第28話 『ある術者の1日 (4) - “新しい夜明け”』 One day of a necromer chapter 4 - “New Dawn”

白々と太陽が夜の淵を染め、新しい朝がやってこようとする頃、屍体の兵士は美しい女性を抱きかかえて小屋に戻って来た。

「ダレン!」

待ち受けていたマルクが、ドアを開けてダレンを受け入れる。

魔法陣の向こう、椅子にもたれ目を伏せる自分が真っ先に目に入った。

意識のない自分の体を前にすると奇妙な心地になった。魂が繋がっているのが見えるが、そこで眠る自分とエミリアのには大きな隔たりがある。

ダレンはこのあとすぐに目覚めるが、エミリアは一生目覚めない。

「すまないが、マルク。エミリアに何か掛ける物を持ってきてやってくれ。俺はこの屍体を埋めてくる」

「分かった……気をつけて」

マルクが奥に引っ込んだことを確認してから、ダレンはゆっくりとエミリアを横たえさせ、外に出た。

屍体を隠すことももう慣れた手順のはずだ。地中に身体を埋め、隠すことなど、心が揺れるはずもない。

だが、今日は妙に疲れた。骨の折れる作業に思え、永遠にこの穴を掘り続けるのではないかと、絶望的な感情が湧いた。

接続を解いてダレンが自らの体に戻る。

「ダレン……」

傍に座り込んでいたらしいマルクが力なく名前を呼んだ。

振り向いたマルクは憔悴しきった表情をしていた。

ほんの数時間前、『これで生き延びられる』と瞳を妖しいほどに輝かせていた同一人物とは思えない。

この一晩でめっきり老け込んでしまった。

恐らく、それはダレンも同じだ。

「――……夜が明けきったら、ヘルマンを弔いに行こう」

ダレンの提案に、マルクは一瞬怯えたように目を丸めたが、やがて頷いた。

死は見慣れたと思っていた。

墓を暴き、死を冒涜し、それに慣れたつもりだった。

それがどうだ?

友人の死を目の当たりに――しかも凄惨な死を――した途端、心が怯んだ。

もう感じないと思っていた痛みや苦しみが込み上げて、深い悔恨がもたげる。

――人の命を弄ぶことに、何も感じないのか!?

