澪標(みおつくし)

 光源氏は自分が都に帰れたのは父桐壺院が嵐とともに都へ上り、妻の弘徽殿や光源氏と同じく血を分けた息子である朱雀帝に、祟りをなしてくれたからだと信じて疑わなかった。須磨の嵐の夜夢に見たとおり、父桐壺院は光源氏のために極楽浄土へ行くのをやめて、現世にさまようことになってしまったのだ。

 そのことが気にかかっていたので、盛大な「八講」を行うことをまず第一の優先事項にしていた。しっかりと準備を行い、帰ってから数か月後の11月(旧暦十月)に、盛大に法会を執り行った。かつて光源氏に背を向け、そしった人々も、みんな争って貢物や雑用を引き受けた。これから光源氏が任命権を握ることになる。明けて正月には春の除目もあり、そこで受領が決まりもする。仕事があるかどうかがかかっているのに、全力で光源氏のご機嫌をうかがうのは当然のことである。特に光源氏下ろしにかかわった大小の貴族たちは、なんとか生き残る道を探ろうと必死だった。この「八講」で、光源氏の財産は倍増した。



 ひっそりと寂しくなったのは、朱雀帝の近辺だった。

 古い昔からの忠義の者以外は、潮が引くように彼の周りを離れていき、「ついに光源氏をつぶせなかったよ。」と病床にありながら呪いの言葉をつぶやく母弘徽殿の周りからも、目端の利くものは姿を消していった。

 よいことは目が快方に向かい始めたことくらいである。

 気が弱い彼は、逆らえぬ母に押し切られたとはいえ、光源氏を冷遇することを気に病んでいた。光源氏の戻った今では、やっと父の遺言通りに光源氏を重用することができる。心の重しが取れると、目はよくなったのである。

 彼は政治的にも、肉親の情からも、光源氏を大事にし、常に身辺において政治のことを相談した。悪意もさげすみも恩着せがましさも、この弱弱しい異母兄からは感じ取れなかった。すでに官僚たちのなかで、光源氏下ろしに加わった人々はひどい制裁を受けていたが、光源氏も兄に復讐しようとは思わなかった。

 しかし光源氏が身辺にいるだけで、朱雀帝の価値は地に落ちていった。すべてが朱雀帝ではなく、光源氏の意向により決定し、朱雀帝の意向は形だけ尊重されて却下されがちになっていった。

 弘徽殿はある意味正しかった。朱雀帝の権力を守るためには、光源氏が近くにいてはならなかったのである。

 それでもこの誠実な異母兄は、光源氏の復権を喜んで、光源氏の許す範囲での権力に甘んじていた。もう誰が見ても、朱雀帝が位を冷泉に譲るのは時間の問題だった。というのはつまり、光源氏が「冷泉がそろそろ程よく育ったので」とGOサインを出すまでの間という事である。


 朱雀帝の気がかりは、朧月夜の尚侍である。

 朧月夜の父は右大臣ですでになく、姉は弘徽殿で病床にあり、夫は自分でもうすぐ譲位する。取り巻きの人々は光源氏の攻撃にあって、散り散りになりかけている。譲位した暁には、朧月夜は誰のもとに身を寄せて暮らしていけばよいのかわからない。一族のために皇子を産めなかった彼女には、頼りにできる肉親も、生活水準を維持できるほどの大きな財産も、その財産を守る後ろ盾も何もないのだ。そしてその暁に彼女の身の上がどうなるのか、賢い彼女にも、ほかの誰にも、分からないのだった。朱雀帝は財産を持っているが、それは朱雀帝のものであり、朧月夜クラスの妻になれば、自分の生活は自分の財産で立てる。夫に養ってもらうのは、身分の卑しい女房か、とりわけ愛されて家に入れてもらい、家政をとっている本妻だけである。しかし一介の女官に過ぎない彼女には、帝の後室手当も出ないし、皇子がいるわけでもないから皇太后になるのでもない。おまけに何度も光源氏との不祥事があったので、周りからの評判も芳しくない。右大臣派からも左大臣派からも。皇子さえいれば、右大臣一族の面目を施す「務めを果たした女人」になれただろうが、今の彼女はただの役目を終えた飾り物だった。この先一生、立場を築くことはないのだ。


 右大臣一派は、朱雀帝の譲位とともに、光源氏の攻撃にさらされることだろう。光源氏に対しいつも悪意を持ったことがなく、やられてもやりかえさず、かばい続けてきた朱雀帝だけは安全かもしれない。しかし取り巻きたちは下ろされるであろうから、財産はかなり削られるだろうし、政治的権力も失うだろう。そして皇子を頂いていない彼らに、二度と浮き上がれるチャンスは来ない。かつての恋人だったといっても、右大臣一派の中心にいる朧月夜が、無傷で済むはずがなかった。身分は尚侍で帝の正式な妻ではないのだから、光源氏のもとに走り、もう一度恋人に戻してほしいと頭を下げて頼む手があるにはある。しかし、何もかも失った彼女を、まともに妻として迎え入れてくれるだろうか。すでに何人も妻がいてそのほかにも何人もの愛人を泣かせている男なのに?

 そんな朧月夜が、朱雀帝は愛しくてたまらなかった。


「あなたのことが心配だな。父上もいないし、頼みの母上も寝付いていらっしゃるし。

 私は私で病があるので長く生きられそうもない。

 あなたは私が死んだらすぐに弟のもとへ行くのだろうね。

 私は家のこともあっていつもあなたを一番に愛してきたけれど、多分あの人はそうでない。そうなったらあなたが辛い思いをするのだろうと思うと、心配だ。」

 朱雀帝は涙を流した。

 朧月夜は顔を真っ赤にして潤む目からぽろぽろと涙をこぼした。

 大きくなった目がとても愛らしい。

(こんなかわいい人がこんな苦労をするなんて。)

朱雀帝は過去の罪を許してしまった。

「それにしても男の子を産んでくれなかったことだけが心残りだ。その子供を皇太子にできれば、右大臣家はこれほどの目にあわなくてすんでいたのに。

 あの人のためなら君はすぐにでも産むのだろう。

 でも弟の子供では、皇族ではなくて臣下に過ぎないよ。」

 長年の間大事に、誠実に愛されるうちに、朧月夜にもその愛情の値打ちが分かっていた。朱雀帝もまた、とても美しく、誠実な良さがあることを、彼女は感じて夫を愛していた。

(若かったとはいえ、なんという愚かな真似をしたのだろう。私の評判だけではない。源氏の君もひどい目にあわせて、その結果一族がこんな目にあっているのだ。)

 朧月夜は悔やんでも悔やみきれなかった。

 しかし一族没落のきっかけを作ったものとして、そのことを口にして許しを乞うたりすることはできなかった。許されることはないのだ。なので彼女はただ黙って涙を流した。



 翌年の3月(旧暦二月)、冷泉は11歳の若さで元服、そして同じ月の20日に朱雀帝は退位して、冷泉に位を譲った。どちらも光源氏の肝いりで、盛大な儀式が執り行われ、冷泉の光源氏に瓜二つの輝かしい容姿はかつての光源氏のように評判をとった。藤壺はひそかに恐れていたが、誰も「光源氏様に似ている」などと言い出すバカはいなかった。腹違いの弟なのだから似ていて当たり前だし、藤壺の日頃の振る舞いには、朧月夜のように後ろ指を指すすきはなかった。だから誰もそんな根も葉もないおそらくただの妄想に過ぎないことを口にして、光源氏につぶされたくはなかった。


 寝耳に水で驚いたのは、弘徽殿である。怒り狂うのが分かっているので、誰もあえて知らせようとしなかったら、知らないうちに決まっていて、けちのつけようもなかった。


「このようなありさまになりましたが、かえって心穏やかに、お目にかかれますよ。母上。」

 朱雀帝は弘徽殿にお見舞いに訪れて、じゅんじゅんと慰めた。

「皇太子には誰が立つの?」

「承香殿の皇子を立てることになりました。」

「承香殿の皇子とは…!」

 弘徽殿は目を怒らせた。承香殿の後ろ盾は、偏屈な武将の兄がいる。将来の帝にふさわしいとは思えないし、ふさわしくなくてもほかによい皇子はいないのだ。

「おお。朧月夜が皇子を産んでいれば、どんな子供であろうとも皇太子に据えたものを。」

 弘徽殿は歯をぎりぎり食いしばってののしる準備を整えた。朱雀帝は身構えた。そして怒鳴られ続けて母をなだめた。

 もっと弘徽殿を怒らせるようなことが控えている。光源氏は内大臣に内定している。これは決定で朱雀帝が動かせるものではなく、何を言われても言われるだけに終わるのだが、それでも報告しなければならない。親だから。


 光源氏が摂政ではなく、内大臣に入ったのにはいくつか事情がある。

 まず第一に、大臣ポストに空きがないので、ふさわしい人物のある時だけに置く内大臣について、大臣のポストが空くのを焦らず待ち構えるつもりだ。そうすることで、誰かをクビにする事態も避けられる。無用な恨みを買うことはない。

