王女と勇者

 校内戦が開幕し、依然として全体が沸き上がるなか、魔術学園内の校舎の最上階にて、二人の男女が机を挟んでいた。


 金を想像させる薄黄色の高品質な石を主に使い、天井には芸術品と見間違えるだろう業物のガラスと金の刺繍が刻まれたシャンデリラがぶら下がっていて、さらに端々には高価な家具と共に置物まで置いてある部屋だ。


 何処か高貴な人物との対話に使われる貴賓室的な立ち位置の部屋なんだろうか。


 しかし、二人はそれにしては、そんな大層な一室を使用するに相応しい程の高貴な人物には見えない、この魔術学園の制服を着ていた。


「……」


「……」


 互いに、この部屋に入室した時に給仕が出した紅茶が淹れられたカップには手を出さずに、ただ微笑んで向かい合っている。


 素人から見れば、二人の男女生徒は一体に何をやっているのかと困惑するところだが、一度戦闘にかじって尚、殺気をその身に体験した者ならば、この部屋の空気が一体どれ程重いものか、この部屋へ一歩踏み入れた瞬間、身が震えるほどの悪寒が全身に迸ることだろう。


 一言でこの部屋の状況を言い表すのなら、一触即発。


 互いに、それはもう素人が泡を吹いて倒れるほどの殺気をぶつけ合っているのだ。


「───……お先に頂いても?」


 かれこれ、この状況を続けて十五分は経過している今、やっと紅茶に手を付けようとする金髪碧眼の美しい少女───リーエルは対面している黒い長髪を一つに結んだ端麗な青年に、紅茶を先に頂く確認をとる。


 始まってから両者不気味な微笑みを崩さず、当然こうして今、確認をとっているときでもその表情は崩していない。


「───勿論ですとも。では僕も頂きますね?」


 そんな王国の第一王女であるリーエルからの確認を了承し、青年の方もリーエルに倣うように少し温(ぬる)くなった紅茶を手に取った。


「はい。一先ず共に飲みましょうか」


「ありがとうございます」


 社交辞令とも言うべきあいさつを終え、互いに紅茶をゆっくりと啜る。


 両者の建前上の微笑の裏に隠された本性が殺気となって、互いに送り付け合い、その拍子に部屋に鋭い何かが充満している。


「……」


「……」


────カチャ


 啜る音も出さずに、一通り飲み終えたのか、カップを机の上に置く音だけが部屋に響いた数秒後。

 

 殺気と静寂だけが支配していた部屋に、リーエルからの声で今の雰囲気を切り裂いた。





「───それで、エイト・テンジョウ。私に何かご用があると聞きましたが?」


 エイト・テンジョウと呼ばれ、疑問を投げ掛けられた美青年は、そこで微笑は崩さずに、直ぐに返事を返した。


「はい」


「それはどういってことでしょうか?」


「まぁ……そうですね。少し気になること、ですかね?」


「気になることとは?」


「はい。実は──「それだけの為に呼ばないでくれませんか? 私は色々と忙しいのですよ?」───ああ、申し訳ありません。でも直接お聞きしたくてですね……?」


 エイトが話している途中に強引に言葉を入れて途切れさせる。


 如何にもそれ以上話してほしくないという暗示なんだろうが、それに対しエイトは臆さずに平然と謝罪を入れた。


「……」


 微笑んだまま若干睨みを利かせ、殺気を膨れ上がらせたリーエルにエイトはそこで対抗するように少し微笑で緩んでいた瞳を細めながら話を続けた。


「実は僕の情報通からの話なんですけど、なんでもあの大国、イマル帝国がここと同じような集団召喚をしたらしいんですよ」


「あら、そうですか」


「……おや? 驚かれてない様子ですね?」


 いくら王女でも、この情報は初耳だと思ったエイトは、少し驚きながらも口角を上げた。


 それに対し、当の王女であるリーエルは依然としてあくまで表面上の微笑を浮かばせながらも、紅茶持ち上げてから、応えた。


「ええ。その話自体は初耳ですが、数年前から予測の範疇でしたので」


 表情は崩していないが冷たい低音の声を響かせる。


「ははぁ……やっぱりあなたは聡明ですね。普通はこんな話、数年前から予測の範疇だったっていうものではないですよ」


「これまでこの世界で集団召喚を行った回数は今回を合わせて三回。最初の召喚は二百年ほど前の出来事ですが、その後の二回目はおおよそ二十年ほど前という最近の出来事です。……そして、その二回目の召喚した後の悲惨な歴史の例をみれば、今回のグランベル王国の集団召喚に対抗するようにイマル帝国が集団召喚するという召喚競争が起こり得ることは、歴史を把握している人ならば誰でも予測できることでしょう。よって、余り下手な御世辞は逆に気分を害すので止めていただきたいのですが?」


「おっと、これは失礼。こちらとしては本心で称賛した気でしたが、皮肉だと捉えられるような発言だったのなら謝罪いたしましょう。話は変わるのですが……そこまで徹底的に正論を言われると、逆に清々しいですね」


「あら。失礼いたしました。その大変整った顔立ちから放たれる白々しさ半分、憎たらしさ十二分の皮肉に、こちらとしてはつい熱くなってしまいましたわ。大丈夫です……自慢の皮肉が正論の下に打ち砕かれた今、あなたの心は少し面白くないと思われているということは、こちらも重々察しております。なので、慰めの言葉として送らせいただきます───流石、勇者様。素敵ですわ」


「ありがとうございます。大変長ったらしい慰めの言葉を言うための建前を並べて言われたあなたのお誉め言葉、光栄に思います。いやぁ……姫様は本当に優しいんですね。何だかんだで誉めてくれるんですよね」


