そのままの自分であって良いのだという安心感。

 その言葉に、カゼルはどれだけ救われたことだろう……。

「オレだけじゃないさ。ちゃんと見てくれる人は、本当のあんたの姿を見てくれている」

 ガーヴァスは、そう言って自分も草叢に寝転がると、すぐに寝息を立て始めた。

「(他にどれだけ、自分のことを見てくれている人がいてくれるのだろうか……)」

 カゼルは、ガーヴァスのそんな言葉を振り返りながらゆっくりと目を閉じた。


 翌朝、日の出と共に目覚めたカゼルは一人で武練を行っていた。

 流石に、昨夜はガーヴァスとつい話し込んでしまったせいで、いつもよりも半刻は遅い目覚めであり、なんとなく体のキレも良くない。

 いつもならばラインが起きてくる時間だったが、安酒にやられた様で、今朝は起きだす気配もない。

「……こんな暗いうちから、元気な奴だな」

 生あくびをして起きてきたガーヴァスが、汲み置きの水桶に手ぬぐいを浸し、それで顔をゴシゴシ擦る。

「いえ、いつも我が家では、日の出前に終わらせておく決まりなんです」

「マジかよ。フォントーラ家は、まったく半端じゃねえな……」

 ガーヴァスは呆れた様にそう言いながら、草叢に腰を下ろしてカゼルの武練を眺める。

 そして、一通りの鍛錬を終えたカゼルに、ガーヴァスは声を掛けた。

「一人じゃ面白くないだろ? どうせならこれでやろうぜ」

 そう言うとガーヴァスは、竹束から引き抜いた竹槍をカゼルに投げ渡す。

 ガーヴァス自身も竹槍を握っていた。実際の槍に近い太さと長さで、これなら実戦さながらの稽古が存分に味わえるだろう。

 カゼルは、嬉しそうにガーヴァスに一礼をすると竹槍を構える。

「思いっきりでいいぞ。ただし、こっちは我流だ。御行儀は良くないだろうから覚悟しておけよ」

「構いません。流儀はそちらに合わせます」

 カゼルは悠然と構えるガーヴァスに向かって、竹槍の穂先で狙いを定める。

「(……強い。思った以上に、この人は強い)」

 カゼルは、父ヴァーゼルや、ジィドとは質の違う強さを目の前のガーヴァスから感じていた。

 一見、隙だらけにも見えるガーヴァスの構えだが、容易に間合いに踏み込ませない圧力がある。

 そう……これは、虎の様な大型の野獣の感覚だ。ふと、豺狼ガルムのことを思い出す。

「どうしたい? そっちが来ないなら、こっちからいくぜ!」

 ガーヴァスが、ひゅんと威嚇に軽く素振りをした瞬間、カゼルはその間合いに踏み込んだ。カゼルよりも上背のあるガーヴァスに、下から抉る様な一撃を放つ。

「(……獲った!)」

 カゼルがそう確信した瞬間、ガーヴァスは首を僅かに反らして、その必殺の一撃を交わしていた。

 代わりに飛んできたのは、左手の拳!

 深く踏み込んだ分、これは躱せない。素早く体を浮かせたカゼルは、その衝撃を辛うじて折りたたんだ腕で受け止めると、後方に飛んで着地した。

「お~すげえな。その身軽さは、ちと真似出来そうにないぜ」

 ガーヴァスは歯を向きだして、楽しそうに笑う。

 今のをまともに受けたら帷子越しでも、あばらにヒビが入ったかも知れない。

 腕がまだびりびりと痺れている。それでも、ジィドやトラヴィスほどの怪力ではないのも確か。

「そら、どんどんいくぞ!」

 ひゅんひゅんと水車のごとく振り回されるガーヴァスの間合いに無策で飛び込めば今の繰り返しとなる。かといって力比べなど、やる前から勝負が見えている。

 ならば、出来ることはただ一つ……。

 カゼルは姿勢を更に低く構えると、ガーヴァスの竹槍へ内から外へと流す様に打ち込んでいく。

「おっ、おっ!?」

 ガーヴァスの竹槍が、どんどん外に弾かれていく。

 もう、おしゃべりをしている余裕はないらしい……。

 ここからは本気でいくと、ガーヴァスの目がそう言っていた。

「(しかし、もう遅い!)」

 ガーヴァスの竹槍が大きく外に弾けた瞬間、カゼルは勢いのまま体を回転させ、竹槍の反対側でガーヴァスの太腿を狙って突いた!

 しかしそれ以上、竹槍はまったく前に進まない。

 カゼルの竹槍は、ガーヴァスの大きな手でがっちりと握られていた。

 次の瞬間、カゼルに下から迫る足蹴り!

 咄嗟にのけぞって交わすも、竹槍はガーヴァスに奪われてしまっていた。

「槍はもっと強くねじり込め。そうすれば、次は掴まれずにすむ」

 ガーヴァスは自身の竹槍が大きく弾かれた瞬間、それを捨ててカゼルの竹槍を掴んでいたのだ。

 唖然とするカゼルの腹にガーヴァスの足蹴りが食い込む!

 流石に堪え切れず、草叢に倒れ込む。

 そして、ガーヴァスはカゼルの肩を奪った竹槍で軽く叩いた。

 降参しろという合図だ。

「……まいりました」

 荒い息を付いて、カゼルはそのまま仰向けに転がる。

 自分の非力さを思い知らされた気がした。

 だが、カゼルは口惜しさよりも、興奮がそれに勝っていた。

 今までとは、違ったものを教えてくれる師匠に巡り合えた。それが嬉しくて堪らない。

「……次は、その手を弾いて見せますよ」

「お、言うじゃないか。なら、明日はこっちもガンガン打ち込んでやるから、覚悟しとけよ」

 朝日の中、愉快そうに二人は笑い合うのであった。

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