第12話それから、これから

『秋華賞はロサプリンセス! 牝馬三冠達成! 歴史に残る偉業です! 吉川尊、三冠ジョッキーの仲間入り!』

『菊花賞はローゼンリッター! 最後の一冠は渡せなかった! 圧倒的一番人気に応え見事勝利!』

『天皇賞・秋はアドミラルエヴォル!! 大逃げ策がピタリとはまった! 鞍上、都築未來お見事!』

 季節は巡り——11月最終週。

『国際招待レースジャパンカップ、出走馬の紹介です。はるばる英国から参戦、凱旋門賞馬ロビンソン! 英国二冠牝馬にしてBCターフ馬ムーンライトセレナーデ! ドバイシーマクラシック優勝馬ウィザーズディサイプル! フランス2000ギニー馬エクスプロジオン! 菊花賞馬ローゼンリッター! 天皇賞馬シンザクロイツとアドミラルエヴォル! 安田記念馬ハイウェイスター! 天皇賞春で掲示板サトミダイバクハツ! 青葉賞馬、逃げたら怖い3歳フォトンインパクト! 三冠牝馬の古馬挑戦ロサプリンセス! セントライト記念は惜しくも2着ナギサボーイ! そしてナギサボーイの兄で天皇賞馬ビーチボーイ! 毎日王冠では血統を証明するような走りでした、アドミラルネイビー! 充実の7歳馬コスモス! 秋華賞もエリザベス女王杯も回避してここに絞りました、エンシンブレス! NHKマイルカップは圧勝でした、ミスタードドンパ! 牝馬クラシックは全てロサプリンセスの2着、ここで巻き返しますエンシンローズ!』

『以上18頭、府中を舞台にした夢の頂上決戦です!』

 ——フランス・パリ。某病院にて。

「んっ……んん……ここは……」

「兄さん!! 咲良さん、兄さんが! えっと! 僕、看護師さん呼んでくる!」

「の……ぞむ? ケホッゴホッ!」

 目が霞んでいる。目の前に誰がいるのか分からない。自分はどこにいるんだ。何をしていたんだ。

 体を起こそうとするが、その瞬間に身体中に激痛が走る。これは動かない方が賢明だと考えた。

 口が乾いている。声を出そうとするもかすれてしまう。

「動かないで! 涼くん! もう大丈夫ですから!!」

 この声は——。

 泣いている。

 誰のために。

 自分のせいで誰かが泣いているのか。

「が……いせん……もん」

「もう、いいんですよ? もういいんです」

 この声は。

「さく……ら?」

「はいっ、私です。そのままでいいですから、色々説明しますか?」

 咲良は嗚咽を抑えながら言葉を紡ぐ。

 意識が定まらない涼は首を少し縦に動かす。

「あなたは、凱旋門賞のゴール直後に落馬して後続馬に巻き込まれたんです。ブライアンズハートがゴール板のところでバランスを崩して……あなたを振り落として……」

 ブライアンズハートの名前が出た瞬間意識がはっきりした。

「……ブライアンズハートは、大……丈夫?」

 咲良は押し黙った。涼は最悪の事態を想定した。

「3着でゴールしたんですよ。ハナ差で。その後、跛行状態になって……診断の結果、屈腱炎を発症したみたいです……」

「命は……」

「大丈夫です。フランス競馬界が総力を挙げて治療してくれて、今はシャンティイの厩舎で静養してます」

 それを聞いてホッと胸をなでおろす。

「おれの、せいで、凱旋門賞が……めちゃくちゃになった……のか」

「あなたの所為じゃないです……。誰も悪くないですよ」

「おれを踏んづけた後続馬は、大丈夫?」

「それはもう、大丈夫です。みんなピンピンして次走走ってましたよ」

 ここまで言って咲良はハッとした。まずいと思った。

「次走……って、今日は何日なんだ?」

「フランス時間11月26日……です」

「え……」

 それを聞いた涼は血の気が引いた。

「2ヶ月くらい、ずっと目を覚まさなかったんです。その間に、秋華賞も菊花賞も天皇賞も全部終わっちゃいました」

「そんな……ブリーダーズカップは、ジャパンカップは」

「ブライアンズハートが出走登録していたブリーダーズカップターフは凱旋門賞2着のムーンライトセレナーデが勝ったそうです。ジャパンカップはついこの前……凱旋門賞を勝ったロビンソンが逃げ勝ちました」

