第20話 『月蝕夜殺人事件(4) - 解決です』 Case: Moon eclipse night murder chapter 4 - “Solved!”

嵐が迫っている。

屋敷の廊下を、苛立たしげに歩を進める者の影があった。

雨粒が窓を叩く音が、けたたましく鳴り響き始めている。

人物は、それまでの歩調とは打って変わって、そっと、音がしないようにキッチンの扉を開き、滑るように部屋へと忍び込んだ。

足音を殺し、静かに棚を物色する。

しかし、はじめこそ丁寧に棚の戸を開いていた手が、やがて乱雑に、まるで手当たり次第に物をどけ、周囲にものをぶち撒け始めた。

「その中には、ございませんよ」

不意の声に、人物が振り返った。

物陰から、見覚えのある倭装の男が姿を現す。

「テオドールさん、あなたがお探しのものは、こちらでは?」

シュンの手には、小さな酒瓶のようなものが握られている。

「そ、それを返せ…!」

テオドールは狼狽し、手を伸ばす。

しかし、シュンの背後から表れた竜人に行く手を阻まれ、酒瓶までは届かない。

「おいシュン、どういう事か説明しろよ」

ドミニクは二刀の剣を手放さず、テオドールに顔を向けたままシュンに尋ねる。

「領主こそが、この事件の犯人だったのですか…?」

さらにシュンの背後から、カヲルが短刀を携えて部屋に姿を見せる。

「そうであるとも言えますし、そうでないとも言えます」

「おい、いい加減はぐらかすのはやめろ!嵐が近いんだ」

ドミニクの声には怒気が混じり始めている。

「その前に、役者を揃えましょう。テレーズさんも、こちらへ」

その声に、一瞬物音が響くが、観念したかのように、キッチンの物陰からもうひとりの人物が姿を見せた。

「君達も、父上を疑っていたのか」

テレーズの手には、刺突剣が握られている。

「父上は、人間ではない」

そう言うと、テレーズは剣を構え、テオドールに向かってにじり寄り始める。

命の危険を感じ、テオドールは窯を背にして後退りする。

「まぁお待ちなさい、その判断は早計ですよ」

シュンが錫杖を鳴らし、その音を受けてテレーズの歩みは止まる。

「そうですね… ここでは場所が悪い、中庭に移りましょう」

「正気かよ、嵐の中で話をするのか?」

「広い所の方が都合が良いのです、あとで詳しく説明しますよ」


一触即発の空気のまま、一同は嵐の中庭へと出た。

叩きつける雨粒が顔や服を濡らし、すぐに全員がずぶ濡れになっていく。

「さっさと説明して、中に入ろう」

「きっとすぐに、あなたも"中庭で良かった"と言いますよ」

シュンは勿体ぶってクスクスと笑っている。

ドミニクは、苛立ちを抑えきれず、今にも剣を振り回し出しそうだ。

「シュン様、悪い癖が出ています」

カヲルが背後から諌める。

「失敬、それでは本題に入りましょう…」

シュンが向き直り、懐に手を入れた。

「殺害現場で発見されたのは、こちらの毛でした」

懐中から小瓶を取り出し、それを掲げる。

中には、黒っぽくくすんだ青い毛が見える。

「しかし、我々がこの"夜"の到来と同時に遭遇した者は、金獅子の怪物でした」

小瓶をしまって、紙片を取り出す。

「怪物は2体いたのか?」

彼の脳内で描かれたシナリオに背中押されてか、ドミニクが剣を持つ手に力を込めた。

テレーズとテオドールは、ただならぬ殺気に気圧されてたじろぐ。

「ですからそれは早計ですってば」

シュンがドミニクを静止する。

「怪物は複数いた。そこは正しい。しかし、2体ではなかった」

空を仰ぎ、嵐の空から覗く月を指差す。

「何故嵐の中、月が姿を見せているのか?誰も、おかしいとは思わなかったのですか?」

テレーズも、テオドールも、空を見上げるが、怪訝そうに首をかしげる。

「いや、何故と言われても… 父上は?」

「そういう天候なのだろう、あの月の何がおかしいのだ?」

「この点は、説明だけでは納得しないでしょうな… 認識阻害すら、影響が及んでいるものと見えますから」

シュンは紙片を取り出す。

嵐は一層勢いを増し、風雨は激しさを増していく。

それでも、彼らの頭上に燦然と輝く欠けた月は、街を仄かに照らし続けている。

