第22話 背中を追う

 住宅が立ち並ぶ道の下を、死にかけはいくつか集団を作って歩いていた。警戒する必要はあったけれど、ほとんど無視してやり過ごせた。


 問題なのは走れないことだ。走ると目立ってすぐに集団がやってくるし、疲れてしまう。シキの足は早い。追いつけないかもしれないという弱気を振り払いながら、すれ違う死にかけの意識に入らないように歩いた。


 二時間を一人で過ごしたのは初めてだ。三キロくらい進めた。剣道部では五キロを三〇分で走るのが目標だった。シキは僕よりかなり足は速いから、順調ならあと一時間以内で到着する。


 雨が降りそうだった。降る前に雨宿りをしたほうがいいだろうか。考えているうちに、目標地点の一つ、養運寺についた。寺なら目立つだろうと思ったからだ。境内の中には誰もいない。本堂の入口は一つだけで逃げ道がないのが気になった。寺務所には裏口があったけれど、死体で足の踏み場もない。一体、這いずる死にかけがいたからスコップでとどめを刺した。


 本堂は大丈夫だろうか。死にかけの集団に踏み込まれたら素早く動くことはできない。賭けだとはわかっていたけれど、中に入ってみた。


「うっ……」


 強烈な臭いで思わず声がでた。折り重なるように数人が眠っている。死体か、死にかけか、人か。畳に靴で踏み込んだ時、彼らが起き上がった。


 死にかけだ。四体。逃げよう。


 境内の中を走ったが、入った時より死にかけが多い。外へ出る。寺はダメだ。死を目の前にした人が来る場所で待ちあわせなんて論外だった。


 曇り始めている。雨になれば一気に体力を削られる。生き延びられる可能性はどんどん下がっていく。時間がない。


 視線の先に雨雲が見える。たかがそれだけのことが、こんなに不安の原因になるなんて思ってもいなかった。


 寺の入口の掲示板へ赤マジックで「ネコ、ショウさん、ここは無理です。近くの休むところを探します」と手早く書いた。あらゆる店に死にかけがいた。倒せてもそれを外へ運び出して休むには手間がかかりすぎる。ホテルみたいなところもない。


 道路の先に死にかけの集団。こっちに近づいてくる。もう進むしかない。覚悟を決めて再び歩き始めた。寺はもうダメだ。状況に合わなすぎだ。


 広い通りを歩こう。都道五二号線を菅原神社から町田郵便局へ。目立たないように、自然に。夕日が正面からさしてきて前が見えない。オレンジ色の向こうから、集団がふらふらと道路の中央をこちらへ向かってくる。恐怖はそれほど感じなかった。腐り方を見た。真っ黒になっていて歩みが完全に乱れている。


 雨はまだ少ししか降っていない。体は十分に暖まっていた。背中の荷物から水を捨てて、深くスコップを握りしめる。アスファルトを蹴りこんだ。


 淡いオレンジの中をうごめく死にかけへ、できるだけまばらな空間を目指して走りこんだ。最初の三体は気がつく前にすり抜けた。正面に並んでいる数体が反応してこちらを向いた。その顔を向ける瞬間をめがけて、スコップを大きく振り回した。


 最初の一体に直撃してそいつが隣に命中した。密集してくる速度は緩やかだ。いける。まっすぐに走り、一体をスコップで突き倒して飛び越えた。前に、前に。


 けれど、集団は途切れなかった。


 誤算に気がついた。三十体くらいだと見つもっていた。甘かった。引くにも後ろに集まりすぎている。歩道は車道以上にいる。曇りで暗くなっていて、しかも焦りで正確に数えられていなかった。


 力任せにスコップを二度振り回してひるませながら、小柄な一体を蹴り飛ばして道を作った。みるみる体力が尽きてきた。初めてこいつらの恐ろしさを正面から味わった。学校で食われて死んだ部員の事を思い出した。なんてバカなことをしてしまったんだろう。無理そうならすぐに引けばよかったのに。じいちゃんに、慎重なのが邦彦の長所だって言われてたのに。


 恐怖が湧き上がってきた。ここで殺される? こんなに小さなミスで? もどらないと。でもどこへ? 引かないと絶対に死ぬ。死にかけの手がベストをかすった。右手の相手の口にスコップを突っ込んで横に振り回す。何体倒してもその度に死にかけと死にかけの隙間が消えていく。道路の先が見えなくなった。動くのをやめたら終わりだ。こんなところで。たった一人で。


 腰からクマよけの電子銃を取り出した。前に向けてボタンを押した。鼓膜を叩きつける爆音が響く。ぴくっと死にかけたちが足を止めた。たった数秒。でもその時間が僕を救ってくれる。アルカリ洗剤を握りしめると目を狙って横に払った。目の前の一体を突き飛ばし、スコップを捨てて兼定を抜いた。道路が見えた。刀を水平に降って左右の相手を斬りふせる。


 逃げ切れた。一度も噛みつかれなかった。アスファルトが広がっている。ここからは考えることも感じることもいらない。走って走って、走ってから振り返った。


 安全な場所にたどり着いてから、滝のような汗が地面にこぼれ落ちた。なんてバカだったんだ。なんてまずい時間の使い方をしてしまったんだ。シキを追うために焦って正しい判断をしないで、武器も体力も一瞬で失ってしまった。シキはどうしているんだろう。いくらあいつが強くたってこれを抜けられるわけがない。なにがなんでも二人で行けばよかったんだ。刀を鞘に戻すのが限界だった。膝を折った。自分の心臓の音がうるさくて仕方がなかった。


 呆然と顔を車道のはるか向こうへ。目の前に二つの光が見えた。太陽は雲の向こうだ。どうして光が見えるんだ。二つ。光が止まった。バイクだ。小柄な体が飛び降り、駆けてくる。


「邦彦おまえ、こんなところまで来てたのか!」

「ネコ……?」

「寺の周りにいろよ。バカだな。バカだな……」


 すぐそばの声がはるか遠くに聞こえる。目がかすんで、夕日に照らされていて、二人の姿はよく見えなかった。


「後ろに乗りな。雨が降る前にそこらへんのマンションへ押し入ろうぜ」

「ショウさん、僕、焦って、もらった武器も……」

「乗れ。生きてるなら合格だ」

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