 第二に、光源氏は摂政のポストを自宅でひっそりと息をひそめていた左大臣に譲った。今まで受けてきた恩をこれで返せたと同時に、「若造が後ろ盾の身分を利用して好き勝手しよって」というそしりを完全に免れた。左大臣も年であるから、長くいられはしない。その間に地盤も固められる。今の光源氏に摂政のポストは少し重すぎるが、仮に左大臣クラスの重鎮が席を温めたうえで、光源氏に譲ってくれるのなら、反発はないだろう。左大臣は信用できるので、裏切られる心配は薄い。摂政の地位についたら、もちろん光源氏が万事取り仕切り、本当の実権は彼が握る。

 

 左大臣は何度も辞退した。

「隠居したつもりだった。」

 彼は63歳である。平安時代は40歳が引退の時期で、ほとんど仙人並みに長生きしていた。

「異国でも国が乱れたときには白髪を恥じずに国に尽くすことが真の聖人でございます。」

 光源氏は老人の都合などお構いなしだった。

「それが…老いてしまってとても激務に耐えられまい。」

「わたくしが補佐いたします。何よりも、お子様方のことをお考え下さい。わたくしに協力していただけるのでしたら、それなりの地位をご用意いたします。」

 光源氏は左大臣に太政大臣の地位を用意していた。逼塞していた子供たちは、(かつて妹のために光源氏に仕えていた兄弟たちだが)皆日の当たる場所へ浮かび上がった。

 

一番は光源氏と最も親しくしていた頭の中将である。権中納言に任ぜられて、正妻腹の(弘徽殿の妹であるが)12歳の娘を入内させることも視野に入れ始めた。息子もまた元服して朝廷に仕えさせ始める。浮気ばかりして正妻との仲は悪かったのに子供の多い人なので、光源氏にはない将来の頼もしさが透けて見えて、光源氏は内心うらやましくて仕方なかった。


(冷泉は今度即位するのだから帝になるが、これは親だと名乗れないから何の役得もない。明石の娘に生まれる子供はまだおなかの中で、無事に生まれるとも男だとも女だともわかっていない。

 私の手駒は夕霧だけか。

 女の子がほしい。女の子がいれば入内させて外戚になれるのだ。)


 頭の中将が(今は権中納言だが、紛らわしいので「頭の中将」で統一するとして)12歳の女の子のために優秀な女房をかき集め、調度品、綺羅を飾り付けて着々と入内の準備を整え、何も起こらなければ(起こってももみ消せる位置に頭の中将はいるので実質何の支障もなく)、実は息子の冷泉帝に正妻格で輿入れし、やがて皇子が生まれれば頭の中将を風上に立てて頭を下げねばならないと思うと、光源氏は悔しくてならなかった。


 そうはいってもこうして日の目を見るまで足掛け3年、夕霧の乳母や女房達は離れていなかった。左大臣夫婦の、娘の忘れ形見に対する愛情も変わらず、夕霧は大事に育てられていた。光源氏はしげしげと通ってますます夕霧の取り巻きを増やしていった。


 去らなかったといえば、本宅の二条邸の人々も、若紫の人心掌握が見事だったのか、光源氏への忠義がまさっていたのか、人は散らなかった。光源氏のお手付き女房の中将、中務に至っては、いまだに光源氏を待っていた。

 光源氏はその心意気を良しとして、ほかの貴婦人のところへ行くところを、この二人の女房のもとへ通うようにもしていた。

 そのように待っていたのは、花散里もそうだった。

「女ばかりで後ろ盾のない家だから、館が荒れ果てているだろう」と、光源氏はすぐに本宅の東にある御殿に手を入れ始めた。桐壺院からの遺産であるが、ここに花散里やほかの身寄りのない愛人たちを住まわせてやるつもりである。


 3年もの間光源氏を待っていた女性は少なかった。

 そしてその少ない女性たちを、光源氏は大切にすることにしたのである。

 それに出歩かずに愛人のもとへ訪ねていけて便利である。


 手駒は夕霧だけである。

 もちろんその手駒は十二分に生かすが、明石の娘のお腹に宿る子供への期待は大きかった。手紙を出しはしなかったが、(流産や死産の恐れもあるので、子供が無事に生まれなかった時には切り捨てたいのである。その時は諦めもつくだろうから、おとなしく良清か誰かに嫁ぐことだろう。)子供が生まれることを忘れたことはなかった。予定日も把握していた。2月半ば(新暦3月)である。手紙を出さなくても、明石の親子がひたすら光源氏に忠実であることを彼は疑っていなかった。

 彼らの最上の希望なのだ。子供と光源氏の縁を切るはずがない。


 そろそろだと思った光源氏は、予定日にひっそりと使者を向かわせた。使者は半月で急いで帰ってきた。

「先月16日に無事、女のお子様が誕生なさいました。安産でございます。」

「女の子か。」

 光源氏は初めての(認知していない帝も含めて)女の子に感動した。

(どうして子供がいるとわかっていたのに京都に迎え入れて、ちゃんとした出産をさせてやらなかったのだろう。最初から本宅で産ませていれば、出自をとやかく言われることもなかったのに。)

 早くも子供の来歴に傷を作ってしまったことを悔やみつつ、彼はかつて宿曜(星占い)専門の易者から言われたことをまざまざと思い出していた。


「御子は3人、帝、后になられます。一番劣る方で太政大臣になられて人心位を極められるでしょう。」


(冷泉は帝になった。夕霧は出仕するから順当に出世すれば太政大臣もなれなくはない。そして今度の女の子が后に立つというわけか。

 いや、易者がその星のもとに生まれたと言ったからではない。

 この私がいれば必ずそうなる。頭の中将などに後れを取るものか。


 それにしても須磨に流れていた時にはそんなことが起こるはずはないと思っていたが、予言の通りになった。

 これも住吉の神のお導きだ。

 あのあつかましい明石の親子も、前世の因縁で高望みをかけることになったのかもしれぬ。

 それにしてもそうとわかれば、あのような田舎に置くべきではない。娘がかわいそうだ。今はだめだが、旅行のできる年になったらすぐに迎え入れよう。)

 光源氏は東の御殿の改修を急がせた。



 光源氏の心遣いは娘の乳母にも及んだ。明石のような田舎の、それも明石の入道のつてで得られるような乳母に娘を任せられない。

 乳母は血筋が良く、教養があって、忠誠心の期待できる相手でなくてはならない。


 光源氏は桐壺院に仕えた上臈と、参議であり宮内卿であった貴族との間に生まれた娘が、母親を亡くしたのち困窮していて、しかも最近子供を産んだという話を耳に留めた。

 子供を産んで乳の出る女性でないと乳母は務まらない。グッドタイミングである。

 そうはいっても、乳母になるという事は、その子供と一蓮托生になるという事であり、また子供に何かあれば責任を負うことになる気づまりな職務である。そのうえ明石の田舎へ向かわなければならないのであるが、この娘は申し入れると、深く考えずに引き受けた。光源氏に心酔していたのである。

 その娘にとっても幸運だったのは、向かう先の明石の入道が内福で、経済的な心配がいらないことだった。もし光源氏のような大貴族の家で乳母を務めていたら、生活していく上でどうしてもかかる諸経費を、光源氏は十分には払ってはくれなかったであろう。そういうお金は、権力的な見返りを期待している親なり夫なりが全部持つのである。しかしこの娘にはそのような係累がいない。だから明石まで出向くメリットがあった。


 人を介して契約を交わし、もう出向く日を待つばかりであったが、やはり家に一人でいるうちに心細くなり、「早まったかもしれない」と思って出発を先延ばしにしていたところ、光源氏があばら家へ何の前触れもなく姿を見せた。


 桐壺院のもとで仕えている姿を見たことがあったが、やつれて見る影もない。屋敷は言うまでもなく荒れ果てて広いが木が手入れされないので生い茂っていた。

(どうやって暮らしているのやら。)

 光源氏は哀れに思いながらいつものやたら優しい響きの甘い言葉を次々に投げかける。

 わざわざ出向いていただいたというもったいなさで、娘は日頃の不安をすべて忘れて、「仰せの通りにいたします」と目を輝かせて光源氏を見つめた。

「ならば早いようだが、今日は日が良いので、今日立ってもらいたい。」

「はい。」

「急かせるようで思いやりがないと思うかもしれないが、私に考えがあってのことだ。

 私もかの地で苦しい思いを耐えた。それを思ってしばらくの間耐えてほしい。」

「はい。」


 少ない荷物をすぐに荷づくりに取り掛かる。

 どれほどみすぼらしくても娘はまだ若く、旅支度になるとなかなかの美人で目に留まった。

「明石に行かせるのをやめて手元に置いておきたいな。どうする?」

 リップサービスだとわかっていても、娘はうれしくて、このまま側でお仕えできたらどれほどいいかと思った。光源氏の側には愛してやまない紫の上のほかに古参の忠実なお手付き女房達が何人もいて、それこそ割って入る隙間はほとんどないのだが、娘もそれを承知しているのだが、それでも光源氏の側で時々愛されながら過ごす日々はどれほどきらきらしいことだろう。

