二度目の結婚式と初めてのプロポーズは、旦那さまがデレてから

碧希レイン

第1話 結婚式の罠

 町に一つだけある白い石造りの教会で結婚式をあげるのが、ノア・ハワードの小さい頃の夢だった。

 その夢が今日、叶う。


 ソノレアの町――ひいてはリディーズ島に残る救国伝説に登場する、エルフやピクシー、亜人などの妖精と、人間の乙女が描かれたステンドグラスからは、まるで若い二人の門出を祝福するかのように、穏やかな日差しが差し込んでいる。

 控えめに空気を揺らすバイオリンやピアノも、ノアと夫となる男性のために幸せを歌う。小さな教会のなかには、温かさが満ちていた。


「おめでとう!」

「お幸せに!」


 父親の腕を借りてバージンロードを歩く十六歳のノアに、友人や親戚たちから祝いの言葉をかけられる。そのたび、ノアは小さな会釈と微笑を返した。

 無垢を現す純白のウエディングドレスをまとったノアはいつもの快活さがなりを潜め、今日ばかりは淑女に見えないこともなかった。

 ふんだんにレースを用いたプリンセスラインのドレスには、ノアの瞳の色と同じオレンジ色のバラが散りばめられている。バラは肩まで伸ばした栗色の髪を飾るベールにも、あしらわれていた。


 ノアが父と歩く赤い絨毯の先では、新郎――レイフ・グラントがノアを待っている。

 黒と見紛うほど暗い紺色の髪をした彼は、今日も長い前髪で右目を隠し、後ろ髪は左側で一つに縛っている。式の前に切ればいいのにとノアは言ったが、レイフは「このままでいい」と散髪を拒んだ。髪型には彼なりにこだわりがあるらしい。


 けれど普段黒や灰色で統一されている装いは、眩しいほどの白に変わっている。いくら明るい色を好まないレイフでも、新婦の両親にぜひ白でと言われ、断りきれなかったのだ。

 見慣れないレイフの白服に違和感を抱いたノアが思わず口元を緩ませると、目ざとくそれを見止めたレイフが紺色の左目をすがめ、眉間に浅く皺を寄せた。


 唇を引き結んだノアは祭壇の手前で父の手を離れ、新郎レイフと共に階段を上がり、牧師のもとへ歩を進める。

 ソノレアで何百組という夫婦を見守ってきた老牧師は、にこにことした顔で神に祈りを捧げ、新郎・新婦に問いかけた。


「レイフ・グラント。あなたはノア・ハワードを妻とし、健康な時も、病の時も。富める時も貧しい時も、死が二人を別つまで、愛し合うと誓いますか?」

「はい、誓います」


 まっすぐ老牧師を見つめ、レイフは答える。

 ベール越しにその端正で、けれど感情のあまり浮かばない横顔を一瞥したノアは、胸に巣食うもやもやしたものが騒ぎ出すのを感じた。


 この結婚はノアではなく、ノアの両親が望んだものだ。

 両親は知人から紹介されたレイフをいたく気に入り、ノアの知らないところでぜひ娘の婿にと話が進み……ノアがレイフを紹介された時にはもう、結婚することが決まっていた。


(うまくやっていけるんだろうか、この人と)


 ノアはレイフのことを良く知らない。

 知っているのは職業や二十三という年齢、髪の長さにこだわりがあるとか、黒や灰色など暗色を好むだとか、真面目そうに見えて実は結構な面倒臭がりだということくらいだ。

 それから、新郎側両親、友人共に仕事が忙しいらしく、上司だという大柄な人物のほかに数人しか列席していない。もしかしたら両親とは不仲だったり、友達が少なかったりするのかもしれない。


(対して親しくも、好きでもない人と結婚するなんて……。別にレイフのことは嫌いでもないけど、明るい未来は描けそうにないわ)


「――誓いますか?」

「……え? あ、はいっ! 誓います!」


 考えに浸るうちに、ノアが誓う番が来ていたらしい。慌てて答えたノアを注意するふうに、牧師は優しく苦笑した。後ろで両親が「まったくうちの娘は」と呆れている気配を感じつつ、ノアも苦く笑う。


 今更結婚について憂いたところで、式を中断することなど出来やしないのだ。

 両親が用意した、サンザシの花と葉がデザインされた指輪を交換しながら、ノアは腹を括った。

 この後には誓いのキスが待っている。嫌だなんて思っていたら、つい新郎の横っ面を張っ叩いてしまいそうだ。


(犬や猫に舐められるようなものと思えば――!)