 悔しさがこみ上げてくる。今すぐにでも死にたい気分だ。自分が馬から落ちなければ、今頃は。

 ニエル賞のあの日、ミスターKと名乗る人物が言ったことを思い出す。

 凱旋門賞を走れば使い詰で屈腱炎になる。

 本当になってしまった。

 あの人物の言ったことは正しかったのだ。

「ブライアンズハートは、復帰できるのかな?」

「分かりません。少なくとも半年は待たないと……って藤村先生が」

 目の前が真っ暗になった。

 復帰できるか分からない。そもそも自分自身も騎手として無事なのかも分からない。

 現段階で涼が理解できているのは、両足と片腕がギプスでぐるぐる巻きにされているということだけだ。

 頭部の怪我もあるらしい。内臓も損傷していたらしい。

 ボロボロの状態だった。

「ブライアンズハートの心配より、まずは自分の心配をしてください。みんなどれだけあなたのことを心配したと思っているんですか……」

「ごめん、咲良……少し一人にさせてくれないか」

 瞳から光が消えた涼の顔を見た咲良は、言葉が出なかった。

 涼の言う通り、病室から離れた咲良だった。

 しばらくして、望を伴った医師看護師が病室に入っていったが、咲良はその後を追わなかった。

「望……咲良はいつからこっちに?」

 医師の診察が終わった後、虚ろな目で気になっていたことを望に問うた。

「凱旋門賞が終わって、二日後くらいに来てくれたよ。日本でマスコミに振り回されてたみたいだけど、いろいろカミングアウトして振り切ってきたみたい」

「そう……。望も悪いな、マジシャンズナイト凱旋門5着なんだって? ジャパンカップには出なかったのか」

「うん。年内は有馬記念を最後にするって。でも僕は乗らないかも。凱旋門のあとずっと兄さんに付き添ってたから、日本に戻ってなくて……仕事放棄だーって」

 望ははにかみながら、しょうがないことだよね、と言った。

 涼はそんな望を前にして心底申し訳ないと思った。

「でもね、兄さん、スターナイトRの代表が言ってくれたよ。暮れの朝日杯は兄さんが無理そうならトゥザスターズは僕にお願いするって。東スポ2歳、吉川さんが乗って勝ったみたいだよ。無敗でG1挑戦なんて去年の兄さんみたいだ」

「そうか……望が乗るのならおれも安心できるよ」

 そうは言うが、やはり内心は悔しかった。

「レットローズバロンはどうなった?」

 フェニックス賞のあと、放牧されて、どうなったか知らない。

「未來さんでホープフルSだって……」

 涼に言いたくなかったのか少し言い淀む望。涼の中での都築未來の存在がどのようなものか望は知っていたのだ。

 この秋、涼が乗る予定だった馬のほとんどを都築未來が乗り替わりで、しかも出走レースを勝った。競馬ファンの間では、神代涼不要論が勃発していた。

 流石にそう言ったことは望は口走らなかった。

 翌日、潤と他、神代家の人間がフランスにやってきて、涼と面会した。

「坊ちゃんが無事でなによりですわ」

「文じいまで来て家のことはいいの?」

「問題ありゃしません。絹のやつに任せとりますから」

「絹ばあ……心配してるんだろうなあ」

「涼、絹さんも文さんも、本当に心配していたんだぞ。潤だってひっきりなしに実家に戻ってきてお前のことを聞いてきた」

 和尭が涼のベッドの横に座り、諭すように言う。その和尭の顔もやつれているというか、よほど、孫の安否を心配していたのが伺える。

「ごめんなさい……」

「謝ることではない。涼、どんな状態であれ命は助かったんだ、もう少し明るい顔をしてくれ」

 和尭は優しくそう言うが、涼は終始、目が虚ろだった。

 ふと、涼が何かを呟く。

「……あの日の朝、カイ食が悪かったんだ。それにニエル賞の朝に日系人の競馬アドバイザーが現れて、おれたちに警告を残していった。このままだと、屈腱炎になるから日本に帰れって……。言うことを聞いていれば、こんな事にはならなかった……」