 娘にはそれがただの戯れであることが分かっていた。自分のまだ残る美しさへの礼儀なのだ。

「かねてより 隔てぬ中と ならはねど 別れは惜しき ものにぞありける

(昔から 親しい仲で 長く過ごしたわけではないが それでも別れは惜しい ものだな。)

 後を慕っていこうかな。」

 娘はにっこりして返した。

「うちつけの 別れを惜しむ かごとにて 思わむ方に 慕ひやはせぬ

(あったばかりの 別れを惜しむ 体で 本当に思っている方のところへ お行きになるのでしょう。)」


(いいな。)

 すでに明石の娘へ忠義立てする歌、さらに自分のことを思っていらっしゃるはずがないという謙遜、どれをとってもなかなかのもので、なるほど乳母にする値打ちがあった。


 光源氏は明石に我が子がいることを人に教えるつもりはなかった。

 将来娘を皇后に据えるつもりなら、明石で生まれた元受領風情の孫であることは隠し通さねばならない。つまり子供が生まれたことは誰にも知らせてはならない。

 京の都の中では車に乗せ、信頼できる者を付き添いにつけて、誰にも別れを告げられないように言い含めて明石まで送らせる。車の中には、娘のために作らせた佩刀、その他こまごまとした贈り物がぎっしりと乗せられ(光源氏は思いついたものはすべて用意したのである)、その中には、新しい乳母への贈り物一式も入っていた。入道はもちろん、待望の孫をかわいがっているだろう。それはすぐに思い浮かんでほほえましいが、光源氏にとってみれば子供は光源氏の所有物であり、入道はあずかっているだけである。「くれぐれも粗末に扱うでない」と繰り返した手紙も荷物の中には入っていた。

 大阪までは船で、それ以降は馬で進み、一行は明石の入道の家に到着した。



 明石の入道は一行の到着を待ちわびていた。

 出迎え、山のような贈り物と手紙をおしい頂き、ありがたさに涙を流して光源氏のいる都の方を伏し拝んだ。その狂乱ぶりは周囲の人間に恐怖を感じさせるほどだった。

 問題の子供は、美しく気品があって信じられないほどかわいい。

(なるほど!源氏の君が大事になさろうというだけのことはある。この子ならきっと帝に愛されて皇子を産むことができる。)

 新しい乳母は早くもこの子供の明るい将来を信じることができて、片田舎に暮らす不安を忘れて、新しい我が子に没頭し始めた。

 母親の明石の娘は、光源氏に捨てられた心労から、病の床に就いていたが、光源氏の贈り物を見ると元気を取り戻し、使いの者を精一杯もてなそうと心を尽くした。

「いえ、もうすぐに戻らねばなりませんので。」

 使いの者は迷惑そうである。

「それでは少しだけ言伝をお願いいたします。


『ひとりして なづるは袖の 程なきに 覆うばかりの 陰をしぞ待つ

(ひとりで 撫でるには袖が 足りません 覆ってやれるだけの 陰をお待ちしております。=この子の将来のためには、あなた様の庇護が必要でございます。どうぞ我が子とお認めになり、引き取ってやってくださいませ。)』」


 光源氏も我が子に会いたかった。しかし母親の身分が低いので、いろいろと考えなければならない。

 さしあたって、紫の上にはそれとなく話した。よそから伝われば、悪意がこもった捻じ曲げ方がされているだろう。そして紫の上も何度目かはもう分からないが、夫の口から浮気の顛末と子供ができたことを知らされた。身も心も光源氏を完全に頼りにして生きている彼女は、その度ごとに大きく心を痛めつけられ、光源氏はそれを喜んで慰めるのである。

「こういうわけだ。まったくうまくいかないな。できてほしいと思うところにはまったく徴がなく、思ったより悔しいよ。そのうえ女の子なんだそうだ。引き取る義理はないし、放っておいても構わないんだが、そうも見捨てられないから、いずれ呼びにやって、あなたにも会う機会を作ろう。嫌いにならないでくれよ。」

 紫の上は赤くなった。

「おかしいですわ。いつも嫉妬してしまう心は、我ながら直したいのですが。一体いつこんな気持ちを教わったのかしら。」

「まったく誰が教えたのだろうね。こんな風に育つとは意外でしょうがないよ。私が気にもしていないことで恨み言を言うんだからね。悲しいなあ。」

 光源氏はうっすらと笑って切々と説きながら、明石にいる間、手紙をやり取りしたこと、いつも恋しく思って二人の気持ちは寄り添っていたことを思い出し、涙ぐんだ。今では明石の娘のことは「すべて遊びだった」と悟って、紫の上以外の女性には、愛情を向ける気がしない。

「明石のことを気にかけるのはね、ちゃんとした理由があるからだが、今から言うとまた君が誤解をするからね。

 人柄がよく思えたのも、あの田舎にいたからだよ。」

 光源氏は思いつくままに、明石の娘の別れの時の悲しみ、言葉、わずかに垣間見た容色と、闇夜に聞いた琴の音のなまめかしさをもちろん見下した様子で語ったが、その裏に感心があることを紫の上は感じた。

(私はあのころ悲しくてこの世の終わりかと思うほど嘆いたのに、たとえ戯れでも、この方は別の女性に心をかけたのだ。

今の私たちは前とは別人なのだ。昔はもっと仲が良かったのに。)

 紫の上はついっと横を向くと、歌をつぶやいた。


「思うどち なげくかたには あらずとも われぞ煙に さきだちなまし

(思いを寄せる者同士の 嘆いて向かう方向では ないですが 私の方が(明石の娘と光源氏が煙となって寄り添って向かう) 煙より先に死んでしまいたいわ)」


「おやおや。なんてことを言うんだ。


「誰により 世をうみやまに ゆきめぐり 絶えぬ涙に 浮きしづむ身ぞ

(誰のために 世の中を憂いて海山を 行き巡り 絶えることのない涙に 浮いたり沈んだりしている私だと思っているのか)」


 何とかして見せたいな。私の心を。しかし

『命だに 心にかなう ものならば 何か別れの 悲しからまし

(古今集:命さえ 心のままに 終わりにできるものならば どうして別れが悲しかったりするだろうか)』だ。

こんな小さなことであなたの機嫌を損ねたくないと思うのも、あなたを愛しているからだ。」


 光源氏は筝の琴を引き寄せてかき鳴らし、紫の上も合奏するように誘うが、紫の上は明石の娘が琴の演奏が優れていた話を聞いたばかりなので、怒って触りもしない。穏やかで美しく優雅な女性であるが、光源氏の女性問題になると、執念深くいつまでも機嫌が直らない。(とはいってもついさっき隠し子の話を聞かされたばかりであるが。)しかしそこがまたかわいい。腹を立てて拗ねているところは「まったく面白い人だ」と光源氏を嬉しがらせることになるのだった。


 光源氏は娘の誕生日から数えて、5月5日が「五十日の祝いの日」にあたることになるとわかって、この日は特別なことをしなければならないと考えていた。

(顔を見てみたいものだ。都で生まれてくれていたのならば、きちんとあるべきように祝いをしたのだが。うれしかっただろうに、よりによってあんな田舎で生まれるとは子供の出生に傷がつくではないか。)

 光源氏は、娘を都へ連れて行っていただきたいと、ぼろぼろに泣いて追いすがった明石の入道を無視して都に帰ったことは少しも思い出すことなくそう考えた。その時は光源氏には光源氏なりの考えがあってのことだ。子供が無事に生まれるとは限らないし、その時は身分相応の自分の従者とでも再婚するがよかろうと思ったのである。

(男ならこれほど気にはかけない。しかし女の子ならば貴重な手駒だ。女御にすることができる。その娘が明石で生まれるとは。明石に流れていく運命も、この一事のためにあったのだな。)

 光源氏は「必ず5日に届けるように」と厳命して祝いの使いを立てた。


 果たして使いは早くも遅くもなく、5日に祝いの品を届けた。祝いの品々もたいそう立派で、つけられた手紙もまた心のこもったものだった。

それを見ると、入道は光源氏が新しくできた娘に大きな望みをかけ、やがては引き取って自分の娘として高位に上らせるつもりであることを感じて感涙した。入道は今では光源氏が非の打ち所のない娘を愛して正妻格に上らせてくれるだろうとは思っていなかった。それは、明石を去る時に捨てられたことで、ないとわかっていた。今の望みは、「正妻格でなくてもよいから血を引いたこの孫だけは高位に登らせてくれるように」というものである。娘がどれほどできて美人で性格がよく従順であろうとも、光源氏は身分を乗り越えることを好まないのだ。ならばその点は望むまいと決意し、娘にもそう言い聞かせていた。一族の悲願、そして光源氏の更なる躍進の足掛かり。このきれいで小さな女の子の赤ん坊が、両者の利害を一致させ、どちらの願いもかなえてくれるのだ。



