聖遠征隊 5

 ――姉上、こ奴ら魔人だ! 火筒弾が止められる!!

遠くから、フォルゾイの驚愕に満ちた〈声〉が聞こえた時、カーメルは森の中を進んでいた。

――放っておきなさい。どうせ、そ奴らには、もはや何もできません。

その言葉に対して、すぐにはフォルゾイからの返答がなかった。聞こえなかったか、と思い始めた時、

――いえ、やはり姉上の障害となりそうな敵を排除するのが我が使命。火筒が効かなくとも、私にはラーチャー師より直々に教わった剣の技と、アベレフセロスより賜った甲冑があります。ここで後顧の憂いを断ち、すぐに姉上に追いつきます。

――フォルゾイ、そなた剣は持ってきて――

――短剣はあります。普通の兵が持つ火筒の弾はこの甲冑に効かぬ故、お互い火筒が意味を持たないという条件は五分と五分。ならば、たとえあ奴らが長剣を持っていたとしても、魔法甲冑を纏った私が生身の人間に剣技でおくれを取ることはあり得ませぬ。

その言葉を最後に、しばらくの間、フォルゾイの〈声〉は聞こえなくなる。

そして――

次に聞こえた〈声〉は言葉としての意味を成すものではなかった。

その、肉体が機能を失うときに発するとしか聞こえないものに総毛立つような感覚を覚えた瞬間、カーメルは無意識に歩みを止めていた。

「まさか、フォルゾイが……そんな……」

これも無意識に呟きが漏れる。一瞬ためらい、それから意を決して踵を返した。

カーメルは既に敵と一戦を交え、単騎で複数の兵を退けていた。それも、恐らくは「神封じ」の魔法具を備え、全員が魔法甲冑を纏う特殊兵の一団。

今までであれば、同数の兵力をもっていても戦いをためらう相手であったが、カーメルの新たなる力「天界の導」があれば恐るるに足りず、むしろ一蹴したとすら言える状況だった。

「『天界の導』がある限り、私を止められる者はいない。たとえ『天界の門』を閉じられる『神封じ』の魔力を持つ魔人であっても退けられる」

カーメルは、自分に言い聞かせるように呟きながら、最後にフォルゾイの〈声〉が聞こえた場所へ甲冑を走らせた。

唐突に、あの日――一緒に藁布団に隠れていた幼い少年の体温が思い出される。永遠に失われてしまった血の繋がった家族の代わりに、神様が与えてくれたたった一人の弟。

一緒に悲しみを乗り越え、聖戦士になる為の時間を共に過ごしてきた家族。

もし、まだフォルゾイの命があるのなら、憎き魔人どもに天誅を与えてから共に目的地を目指そう。

そして、もし――

もし、その命が既に失われてしまっていたとしても、亡骸なきがらを魔人どもの元に置いたまま貶めさせる訳にはいかない。アベレフセロスから賜った甲冑と共に、自分が天界へと導くのだ。

樹々の向こうに、今の自分の気持ちとは不釣り合いな、明るい日差しの広がる空間が見えた。もうすぐ森が終わる。

森の端でひときわ高く伸びた下生えを掻き分けて、平原へ走り出た。谷底平野に側面の森から出て来た様な位置になったが、フォルゾイの〈声〉が最後に聞こえた場所からは、そう遠くない筈だった。

前へ進みながら周囲を見回すと、敵の位置はすぐに判った。斜め前の方向にある段丘面に、おかしな姿勢で不時着している大型の飛空式わかつり。最後にフォルゾイの〈声〉が聞こえた場所とも一致する。

カーメルは進む方向を微修正して、不時着している機へ向かった。

次の瞬間――

いきなり身体が重くなって、内側から肉体を焼くような強烈な暑さを感じた。

――魔力攻撃?!

この多脚型のわかつりを結合した魔法甲冑の歩みは決して速いとは言えない所へ、移動することを拒むように身体が前へ進まなくなり更に速度が落ちる。まるで、周囲の空気がいきなり水に変わったかの様な抵抗力を持ってまとわりついてきた。

それに加えて、夏場の炎天下に冬用の防寒装備を着て長距離を走ったような熱が身体の内部から湧き上がる。

内側から身体を焼き尽くそうとするエネルギーに対して、カーメルは甲冑の排熱機構を作動させた。数秒たつと、暑さは感じるものの行動に支障がない程度まで温度は低下し、少し安心する。