「その日系人、名前はなんと言った?」

「名前は名乗らなかった。ムッシュギャロだとか、ミスターKだとか、ふざけた通り名で」

「ムッシュギャロ……どこかで聞いたような気がするな。どこだったか……」

 和尭はその通り名に覚えがあったが、どこで聞いたものだったのか思い出せなかった。

「涼、咲良ちゃんにお礼言った?」

 側で、リンゴの皮をむいていた梓が、果物ナイフを置いて涼に向き直った。

「咲良ちゃん、ずっとあなたのそばにいたのよ。意識がない時もずっと。自分の仕事御構い無しに、あなたに尽くしていたのよ」

「そんな……おれ、一人にしてくれなんて言った……」

「いいんです。昨日は涼くん、混乱していたみたいですし」

 咲良が病室に入って来た。手には、パリの街で買ったのだろう見舞い品の花束が抱えられていた。

 梓がその花束を受け取って、急いで花瓶に水を入れに立った。

「咲良、昨日はごめん……」

「謝らないでください。私、なにも気にしてないですから」

「仕事はいいの?」

 気になっていたことを聞いた。咲良は努めて明るくこう言った。

「それなんですけど、いろいろリークされちゃってついでに逃げてきた……みたいな感じです」

「はあ?」

 なにそれ、と言った。咲良はそわそわして遂には自白した。

「あなたとの噂です! 言わせないでください!」

 涼は目をまん丸にして固まってしまった。家族はクスクスと笑っている。

「そ、それにつきましては、日本に帰ってなんとかするよ」

 咲良のフォローをするように取り繕った。しかし、涼は、日本で何が起きているのかまだ分かっていなかった。

「で、おれはいつ帰国できる訳?」

「えーっと、右腕の骨折が大体あと二週間くらいで治るらしいから、それくらいかな。兄さんが負った怪我の中で右腕の骨折が一番早く治るって言われてたから」

 怪我を負った凱旋門賞から二ヶ月弱も経っている。軽い骨折なら治る頃合いだろう。

 それでも両足の骨折は重症で、具体的には大腿骨骨折である。

 病院に運ばれたその日に、ボルトを入れる手術が行われた。手術は成功したが、当人がまだベッドから動いていないので術後経過が分かっていない。少なくとも、外面的には大丈夫そうだった。

「つまり、日本に帰る前に、少しでもリハビリが必要ってこと?」

「そうだね。兄さんって丈夫だし、足はともかく体はすぐ動くようになるよ」

「なんか言い方が引っかかるな、望、なにか言いたいことがあるんじゃないか?」

 望は押し黙る。隣にいた咲良も微妙な顔をする。

「足はともかくって、どういうことだよ」

「……藤村先生に口止めされてたけど、もう無理みたいだ。兄さん、落ち着いて聞いてね。兄さんはもし歩けるようになっても、騎手に戻れるかは分からないみたいなんだ」

 静寂が走る。

「兄さんがもし騎手を続けたいと思うなら、長い時間が必要なんだって……」

 望が悔しそうに、また、泣きそうになりながら言う。

「そんな……。分からないだけで、復帰できる可能性はあるんだろ? なあ、望……」

 涼もまた、泣きそうな声で望に問いただす。

「可能性はあるけど、よしんば復帰したとして前みたいな活躍は出来ないかもしれない、みたいなんだ」

「っく……」

 無慈悲に思えた。

 なす術なく、ただボーッとベッドの上から天井を見つめている。自分の無力感、そして、無情。

 家族が一旦パリのホテルに帰り、涼と咲良が病室に残された。

 かける言葉が見つからない咲良は、手元の写真を見ていた。キングジョージのゴール写真だった。

「……」

 何を考えているのか、涼は、ただ黙って天井を見ている。

 ブライアンズハートと自分自身の未来が失われたようなものなのだ。たくさん持っていた幸福がいっぺんに無くなってしまった。そう感じている。

 たくさん手にした幸福は、やがて同じくらいの不幸で失われる。運命力とはそう言うものだ。

 波に乗っていた、しかし、その波は終わりを告げて今はただ静かな水面に浮かんでいるだけだ。もしかしたら波にのまれて海底に沈んでいるのかもしれない。

「どうすればいいんだろ」

 涼がポツリと呟いた。

「どうすれば元に戻るのかな」

「何を言って……」

「凱旋門賞前、いや、ニエル賞の時に戻って、あの時のおれにレースに出るなって言うには。はあ、不毛だな」

「そうですよ。時間は進むしかないんですから、これからのことを考えましょうよ」

「時間は進む、か。おれが無碍に過ごしている今この時も、競馬サークルは刻々とかわっていくんだ。おれがいなくてもレースは普通に開催されるけど、おれは競馬がないと、騎手としてでなきゃ生きていけないんだ」

「おれは生きる価値を無くしたかもしれない……」

「縁起でもないこと言わないで!」

 思ってもない言葉に咲良は声を荒げた。

「新聞で見たよ。前代未聞、歴史ある凱旋門賞を台無しにした騎手、競馬ファンは非難轟々、ってね」

「そう言うのはいつも見てないじゃないですか。他人の声なんか聞かない人なのに……」

「病院で噂されてるんだ。嫌でも耳に入るよ。2ヶ月経っても言われ続けるんだからよっぽどだよな」

 ため息を吐く涼。しかし生気がない。

 そんな涼をみたら、咲良はやたらに慰められない。そんな言葉を吐いたら、余計に涼は落ち込む。今はただ、あの事件を忘れて欲しいのだ。時間が解決することもある。回顧するのはそれこそずっと先でも構わない、そう言おうと思っていた。

 しかし、それも躊躇った。

「もう、おれ、どうしたらいいか分からないよ……日本に帰りたくない」

「そんなこと言わないでください。胸を張って堂々と帰りましょうよ」

「殺されないかな」

「そこまでする人はいないと思いますけど」

 精神を砕かれた人間はここまで弱気になるのかと心配になる咲良。

 こんな弱気は初めてみる。

 渡仏前のあの強気は何処へやら。

「車椅子持って来ますから、どこか行きませんか? といっても病院の近くですけど」

 無言であったが、勝手に了承と判断して、咲良は車椅子を取りに行った。

 病院の庭では、ぽつぽつと患者とその関係者が日光浴をしていた。

 車椅子を咲良に押してもらって、およそ2ヶ月ぶりに太陽のもとに出た。

 一つ、大きな深呼吸をする。いつもレース前にしているルーティーンがここで無意識にでた。

「うぅ、寒いな。こっちに来た時はまだ暖かかったのに」

「来週はもう12月ですからねえ」

「朝日杯までには帰りたいなあ……望がトゥザスターズに乗って、朝日杯を勝つ。阪神だから望の得意舞台だ。それにしてもレットローズバロンはあのアイツか、よりにもよって」