 レイフの白い手によってゆっくりとベールが持ち上げられるなか、ノアはぎゅっと目をつぶり、万が一にも手が出ないよう拳を握り締めた。


「ちょっと待った! 妖精館 フェアリー・ハウスの捜査だ!!」


 豪快にドアが開く音とともに、よく通る男の声が結婚式に割り込んだ。開け放たれた扉からは声を上げた人物以外にも、逆光のなかに立つ幾つもの人影が見える。


 男の言う妖精館とは百年前、人間の乙女と妖精たちとが力を合わせてリディーズ島を救ったことに端を発した、妖精と人間の橋渡しを行う機関だ。妖精とのトラブルや、また妖精が人間に抱く不満などに対する相談、及び捜査を担っている。


「なあに急に?」

「捜査って、何もこんな時に」


 人々がざわめくなか、先頭にいた赤い短髪の男はダブルボタンのコートの裾を翻しながら祭壇に歩み寄り、ノアとレイフの左手薬指にある指輪と、彼が持つ絵とを見比べた。


「この指輪は妖精界側で盗難被害が出されている。つまり、盗品ってことだ」

「え」


 驚くノアに続いて、招待客も言葉を失くす。しかしすぐに戸惑いの声がさざなみとなって教会内に広がり、混乱を深めていく。


「盗品だなんて、そんなことありません!」

「そうです、これは私たちが娘のために買った指輪です!」


 口々に訴えるノアの両親を、捜査員達が取り囲む。その中の一人、ノアとそう歳の変わらなそうな少年が、二人に教会の外へ出るよう――妖精館まで一緒に来るよう迫った。


「待って、父さんと母さんが妖精から物を盗むなんて、そんなことあるわけない!」


 ノアは突然のことで上手く回らない頭を必死に動かして、両親の無実を訴える。

 そうだ、父さんと母さんが妖精に被害をもたらすようなことをする訳はない。なにせ二人は妖精が大好きで、庭にピクシーや小人を招いたり、お菓子をあげたりしている。

 それにノアの夫にレイフを選んだ一番の理由が「勤め先が妖精館」だという入れ込みようだ。これに関しては、ノアにとってはいい迷惑でしかなかったが。


「レイフなら知っているでしょう? 父さんと母さんがどれほど妖精を好きか」


 たびたび両親の妖精談義に付き合わされているレイフに、ノアは訴えた。「そうだな」と常と変わらぬ平坦な声で応えたレイフは、おもむろにノアの指から指輪を引き抜く。


「レイフ?」


 その行動を不思議に思うノアを余所に、レイフは自分がつけていた指輪も外し、もともと指輪が納められていた箱にペアリングを戻す。

 そしてその箱を、赤髪の捜査員に渡した。


「証拠品の押収はこれで完了だ。館へ戻って取り調べを始める」


 溜息をつきながら白いネクタイを解く、一仕事終えたといわんばかりのレイフ態度に、ノアの脳裏を嫌な考えが過ぎった。


 まさか、この結婚は――


「ご苦労さん。俺は先に帰ってるぜ」


 レイフから指輪が入った箱を受け取った捜査員が、片手を上げて去っていく。その後に続こうとしたレイフの腕を、ノアは強い力で掴んだ。


「どういうことなの、レイフ。ちゃんと説明して!」


 動揺や怒りで、ノアの声は震える。

 レイフは頭一つ分背の低いノアを見下ろして、面倒臭そうに眉を寄せる。それは、レイフがよくする表情の一つだ。今ほどその顔が憎らしいと思ったことはない。


「想像はついているのだろう。自分の状況がわからないほど、お前はバカな女ではないはずだ」


 素気無く告げて、レイフの腕が振られる。ノアは振り払われた手をもう一度のばそうとするが、それより先にレイフは階段を降り、教会の出口へと向かっていく。


「レイフ!」


 ノアはウエディングドレスの裾を持ち上げて、レイフの後を追う。

 確かに、想像はついている。最悪で最低の、考えたくもない事態が。けれどたったひとかけら、ノアの胸の奥底に残った希望が「嘘だといってくれ」と叫んでいる。

 レイフは教会から一歩出たところで立ち止まり、ノアを振り返った。


「離婚の手続きはこちらでしておく。最後にサインだけ貰いに行くが、俺の顔などみたくもないだろう。別の人間を行かせる」


 台本と一字一句違わぬ台詞を読み上げる舞台役者のようなレイフに、ノアは言い募ろうとした。けれど月のない夜空よりいっそう冷たい目に、不覚にも怯んでしまう。


「ご苦労だった」


 もう言うことはないとばかりに、レイフはノアに背を向ける。

 言葉が喉につっかえて声を出ないノアは、日の光を浴びて輝かんばかりの白い背中に手をのばす。

 だが無情にも目の前で扉が閉まり、ノアの視界は暗幕を下ろしたように暗く遮られてしまった。

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