「『海松や 時ぞともなき かげに居て 何のあやめも いかにわくらむ

(海辺の松は いつも変わらぬ 変わらぬ陰にいるため こんなことの区切りも つけられない

=そんな田舎にいるために五十日の祝い事の日にちさえ分からない)』


いつまでそんな田舎にいるつもりだ?魂が抜けるほど君を恋しく思っている。

子供が生まれたのだから早く決心をつけてこちらへ来なさい。

後悔することはない。」



明石の入道はいつものように喜びに泣き続けた。これでようやく生きる甲斐がまた見いだせたのだ。もちろん後悔させないという光源氏の言葉をまるまる信じはしなかった。光源氏は身分を越えてまで娘を愛するつもりはないのだ。立ち直った瞬間から、彼は心の内で具体的に、上京の計画を立て始めた。妻の一人として迎え入れてもらえると思うのは甘すぎる。光源氏のそれまでの行動から考えても、すでに娘よりも高い身分の妻たちの間に割り込むより、最初から愛人としての地位を明確にするほうが良いだろう。屋敷に入れられて、お手付き女房として扱われそうだと思えば、まだ行ってはならない。姫がいるのだから、無下にはできないだろうが、下手をすると姫だけを取り上げられてしまって、娘は部下に下賜されてしまうかもしれない。


それとは別に、入道が自ら手配したびっしりと並んだ姫の50日の祝いの宴の中、光源氏の祝いの品が並んだことが、入道は誇らしくてならなかった。いくら品がそろっていても、光源氏からの祝いと、この手紙がなければ、姫の存在を光源氏が認めていないことになってしまって、祝いの意味がなくなるというものだ。

また、光源氏がわざわざ確かな乳母を選んで送ってきてくれたことも、彼の安心を付け加えていた。

光源氏の選んだ乳母は、上品で頭の良い明石の娘さえほめる才女で、いつも身近に置いて仲の良い女友達のようにおしゃべりの相手にしているほどだった。同じくらいの女性を何人も見つくろっては娘につけてはいるのだが、彼女たちは、凋落した宮仕えの女房や女官たちで、後ろ盾の男性を失って出家するしかないところを入道に声をかけられて、仕方なく明石まで落ちてきたような女性ばかりだった。明石くんだりで働いてくれる一定以上のレベルの女性を探すとなると、どうしても凋落してほかに行き場がない女性ばかり選ぶことになる。当然すでに身も持ち崩しているような、いくらか年を取った女性たちである。

しかし光源氏が選んだ乳母は、まだ若く、明石まで落ちるほどの落ちぶれていたわけでもなく、選んでここに来たのだ。この差は本人の自信となって表れて、おのずからほかの女房達とはどこか違っていた。

光源氏の都での評判を、これかれあれこれ、逐一明石の娘に語って聞かせた。そして捨てられた現地妻でしかないと泣き暮れていた明石の娘に、自分は幸運にも素晴らしい夫を持ったのだと思わせてくれることができた。


光源氏の手紙も、この乳母も、暗い現状に差し込んだ一筋の光のように、入道には思われた。悲願が現実のものとなり始めているのだ。



実を言えば乳母は一緒に光源氏の手紙を見せてもらって、

(この方はなんと幸運な方であろう。私もあの方の御子さえ産んでいればこのように人生も明るかったのに。

 身分から言えば私もそう変わらないのに。

 だけどお手紙の中で、「乳母はどうしてますか」と私の事も気を付けてくださっている。)

そんなことで心をなぐさめつつ、内心うらやんでいたが、その嫉妬を感じることは、明石の娘にとって、自分の幸運を際立たせてくれるものだった。


「『数ならぬ み島がくれに 鳴く鶴(たず)を けふもいかにと 訪ふ人ぞなき

(数ならぬ 身(=明石の娘)の陰にいる み島がくれに 鳴く鶴(=赤ん坊の姫)を 今日もどうしていますか、五十日(いか)ですかと 訪れる方はありません)』


何かにつけて沈んでしまう心を、たまのお手紙で支えております。命がいつ尽きるかわかりません。どうぞ姫の事を、安心できるようになさってくださいませ。」


 明石の娘はまめまめしく手紙の返事を書いた。


 その返事は文字も文章も光源氏の心に触れた。

「何とわびしげな。」

 手紙を見つめて長い間考えているのを、紫の上は横目ですっと見て独り言のようにつぶやいた。


「『みくま野の 浦よりをちに こぐ船の われをばよそに へだてつるかな

(古今集:熊野の 浦よりも遠く こぐ船のように 私をあなたから遠くへ 追いやられるのですね)』」


そして寂しげにうつむいている。


「なにをそんなに気にしているやら。これはただの憐れみです。

 明石の景色が懐かしくてね。それでつい独り言が口に出たのです。

 それを言葉端をとらえて。…まったく何も聞き逃さないのだな。」


 中の手紙を見せれば紫の上は光源氏が明石の娘が気がかりであったことを知ってしまうだろうから、光源氏は手紙の外だけを見せた。

(筆跡は上品さがある。紙も素晴らしいもの。これならどんなお方の前に出しても恥ずかしくない。主様もご満足だろう。)

 光源氏の手紙好きを知る紫の上は、あて名書きを見ただけでも、光源氏の明石の娘への愛情の深さを感じた。


 光源氏の女性はそれだけではない。

 いそがしい公務とプライベートの合間を縫って、明石に放逐されていた間もなお光源氏の事を待ち続けていた愛人たちに会いに行く。


 穏やかな花散里の君は、光源氏の便りがあるとすぐに戸を開けて迎え入れてくれたし、性格からいってもとてもほかの男性に目を向けるような女性ではなかった。

 

 五節の舞姫にも会いたいと思ったが、親のガードが固くてこっそりと忍べこめそうもなくあきらめた。五節の舞姫の方は、親がいくら縁談を持ち込んでもひたすら光源氏を思い、一生独身で通すつもりでいる。


(こういう私を慕ってくれる女性たちを集めて、邸宅を作るのが良いかもしれないな。

 気兼ねのいらない造りにして。そうすれば彼女たちの正式な後見ができるし、何より、紫の上に子供ができたら、その子供の世話役にすることもできる。信頼がおけて、才芸に秀でている女性たちだから。)


 光源氏は思いついて、さっそく建設を始めた。

 できたら羽振りの良い傘下の受領たちに言いつけて、美しく才気にあふれた娘たちを女房として出させた。光源氏のご機嫌を損ねないため、受領たちは大金をつぎ込んで娘の衣装をそろえた。この衣装は季節ごとに変えていくのである。これで女性たちも華やかにかしずかれることができるだろう。


 朧月夜の尚侍の事も忘れられなかったが、彼女の方はもう光源氏の事には懲りて、一切の返事をよこさない。そうすると光源氏は寂しくなってますます逢いたくなるのだった。



 朱雀上皇は退位してからも一定の権勢を保ち続けて、管弦の遊びも定期的に催したし、昔の后たちもそのまま彼に仕えていた。かつては朧月夜におされてほとんど寵愛されていなかった梨壺の女御だけが、東宮の母となったので、そちらに出向いて、何くれとなく息子の世話をしている。かつては影の様だった存在が、今や未来の皇太后であるため、すっかり後宮の中心人物である。光源氏の住まいは相も変わらず桐壺にあって、それは梨壺のすぐ隣であるため、光源氏も抜け目なくちょくちょくと梨壺に顔を出し、未来の帝とのパイプを着々と築いていた。


 息子が帝になった藤壺は身分が皇太后に変わるはずだが、出家してしまっているために手当も地位も増減はない。ひたすら仏道に専心する日々を送っている。光源氏は何かと訪問を欠かさなかったし、出家したために皇太后の手当てを受け取れない藤壺のために手を回して手当がもらえる身分を取り計らった。財産管理と日々の暮らしのため、自分の人手も大勢回した。そんな光源氏の態度に、世間も取りざたさずにはいられなかった。藤壺も困っていた。彼女の望みは、息子の顔を見ることだけで、会いたくて毎日嘆いていたが、出家の身の上で後宮に気軽に出入りできなかったし、息子の方も帝の立場上、気軽に宮廷を出ることはできない。ひたすら世間の噂にならないように、閉じこもって仏道の行に専念するほかなかった。


 光源氏はこのように藤壺に対しては特別に厚遇した。しかし藤壺の兄で、紫の上の父親の兵部の卿に対しては、つらく当たった。理由は明石配流の間の彼の態度である。妹の藤壺の縁から言っても、娘の紫の上の縁から言っても、彼は当然光源氏の側について変わるべきではなかったのに、こともあろうに右大臣側に配慮して、源氏を公然と非難していた。都に残された娘の紫の上に対しても、何の援助も後ろ盾もしなかった。