 アドミラルエヴォルを盾の馬に導いた、都築未來——心田オーナーは将来性を見てレットローズバロンが出走するホープフルステークスに騎乗依頼を出したのだろう。

 アイツだけには乗って欲しくなかった。そんな思いがふつふつと湧いてくる。しかし、しょうがないことだ。騎手はオーナーには逆らえない。

 未來のことだ、自分から直接馬を奪ってG1を勝つ気なのだ、とマイナス方面の考えしか浮かばない。

 涼とて、一端の騎手だ。都築未來の実力は十分わかる。だからこそ、悔しい。

「有馬記念でアイツと勝負したかったな……」

 有馬記念で南関東三冠馬と中央クラシック二冠馬の勝負を約束した。

 しかし、果たされなくなってしまった。

 有馬記念、2014年の初勝利から後はずっと着外だ。今度こそ、ブライアンズハートならば、と思っていただろう。

「だから、おれは菊に行きたかったんだ」

「そんなこと言ったらみんな悲しみますよ。それにキングジョージを侮辱してます」

 キングジョージに出走した他の馬陣営の立つ瀬がなくなる言い分だ。

 今回のことが相当堪えていると感じた咲良だった。

 三冠を捨てて納得しての渡欧だったから、今更そんなことを言うと全競馬界を敵に回してしまう。

「ごめん……言いすぎた」

 しばらく沈黙が続く。

 庭の患者たちが涼をその目に認めると何やらヒソヒソと小声で話し始めた。

「見ろよ、アレは今年のアークに出ていた奴だぞ。しっかし、今年は固かったとは言え、アイツのせいでお祭りムードがぶち壊しになったよな」

「そうそう、まあでも犠牲になったのが日本の下手くそな人で良かったわね」

「しーっ、聞こえるぞ。アレでもKG6&QESの優勝ジョッキーなんだから」

 あからさまに聞こえるように言っている。そう気づいた咲良はその場所から遠ざけるように車椅子を押した。

「日本の人は気にしてませんから、大丈夫ですよ」

「……」

「いい加減うじうじするのやめませんか」

「……」

「もう終わったことなんですから」

「終わったこと? おれの気持ちはまだ凱旋門の時のままだ。おれの中じゃまだロンシャンのターフの上にいるんだよっ……」

 悔しさを言葉にして絞り出すように、紡いだ。嗚咽、涙、そして心拍数が上がる。

「でも、おれは、もう騎手に戻れないかもしれないんだろう? どうしたらいい。なあ、咲良、おれはどうしたらいいんだっ……」

「ごめんなさい、あなたの気持ちを考えられなくて……。私にはどうすることもできないです。でもリハビリはしましょう? 可能性はゼロじゃないんですから、なんでも試してみないとですよ。私はもう一度、あなたがブライアンズハートと一緒にレースに出ているのを見たいんです」

「うぅ……もう、無理だよ……ハートもおれも走れない乗れない」

 12月に入った。

 涼の帰国予定日は有馬記念の週だ。

 右腕のギプスと包帯が取れ、両腕は自由になったが、両足は未だに不自由である。そしてメンタルも不自由だ。

 家族は各々やることがあるので先に日本に帰国したが、咲良は残って涼に付き添うことになった。

 望は兄のため朝日杯FSに向けて日本に帰っていった。望が帰国直前に兄に残した言葉が本人に突き刺さった。

(僕が朝日杯FS、兄さんはクラシック全部! 初めて兄弟で共同戦線だね! 来年のためにも僕頑張るよ)

 マジシャンズナイトの時とは違う、共同戦線。

 望は、兄に発破をかけるために敢えてプレッシャーのかかることを言ったが、復帰の見込みが立たない現状に絶望している涼には逆効果だった。

『あーーっと!! ブライアンズハート故障発生!! 鞍上落馬!!』

『これは、予後不良……ですね』

「う……やめろ……予後は、やめろ……はっ!! はあはあ……夢か」

 明け方、飛び起きる。息苦しい。

 もう一度目を瞑るが、有りもしない幻がまた目の間で展開される。

「はあ……もうやめてくれ……いい加減に」

 時刻は4時。まだ日が昇っていない。

 木枯らし吹くパリの街を一望する、病院の屋上に車椅子で出てくる。

 起床しだした家々の明かりがポツポツと出始め、やがて、日の昇りとともに消えていく。朝日に照らされたパリの街は、一斉に住人の1日の始まりを告げるように教会の鐘の音が鳴る。

