#00-03「肉饅頭なんて買ってどうする気なの?」

 コーベの街を駆けて行く。サンノミヤ大通を抜けつつ脚を進めると、すこし雰囲気の違った区画へたどり着く。「ナンキンがい」と呼ばれる異邦人街だ。赤や金の装飾で彩られ、宵闇に沈むコーベのなかでひときわ妖艶にきらめいている。しかし僕とカレンの騒ぎのせいか人はほとんどいなかった。

 僕はナンキン街を歩きながら軒を連ねる店を眺めた。目を閉じて大きく息を吸い込むと、どこからか香ばしいにおいが運ばれてきていた。カレンの大好物、コーベ名物・蓬莱ほうらい饅頭まんじゅうのにおいだ。

 カレンの陽動が功を奏したのか、ヒョーゴ警察の声はもう聞こえなくなっていた。せっかくだから、ひとつ買って行ってやろうかな。今日は苦手なチョコレートばかり頬張ってるんだし、こういう贅沢もありか。

 香ばしい肉饅頭の香りに誘われ、店先までやってきた。宵闇のなかで饅頭屋の灯りがぼんやり妖しく浮かび上がっている。饅頭屋の店番はくたびれた冴えない老人だった。数少ない白髪はさびしげに月光を反射し、背は直角に曲がっている。「蓬莱饅頭ふたつ」と僕が言うと、無愛想な顔を向けながら肉饅頭を差し出してくる。僕がそれを受け取ろうと右手を伸ばすと、老人はとつぜんその腕を力強く掴んできた。

「うわあっ」

 僕が驚いて大声をあげるのと同時に、その老人の身体が淡いオレンジ色に包まれる。見覚えのある光だ。直角だった背はみるみるうちに上に伸び上がり、月光を映すさびしい白髪はきらきらきらめく豊かな金髪になる。

「肉饅頭なんて買ってどうする気なの?」

 ぐいっと僕の腕を引っ張っていたずらに微笑む彼女に、僕は左手と肩だけをあげてお手上げのポーズを取った。

「……驚いたな」

 まったく気づかなかった。いつも顔を合わせているはずなのに、というかさっきまでいっしょにいたはずなのに、微塵も疑いもしなかった。みごとな変装術。決してだれも見破ることができない、カレイドガールの魔法——《万華変装カレイドフォーム》。わかってはいたが、改めてそれを見せつけられた気がした。

「わたしがおとりになって走りまわっているあいだに、梅田はのんきにお買い物?」

「カレンのために買ってあげたんだ。今日一日、たいへんだったろ?」

 僕がそう言うと、疑り深い顔を向けていたカレンの表情は一転、ぱあっと笑顔を咲かせた。

「ほんとなのっ? うっひょぉお、梅田いいやつ!」ちょろいな。

「おっまんっじゅう、おっまんっじゅう〜」と歌いながらだらしなくにやけるカレンのかたわら、僕は内心焦りはじめていた。

 彼女が魔法を解いた姿が西宮カレンだとまわりにばれたら、とても面倒なことになる。今晩はなんども魔法を使っているし、カレンの持っている《マナドルチェ》の残量もそう多くはないだろう。キタノにある拠点へ戻るまでに、なんとか持ちこたえなければならない。

 今日は帝都全域を舞台にした、ヒョーゴ警察の総力をあげた西宮カレン一味の大捕物おおとりものだ。ひと気がないとはいえ、ここナンキン街もコーベの街の一角である。ヒョーゴ警察が巡回していてもおかしくはない。残りのふたりと合流して、追っ手が来る前に拠点へ戻らないと。

「カレン、こうしている場合じゃない、はやく拠点へ戻ら——」

 そう言うのが早いか遅いか、僕のうしろから声が聞こえた。

「まったく、夙川警部も人使い荒いよなあ」

「ほんとほんと、やってらんねえよ。カレイドガールなんて俺たち凡人に捕まえられるわけねえっての」

「俺も魔法が使えたらなあ。一儲けできんのに」

「馬鹿言うな。まあ、肉饅頭でも喰って時間潰そうぜ。あのー、すんませーん。蓬莱饅頭ふたつ——」

 明らかに仕事をサボっている警官がふたり、「饅頭屋の店番」に声をかけてきた。店番を見た警官の動きが止まったのがわかった。カレンの浮かれた顔がみるみる引きつっていく。そう、なにを隠そう、いま警官たちの目の前にいる店番は、彼らが追いかけてきたカレイドガールその人なのだ!

「……にに、に、西宮カレン、発見ッ!」

「場所はナンキン街! ただちに急行されたしッ!」

 警官たちが無線に向かって叫んだ。カレンは店のカウンターから街の通りへ飛び出し、僕は買ったばかりの肉饅頭の袋を握りしめて、同時に地面を蹴って駆け出していた。

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