 ほかの変心者たちについては、光源氏は物資やお金や人を差し出してはいつくばって恭順の意を示した者たちを、光源氏は過去を大目に見て、取り立てることもあったが、この兵部の卿に対しては、完全に冷遇していた。今は藤壺が悲しむだろうから、兵部の卿の職にそのまま置いておいたが、藤壺にもしものことがあれば、兵部の卿の職からも外してやるつもりだった。

 それを見て藤壺は心を痛めていたが、光源氏の手前、強く言うことはできなかった。

 光源氏は藤壺が心を痛めていることは知っていたが兵部の卿を以前のように厚遇はしなかった。藤壺の世話は自分が一手に引き受けてもはや兵部の卿をあてにすることもない。


 いまや政治を牛耳るのは今や太政大臣になった「左大臣」(名前がないので、「左大臣」さんと呼ぶことにする)と光源氏である。

 この二人は天下を仲良く2つに分けて、自分たちの好きなように采配を振るい、すべての権限と富と名誉はこの二つの家に吸収されていくのだった。

 頭の中将の娘がその年の9月(旧暦8月)に、冷泉帝に入内し、(光源氏もそうしたかったが、娘がいなかった。)左大臣は張り切って盛大な儀式を執り行った。

 兵部の卿の次女も、美人だと名高く、兵部の卿はこの娘を入内させようと幼いころから教育を授けていたのは有名だったが、光源氏は何の関心も示さなかった。兵部の卿は待っていれば権勢を誇れるだけのカードを持っていたのに、自分から捨てたのだった。その報いを受けるのは当然のことだ。入内がスムーズにいかないなど、手始めに過ぎない。これから年月が経つほど、子孫へ代が移ろうほどに、地位も財産も失っていくだろう。権力者の機嫌を損ねるとはそういう事である。しかも彼の機嫌は損ねるのは一瞬で、取り結ぶのが難しいのだ。



 光源氏は、明石の時にもいろいろと助けられた霊験あらたかな住吉神社の恩を忘れていなかった。

「願をかなえていただいたお礼に、住吉大社に参詣する。」

 光源氏が一言そういうと、部下たちは最高に豪華な参詣の準備を整え始め、上達部も殿上人も、身分の高い者はこぞってお供を申し出た。

 

 ちょうど同じころに、明石の娘も、住吉詣でを思いついた。毎年詣でていたのだが、去年と今年は、光源氏が来ていたり、娘が生まれたりで、参れていなかったのだ。お礼をするためにもぜひ今年は詣でねばならないと、船で住吉に向かった。


 岸に近づくと大人数が大騒ぎして住吉神社に向かっている。行列の掲げる奉納物は大量にあったし、神前で楽曲を奉納する楽人たちは、衣装も立派で容姿も美しい。


 明石の娘は下男に聞きに行かせた。

「これはどなたの参詣ですか?」

「内大臣光源氏様が願を果たしたお礼に参詣なさったのだ。知らない人もあったのだな。」

 光源氏の下男は気持ちよさそうに笑って答えた。

 それは明石の娘をみじめにした。


(こんな身分の低い者さえ何も思わず仕えている。私は偶然お会いするほどご縁が深いのに、妻として扱われないわが身の身分の低さが恨めしい。

常にどうしていらっしゃるのかと思いながら、お詣りをなさるという評判さえ知らずにいた。ほかの日に来ることもできたのに、よりによってこんな日に来て源氏の君の隆盛を目の当たりにするとは。一体前世でどんな罪を犯したというのか。)

 

 明石の娘は誰にも見られないように涙を流した。


 行列を眺めると、深緑の松原の中、人々の装束は色とりどりで紅葉の様である。

 二位と三位の浅紫、四位の深緋、五位の浅緋、官位の最下位である六位の黄緑色。

 六位の中でも天皇の間近に仕える蔵人は、天皇の常服である、「青色」の上着を頂けば、晴れの日にはそれを着ることができる。列の中でもその青色は特に目立ち、青色の中には、明石に光源氏に付き従った部下が入っていた。


 かつて光源氏に付き従ったことで蔵人を首になった右近の尉は、「衛門府」(宮中警護)の武官、「靫負(ゆげい)」の尉(3等官)になり、蔵人にも復帰して、ものものしく武装した部下たちを引き連れている。


 かつて明石の娘に執着していた良清は、それよりも一段高い五位で、同じ衛門府の二等官である。いかにも真新しい大げさな浅緋の上着を着て、誰よりも苦労のなさそうな様子である。


 かつて明石で見知った光源氏の部下たちは、全員この行列の中に散らばっていて、かつての姿とは打って変わって立派で、何の心配もなさそうであった。


 若々しい貴公子たちが、我も我もと飾り立て、馬の鞍の飾りまで磨き上げている行列は、素晴らしい見もので、田舎から来た明石の娘の一行も、感嘆した。


 明石の娘は胸が痛むあまり、光源氏が恋しいと思いながら牛車の方をまともに見ることができなかった。


 光源氏の牛車は、かつての大富豪、「河原の左大臣」にならって、子供の随身達を、帝から与えられていた。その子供たちは、髪はみずらに結って、上は白色、下にいくほど紫色のグラデーションのそろいの装束で、どの子も身長が同じくらい、そして顔のかわいらしい子ばかり10人がそろって牛車を守っている。それは異様なほど光源氏の牛車を特別なものに見せていた。

 

 息子の夕霧も7歳なのだが、特に飾り付けられて馬で参列していた。

 馬の周りに付き従う童たちは、別に帝からいただいた随身ではなかったが、左大臣の采配で、やはりこれも特別なそろいの衣装を着ていた。

 これを見ると、明石の娘は、自分の娘のことを考えずにはいられず、住吉大社を、ますます熱心に祈願した。まだ幼い娘には、このように大切に扱われる日が来るだろうか。


 光源氏には住吉の国守が自ら、接待を行っている。

 かつての河原の左大臣も比べ物にならないほどの豪華な心づくしを受けているのだろう。光源氏の機嫌を取り結ぶ絶好の機会であるからには。

 それを聞いて、元国守の娘である明石の娘は、帰る決心をした。


「こんな数にも入らない身があの中に入ってわずかなことをしても神様はわたくし達のお礼を目にもとめてくださらないでしょう。

 かといってお礼もせずに帰ってしまうのも中途半端である。今日は難波に船を泊めて、おはらいをしてもらいます。」

 そして光源氏の行列から目を背けるように船を出させた。



 一方光源氏は、住吉大社につくと、イベントに次ぐイベントで、神様の喜ぶ舞や音楽の限りを尽くし、住吉の神にお礼をした。かつて明石に付き従っていた部下たちは、部屋の中ではなく外で伺候していたが、そのにぎやかしさにわびしい限りだった明石の昔を思い出して感無量だった。

新しい願も立て、夜も明けようという時、光源氏が少し部屋を出たすきに、惟光は言葉をかけられたので歌で返した。


「すみよしの まづこそものは 悲しけれ 神代のことを かけて思へば

(住吉の松 まずはもの悲しくなります 神代のこと(神の時代=神様だけを頼りにしていた明石の時代)を 思い出すので)」


 光源氏はその通りとうなずいた。

「あらかりし 波のまよひに すみよしの 神をばかけて 忘れやはする

(険しい 波の荒かった日々を 住吉の海の神に誓って 忘れるわけがない)


まったく霊験あらたかな神様だ。」

 しかもまだ光源氏の栄光は始まったばかりである。


 惟光はついでに、光源氏は明石の娘が、一行に圧倒されて、光源氏に声をかけることなく行ってしまったことを話した。光源氏はその遠慮深さをかわいそうに思った。

「知らなかったな。

 この住吉で偶然会ったことも神様のお導きかもしれん。

 少し手紙を出してやらねばな。悲しい思いをしていることだろう。」


 しかしその後も、光源氏の予定は目白押しである。都から離れ、小旅行を行う機会など、めったにないことなのだ。行列に付き従ってきた上達部や従者にとっても、楽しい見物の時間であることから、祈願・お祓いにかこつけた名所めぐりは外せない。

 住吉大社を出た後は、あちこちに寄って帰る。難波のお祓いも特にしっかりととり行った。

 天満川の渡し場に、船の水路を表す杭「みをつくし(澪標=恋に身を尽くすという歌でよく使われる掛詞)」がたっているのを見て、光源氏は口ずさんだ。


「わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても あはむとぞ思ふ

(拾遺集(元良親王):あまりにも思い悩み疲れたので 今はもう同じことです 難波にある澪標 この身を滅ぼしても あなたに逢おうと思います)」


 光源氏のことを、口に出さないだけで恋い焦がれているであろう明石の娘のことが、なんとなく頭から離れなかったのである。その機微を察知したいつもの惟光は、牛車が停まった機会を逃さず、さっと懐紙と携帯用の短い筆を差し出した。