「普通に、日常が始まるのか……」

 非日常を経験した涼にとって、この普通の光景はとても新鮮に見えた。

「外国も同じだね。きっと日本も」

「未だ幻を見るのは、おれが諦めきれていないからなのかな。だとしたら、おれはブライアンズハートをすっぱり諦めて、新しい日を歩かなくてはいけないのか」

 それがお互いのためでもある。

 そして、涼はもう孤高の人間ではない。大切な人たちに囲まれている。

「怪我を治して、早く、次の馬に乗りたい。怪我をしたハートのためにも」

「上手くなって、ハートに顔向けできる成績を残さないと。……よし」

 涼の瞳に少しばかり光が宿る。それが朝日に寄るものなのか、誰もわからない。

「涼くん、どうしたんですか! こんな寒いところに一人で! 看護師さん心配してましたよ」

 また朝一で見舞いに来たのだろう、咲良が、血相を変えて涼に近寄る。

「咲良、なんだ、また来たのか。もうそろそろ日本に帰らないと職務放棄じゃないのか?」

 悪戯な笑顔を浮かべてそう言った。

 咲良は、意地悪な人間を見るような目で言い返す。

「何なら、一緒に帰ってもいいんですよ? どうせ空港でマスコミに捕まりますし」

「言われてみれば。咲良はこっちに高飛びしたんだったな」

「人を罪人呼ばわりしないでください」

「帰ったら、有馬記念チェックしないとな。来年、戦う馬がいるかもしれない」

 レース前のような大胆不敵な笑みを浮かべる涼を見て、咲良は、一安心した。何か心境の変化があったのだろうが、敢えてそこは突っ込まないようにする。

「まずは望くんの朝日杯FSを応援しないといけませんね」

「そうだな。望にもアイツにも負けていられない」

 アイツ——都築未來は有馬記念で南関東三冠馬に乗る。ダート馬が芝で通用するかは分からないが、未來の自信は本物だと悟った。

 南関東三冠馬セタグリーングラス。中央に移籍しての第1戦が京都大賞典だったらしい。

 そこで鼻差の2着。

 中央馬主たちは、ど肝を向かれたそうだ。

「そういうのを倒すのはおれの役目だよな。うん」

「あなたのそういう、根拠のない自信、私好きですよ」

「でも信じてるんだろ?」

「はいっ……って言わせないでください!」

 お互い笑い合う。

 ——日本ではチャンピオンズカップが施行されていた。

 今年フェブラリーステークスを勝利し、地方交流帝王賞を勝ったアドミラルトップが主戦の保井廉を背に、中央ダート完全制覇に挑む構図だ。

「よし、行くか」

 アドミラルトップにまたがり、集中する。今朝、フランスから不在着信があった。

 留守録には覚えのある声で、今日のチャンピオンズカップを激励する内容が残されていた。

 それを聴いた保井は一段と気合いを入れた。

 あの人のためにも、自分は勝たなければならない、そう決意した。

 そして——。

『アドミラルトップ中央ダート完全制覇!! 最後は他馬をちぎっての圧勝でした!!』

「勝利ジョッキーインタビューです。持ったままの圧勝、いかがでしたか?」

「はい、馬の力なりに存分にレースができたと思います。道中掛かったんですけど、馬群に入れてすぐに折り合えて、あとは見せムチで追い出しました。とても反応が良くてやはり良い馬です」

