第25話 12月25日 桜木南病院・神谷高司

 カウンセリングルームの扉をノックする音が聞こえてきた。部屋に入ってきたのは有村勇太の母親だ。神谷高司に促されてソファーに座る。


「これはカウンセリングではありません。ただ少しご質問したいことがありまして……」

「お話するようなことはないと思いますが」


 そう答えた母親の表情は硬かった。神谷は笑みを浮かべて頷く。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。少しゲームでもしましょうか。手と頭を一緒に使うものがいいですね。例えばしりとりとか」

 神谷はメモとペンを用意する。


「普通は口頭でやりますが、今回は文字でやってみましょう。全部ひらがなで大丈夫です。カウントは五秒で。では私はこれで」


 神谷は『そうじ』とメモに書く。続けて母親は『じこ』と記した。

「その調子です。続けましょう」


 さらに神谷が『こーど』、母親が『どーなつ』と書いた。母親は不安そうな声で質問する。


「これいつまで続けるんですか」

「もう少しだけお願いできますか」


 神谷は『つば』、母親が『ばっと』と記した。


「なるほど。やはりあなたが犯人だったんですね」

 母親が書いた文字を見て神谷はそう呟いた。


「え?」

「いくら偽装しようとしても、文字の癖というのは出てしまうものなのです。特に無意識であればあるほど」


 神谷は勇太から預かっていた赤い折り紙を机の上に並べた。『しんじゃえばよかったのに』『もどってくんな』『しね』といったつたない文字が書かれている。濁点の書き方が母親が書いたメモと似ている。


「素人目に見ても、これだけ合致するとなると、赤い折り鶴にメッセージを書いた人物と近い筆跡を持つ人物だと判断せざるを得ません」

「なにを言って」


 母親の唇が小刻みに震えている。


「千羽鶴を折ったときに手袋はしていましたか」

「だから何の話を」

「もし素手で作ったなら、あなたの指紋が折り紙にべったりとついていることが証拠になります。かといって手袋をしていたとしたら、内側の白い部分に誰の指紋もついていない不自然な千羽鶴が完成してしまう。どちらでも都合が悪いと思うのですが」


 母親の視線がテーブルに置かれた赤い折り紙と、自分の書いたメモ用紙を交互に行き来している。きっと数分前の自分の何気ない行動を後悔していることだろう。


 神谷はプリントアウトした資料を見せる。

「ご存知でしたか。今時は少しお金を出せば、民間でも筆跡や指紋の鑑定ができるんですよ。ご自分ではないと証明されたいのでしたら、どうぞ申し込まれてみてはいかがですか」


「そんな必要はありませんから」

 母親が席を立ち、部屋を出ようとする。


「あなたがお付き合いをされてる不破さんという方ですが、実はちょっとした知り合いでしてね。もしかして彼とは夜のお仕事で出会いましたか?」


 母親は足を止めて神谷を見た。


「彼は可哀想な人を見つけるとほっておけないタチでしてね。あなたのように自己愛が強くて依存体質な人にとっては絶好のカモだったんでしょうが」


 神谷はメモ帳を使って小さな鶴を折る。


「不破さんも驚かれるでしょうね。自分と結婚するために子供を殺そうとするような女性と、果たして結婚してくれるでしょうか。彼の性格を考えると難しい気がしますが」


 神谷は部屋の隅にある仕切りにちらりと目をやる。


「きっと自宅の階段に小細工でもしてたんでしょう。残念ながら勇太くんは骨折をしただけだった。だから今度は本人が自殺するように仕向けるつもりだったんでしょう。少々爪が甘かったようですが。勇太くんが真実に気づいたとき、自分の母親を許すことができるでしょうか」


 母親の手が震えている。自分にも他人にも嘘をつくことに慣れきっている人間であっても、さすがに犯罪の隠蔽という行為には慣れていないようだ。


「なんのことをおっしゃってるのか……わかりません」

「そういえば勇太くんのお父さんは階段から足を踏み外して亡くなったそうですが、それもあなたがやったことなのではありませんか」


 神谷は完成した折り鶴の羽を伸ばし、紙飛行機のように飛ばした。水槽の中に落ちた鶴は水を含んで、瞬く間に沈んでいく。


「今回のことも含めて、もし勇太くんや不破さんが警察に通報したら、どうなるんでしょうね」

「お願い。不破くんには……絶対に言わないで」


 母親は泣きそうな顔で懇願する。

 神谷はうっすらと笑みを浮かべ、唇を指でなぞった。


 この女は最後の選択を間違ったことに気づいていないようだ。この期に及んで子供より彼氏を優先する女の表情は、実に醜くかった。


 神谷は椅子から立ち上がると、部屋の隅に不自然に作られた仕切りを取り払った。中には車椅子に座っている勇太がいた。


「勇太……そんな」


 息子の姿を見た瞬間、母親は足の力が抜けて、後ろに倒れこむように二、三歩退いた。棚にぶつかり、大きな水槽の水が振動で大きく波打つ。水底に沈んだはずの折り鶴がふわりと揺れる。


「どうしますか。すべてを明らかにして罪を償うか。それともひっそりと綺麗な消え方をするか」


 神谷はスマートフォンを取り出すと、『綺麗な消え方はじめました』のサイトを表示する。


「選ぶのはあなた自身です。どうぞお好きな方を。今ならまだ綺麗なまま消えることができるかもしれませんよ」


 きっと綺麗な消え方を選ぶだろう。この女は自分が一番可愛い傲慢な人間なのだから。





 母親が出て行くのを見送ったあと、神谷は勇太に尋ねた。


「勇太くんが望んだ通り、君の世界は変わりましたよ。次は君の番です。さあどうしますか」


 少年の瞳に涙はなかった。

 もう覚悟していたのかもしれない。


「今まで君が小遣い稼ぎをしていたアプリですが、あれ裏側に行けば自分が愚者になれるって知ってましたか。登録したらすぐに楽になれるかもしれませんね」


 神谷は微笑んだ。


「好きなようにすればいいと思います。やるかやらないかは君の自由です。君の人生なんですから」




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