 光源氏はその機転に思わず微笑んで、手紙を書いてやった。


「みをつくし 恋ふるしるしに ここまでも めぐり逢ひける えには深しな

(澪標 身を尽くして恋している証拠に ここ難波でも 巡り合った 私たちの縁は深い)」


 そして明石の娘の事情を知る下人に届けさせた。


 光源氏の一行が馬で通り過ぎていくのを、明石の娘は船から眺めていた。

 心がざわつくばかりだったので、こんな走り書きのお手紙でも本当にありがたく、彼女は心から感謝して涙した。


「数ならで なにはのことも かひなきに などみをつくし 思ひそめけむ

(数ならぬ身で 難波で娘のことを祈願してもいまだ徴はなく 何をしてもとるにたりない私が どうして難波の澪標のように身を尽くし あなたを恋し始めたりしたのでしょうか)」


 田蓑の島でお祓いをしてもらった幣につけて返歌をする。


 日暮れ時で夕潮が満ち、入江の鶴が声を上げているしみじみとした光景が光源氏の心に寂寥を生んだのか、引き連れている殿上人達の目にとまることも恐れず、明石の娘に逢ってやりたい気持ちがした。

 

「つゆけさの 昔に似たる 旅ごろも 田蓑の島に 名にはかくれず

(涙でしっとりとして 昔海風に吹かれていたころのようになった 旅ごろも 田蓑の島の美しさが名前のように隠れてしまわないように あなたも隠れてしまわないで)」


「雨により 田蓑の島を 今日行けば 名には隠れぬ 物にぞありける

(古今集・紀貫之:雨により 田蓑の島を 今日行けば 名前のように雨が降ったら隠れたりはしない 美しいものであった)」を踏まえたものである。

 その後も名所めぐりは続くが、光源氏の思いは明石の娘にかかったままであった。

 

 神社仏閣と言えば遊びどころがつきもので、管弦の遊びも催すが、遊女たちも集まってくる。いつもはいかめしい上達部たちも、若くて特に色好みの者は遊女に目を付けている。


(かわいいと思うのもかわいそうだと思うのも、相手の品性があってこそだ。普通のことでさえ浮ついた人間は気にかけてやる気がしないのに、ましてや体を合わせる相手では。)

 光源氏は得意げに上臈ぶる遊女たちを疎ましく思った。



 明石の娘は光源氏が通り過ぎるのを待ち、翌日がちょうど吉日だったので、ふたたび住吉参詣を行い、幣を奉納し、お礼と身分相応な新しい願掛けを果たした。

 およそ現実になるとも思えなかった父の悲願が達成されたというのに、彼女の心は別の物思いでいっぱいで、一生日陰の身から抜け出せない自分の身分の低さを嘆くのだった。


 まだ光源氏が京についているとも思われないうちに明石に便りが届けられた。


「近いうちに迎え入れるので準備をするように。」

 心を尽くした長い言葉をたくさん連ねていたが、明石の娘はそれをそのまま鵜呑みにするほど愚かでない。この言葉のままにつられていって、女房扱いを受けたうえ、捨てられてしまうこともあり得る。そして母親の扱いの低さは、そのまま幼い娘にもふりかかる。


「明石から船を出して、中途半端な身分になっても心細いのではないだろうか。」

 彼女は悩んだ。


「目の届かないところ、何の力も持たない場所にやるのは気がかりだが、このまま明石に埋もれさせるのも…。」

 入道も悩んだ。昔ひたすら身分の高い婿を、と思っていたときよりも悩みが深まる。


 結局「何もかも晴れがましすぎて決心しきれません」という返事を送った。



 光源氏が復権したことで、そして帝が代わったことで、斎宮も代替わりすることになり、斎宮に任ぜられていた六条の御息所母娘は、伊勢神宮から都に帰ってきた。

 

光源氏は明石の配流の時も変わらなかった六条の御息所の愛情を高く評価していた。

 御息所が京都に戻ると光源氏から手紙、お見舞い、訪問と、かつてのように、またかつて以上に、気にかけていたが、御息所は恋人に戻ろうとはせず、よく注意して元凶の姿を目にすることがないようにしていた。

 顔を見たら心が揺れてしまうことが分かっているからである。

「昔でさえ冷たかったお心が、中途半端に残っているのを見たくはない」

 その態度を尊重して、光源氏も無理に押し入ったりはしない。

 無理に押し入って逢ったとして、御息所の心が動いても、自分の愛情の方が確信が持てない。御息所も年齢が年齢なので昔のように結婚を迫ったりはするまいが、ただの愛人関係だとしても出歩くと世間の目に触れる身分となったので以前よりも面倒である。だからそれ以上愛情を訴えたりはせず、淡泊に儀礼的に愛情を訴えるにとどめた。かつて光源氏が逆境にあったとき、この字の才で名高い情熱的な貴婦人とのアバンチュールは、宮廷人の好奇の的で、逢瀬の趣向が話題となって光源氏の評判を高めてくれていたのであるが、今はもうそれも必要なかった。


 それよりも彼が興味があったのは、娘の斎宮の方である。

 血筋からいえば、父親(帝)の弟(皇太子)の血を引くから従妹である。血筋の良さは申し分ない。

「昔も大変美しかったが、今はどう成長しているか。」

 そう思って顔を見る機会を狙っていた。


 六条邸はすっかり古びていたが、丁寧に修理を施し、みやびに住まいしていた。主が芸術を愛し、厚遇するので、よい女房達が集まり、そのことで色好みの宮廷人たちが集まるサロンとなっているところは昔も今も変わらなかった。わびしい中でも優雅さを失わず暮らす中、御息所は突然病気になり、このままでは死んでしまうかもしれず、神職である斎宮の地に長く滞在したことを仏さまに詫びるという理由で、尼になってしまった。


 長患いをして、治る祈願をこめて尼になるのはよくあることである。

 しかし光源氏には、御息所が彼から逃げるために尼になったように思われた。そして、多分それは正しかった。

 それで、恋人ではなくても打てば響く面白い話し相手と思っていたので、出家したことを聞くと、駆け付けた。


 光源氏は病気の御息所の横たわる枕元に御座所をしつらえさせ、変わらぬ心のこもったお見舞いの言葉をかけた。御息所は脇息に寄りかかりながら返事をする。その声があまりにも弱弱しいので、光源氏は涙した。

「変わらない私の心を分かっていなかったのか。」

 光源氏の泣く声を聴き、それほど愛されていたのかと、御息所はようやく少し心が落ち着いた。

 頼る相手はこの人しかいないのであるけれど、今までは踏み切れなかった、娘の後事を託そうと決意した。


「私がいなくなれば頼りがなくなってしまいます。どうぞ必ず折に触れてお心におかけください。これほど頼りのいない者も珍しいのです。こんな私でももう少しこの世にいられるのならば人の心の裏が分かる時まで、後ろ盾になるつもりでしたのに。」

 そう言うと御息所はそのまま死んでしまいそうなほど嘆き悲しんだ。

「そんなことを言われなくても、見捨てるつもりはなかった。

 ましてや頼まれたからには何事にも後ろ盾になるつもりだ。

 もう心配ないので、気にかけないようにしてください。」

「これはとても難しいことなのです。

 気にかけてくれるはずの実の父親に後見してもらっていても、母親のいない娘はひどい境遇に陥るのです。

 ましてあなた様に愛されてお世話を受けることになれば、つまらない嫉妬に巻き込まれて人からも嫌われることになります。嫌な想像ですが、決してそんな目で見たりしないでくださいませ。

 わが身を顧みても、女は思いもよらないことで苦労するものでございます。

 娘はそんな目に遭わせたくございません。」

「(ずいぶんと嫌なことをずけずけと言うものだ。)

私も年を取って分別が付いた。昔の浮気めいたところがまだ残っているように思われるのは心外ですな。

 そのうちお分かりになるだろう。」

 

 そのうち外は暗くなり、中には灯火がともされて光がとおる。

 光源氏はひょっとしたらと思って几帳の破れ目から中をのぞくと、小さな油の光の中で、黒い美しい髪を短めの尼レングスながらスマートに切りそろえ、脇息に寄りかかる姿が見えて、絵に描きたいような風情がある。

 几帳の東側に寄り添っているのが娘の斎宮だろう。(もう斎宮は引退しているが、「斎宮」と言う名前で呼ぶことにする。)

 几帳がいいかげんに引き寄せられているのですき間が空いている。そこに目を凝らして見ていると、頬杖をつき、いかにも悲しげである。

(少ししか見えないが、あれはかなり美しいだろう。)

 髪のかかり具合、頭の傾げ方、全体として気高い雰囲気がするが、小柄で愛嬌を感じる。

(もっと見たいが、あれほど言っているのに強いてはな。)

 光源氏には、妻にするよりももっといい考えが浮かびつつあった。そのためにも人となりはよく知っておかねばならない。顔も見ておく必要がある。


「苦しくなってまいりました。見苦しいのでどうぞもうお戻りくださいませ。」

 御息所は女房達に寝かされながら言った。

「私がお見舞いに来たら良くなってくれたら嬉しかったのに、かえって申し訳ないな。

 気分はどうなのだ?」

 言いながら几帳の内をのぞこうとしているのを感じ、御息所は急いで言った。

「とても恐ろしいです。苦しさも今にも死ぬかもしれないという時にお越しいただきましたのも、縁が深いのでしょう。

 いつも考えていたことを申し上げましたから、もう思い残すこともございません。」

「そういう遺言の中に入れてくださったのも感慨深いな。父院の遺した兄弟姉妹は多いが、親しく付き合っている者はいない。そして父院は斎宮のことを、我が子として扱うようにとおっしゃっていたから、私も実の妹として扱うことにする。当てにしていただいていい。