――落ち着け。

カーメルは自分に言い聞かせながら、歩みを進めた。

地上のように走ることは出来ずとも、水中だって歩くことは出来るのだ。全ての勢いをがれようと、一歩ずつ確実に歩を刻めば前へは進める。

――よこしまな力に負けてはならない。正義を否定しようとする悪意に屈してはならない。

カーメルは、その邪な力の根源たる魔人の方へ視線を向けた。

不時着している飛空式機の傍らに立つ人影。肉眼では小さな点としか見えないであろうその人影を、甲冑の望遠機能で拡大していく。

その魔人の輪郭がはっきりと見えてくるにつれ、そこから発せられる邪悪な敵意が色を持つ影の様に視界を侵してくる錯覚を覚えた。

魔人が身につけているのは軽甲冑ですらない、恐らくは簡易な防具を縫い付けた程度の防護服。卵型に見える頭部は、軽量の樹脂兜をかぶっているのだろう。両手をこちらに向けている姿勢から察するに、敵を攻撃するときにはあの姿勢で意識を集中する必要があるに違いない。

更に拡大していくと、樹脂兜には透明な面が付いていることが判る。やはり樹脂製らしいその面が光を反射するせいで、敵の顔は見えにくい。

「どれだけ邪悪な顔をしているのか、拝ませてもらうぞ」

 カーメルは低く怒りをこめて呟きながら、甲冑の視界を偏光確認様式に切り替えた。透明な面の表面で乱反射していた光が取り除かれ、面の奥にある魔人の顔が見える。

瞬間――

カーメルは、驚愕と恐怖に足がすくみそうになった。

――何だ、あれは? 本当にヒトなのか?!

その魔人の顔は、かろうじて人としての原形はとどめているものの、男か女かも判らない、ただれた肉の塊りに見えた。煉獄の悪魔と契約を交わすというのは、人をあのような姿に変えてしまう程の邪気を自らの肉体に宿すということなのか?

一瞬ののち、カーメルは反射的なものとはいえ魔人の姿に恐怖を覚えた自分自身と、そのような姿になってまで邪悪な魔力を手に入れようとした敵の精神性に対する、激しい怒りを覚えた。

――あ奴は絶対に滅ぼさなければならない! あの様に邪悪な者が、この世界に存在していい道理がない!

カーメルは、激しい怒りの裏側にある意識の冷徹な部分で正確に制御しながら、「天界の門」を僅かに開いた。先程の戦いの中で、門をどの程度まで開けば目的を果たせるのかは把握できている。

門を開けすぎると内より溢れる時空神の波動で元に戻れなくなるが、明ける量が少なければこちら側の世界が持つ俗世の波動で門は勝手に閉じてしまう。その微妙な均衡がとれる位置まで門を開け、自らを天界の波動に同調させる。

ふわりと身体の密度が薄くなるような感覚とともに、強烈な解放感が溢れた。俗世の物質に縛られていた精神が解き放たれ、同時に、身体に纏わりついていた魔力の頸木くびきから自由になる感覚があった。

何か目に見えない力が自分を捕らえようと躍起になっているような気配は感じるが、その不可視の手は虚しくカーメルを素通りしていく。

――勝てる! 所詮、魔人のよこしまな力など天界の聖なる力には及ばぬ。

カーメルは、自分の中で怒りの感情が高揚感へと変わっていくのを感じた。天界の神と一体になる至高の感覚。

しかし、その感覚に溺れることはない。まだ「天界の導」を起動していないのだから。

カーメルは門から流れ出る天界の波動を慎重に観測しながら、導を同調させるタイミングを測った。そして何千分の一か何万分の一秒の、その瞬間――

波動にしるべが同調し、カーメルの身体は天界の波動に満たされたまま、俗世の中で導きを行うための歩みを始める。その歩みは酔歩にも似て、必ずしも目的の方向へ真っ直ぐに進めるものではないが、踏み出した一歩が目的の方向でなかった時にはすぐにその歩みを破棄して次の一歩を踏み出した。そうやって、カーメルは確実に敵への距離を縮めて行く。

――邪悪な魔人よ待っていなさい。すぐにフォルゾイの仇を討ち、正義の裁きを与えてやる。

カーメルは、その意思を強く持とうとしながらも、身体の奥底から高揚感と陶酔感が溢れてくるのを止めることが出来なかった。先ほどの戦闘では感じることのなかった快感に戸惑いながら、心の奥底で何が自分にそこまでのたかまりを与えているのかと冷静に分析している。

そして気付いた。

眼前に、絶対悪が存在しているのだ。邪な力を用いて愛する弟を傷つけ、自分に対しても攻撃を加えてくる強力な悪魔の傀儡が。

そして、強大に感じられたその魔力を自分の持つ聖なる力が凌駕した。

この感情は、自分が心の奥底で凌駕することに焦がれていた悪を駆逐する機会が得られた霊感であり、アベレフセロスの麗しき祝福に対する歓喜だった。

――悪を滅ぼす! 私は正義を成す! 邪な敵を前に退くことはない! その為の力! 天界の波動は何者にも侵されない絶対の存在! 我が存在にアベレフセロスの恵みを!!

カーメルは、こみ上げてくる歓喜の感情に任せて高らかに謳う。その声は人間の耳で聞くことが出来る音ではなかったし、本人の精神から溢れた瞬間に言葉ですらなくなっていたが、その意味するものだけは高らかに世界へと響き渡った。

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