005. 闇の街

 駅前で意識を失ってから、どれほどの時間、地面に倒れていたのだろうか。目を覚ました涼一は、辺りの暗さに動揺する。


 全く光が無いため、普段の都市生活では経験しない異様さだ。

 暗さに目が慣れるまで待つことで、ようやく先ほどまでと同じ伏川駅に、自分がいることを確信できた。

 熱があるのか、全身がダルい。

 ゆっくりと立ち上がり、上着のポケットに入れていたスマホを手探る。どんなものであれ、まずは光が欲しい。


っ!」


 感電したような痛みを感じて、彼は取り出したスマホを思わず落としてしまった。バチバチと嫌な音を立て、足元のスマホは火花を上げている。

 もう一度スマホへ手を伸ばした涼一は、同じ電撃を喰らい、忌ま忌ましくその電子機器を睨む。

 どうせ若葉と葛西くらいしか、履歴に残ってない。それも、休講確認なんかの事務連絡ばかりだと自分を納得させ、多少の未練は残しながらも、スマホを拾うのは諦めた。


 ――他に光源は……?


 起きた直後は真っ暗に感じた改札前の広場も、弱い月明かりくらいは入ってきているらしい。

 地面に伏した者があちこちに存在するのが分かり、気味の悪さが加速した。涼一と違い、まだ気を失ったままなのか、身動きする気配が見当たらない。

 彼はふらつきながらも、近くに倒れる人影へ近づいて行く。

 俯せになったその身体の傍らにしゃがみ、彼は肩を軽く叩いてみた。


「大丈夫ですか?」


 鞄を手に持ち、スーツを着た男。気を失う前、地図を見ていたサラリーマンだと、涼一は気づく。

 男の反応が無いため、仕方なく、その体を仰向けにひっくり返す。


「うっ」


 思わず呻いたのは、男の顔が黒い液体でまみれていたからだ。

 よく見れば、口や鼻から大量に溢れ出している。


 ――血か?


 この暗さでは、確証はないが、おそらくそうだろう。食欲を減退させる、嫌な体液の臭いがする。

 涼一は呆然と立ち上がり、もう一度、ゆっくりと周りを見渡す。

 ここでようやく、見逃していた違和感に意識が向いた。


「おかしいだろ……」


 改札の向こう、ホーム側の通路や天井が、暗い闇にしか見えない。

 本来なら通路側面のガラス窓から外が見え、あちこちの壁にポスターが掲示してあったはずだ。それらが一切存在しない。


 よろよろと自動改札機まで歩いていった彼は、その改札機自体も異常なことを知る。

 切符投入口はあるものの、未投入者の通行を防ぐはずの、自動ドアが存在しなかった。

 改札機を抜けて、彼はやっとこの異常事態を正確に理解する。

 通路は無く、乗り越し清算機も無く、ホームも、線路も、電車を待っていたサラリーマン達も、何も無い。ちょうど改札口のところで、全ての物が断ち切られていたのだ。


 境界を跨ぐ場所に立って左右を見ると、巨人がナイフでざっくりと切り分けたように、世界が半分消えているのが分かる。

 改札機の向こうには、学校のグラウンドのような土の平面。耳を澄ませば、遠くから花火のような破裂音や、獣の小さな鳴き声だけが聞こえる。

 伏川町ではない別世界――この荒れ地の奥に踏み出して行くのは、さすがに躊躇われた。


 改札右手には駅員室がある。砂地側から回れば扉を開ける必要もなく、ぽっかりと開いた“切断面”から中に入ることができた。

 再び硬いタイルの上に一歩踏み出すと、彼の足元から、ビチャビチャと水の跳ねる音がする。


 ――床が濡れている? それよりこの臭いはやっぱり……


 月明かりが届かず、一層暗い部屋の内部は様子が分らない。

 爆発音が、今度はより近くから聞こえた。数度繰り返される爆発は、街ではなく、“向こう側”からだ。

 不安になり、改札前に戻ろうかと涼一が振り返った瞬間、何かに躓いて、大きくバランスを崩した。

 こけた彼の顔に床が迫ると、はっきりと鉄錆と糞尿が混じったような臭いが鼻をつく。


 顔が濡れた床に接するのは防げたものの、半端に柔らかい塊に手を突いてしまった。両掌はもう血まみれだろう。

 足を引っ掛けたのは、人間の体。場所からして、おそらく駅員と思われる。

 サラリーマンとは違い、彼が無事なのかを確認する気にはなれなかった。

 駅員の身体は、半分しか存在しない。頭から縦に真っ二つに切断された状態で横たわり、片目だけで涼一を見返していた。

 不快な臭いから逃れようと立ち上がったが、込み上げてくる胃酸を抑えるために、動きは鈍い。

 こんな時でも、いやこんな状況だからこそ、涼一は頭を無理やり働かせる。


 ――これは地震じゃない。もっと別の、非常識な何かだ。情報を集めなくては。テレビ? ラジオ?