ヘルマンの叫びが今では身に染みる。

感じなかったのは、その屍体が『他人』だったからだ。それだけ死の記憶を見ても、その個人の記憶を見ても、それは書物を読むような芝居を見るような感覚に過ぎなかった。

けれど、どうだ。

実際に目の前でヘルマンの死を見ても、同じことを言えるのか。

項垂れていたマルクはゆっくりと顔を上げた。

「……エミリアの屍体も、使うか?」

「……マルク……」

名前を呼ばうことしか出来なかった。

考えることを頭が拒否している。

「使える屍体も残り少ない……このままじゃ朽ち果てるか、掘り返されて喰われるか」

マルクの口調も流石に力がない。

「誰か知らない奴らに、エミリアを使われるだけだと思う。それに……」

その先は畳んだ。

だが、ダレンだって分かる。

微かに首を振ることしか出来なかった。

「――一晩だけでいい。一晩、考えさせてくれ」

「分かった」


マルクが去った後も、ダレンは屍体に”なった”時の座った姿勢のまま、ただただ動けずにいた。

目を背けずに見れば、エミリアは既に生前通りではないことは分かる。

美しいエミリアが、徐々に永遠に時のない眠りに蝕まれていくのは仕方のないことだった。

輝くほどに白かった肌はくすみ、ハリを失っている。

抱き上げた身体も軽かった。それはBuriedbornesで、屍体の力を上げた影響だけではないはずだ。

やがて、ダレンはぎこちなく立ち上がった。

エミリアの伏せた睫毛を見下ろす。

この面影もいずれ消え失せてしまうのか、それとも、自分達の終わりが先か……。

マルクが言い淀んだ先の言葉を、ダレンだって理解している。

「エミリア……、このままでは俺達もみんな死んでしまう」

お願いだから、目を開けて微笑んではくれないだろうか。

「そっちはどうだい? いいところか? ヘルマンとは会えたかい?」

じっと見下ろしたまま語り続ける。自分自身の手でエミリアに触れることが恐ろしかった。

エミリアの死を本当に受け入れなければならなくなる。

彼女は永遠に変わらない、という思い込みを捨てなければならない。

それならば、

「……せめて、僕が死ぬ前に、君の想いを見せてくれ」

僕は、ずっと君を見ていた。君を愛していた。君を守りたかった。

ダレンは言えなかった熱烈な言葉を、その亡骸を前にしてさえ、やはり口に出来なかった。

ここまで来ても告げられない自分が愚かしく思えるが、エミリアに似合う言葉を探せないのだ。

自分達を救い、光をくれた彼女に陳腐な言葉は似合わない。

ダレンは振り向いた。Buriedbornesのためにマルクが描いたその魔法陣を。

魔法陣の前、先ほどまで埋もれるように座っていた椅子に戻る。

「エミリア……」

このまま死ぬならば、僕は、君のことを、君の想いを、見てから死にたい。


「欲しいものは、何でも買ってもらえるの。だって、私のおうちはお金があるから」

私が覚えているのは、お姉様が新しいお人形を買ってもらった時に、私にそう嘯いたことだった。

お姉様はその半年後、風邪をこじらせてあっけなく亡くなり、お人形は私の物になった。「お金があっても買えないものがあるのね」ってお姉様に話しかけた。棺の中のお姉様は綺麗な白いドレスを着せてもらっていたわ。