激しい風の唸りに紛れて、煉瓦が割れる音、重い物を引きずる音などが響き始める。

「シュン様!何かが、迫っています…」

カヲルが、シュンに背を向けて構える。

同時に、テオドールが苦しみ始める。

「父上!」

「う、ぐゥ… そ、その酒を…」

「酒など飲んでも一緒でしょう、酔いつぶれ眠り落ちたとして、変身そのものは止められない」

テオドールが跪き、胸をかきむしる。

「父上、これは一体… う…?」

続いて、テレーズもその場に座り込む。

「こ、れは…」

信じられないものを見るように、テレーズは自身の手の甲を見つめる。

長い爪、金がかった体毛がまるで時間を早めたように伸び始めている。

骨が軋む痛みと共に、自らの視界が遠く、高くなっていくのを感じる。

「"月"の狙いはこの街そのものです。"変身"は、この月の影響下にある者全員に及ぶのでしょう」

膨らみきったふたつの巨体が眼前に立ちはだかる。

そしてまた、屋敷の堀の外から、獣の遠吠えに似た叫びがこだまし始める。

「この事件の犯人は、街の住民全員です。"変身"した者が、そうでなかった者を殺めていたのです」

重いものが金属にぶつかる高温と共に、屋敷の正門が弾き飛ばされる。

数体の獣が中庭になだれ込む。

その胴体には、肉体の膨張に耐えきれず張り詰めて裂けかけた衣服が残っているが、その内訳から、市民や娼婦、衛兵などであったものと判別できる。

そして目の前にも、領主とその近親者であったものの巨体が2つ、そびえ立っている。

その巨躯は、ドミニクと比較しても変わらないほどだ。

シュンは取り出した紙片を手に呪文を唱え始め、ドミニクに目配せする。

「時間を稼いでください!」

「戦いが始まるなら、先にそう言えィ!!」

呪文を唱え続けるシュンの前に、ドミニクが立ちはだかる。

そしてシュンの背後を、カヲルが守る。

「シュン様、早めにお願いしますね」

「努力します」

前から5体、背後から2体の獣人が咆哮を上げて迫る。

「ぬゥんッ」

ドミニクが、膂力に任せて双腕を振るう。

迫っていた5体は、まるで馬車に轢かれたかのように吹き飛んだ。

「生ぬるいぞ、もっと来いィ!!」

ドミニクが吼えた。

予想外の衝撃と咆哮に、獣人達はたじろぐ。

他方では、2体の金と黒の獣人が、3人を諸共に歯牙にかけんとして疾走してくる。

「嵐は好都合… 忍の独壇場ですわ」

カヲルは手元で印を結ぶ。

印に呼応して、吹き荒れていた水滴がまるで排水口に引き寄せられるようにカヲルの面前に集まる。

またたく間に水が2体の獣人を覆い包み、身動きを制する。

「水遁!!」

結びの印と共に、水塊は2体の獣人ごと屋敷の建物に押し流されていき、それぞれ背と腹を強かに壁面に打ちつける。

「強制的な"変身"なら、殺すわけにはいきませんね…」

カヲルは短刀を懐中にしまい、代わりに指に鉄の手甲をはめ、腕を長く伸ばした構えに移る。

それと同時に、叫び声が聞こえ、さらに獣人の波が正門から次々なだれ込んでくる。

「来いィ!!もっと、もっとだァ!!」

ドミニクは迫ってくる獣人を、来る者から次々とちぎっては投げ、ちぎっては投げていく。

「しかし、この数は…」

カヲルは獣人の鋭い爪をかわしながら掌底で顎を打ち抜くが、獣人達の波は留まるどころか勢いが増すばかりで、数も増え続けている。

「あァん?」

敵を投げ飛ばした際の赤い飛沫から、ドミニクは自身の腹部からの流血に気がつく。

「面白ェ… もっと、もっと血を沸かせろォ!!」

「シュン様!これ以上は保ちません!!」

カヲルも、太ももや腕、頬にかすめた裂傷が目立ち始めている。

1体の獣人の牙が、詠唱中のシュンの首元に迫る姿が、視界に映る。

カヲルは、目前の相手への殴打の最中。

もう間に合わない。

「シュン様!」

「喝!」

獣人がシュンに届くよりも前に、シュンは錫杖を石畳に叩きつけ、その地点を中心に衝撃波が広がる。

衝撃波は屋敷の外に至るまで広がり、獣人達は横転し、カヲルとドミニクも、飛ばされないように体を屈める。

空に響く轟音と共に、暗雲が渦巻き、蠢き、やがて天頂に開いた雲間の穴を塞ぎ、月明かりが閉ざされる。