「保井騎手に、なにか気迫のようなものが見えましたが、何か思うことろがありましたか?」

「尊敬する人のために、何より応援してくれる人のために、僕が出来ることは勝つことだけですから、それだけを考えていました」

 保井が少しいいですか、とインタビュワーに断りを入れた。

「この場面を見ているかは定かではないですが、先輩、いつでも戻って来てください。先輩が戻るまで僕が先輩のお手馬を守っていきます」

 インタビュワーは悟った。これは神代涼に向けられた言葉だと。

「すいません。以上です」

 保井はそそくさと戻っていった。

 ——さらに2週後。

 阪神競馬場メインレース、朝日杯フューチュリティステークスにて。

『トゥザスターズ! 無敗でG1勝利!! やはりこの馬が主役だった! 大逃げ作戦どんぴしゃり成功です!』

「やった! 兄さん、見ててくれたかな……」

 望が鞍上で、トゥザスターズは見事、無敗でG1馬になった。トゥザスターズはこれより放牧に出され帰厩は2月中旬になるとのことだ。

 もちろん、照準は皐月賞トライアル「弥生賞」である。

 そしてそのさらに先はクラシック三冠である。

 無事に、兄に引き継いで、自分も有力馬がいるので気を引き締める望であった。

 その日の夕刻、予定を繰り上げて、神代涼(と咲良)が帰国した。

 案の定、空港では色々な意味で騒ぎになり、美浦に戻る頃には深夜に近くなっていた。

 夜半の美浦はシーンとしていて、これから明けがた近い数時間後には追い切りが始まるとはとても思えない空気だった。

 今週は有馬記念の週である。

 涼は明けて翌日、望にトゥザスターズの連絡をとったあと、車椅子でトレセンに向かった。

「ふー……腕が疲れる」

 なんとか藤村厩舎にたどり着くと、自分では扉を開けられないので、人を呼んで開けてもらう。

 来た人物は、藤村師その人だった。

「先生……数ヶ月ぶりです。お世話様です」

「やあ、涼くん、やっと帰って来られたんだね。心配したよ。……君を置いて先に帰ってきてしまって本当にすまない」

「いえ、良いんですよ。先生にはお役目がありますから」

「そうだ、良い知らせがあるんだよ。ブライアンズハートが1月中旬を目処に美浦の日進ステーブルに戻ってくるんだ。まあ、まだ走らせるのは危険なんだけどね」

 藤村師が嬉々としてブライアンズハートの情報を涼に話した。

 涼は安堵した表情で、ふうとため息をついた。

 そして厩舎のメンバーに挨拶をしたあと、南厩舎へ向かう。トゥザスターズを管理する高柳師に謝罪をしに行くためだ。

 急な乗り替わりで、迷惑をかけてしまった厩舎に直々に謝りに行く。まずは高柳厩舎だ。

「どうも、高柳先生。この度は大変迷惑をおかけして本当に申し訳ありません」

「いいんだよ、謝らなくたって。結果的に東スポ2歳も目標の朝日杯も勝ったしねえ」

「今後は、予定通りクラシックに臨もうと思う。もちろん、君に乗ってもらう。だから早いとこ全快してくれよ?」

「ははは……頑張ります。弥生賞始動ですよね、間に合わせますよ」

 高柳師は涼の肩をポンと叩いて激励した。

 次にやってきたのは、國村厩舎だ。

 ここは、アドミラルエヴォルの天皇賞・秋を約束していた厩舎だったが、結局乗ることは叶わず、肝心のレースは涼に宣戦布告を言いつけた都築未來が乗って見事勝利した。

 そのエヴォルだが12月初めの香港国際競争の一つ香港ヴァーズに出走して2着と健闘していた。もちろん鞍上は都築未來だ。

「ん、涼くんじゃないか! 大丈夫なのかい? 両足をやったって聞いたけど」

「まあ、この通り車椅子です。それよりアドミラルエヴォル、おめでとうございます。来年は都築で大阪杯ですか? それともクイーンエリザベス2世Cですか?」

「香港で好走したからね、オーナーさんにはクイーンエリザベス2世カップの方を勧めておいたよ。今はそれよりも、同じオーナーのグランドアドミラルが今週土曜日に中山大障害に出るから、そっちで手一杯だよ」

「グランドアドミラルは連覇がかかっているからな」

 厩舎の中に騎手が入ってきて國村師と涼の会話に混ざる。その騎手とは。

「颯斗。久しぶり」

 高坂颯斗はグランドアドミラル最終追い切りを終えて戻ってきたらしい。

 グランドアドミラルの戦績を涼は指折り数える。

「えーっと去年の中山グランドジャンプから始まって、暮れの大障害、今年のグランドジャンプ……J・G1、三連覇中? 凄いね」

「まあね。僕は涼が無事で安心したよ。本当は君が有馬で勝って、僕が中山大障害で勝って祝勝会したかったんだけどね。まあこればかりは」

「みんなに迷惑かけたんだな。なんか恨まれてそうだ」

「ある一人を除けば、誰も涼を恨んでいないと思うけど」

「ある一人?」

 涼は首を傾げた。颯斗は涼の骨折した両足を指差して、涼に色々と察するように促した。

「心田オーナー?」

「フランスで、君を見舞ったかい? 目が覚めてから何か連絡は? 無かったなら覚悟しておくべきだと思う」

「……確かに、おれはハートを怪我させてしまったし、凱旋門賞もメチャクチャにしたからオーナーとしてはもう関わりたくないだろうなあ」

 最悪の場合、もうハートフルカンパニーの馬は乗れないかもしれない。そんな気がした涼だった。

「まあとにかく、早く足を治さないとね。僕が中山大障害を勝ったら涼もリハビリを頑張ると約束してくれ」

「ああ、わかった。お互い頑張ろう」

 あらかた厩舎を周り終え、藤村厩舎に戻ってきた涼は、覚醒してから考えていたことを師に相談した。

「フリーになりたい……か」

「はい」

「おれにはまだ早いですかね……」

 藤村師が深く考え込んだのを見て涼は不安になってしまった。

「いや。違うよ。君が私の元を巣立つ時が来たのだなあと思うと感慨深くて」

 腕組みを解いた藤村師は、厩舎の棚に飾られていた写真立てを手にとって、涼に見せた。

 写真は、1996年6月2日と記されていて、20数年前の神代和尭と見習いの藤村直義師、そして同じく見習いの神代久弘師に肩車されている神代涼、傍らには白いゼッケンをつけた馬が写っていた。

「君が初めて府中にきてダービーを見て、すごくはしゃいでいたのを思い出すと……何というか、くるものがあるね。あのダービーは和尭先生の馬は負けてしまって、君が大きくなったら和尭先生にダービー勝利を見せてあげると言っていた。あれから君は立派に成長して、今やフリー転向しようとしている。師匠冥利につきるよ」