 いや、何でも一人で動こうとするのは自分の悪い癖だ。人を探そう。警察でも消防でも、なんでもいい。助けを求めよう。


 ようやく指針を決め、再び駅前へと歩き出す。その背後へ、静かに駆けてくる影。

 先に相手を見つけたのは、栗色の髪の少女だった。


「○×@×@#&!」


 いきなりの声に、涼一は驚いて振り向く。

 固まって立ちすくむ彼に、さらに言葉が投げ掛けられた。


「○××@?」


 涼一にはサッパリ理解できない言葉だ。彼の知る限り、似た言語すら思いつかない。

 若く高い声色から、少女であることは分かる。

 背は涼一よりも低く、薄明かりに照らされた顔立ちは彫りが深そうだ。影が濃く、細かな表情までは判別出来なかった。

 しかも、不自然に姿が霞んで見える。彼女の顔だけが、宙に浮いてるようで、幽霊じみた姿に嫌な汗が出そうだった。


 友好的に接するか迷いつつ、涼一は少女に一歩近づこうとするが、その歩みは途中で止まる。

 彼の目は、彼女の手元に釘付けとなった。金属の光沢を放つ、銃のような武器。明らかに、その銃口はこちらに狙いを付けている。

 動くに動けないまま、涼一が何か話そうとした時、金切り声のような叫びが闇をつんざいた。

 一体どんな生き物が発したものか想像もつかないが、危険が迫っていることだけは分かる。


「○@×!」


 少女が大声を上げて、駅前へと走り出した。これは涼一にも、何となく意味が理解できる。逃げろ、だ。

 黒く大きな影が、駅員の亡骸へ飛びかかるのを察知し、彼は慌てて少女を追いかけた。

 鳥? カラス? 何にせよ、人間サイズの生き物に違いない。

 改札を通り、駅前の広場まで戻ると、少女が振り返り、彼の後方の空に銃を向けた。少女の見る先には“カラス”――一匹だけじゃなく、群れで空を飛び回っている。


 ――冗談じゃないぞ、あんなのに襲われてたまるか。


 見回せば、倒れていた人たちの中にも、ようやく立ち上がろうとする者がいた。


「みんな逃げろ!」


 涼一が呼びかけても反応は無く、声は虚しく闇夜に吸い込まれていく。


「おいっ」


 駅前広場の中央、水の出ない噴水の前にいたOLらしき集団に駆け寄った彼は、その顔を見て後ずさった。

 彼女たちは口と鼻、そして両目からも血を吹き出し、ただゆらゆらと立っていたのだ。


「大丈夫……には見えないな」


 ホラー映画さながらの光景に、彼女らを助ける意欲が失せる。


「おおおおぉぉぉ……」


 OLの一人が呻くように声を上げ、その音を合図にしたように、上空の“カラス”たちが急降下してきた。

 カラスは動く死体となってしまった人々に、次々と襲いかかる。

 両脚でOLの肩の辺りを掴み、真ん中の脚で、血にまみれた頭部を握り潰した。

 そう、このカラスには、胸から三本目の脚が生えていた。それぞれの脚の先には鋭い鉤爪が付いており、鉄板にすら食い込みそうな凶悪な形状をしている。


 そのまま大きく羽ばたくと、カラスは犠牲者を両脚で掴んだまま空中に舞い上がり、血飛沫の雨が噴水の代わりとなって広場に降り注いだ。


 ギィィィーッ!

 カラスの絶叫は、喜びの雄叫びのようであり、また、涼一たちへの恫喝にも聞こえた。

 思わず涼一が犠牲者から距離を取ると、横に来た少女が並ぶ。

 一匹のカラスが、二人も獲物とすべく翼を畳んで滑空してきたが、少女は慌てることなく、飛来する敵に銃を向けた。

 銃身から赤い閃光が伸びたかと思うと、カラスは落下して道路に叩きつけられる。


「レーザー!?」


 涼一は安堵しつつも、少女の意外な武装に驚き、また、一撃で落とすその技術に感嘆した。


「○×○@@×……」


 もっとも、少女の顔に撃墜の喜びは無い。キョロキョロと付近を見回している様子からは、苛立ちが見てとれる。

 仲間を落とされても、黒い巨鳥たちに怯んだ様子はなく、次々と広場に散らばる死体に群がりだした。

 闇がおぼろに隠してくれなければ、涼一はその凄惨な血の饗宴に絶句したかもしれない。


 狂喜して死体を漁るカラスの凶暴さを見て、まだ気を緩めてはいけないとすぐに思い直した。

 カラスの数は、見る間に増えている。このままここに居ては、いずれ自分たちもカラスの餌食だ。

 広場の真ん中は、とても安全とは思えない。


「こっちだ!」


 避難場所はこちらだと、駅に隣接するコンビニを指差す。彼女はこちらの顔をうかがい、指の先を見た。

 小さく頷く仕草は、涼一の意図を理解したということだ。


 二人は惨劇から離れるべく、全力で駆け出した。

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