それと同時に、周囲に横たわっていた獣人達が次々苦しみ始める。

ある者は手から、ある者は頭から、次第に獣じみた姿から人本来の姿へと戻っていき、その場に倒れ崩れていく。

「終わりましたか…?」

カヲルは片膝をつき、肩で息をしながらシュンに尋ねる。

「お待たせしました、二人共健闘しましたね」

「…フン、これが仕事だ」

ドミニクは剣を収め、中庭の噴水の縁に腰掛けて、腹部の負傷部位の手当を始めている。

「月の光が街を覆い、その光が人の身に及ぼすのなら、光そのものを断てばいい…」

「そういう事ですか。結果がわかっていたのなら、先に伝えておいていただけないと困ります」

「…勘だと言ったら、カヲルが止めていたでしょう」

「勘!?」

カヲルは呆れたように頭を手で抑えた。


「一種の幻覚、あるいはそれ以上の、認識どころか存在そのものすら徐々に"書き換え"てしまうほどの、恐るべき規模の術が、この街を覆っている。それこそが真相です」

空は相変わらず嵐に覆われてはいるものの、月は見えない。

「覆って"いる"… まだ終わってはいないという事か?」

テオドールは肉体の負担が強かったため、ソファに体を横たえながら話を聞いている。

「今のこの"夜"に関して言えば、私の天候を動かす術によって封じられてはいます」

「明日以降はまた獣人が生まれ、獣人による被害が出る、という事か…?」

テレーズはテオドールの脇のソファに腰掛けている。

「1日たりとも絶やさずに、空を雲で覆い続ける事。問題の根底を解決する事はできずとも、これ以上の被害を抑えていく事なら可能でしょう」

「俺らは何故なんの影響もなかった?」

壁に寄りかかったドミニクが口を挟む。

「事件が始まって、被害は増え続けていました。光の影響は段階的なもので、街に来たばかりの我々には力が及びきっていなかったのでしょう」

「つまり、長居していたら我々も危なかったのですね…」

座るシュンの背後で、カヲルがつぶやく。

「腕のいい術士を数十人用意なさい、雲を途切れさせる事さえなければ、この街はこれからも安泰でしょう」

「それはそうと、そもそも一体誰がこんな事を?」

テレーズは首をひねる。

あるいはその瞳に宿る暗い光は、"始末"の2字を思わせるそれである事は明白であった。

「アレは術じゃない。自然の現象です」

「自然!?」

返ってきた答えはが期待したものと違った事で、意外そうに叫ぶテレーズ。

「古来より、"月は人を変える、狂わせる"という逸話が残っています。虎になった、狼になった、狸になった、その多くは獣へと変じたと伝えています」

「いや、しかし… 狸?狸とは?」

「あぁ、この辺りには狸はいませんでしたかね」

シュンは笑いながら頭を掻いた。

「実を言いますと、天体を操る術など存在しません。粒のようなものを呼ぶ例外ならありますが、月ほどとなると…

存在できたとしても、人間の持ちうる精神力でどうこうできる規模のものではない」

テレーズは呆気にとられたように話に聞き入っている。

「あの月は実際に存在した月だった。幻術でもない、幻像でもない。それは術に通じた者なら誰でもわかる。

天体そのものが実際に時を無視して姿を表して、雲を切り裂き地上を見下ろしていた。異常です、人智を超えた事態と言わざるをえない。

数十人、数百人… 天気なら、それで変えられるでしょう。天体はそうはいかない。

神か、悪魔か… 真意は不明ですが、計り知れないものが相手なら、できるだけの事をするしかない。

だからこそ、"雲をかけ続ければ良い"とご案内した。それしか方法がないから。

それが、私の推理が出した答えです。わかりましたか?」

シュンが一息に言い切ると、部屋は沈黙に包まれた。

間をおいて、テオドールは大きく息を吸い、絞り出すように答えた。

「…わかった、が、斯様な異常、神意とも思えるような現象に、我々は苛まれていたとは…」

「あとから雲が退けられる様子もない。少なくとも悪意を持つ者はいなかった、という証拠ですな。

ま、これは事後確認というか、やってみるまでわからなかった点ではあったんですがね…」

シュンの背後で、カヲルが再び、呆れた顔で頭を抑えた。