 よし、と言って藤村師は固定電話をとり、どこかに電話をかけた。

 電話がつながると藤村師は旧友と話すかのような口ぶりで電話口で会話をしている。

「じゃあ、本人に代わるよ」

 そういって、藤村師は涼に受話器を渡す。

「もしもし、神代ですけど……」

『やあ、ミスター・クール、初めまして。ボクはアメリカでエージェントをしているマックス・デ・フィリップスだよ。この度、フジムラ先生の好意で日本に転向することになって、君を紹介されたというわけさ』

「フィリップスさんがおれのエージェントに?」

『フィリップスさんなんて他人行儀はやめてくれよ。マックスでいいぜ。年明けに日本に行くからよろしくね』

 テンションが高いアメリカ人だな、と涼は思った。

 電話は一方的に切られ、ツーツーと音が鳴るのみ。受話器を藤村師に返却しことの次第を聞く。

「マックスは私の友人の息子でね。えーっと、久弘くんがアメリカに行った時に手紙で紹介されたんだ。それから20年来の間柄で、マックスがアメリカで騎手のエージェントになったのを6年前に聞いてね。その後、すぐだったかな……担当していた新人騎手がG1を勝ったんだって」

 藤村師までテンションが上がってきた。涼は困惑する。何気に父親の名前が出てきたのを敢えてスルーした。

「私は直感したよ。マックスは馬を見る目がある。そして対人スキルもある。エージェントとして最高の人材だと。それで、無理を言って、神代涼を紹介して日本に来ることを促したんだ」

「マックスは君の成績を見て一目惚れしたそうだよ。彼は子供の頃、久弘くんに懐いていたそうでね……何というか、異母兄弟みたいなものだよ君たちの関係は」

「異母兄弟って……他人に説明が難しそうな言い方はやめてくださいよ」

 しかし、俄然興味が湧く人物だと思った。

「ここだけの話、マックスはあのスナイパーキッドのエージェントに師事していたんだ」

「ビリーのエージェントの弟子」

 狙ったケンタッキーダービーは絶対勝つビリー・マックスウェルのエージェント、その弟子だから相当な人物だろう。

「いやしかし、君たちの世代は凄いツワモノ揃いだね」

「マックスも君と同い年だよ」

 2歳上のアーサー・アディントン、1つ上のビリー・マックスウェル、涼と同い年の都築未來と高坂颯斗、1つ下の保井廉、そのすぐ下の天照歩稀、そして涼の弟の神代望は96年世代。この者たちだけでどれだけ主要なレースを勝っているのだろう。