 もういい年になったのに、世話をする娘がいなくて寂しかったところだ。」

 光源氏はそう言って何をすることもなく帰っていった。

 その後は今までよりもしげしげと見舞いに訪れた。

 彼は思いついたのである。斎宮が娘になってくれたら、ずっと欲しかった手駒になる。

 実の娘でないところが、ちょうどよい。冷泉帝は実の息子だから、本当の娘だったら異母姉弟になって血が近すぎる。



 その後7~8日で、御息所は逝去した。

 さすがに落ち込んで世の中の無常が思い知らされる気持ちがしたという理由で、出仕を休み、彼は家にいて、法事を指図した。今も昔も、故人の葬儀はその後の関係性を示す大事な縮図である。御息所邸には指示を出せる者がおらず、わずかにかつて斎宮に仕えていたがそのまま居残っていた宮司がいて、その人が葬儀の指示を出してわずかな儀式を執り行えるに過ぎなかった。


 光源氏は指図だけでなく自ら御息所邸に乗り込み、斎宮に面会を申し入れた。

「どうしてよいのか分かりませんので。」

 斎宮は女官にそう伝えさせて婉曲に面会を断った。

「遺言がございますので、今は私を親だと思って遠慮なく頼りにしていただければ嬉しいのです。」

 光源氏は堂々として、御息所の主だった女房たちを呼び集めると、次々と葬儀の指示を与えた。

 万事よろしく回り始め、二条邸からも大勢人手をかり出すと、主不在の空白地帯の中、自然と御息所邸は光源氏を中心に回り始め、誰もが光源氏に指示を仰ぎ、主人とみなす指示系統が出来上がった。御息所邸の人々は彼を頼りにしていた。


(これでここ数年の冷たい仕打ちも、取り返しがついただろう。)

 光源氏はこれで償いが済んだことにして、さらに家でも精進潔斎を執り行い、御簾を下して閉じこもった。斎宮にも何度も手紙を送った。かつて娘を喪った左大臣も、これで心をほだされたのだ。


 斎宮は母親を苦しめた光源氏を信用していなかったし、好きでもなかった。

 しかしここまでしてもらうと自然と頼りにする気持ちが生まれ、やっと悲しみが落ち着くと、時々は直筆の手紙を返した。そんなことをするのは嫌だったが、乳母のような間近な人間たちが、「直筆でなければなりません。代筆など恐れ多いことでございます。」と言って、しきりと急き立てるのである。

 光源氏はその筆跡と機知を眺めながら、これなら帝に差し上げても大丈夫かもしれないと思うのだった。



 みぞれが降る暗い日、光源氏は斎宮がこんな日にどうするのかを知りたくなって手紙を出した。


「今の空模様をどうご覧になるか。


 ふりみだれ ひまなき空に なき人の 天かけるらむ 宿ぞかなしき

(みぞれが降り乱れて 晴れ間のない空に 今は亡き御息所が 天を駆け巡って涙の雨を降らせているのだろうと思います そのお屋敷を思うと悲しくなります)」


 曇ったような空色の紙に、「若い斎宮が目を奪われるように」と特に闊達に書きつけていて、見事である。

 斎宮は、こんな特に必要もない、返事目当てが透けて見える、明らかに手紙のセンスを試す手紙にいちいち返事をしなければならないのがいやだったが、「後ろ盾になってくださる方に代筆など不適切極まりないことです」と、周りが責め立てる。


「消えがてに ふるぞ悲しき かきくらし わが身それとも 思ほえぬ世に

(なかなか消えないみぞれが 降るのが悲しいです みぞれが空を暗くするように 私も涙にかきくれながら わが身があるとも思えない世の中なのに なかなか消えることができないのです)」


 薄墨色の紙に強く香をたきしめて、かすれたような筆で、遠慮がちに書きつけてある。


(おっとりしていていいな。字はそれほどうまくはないが、かわいらしくて高貴さが感じ取れる。良い字だな。

 斎宮の別れの櫛の儀式のときもほってはおけないと感じたが、今は本腰を入れて口説くこともできるのだ。

 しかし今は亡き御息所があれほど気にかけて頼んだことを、当然だが世間も同じように見るだろう。ここはやはり娘としてお世話し、冷泉帝がもう少し分別が付く年ごろになったら差し上げれば、私の地位も危なげない。娘を世話するのもよい気晴らしになるであろうし。)

 冷泉帝は今11歳である。すでに入内して妻となっている貴族の娘もいるが、光源氏は、幼いうちから慣れ親しんで姉弟のように気やすくなるより、男女のことが分かってから現れるほうがよいと考えていた。


 光源氏はしげしげと細部にまで行き届いたお世話をし、折々には訪問も欠かさなかったが、言い寄りはしなかった。とにかく入内を考えるのならば、容姿を直接見なければならない。そのためには、斎宮の心を開かせて親か兄と見なされなければならない。そこで、彼は女性に対してほとんど失敗したことのない手紙と饒舌と保護で、斎宮をからめにかかったが、事実上光源氏が後ろ盾となり、土地の収入も彼の庇護を頼りにしている現実があるにもかかわらず、斎宮は奥に引っ込んで、直接声を聞かせることも用心して会おうとしなかった。


「もったいないことかもしれませんが、昔のお母上の形見と思って、遠ざけずに使ってもらえれば本望なのですが。」

 光源氏は「別に言い寄らない」という事をにおわせながら、取次の女房に嫌味を言った。

「不自然なほど恥ずかしがられて、奥手な方なのでございます。」

「まったくこんなことは世間では珍しいことでございます。」

「わたくし共も、こんな有様ではと、先を案じているのでございます。」

 斎宮は母親の例から学んで、光源氏を警戒しているだけだったが、女房達はそんな風に取り繕った。

 その様子を見て、光源氏は女房の質の高さに感心していた。女房の質は女主人の器量でもある。

(うわさから考えても、女の執事(別当)や、内侍、あるいはこんな状況になっても離れていかない皇族の血を引く女房など、才芸だけでなく人柄も信用できる女房達が大勢集まっているのだろう。

 これなら後宮に入れても、他の妃たちに後れを取ることなく立派にやっていけるに違いない。

 しかし容姿を見ないことには決めかねる。

 容姿が劣るようなら養女として帝に差し上げるわけにはいかない。)


 気が変わることを考えて、光源氏は内心の思惑を少しも漏らすことなく、続けて仏事全般を執り行わせ、顔を見せてもらえなくても彼は変わらず庇護を続けた。それがどんなにまれなことかを知っている女房達や女官たちは、光源氏の愛情の深さを心から喜び合った。


 光源氏が何くれとなく気にかけていたとしても、20歳の、独り身で頼る親類もなく、地位があるわけでもない小娘に、貢物を差し出す土地はいなかった。御息所の逝去以来、人は少しずつ離れていった。京でも物騒な下町にある六条は、人気もなく閑散として、日暮れともなれば山々の寺の鐘の声が聞こえる。館に人が少なくなるほど、斎宮は不安になって泣きながら暮らした。

 母娘の中でも、六条の御息所と斎宮の母娘は、特別近しい間柄だった。片時もそばを離れず、斎宮として伊勢に下る時でさえ、母親がついて行った先例はないのを無理につきそって、ともに伊勢で過ごした。それなのに死ぬときには一人残されたことを、斎宮は特に悲しんで、昼夜なく泣いていた。


 斎宮の身の上は、極めて心細い状態であったけれども、彼女の将来まで、暗いとは限らないと、周りの者たちは思っていた。

 斎宮には、婿入りしてメリットのある後ろ盾もないし、財産もない。そのことは裏を返せば、高貴な正妻としておしいただかずに、気楽な愛人として扱ってもよいという事でもある。

 斎宮の美しさは別れの櫛の儀式以来評判であったし、六条サロンのマダムの、御息所の娘であるからには芸術的センスも優れているはずであり、何よりも高貴な血をひいている。目を光らせて、半端な者を娘に近づけなかった御息所もいない。

 彼女には山のように懸想文が届けられ、そのどれかを間違えることなく頼れば、生きていく上で幸せになることも、できなくはなかった。

 

 光源氏はそうなることを見抜いて、この上経済的に困窮状態が続けば、おつきの者の出来心で、斎宮が傷物になりかねないことを危惧した。自分も何度も使ってきた手なので、斎宮にその意思がなくても、女房の手引きが危ないという事を分かっていた。