「想定外はありましたが、無事解決はできました。

約束通り、こちらの小切手に印をいただいて参ります。世話になりました」

そう言うと、シュンは立ち上がる。

「ま、待て。出来るなら、この街に留まってくれないものか。ドミニク殿と二人で、雇いたい」

テオドールは慌てて引き止める。

しかし、シュンは笠を傾けると自身の鼻先に人差し指を当てて、ニヤリと笑った。

「私は、探偵ですから」


強い風が残ってはいるが、雨は止み、夕日が空に戻りつつある。

“月"の影響が終わりを告げ、平穏の時間が訪れた。

3人は語り合いながら、街道で歩みを進めていた。

「シュン、良いのかよお前は、あそこでなら良い払いも期待できるだろうによォ」

「何でドミニクさん一緒についてきてるんですか?」

「お前に話があるからに決まってんだろうが!」

ドミニクがシュンの頭を脇に抱えようとするが、一瞬早く背後に回り込んでかわす。

「私はね、今の旅がとても楽しいのです。正直言いますとね、金なら腐るほどあるんです」

その言葉に、カヲルが慌てて口を覆う。

「出自身分を出されるのは危険だからとおっしゃられていたのはシュン様です…!」

「別にいいじゃないですか、他ならいざ知らず、ドミニクは悪い人ではありませんよ」

「そうそう、今さら隠し事はねぇだろう、信用ねぇなぁ」

カヲルは立ち止まると、俯きながら呟く。

「…これ以上、心配させないでください… あんな無茶な術も。本当に、シュン様に何かあれば、御屋形様に申し訳がありませんし、その… 私も、心苦しゅうございます」

「はいはい、お小言は結構…」

「なんだシュンてめぇ隅に置けねぇなぁ!もっと大事にしてやれよ、こんな良い娘、そうはいねぇぜ」

ドミニクが愉快そうに高笑いしながら、シュンの背中を力強く叩く。

「だが金が腐るほどあるってんなら尚更頼まねぇ道理がねぇ。シュン、俺を雇え」

「は?」

シュンが素っ頓狂な声を上げる。

「俺は傭兵だが、考える方はからっきしだ。だがお前ェが探偵の仕事を受けたら力仕事もお鉢が回ってくる、そういうのを俺が請け負って、お前はその分給料を払う、完璧じゃねえか?」

「勝手な事言わないでくださいよ… それに護衛なら、カヲルがいますし」

「獣人から、カヲル一人でお前を守り切れたか?ん?」

「…考える方はからっきし、ねぇ… よく言いますよお上手なくせに…」

困った顔で頭を掻きつつ、ため息をついて、しかし笑みをこぼしながら答えた。

「ま、いいでしょ。道中、賑やかな方が楽しいかもしれません」

「うっし決まりだ!1件100でどうだ」

「200でも1000でもいいですよ、10000はさすがにちょっとは考えますが」

「…マジかお前、マジ最高か」

「言ったでしょう、腐るほどあるって。さぁ、参りましょう。またこの世界のどこかで、陰陽探偵シュンを待っている人がいるのですから」

ドミニクは、こみ上げる笑いを抑えきれず、トカゲに似た顔の口角が歪に上がるのを感じ、カヲルに耳打ちした。

「お前の主人、気風の良い男だな、気に入ったぜ。これからよろしくな」

「私は嫌です」

「えっ?」

「ついて来ないでください、目障りです」

「いやなんで嫌われてんの俺…?」

「折角二人で旅していられたんです、正直言って迷惑です、邪魔しないでください」

「い、いやいやいや今俺とシュンの間で話が決まったんだから、ややこしくするなよお前は…」

カヲルは真顔のままスタスタと先を急ぎ、ドミニクは苦笑しながらも二人の後を追っていった。

3人の行く先に、何が待つのか。

それは、風だけが知っている。


こうして、"月の出る街"で起きた事件は幕を閉じ、後にこの街は"月の出ない街"として知れ渡る事になる。

しかし、事件は解決したが、シュンは結局、その深淵に潜む"本当の真実"にたどり着く事は、未来永劫なかった。

世界を侵食し、やがて"月"はこの街に留まらず、世界全体に広がっていく事になる事を、彼は予測できなかった。

"外なるもの"が月の門を介してこの世界への侵攻を開始するのは、50年先の話である。

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