「はい……? 別に誉めてなどいませんよ? この言葉は正論の下に自身の渾身の皮肉が打ち砕かれてしまった哀れな誰かさんの向けて送った私なりの皮肉ですよ。というより、皮肉を自身への誉め言葉へ解釈するその前向きな姿勢は称賛に値しますよ。人生が生きやすそうで羨ましいですよ」


「止めてください。余り誉めると僕、調子に乗ってしまいますよ?」


 ───パリンッ


 その言葉の直後、エイトが掴んでいたはずのカップが粉々になった。


 幾分かリーエルに向けている殺気も膨れ上がったように感じる。


 そんなエイトに、リーエルはその碧く透き通った瞳を瞑りながら、嘲るような微笑を浮かび上がらせる。


「図星を突かれたかどうかは知りませんが、独りでにカップが粉々になることは絶対にあり得ません。ということは、あなたが悔しさなどの感情的になったばかりに力が自然と入り、そのカップを割ったことになりますね。……エイト・テンジョウ? 後ほど散らばった破片を掃除しておいて下さいね? 危ないですので」


「おやおや、申し訳ありません。……まさにあなたの言う通りですよ。ここまで感情を見透かされては僕も日々の鍛練が足りてないことですね」


 明らかに先程まで微笑は崩れ、苦笑いになっているエイトの目は、生物の命を刈り取るほどの鋭いものに変わっていた。


「そうです。全く足りてないんです。なので、『勇者』という技術もへったくれもないただの能力だけの強者という名目で生徒という未熟な者達の頂点に胡座をかいて、自己満足と自己顕示欲に浸ってないで、新兵からやり直してくることを推奨します。その腐敗した性根を叩き直すにはぴったりな場所だと思います」


「いよいよ辛辣になってきましたね」


「そうですね。学園中の女子生徒達をタブらかしているハリボテ勇者にはそろそろ更生してもらおうかと思いまして、今あなたが一部の人間からどう思われているのか私の口から直々に再確認してもらおうかと」


「……ですが、これまで黙認してきましたよね?」


「それはこちらの落ち度ですね。当時はまさか『勇者』の称号を天から授かった者がこれほどまで腐っていたなんて思いもしなかったですからね。あなたが世界を救ってくれるのを引き換えに、あなたが希望することは出来る限り応えてしまった結果が、今の『勇者』を造り出してしまった……ということです」


「これは酷い言われ様ですねぇ……」


「でしたらさっさと世界を救ってきてくれませんか? あなたに少なくからず『勇者』という自覚と、このままで良いのかという自身へ警鐘を鳴らす誠実な心があるのなら、それらを行動で示してきてください。……あなたを召喚してしまった王国に、恩返ししてくれませんか?」


 少し殺気を緩ませてから放った、リーエルからの願い、いや王国からの総意。


 『勇者』という称号に胡座をかいてきた男に、リーエルはその高貴な頭を下げた。


「…………」


「……」


 静寂が再来する。


 王女が一介の生徒に頭を下げているという衝撃的な光景は、誰がみたって驚愕するだろう。


 そして、王女に頭を下げさせている一介の生徒に、一挙に批難や野次が飛ぶことだろう。


 不気味な雰囲気が包み込むなか、数十秒の静寂の後、青年は閉じていた口を開いた。 


「───嫌ですね。ムリムリ、ムリですよ。なんで勝手にこの世界に呼んでおいて、超ヤバイ魔王の相手をしなければならないんですか? 命の危険を冒す真似は言語道断ですよ」


「……」


「それに、平凡に暮らしていたいんですよね。母国が平和主義だったので、僕もその色にすっかり染まりきってるわけで……いきなり剣を持って魔物と戦うなんていくらなんでもできませんよ」


 再び、部屋の空気が重くなった。


 エイトは相変わらずだが、リーエルの方は極限まで目を鋭くさせて、拳を強く握りしめている。

 


「………………そうですか。では話は終わりですね。これで失礼します」


毎日自室に女子生徒を連れ込んでいる癖に、何が平凡な暮らしですか……


 そんな愚痴は溢さなかったが、もうこの男とは一緒の部屋に居たくなかった。


 元々嫌いな面という理由もあるのだが、女性的に言えば生理的に無理な面、というのが今のリーエルの感情にある。


「え? もう少しゆっくりしていかないんですか?」


「結構です。……もう会うことはないでしょう。さようなら」


 そう言い残し、立ち去ろうと部屋の扉へ歩みを進めたとき


「あ、じゃあ最後にひとつだけ質問いいですか?」


 と、エイトはリーエルの背中に投げ掛けた。


「……最後、ですか。その言葉忘れないでくださいね? その質問に答える代わりにもう二度と私と会わないと。でないと、次はたとえあなたが『勇者』だったとしても、容赦はしません」


 扉の前で立ち止まったリーエルは、片目で肩越しにエイトを見ながらそう言うと、自身の手に眩しい神々しさを放つ光の魔粒子を集束させて、光のランスを顕現させた。


 リーエルなりの忠告と脅しに、エイトは少し驚きながらも質問した。


「実はとある情報が流れてきたんですけど、ボルズ公邸襲撃事件の時に、重傷を負っていたボルズ公爵様を数秒で治した優秀な治癒魔法を使った女の子が居たという噂を耳にしまして」


「……それで?」


「聞けば凄く可愛くて、優しく、そしてなんと僕と同じ転移者の女の子だと。……それでさっきあなたが言っていた世界を救う旅に、その優秀な治癒魔法を使える子が付いてきてくれるのなら、平和ボケしてる僕でも安心して旅できるかなって思いまして」


「……」










「────なのでもし良ければ、その子に僕を会わせて頂けたらなと!」




 

 


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