 しかも斎宮の周りには、高貴な者も、下賤な者も、大勢が仕えているのである。


「乳母たちだけは勝手なことをしないようにな。」

 いかにも保護者らしく、光源氏が言う。裏返せば「斎宮に何かあればお前たちの責任と見なす」「そして追及して報復する」という事であり、世事に通じた乳母たちは裏の言葉をちゃんと聞き取った。

「どんな間違いもあってはならない。もしそんなことがお耳に入ったら無事では済まない。」

 乳母たちは協力して、送られてくる手紙を取り次ぐことさえしなかった。

 そして、自発的に来た手紙はすべて光源氏の元へと報告するようになった。父親であれば当然婿の選定をするからである。



 斎宮の求婚者の中には、朱雀院も入っていた。

 彼は6年前、別れの櫛の儀式で顔を見た、14歳の斎宮のかわいらしさが忘れられず、頼りの少ない身の上であるなら、自分が保護して妻の一人にしたいと考えていた。

 そこで、御息所が生きていたころから、引き取ろうと話を持ち掛けていた。

「私のところには、同じように頼りのない宮である姉や妹たちが住んでいる。その一人として扱うので、こちらに住みませんか。」

 しかし御息所は、この話をいいものだとは思わなかった。

「朱雀院にはすでに身分も血筋も尊い后たちが何人もいらっしゃる。ここに強い後ろ盾のない娘が入っても、肩身の狭い思いをするだろう。」

 自分も後宮にいたことがあり、それも時の大臣の後ろ盾を持っていてのことだったので、後ろ盾のない妃が間違いなく苦労するのが見えていた。

 もしも朱雀院から特に愛されて、なんとか地位を築けたとしても、朱雀院は病がちな人で、よく寝込んでいるので、急に死なれないとも限らない。そうなれば、嫉妬を買った斎宮はどんな目に遭わされることだろう。守ってくれる者もいないのに。

「これ以上悩みが増えるのは。」

 と、御息所はいつも丁重に辞退申し上げていた。

 その御息所がいなくなったので、希望を持った朱雀院は、愛情のこもった手紙をしげしげと寄越して、自分の所へ来るように斎宮に勧めていた。

 

 このことを聞いて、光源氏は悩んだ。

(あの誠実な兄朱雀院の愛情をかけている者を横取りするのは気が引ける。さりとて、あのかわいらしい女性なら、冷泉帝に差し上げるのにぴったりなのだ。あきらめるのは惜しい。)

 彼は藤壺にそのことを相談した。

 冷泉帝の母親で、光源氏が帝に娘を差し上げるとすれば、藤壺が一番の力となってくれるはずだからである。藤壺が斎宮を気に入らないならば、他の娘を探すほうがよい。斎宮は朱雀院が明石配流の前後に気を配って味方になってくれたお礼に差し上げるか、もしくは自分の妻の一人にすればよい。


「これこれこういう次第です。

 母親の御息所は、立派な心がけの女性でしたが、私が若いころ、浮気心のままに契ったため、世間からは浮ついた者のように言われ、ずいぶんと苦しんでいました。

 その恨みもまだ残るうちに、臨終になり、私に斎宮の後事を託したのですが、

『評判を聞けば源氏の君は娘を託せる方で、いまだに心に残る恨みはあってもこの方を頼みにしよう』と思ってくださったのかと思うと、さすがに心動かされまして。

 たいがいのことは気の毒なことだと思えば見過ごせないものですのに、『何とか草葉の陰からでも恨みを忘れていただきたい』と思えば、この残された斎宮を、帝に差し上げるのはいかがかと思います。

 帝はもう元服はなさいましたが、まだいとけなく、少し分別のついた年上の方がお仕えするのがよいと考えたのですが、藤壺様はどのように思われるでしょうか?」


 藤壺は光源氏の今の地位も、外戚の身分がなければ将来はないことが分かっていた。

 冷泉帝に光源氏の娘を差し上げるのは、政治的に絶対に必要な一手である。

 光源氏がそれほどと見込み、朱雀院も欲しがるような娘であれば、容姿・知性ともによいはずである。頼りが少ないことも、光源氏の養女となってもらうには、絶好の条件である。

 自分もまた宮の一人であったため、血筋ばかりが貴い宮の結婚が難しく、しかし後宮に入るとなれば、これほどなじみやすいものはないことが、分かっていた。

 斎宮は申し分なかった。


「よく思いついてくださいました。

 朱雀院には大変申し訳なく、お気の毒と存じます。ですが、託すというご遺言があるのですから、朱雀院のお話を知らなかったことにして帝に差し上げてください。

 朱雀院は今はそのような世俗のことに関心を持たれず、勤行に勤めていらっしゃると聞いています。すぐにお忘れくださいますでしょう。」

「そうおっしゃっていただけるのでしたら、藤壺様のお心で斎宮を入内させ、わたくしからはただ進言したという事にいたします。

 藤壺様がこのようにあちらの立場もこちらの立場も考えつくして、対応まで伝えてくださっているのに、世間の者はまた、朱雀院をないがしろにしたと、悪く取りざたすのでしょう。」

 藤壺は顔を見せてはいないが、いつもの大げさなお世辞に苦笑いした。もともとは光源氏の描いた絵で、藤壺はそのお墨付きを与えただけだという事を彼女は分かっていたし、光源氏の政治的判断を信頼していた。

 光源氏は藤壺の許可を得たので、言われた通り朱雀帝が望んでいるなど知らなかった顔をして、すみやかに二条邸に引き取ろうと思った。二条邸に入れてしまえば、そして入内が決まっていることを伝えれば、朱雀帝は手を出しにくくなる。


 彼は二条邸に帰り、母親代わりとなる紫の上に事情を語った。紫の上は21歳で、20歳の斎宮と1歳しか違わないが、母親になるのである。

「こうこうこういう次第で、こちらに斎宮様を引き取ることになる。年が余り違わないから、いいお話し相手になれるだろう。」

 紫の上はうれしいと思って迎え入れる準備を始めた。

 入内する娘の母親とは、人と給与、衣装全般を手配し、与えられた宮中の妃の部屋での妃の世話を引き受けるという、責任の伴う役目であるのだが、紫の上は賢かったので、話し相手以上の仕事が待っていることもひきうけて、喜んでいた。



 光源氏が未来の皇后を準備している合間にも、冷泉帝の后たちは、着々と据えられていく。

 

 兵部の卿は自慢の次女をいつ入内させようかと大騒ぎして準備を進めており、

(源氏の君と兄上の仲はよくないのに、このうえ、ともに后を立てるとなったらどうなるのだろう。)

 と、藤壺は心を痛めている。母親である自分は当然息子へ強い影響力を持っているのだが彼女は光源氏に肩入れするつもりだった。兄がこの入内で権力を少しでも取り戻そうとしているのは分かっていたが、これ以上光源氏に表立って逆らって、いい結果になるとは思えないのである。入内する姪も、良い扱いを受けるとはとても思えない。


 頭の中将(今は権中納言(仮の中納言))の娘は、すでに入内して弘徽殿の女御になっていたが、帝が11歳に対し、13歳の幼い少女で、父親の官位が低いのではないかと祖父の左大臣(太政大臣)の養女になったうえ、女御であるので正妻格であり、美しく飾り立てて盛り立てていたが、実際には帝の遊び相手だった。


「兄上の次女が入内しても、やはり同じ年頃だから、また人形遊びのようになってしまいます。

 源氏の君が年上の女性を入内させようとしてくださるのはとても頼もしいことです。」

 藤壺は周りの人々にそう話した。

 藤壺がそう言っていると伝わると、宮中には、源氏の君の養女の入内が待ち望まれる空気が生まれた。

 宮中の雰囲気が自分に順風に吹いていること、藤壺がその風を吹かせていることを感じつつ、内大臣光源氏は帝よりもずっと年上の養女を入内させる旨を奏上し、手落ちなく入内の準備を整えていった。

 光源氏の冷泉帝(息子)への気配りは、政治の補佐だけでなく、彼は後宮の桐壺に、相変わらず部屋を持っていたので、明け暮れの生活上のこまごましたことまで引き受けて、母親のように冷泉をお世話した。


(本来はわたくしの仕事のはずなのだけれど、私は病がちなために、たまに参内しても行き届かないところが多くて情けない。

 源氏の君は頼りになるけれども、ここは大人の女性を側において、冷泉を支えてもらわなければ。)


 藤壺は光源氏をこまやかな心遣いに感謝し、頼りにしながらも、斎宮の入内を心待ちにしていた。

 




*光源氏が今までと違い、親の後ろ盾の元ではなく、自力で地位と力を身に着けて台頭指定く巻です。

 そのため今までの光源氏と勝手が違っていてイメージがわきにくく、筆が進みませんでした。

更新が遅れまして、お詫び申し上げます。


*原本では光源氏は身分の高い女性に対し、常に敬語ですが、平安時代の女性の地位の低さから考えて、その女性の身分が高くても妻であった場合、自己判断によりタメ語に変えております。

 もしも源氏物語の古文問題を解かれるときには、その点をお気を付けくださいませ。

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