 考えただけで燃えてくる。

 世代交代がやってこようとしている。大物オーナーがこうして若手上位騎手を乗せ始めているのがその証左だ。

 例えば、今年の天皇賞春はシンザのオーナーがシンザクロイツに歩稀を乗せて、勝ってみせた。

 宝塚記念だってマジシャンズナイトに保井廉が乗り、これまた勝利した。

 競馬全盛期の90年代頃にデビューした騎手が今年はあまり勝っていない。

 唯一例外を言えば、騎手仲間内でレジェンドと呼ばれている80年代デビューの式豊一郎がリーディング上位に健在ということだ。

 中堅世代の筆頭格といえば、吉川尊と海老原兼次郎——どちらも美浦を拠点にしているフリー騎手だ。

 何れにしても、10年代デビュー世代の突き上げが著しい。若手が台頭するのはどんな職業でも良いことである。

 涼の世代である12世代は競馬学校卒業時は四人いて美浦に神代・高坂、栗東に二人——この二人は重賞勝利こそあるがG1ではまだ勝っていない。

 そういえば、12年は競走馬もツワモノが揃っていた。

 運命的な世代である。

「それで、マックスがおれのエージェントを引き受けてくれるんですか」

「ああ。それとなく話したら二つ返事で快諾してくれたよ。あとは君の動向如何だったんだけど、こうも早く巣立ってくれるとは思わなかったよ」

「先生、おれのためにここまでしてくれて……ありがとうございます! おれ、絶対怪我を治してまたG1でもG2でもG3でも平場でも勝ちます」

「頑張れなんて軽躁なことは今は言えない。フリーになってもうちのファミリーであることに変わりはないからいつでも頼ってくれていいよ」

 藤村師の優しさに触れ、少し涙ぐむ。

 そうして年末12月23日、有馬記念当日を迎えた。

 涼は神代マンションの自室でその日のレースを観戦していた。

 何故か、その日の朝、隣の部屋の咲良の家財道具が涼の部屋に運び込まれていたが、涼の関心はこの有馬記念に向いていた。相手にされていない咲良は少しふてくされていた。

 帰国翌日、週刊雑誌の記者は一斉にこの二人報道をした。

 周りからしてみれば、暗黙の了解というか、周知の事実だったかも知れない。

 記者たちは虹の彼方ファンたちによる炎上を狙った記事を書いたつもりだったが、周知の事実とあれば炎上より祝福の声の方が大きく、炎上したのはマスコミの姿勢の方だった。

 虹の彼方の濃いファンは咲良と涼が幼馴染なのを知っているし、咲良が涼に昔から気があるのも察していた。

『中山11R、第63回グランプリ有馬記念G1、芝の2500m戦です。今年覇を競った優駿16頭が決着をつけようと集まりました』

 有馬記念は八大競争の一つ。

 その歴史は古く、1955年まで中山競馬場では暮れの大一番といえば中山大障害であった。

 東京競馬場の東京優駿日本ダービーと比べて華やかさも盛り上がりもないことから、当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧(ありまよりやす)が中山競馬場新スタンド竣工を機に、暮れの中山でダービーに匹敵する大レースを、との声で、1956年当時としては類を見ないファン投票によって出走馬が決まる「中山グランプリ」が創設された。

 しかし第一回中山グランプリが施行された数日後の1957年1月9日、有馬頼寧理事長が急逝した。

 有馬の功績を称え、中山グランプリの名称を現行の「有馬記念」に改称し、以来日本競馬の1年を締めくくる大レースとして定着した。

 枠順は公開抽選で決まるというのもまた珍しい。

 有馬記念というレースは難しく、一般的に内枠が有利とされている。いやそもそも、中山競馬場という馬場が魔境なので、必然有馬記念も読めないレースということになる。

『今年の天皇賞春勝ち馬シンザクロイツは好枠の1枠1番、地方から移籍してきた怪物セタグリーングラスは主戦都築未來を背に、大外8枠16番。そして今年の三冠牝馬ロサプリンセスは2枠4番、前走ジャパンカップ2着の戦績は侮れません』

『今年の顔とも言える皐月ダービー二冠馬にしてKG6&QES優勝馬ブライアンズハートがいないのが悔やまれます。当馬はファン投票1位でしたが屈腱炎のため回避となりました』

『さあ、10数万人の夢を乗せて、第63回グランプリ有馬記念今スタートッ!!』

「誰が勝つと思います?」

 テレビにかじりついていた涼に、咲良が話を振る。

 ようやく涼が振り向いてしたり顔でこう言った。

「夢をお届けする暮れの大一番有馬記念、誰が勝ったって別にいいだろ」

「そ、そうですね」

 テレビに顔を戻す。

 隊列はロサプリンセスの先行を先頭に、最後方シンザクロイツとローゼンリッターまで10馬身と言ったところ。

 涼の手には望の乗り馬マーチオブドーンと天照歩稀の乗り馬ローゼンリッターの馬連勝馬投票券が握られていた。

「よし、望、天照くん、そのままそのまま……」

 先頭は、大歓声のスタンドを通り過ぎ第一コーナーに差し掛かる。依然としてロサプリンセスのペースだ。1000m通過は1分ジャスト。

 隊列は向こう流しに入る。

 少しペースが緩んだか、時計が遅くなった。

 第3コーナーを回って、第4コーナー、さあ中山の急坂が待つ最後の直線。

 馬群は一斉にばらけ、ロサプリンセスのセーフティーリードも無くなった。

 ここで先頭に立ったのはジャパンカップ6着馬エンシンブレスと凱旋門帰りのマジシャンズナイト。

 あと200m。

 エンシンブレスかマジシャンズナイトかに絞られたその時、背後から物凄い脚を使った白い影が襲ってきた。あれは——。

『セタグリーングラス! 大外からセタグリーングラス!! 届くか届くか!! 届いた!!! 有馬記念はセタグリーングラスです!! 南関東三冠馬、中央でも強かった!!』

「ああああ!! くそお! 外した!! 4着5着は無いだろ!!」

 そんなこんなで2018年は幕を閉じた。

 と言いたいところだが、中央最後のG1ホープフルステークスと交流G1東京大賞典がある。

 軽く流すと、ホープフルステークスはレットローズバロンが都築未來を背に、持ったまま完勝。

 さらに東京大賞典は保井廉の騎乗馬アドミラルトップが優勝という形になった。

 こうして2018年は終わった。

  ///

 2月、涼は先月足のギプスが取れリハビリを開始したのだった。

 涼の執念か、リハビリは順調に進み、いよいよ、乗馬マシーンに乗る段階に至った。

 しかし。

「? どうしたんですか? 涼くん?」

 自室のトレーニングルームの乗馬マシーンに跨りながら、肩で息をする涼を見てただ事ではないと咲良は思った。

 手が震えている。目が虚ろだ。

 まともに追いの動作ができていない。

 仕舞いの果てにはマシンから転げ落ち、その場で嘔吐してしまった。

 リハビリに付き添っていた、潤とアメリカからきたマックスはお互い目を合わせて、あることを察する。

「もしかして、クールは落馬恐怖症になったんじゃ……いわゆるPTSD」

 マックスはそう言う。潤もそれに頷いた。

 復帰に向けて新たな暗雲が立ち込め始めた。弥生賞まであと1ヶ月——。

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