あのドレスを着たいと言って、お母さまを困らせたっけ。

そういう意味で、私はとても恵まれた環境に育ったのだと思う。

お父様は商人をしていて、お母様はいつも窓辺でレース編みをしていらしたわ。何人ものお女中がいて、私は乳母に育てられた。

ヘルマンと出会ったのは5歳のころだった。新しいドレスをこしらえてもらって、遊びに行ったお家の子がヘルマンだったの。

ヘルマンのおうちは将軍様の家系で、立派な騎士の末裔なんだって、お庭にある馬に乗った騎士様の銅像を見ながらヘルマンは教えてくれた。

私達は子供らしい無邪気さで、1日ですっかり仲良くなったの。

今なら分かるわ、私の家は家柄が、ヘルマンの家は経済力が必要だった。そこにお誂え向きの年の近い息子と娘。願ったりかなったり。

でも、そんな思惑なんて関係なかった。

私もヘルマンも、一目でお互いを気に入ったの。お父様とお母様のように暖炉のある暖かな部屋で子供に絵本を読む、年を取ったヘルマンと私が自然と思い浮かんだわ。

だから、帰り際にヘルマンが「おとなになったらお嫁さんにしてあげる」と言ってくれた菫のお花を、押し花にしてずっと大事にしているの。

乳母も家庭教師も厳しかったけれど、お父様とお母様は『愛しいエミリア』って一人娘の私を可愛がってくださった。

お母様は教会の活動にも熱心で、レース編みのベッドカバーや刺繍入りのハンカチーフを差し入れていたわ。

そういう時は厨房でたくさんのお菓子を作るから、こっそりいただいていたの。

「可哀相な人には優しくするのよ」

大きな帽子を被ったお母様は完璧な貴婦人で、私もそうなりたいとドキドキしたものよ。

そんな中だった。

あの可哀相な子に出会ったのは。

「エミリア、何を見てるんだ」

ヘルマンがそう私に尋ねた声は、少し怖かった。

だってまるで命令するみたいだったから。

「……あの子、いつもああね」

「ああ、ダレンか」

大きな木陰に座っている男の子の名前を、何度聞いても私は忘れてしまう。

「親が殺されたんだって。孤児院に来たばかりで、全然馴染もうとしない」

「まぁ、可哀相じゃない」

可哀相だわ。

今まで風景の一部に溶け込むようにいたあの子が、急に立体的になる。

「何か読んでるのね。私、行ってくるわ」

「おい、エミリア!」

声変りを終えたばかりのみょうちくりんな声でヘルマンが咎めるけれど、私はダレンに駆け寄った。

「ねえ、何を読んでるの?」

――あら、あなた、案外綺麗な目をしてるのね。

私はそう内心で想いながら、ダレンの手元を覗き込んだ。

ダレンと一緒に遊ぶのは図書館が多かった。

ダレンは本が大好きで、孤児院の人達にもたくさんの本を与えられていたの。

そこに年下のマルクが加わって、自然と4人で遊ぶようになったわ。

図書館はいいところ。人目を忍べて、静かで、年若い恋人達にはぴったりの逢引の場所だった。

ヘルマンは時折、いきなり私を後ろから抱き寄せて、驚かせた。くすくす笑いながら抱きしめ合うことが本当に幸せだったわ。

慎み深い関係を続けていたけれど、人目を忍んで抱きしめ合うくらいは許されてもいいと思ったの。たくさんの書架は森みたいで、とてもロマンチックだった。

それに、私達は熱中していることがほかにもあった。

『医療魔術』について。

ダレンが1人で読んでいた本だったけれど、気が付けば私たち全員が夢中になった。

ヘルマンとダレンなんかはいつも話し合って、「ああでもない、こうでもない」って頭を抱えていたわ。

私が黙って見ていると、マルクが猫みたいにいなくなるの。

「……マルク?」

本の森に入り込んだマルクに声をかける。

マルクはいくつかの本を取り出して、パラパラと中を改めているところだった。

「エミリア……」

「その本、どうしたの?」

「ヘルマン達が話し合ってることの本。もう答えがここに書いてある」

私は驚いて瞬きをした。

そういえば、マルクはお医者様の息子だったことを思い出す。

「知ってたの? 教えてあげたらよかったのに」

「あの2人が話し合ってもいい案なんて出っこない。僕が新しい本を持って行かないと何も進まないんだ」

マルクは涼しい顔をして本を選び終えた。

「ヘルマンは図体はデカいし、力もある。ダレンは大人びてるよね。でも、2人ともそれだけだ」

「まぁ、マルク。そんなこと言っちゃだめよ」

私は驚いた。

いつもは2人について回っているくせに、内心では、そんな事を思っていたの?

「ふん。でも本当のことだ。僕がいないと、何も進まない、見ててごらんよ」

マルクの宣言の通りだった。

――確かに、2人だけじゃ、結論は出ないのだ。


私とヘルマンの関係はうまく進んではいかなかった。

私達は仲良くいたままだったけれど、家同士の折り合いが中々つかなかったようだ。

おかげで、私はお母様のウェディングドレスを受け継いだもののそれを眺める日々を過ごしていた。

けれど、そんな中ようやくその日は訪れた。

とてもよく晴れた日、ヘルマンの家に、一家で招かれたのだ。

母は私にとっておきのドレスを着るように言った。もう既にくるぶしの出る子供用のドレスは卒業していた私は、一生懸命ドレスを選び、侍女と浮かれながら髪を結わいた。

そっと、ドレスの胸元に子供のころもらった菫の押し花を忍ばせる。

ようやく。ようやくヘルマンと結ばれる。

夢見た幸せな生活が待っているのだと思うと、自然と微笑みが漏れた。

なのに。

「……ヘル……、マン……?」

何が起きてるの?

ねえ、ヘルマン、あなた、どうして私をそんな目で見ているの?

庭園でのお茶会。その時外から悲鳴が聞こえ、逃げるようにと従僕達が駆けつけた。

必死で逃げたの、お父様もお母様も見失って、それでもヘルマンの手を握って必死で走ったわ。

街は、見たことのないほど荒れていた。

そこかしこを歩くおぞましい屍者達の群れ、襲われた人達のなれの果て。

一体何が起きたというの?

この世の終わりが、来てしまったの?

必死で逃げたけど、限界が来て、私は転んでしまった。

あれだけしっかりと繋いでいた手が、呆気なく解ける。

「エミリア!」

あなたはそう叫んでくれたわね。

でも、すぐに立ち竦んだ。

はじめ、熱いって思ったわ。全身を貫くような熱さのあとに、壮絶な痛みが走った。

見たら、お腹から剣の先が飛び出している。

悲鳴を上げようとした口からは、かわりにたくさんの血を吐いた。

「何やってんだ!」

知らない男の人の声がして、するりと剣が背中へ抜けていった。

中年の男性が、スコップを振り回して屍者を追い払った。

胸にぽっかりと空いた穴から、湧き水みたいに血がどくどくと外へ流れていく。

「ヘルマン……助けて……」

足が動かない。必死で手を伸ばすが、動こうとするほど、もっと血がいっぱい出て、体が動かなくなっていく。

背後で、助けてくれた男性の悲鳴がした。

ヘルマンの足に私が縋りつこうとしたその時、ヘルマンは駆け出した。

駆け出し、た?

私を蹴るように振り払い、何も言うことなく、逃げ出した。

嘘。

嘘よ……ヘルマン、嘘でしょう?

私を、愛していたのではないの? ねえ、ヘルマン。痛いの、体が動かないわ。今なら許してあげる。怖かったのよね、あなたも。

だって、訳も分からない化け物が襲ってきて、驚いたのよね?

私は必死で這った。

あの木、ダレンが座って本を読んでいた木の根元、大きな根にもたれるように体を預ける。

もう動けない。寒い。

ああ、どうして誰もいないの。ヘルマン、ダレン、マルク、私はここに来たのよ。

友情のはじまりはここじゃない? だからここにきたの。

助けてもらえると思って。

ねえ、どうしていないの。

あんたちは、逃げたっていうの?

私を置いて?

ねえ?

生きてる? この街の中のどこかにいるの? 私を守りに来ないで、あんた達は逃げてるの?

ねえ。

なんで私なの。

なんで私が死ななきゃいけないの。正しく生きてきたのに。

なんで……あいつらじゃ、ないの。

優しくして、やったのに……――


マルクが浅い眠りから覚めたのは、物音のせいだった。

「……ダレン?」

すさまじくだるい。

だるい原因を思い返そうとすると吐き気がするので、慌てて頭を振って押しやった。

ただ、人影が小さい。

「……誰……?」

ふらり、と影が動き、緩慢に長い髪が揺れた。

「ダレン… …まさか、エミリ――」

マルクは最後まで口にすることが出来なかった。

影は抱き着くようにマルクの飛び込んできた。

そして、影が体を起こす――エミリアは無感動な目でじっとマルクを見つめていた。

その手には解剖用の短刀が握られ、深々とマルクの腹部に突き立てられている。

エミリアはずるりと、床に座り込んだ。

一瞬の間ののちに、糸の切れた操り人形のように、その場に倒れ込み、動かなくなった。

ダレンが研究室から、マルクの自室に移動した時、ベッドの上でマルクは痙攣していた。

それに目をやることなく、エミリアを見下ろした。

エミリアの目を通してみた過去は、ダレンの知るどの記憶とも形が違うものだった。

美しいはずのエミリアの最期は、ダレンの思っていた形とは違う残酷さを持ち、エミリアのダレンへ向けた優しさはただの自己満足だった。

「俺は何のために戦ってきたんだ」

エミリアは何と思うか、生き残ったからには恥じないように生きなければとずっと己に問うてきた。

Buriedbornesの術も、魔の契約も、『パーツ』の改造も、3人揃って生き延びるためだった。

「くふっ…… ふふ……」

ベッドに上体を横たえたマルクの体を片足で軽く小突くと、床にゴロリと転がり落ち、動かなくなる。

「何のためにィッ!」

マルクの脇腹を強く蹴り上げたが、ビクリともしない。

マルクも、ヘルマンも、エミリアさえも、僕の事を、軽蔑していたんだ、心の底で。

それが現実。

全ては幻だったのか?。

守るべき美しい記憶は、どこにもなかったのか?

守るだけの価値が、あったのか?

答えは、知ってしまった。

知らなければよかった。

でも、もう戻れない。

「ふ、ふふ、ははは」

再び乾いた笑いが、ダレンの口から零れ落ちた。

生き残ったのは自分ひとり。

この世にどれほどの価値があるだろうか?

夢も愛も信頼も、全て幻想だった。

どれもこれも、自分の都合に合わせて使うだけの詭弁だ。

人間も、地底の軍勢と何も変わらない。

誰も彼も、自分の事しか考えていやしない。

ならば、俺も、俺のために生きてやる。ここにある屍体を使って、全てを破壊し尽くしてやる。

それが生者であろうが、屍者であろうが。

もう弄ばれる側にはならないと決めたではないか。

今度は、自分が弄ぶ側なのだ。

「……なんだ、よく見たら大して美しくもないな…」

目を伏せたエミリアの目蓋はくぼみはじめ、色あせた肌は土色だ。

ダレンはエミリアを小脇に抱えるようにして、研究室に向かった。

幸い、マルクの行った処置のお陰で、死んでからかなりの時間が経ったにしては『新鮮な』屍体だ。

「俺は、生きる……」

手術台に横たえたエミリアの前に、鋸を手にして佇む。

その姿は、まるで亡霊のようだった。

空が白む。

また、ある術者の1日が、始まる。

奪い、殺し、壊すための、1日が。

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